性別が不定期に変わる
サーヴァントは夢を見ない。目を瞑り、見るものがあるとするならばそれは、――誰かの記憶だ。
【朝】
岡田以蔵は自室で目を覚ました。これまで専らマスターの部屋に侍っていた所為で大した物もない部屋は、しんとして冷ややかだ。珍しくそんな場所で眠りについたからだろうか、今し方まで見ていたものが、まだ瞼の裏に焼き付いているように思われて、以蔵は何度かゆっくりと目を瞬いた。
夢を見ぬ身であるならば、先刻まで見ていたものは誰かの記憶のはずだ。その誰かとは、マスターたる藤丸立香のもので相違ない。なにせ、以蔵の知らぬ男が出てくるものであったので。
大きく息を吐き、以蔵は顔を覆った。掌を手拭いのようにして、そのまま顔を洗うように何度も上下に往復させる。その後もう一度、顔を覆ったまま息をついた。
(――こらめった)
岡田以蔵は、カルデアにおけるサーヴァントの一騎でしかない。だが、藤丸立香と心を通わせており、恋仲と呼んで差し支えない関係でもあった。真っ直ぐに根気強く――時としてしつこく――付きまとわれ、鬱陶しいはずだったのが徐々に悪くないと思い始めたのが運の尽き。以蔵と向き合い続けたマスターとの関係はまるで根競べのようで、それに負けたと思った時、以蔵は完全に藤丸立香という人間に絆されているのだと認めざるを得なかった。そのままあれよあれよという間に仲は深まり、いつだったか、酔っぱらって気分が良くなっていた所に出くわしたマスターに他意もなく好きだと告げたのが切っ掛けでああった。
顔を赤く染めあげた少女の姿に、己の口から転がり出た『好き』が思慕でなく恋慕であったことに気づいたのは記憶に新しい。その気持ちを受け取り、以蔵の事を一人の男性として好きなのだと恥ずかしそうに告白したマスターの姿に、以蔵は引っ込みがつかなかったこともあり、そのまま乗っかることにしたのであった。結局、想いは同じものであるので問題はないと、幾ばくかの気まずさは心のうちに包んで溶かしたのも記憶に新しい。
そのようにして心と、そして身体を結んだ今、まさか、マスターの記憶を垣間見ることになるとは。その上以蔵の知らぬ記憶の男の素性が気になるなど、過去の己が目の前に現れたのならば斬りかかられているだろう。
胸のざわつきにじっとしていられなくなり、以蔵は装備を整えると早々に部屋を出た。向かう先は言うまでもなくマスターの部屋だ。丑三つ時のような極端な時間でなければ比較的誰でも出入り自由なその部屋は、本人は背負ったもののために不在であることが多いのだが、早朝ならば間違いなく居るだろうと以蔵の歩みは止まらなかった。そして侍っていた頃の名残もあって、一言添えて直ぐに扉を開けた直後、
「え、うわっ、ちょ、うそ、」
耳慣れぬ声に以蔵が刀の柄に手を添えて中を見遣れば、
「以蔵さん?! えっ、あっ、」
――見慣れぬ、というには余りにも見たばかりの、けれど以蔵の知らない男が居た。その男は以蔵が知る限りカルデアで唯一、マスターたる藤丸立香のみが着用する物によく似た白い礼装を身に纏い、慌てた様子で以蔵を見遣ったかと思うと、
「……あー、……――おはよう、以蔵さん」
どこか覚えのある表情で、だらしなく頬を緩めた。
何から話したものかなと、男は指先で頬をかいた。その姿は、以蔵が垣間見た藤丸立香の記憶に居る男で間違いない。しかも、幾らカルデアのサーヴァントの魔力は全て電力で賄われているとは言っても、この距離で目の前の男から藤丸立香との縁を確かに感じた以蔵は、警戒しながらも抜刀することはなかった。といって、その手が柄から離れることもない。
「何からもなんもあるか。マスターをどこへやったがか」
低く押し殺したような声は独り言にも似た大きさだったが、明らかに敵意を含んだ以蔵の声にも、男は怯まなかった。それどころか、真っ直ぐに以蔵へ向き直り、正面から以蔵を見据えると、以蔵の良く知る表情で微笑んだ。
「この姿は初めてだね。でも、初めまして……って言うのも違うな。えっと、驚くかもしれないけど、これも藤丸立香の一部なんだ。女の『私』と男の『俺』と、どっちも藤丸立香なんだよ。……伝えるの、難しいな。ごめん、説明が下手くそで」
はにかむ男はどう見ても以蔵の知る藤丸立香ではない。だというのに、目から放たれる以蔵への表情が余りにも似ていて、目が眩むような思いがした。性別は元より、声も、髪や目の色も違うというのに。以蔵に対する姿勢が余りにも知るものであったので。
「なんじゃ、つまり……おまんは、おまんが……」
「俺は、藤丸立香だ」
以蔵の言葉を引きついだ男は、はっきりとそう言い切った。以蔵を信じ、側に置き続けた眼差しと同じものを認めてしまい、以蔵が言葉に窮した。
何故、言わなかったのか。などと、気軽に詰れるほど、その人となりを知らないわけでもない。期を窺っていたのだろうことなどは明白だし、言われたところで、以蔵が信じるには余りにも荒唐無稽な話だ。自分のことながら、言葉だけでは一笑に付して終わっていたであろうことが分かるだけに、以蔵は苦々しく口元をゆがめた。一先ず、柄からは手を放すことで、敵対姿勢を解く。
「ここじゃなんだし、俺も説明が上手くはないから……ダ・ヴィンチちゃんとドクター・ロマンに説明を」
「えい。小難しいことはよう分からんし、知ってどうなることでもないろう。それに……下手くそでもなんでもえいき、おまんの口から聞かせとうせ。……ああ、朝餉の後でかまん。先に腹ごしらえじゃ」
マスターの言葉を遮って話を進める以蔵に、男は少しだけ困ったように、けれどどこか嬉しそうにも見える表情で笑った。近頃以蔵がよく目にする、恋仲になった少女のものとそっくりなそれを見て、腑に落ちる。やはり、以前から説明する心積もりがあったことを。
恙無く朝食を終えることができたのは、早朝であったことと、事情を知る者が複数いたせいだろう。カルデアの職員らは皆知っている様子であったし、立香が口にしたダ・ヴィンチをはじめとして、長くカルデアに居るサーヴァントらも心得ているようだった。エミヤ、キャスターのクー・フーリン、ロビンフッド、マリー・アントワネット。皆、以蔵よりも早くにカルデアに呼ばれてきた面子だ。それも古参の部類に入る。以蔵と同時期か、あるいは後に来た者は知らぬ風であったので、以蔵は最初期は兎も角、中期以降マスターの性別は一度も変わっていないのだろうと推測することができた。
自分だけが知らぬわけではなかったことに一縷の安堵を覚えつつ、それでもその時になるまで何も言われなかったことに対して、思うところが無いわけではない。しかし、終始以蔵の隣で縮こまる立香の姿に、以蔵は大きく息をついた。
「おいマスター」
そしてその背に、ばしんと音が鳴る程に強く平手打ちをした。
「いってえ!」
「わしの知っちゅう藤丸立香いうがは、もっと堂々としちょったぜよ。ほれ、しゃんと背ぇ伸ばしや。飯も不味うなるき」
何も後ろめたいことがないのなら。
言外に込めた意図に気づいた立香が、以蔵を暫し見つめて、表情を緩める。
「……へへ。そうだね」
様相を崩したその顔に、目を細め、以蔵はつられるようにして口元が解けきる前にマフラーを引き上げた。
腹の調子が整うと、更に場所を移すことになった。食堂ではもちろん、立香の部屋もいつサーヴァントがやってくるか分からないため、恐らく誰も訪ねてこないであろう――以蔵と言えば大体マスターの側か、マスターの部屋にいるためだ――以蔵の部屋へ。
殺風景な部屋へ以蔵が招き入れると、立香は一言断って足を踏み入れた。
「お邪魔します」
「なんちゃあないけんど、座っとうせ」
「うん。ありがとう」
自分にとって居心地の良い空間にカスタマイズする者も多い中、以蔵はと言えば寝床が多少和風な程度で、後は見事にデフォルトの居住区のデザインのままだ。それについて何か思うところがあるのか、立香は興味深そうに部屋の中を眺めていたが、以蔵が椅子を示すと、それを引いて座った。
「……じゃあ、なにから話そうか。って言っても、結局俺もダ・ヴィンチちゃんやドクターから聞いたことを伝える形でしか、理解できてないけど」
2019/08/02 公開 2025/04/26 UP
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