花笑みの夜

 ハンター稼業をしていたら、たくましい身体を持つ男なんてざらにいることが分かる。そうでなくとも土地の者全員でモンスターや百竜夜行に備えているカムラの里では、肉体のみならず精神的にもたくましい者が多い。そういう者達でないとこの環境を生き抜けない、というのはあるかもしれないが、まあ、それはともかく。
 男のむさ苦しさだとか、筋肉量の差のためか感じる体温の暑苦しさとか、そんなものは今までだって経験してきた。それをマイナスのイメージで捉えるようになったのは、余所から来たハンターの中で悪目立ちしていた連中の所為だろう。里の皆のなかでそこまで口が悪い者はいないのに、こんなに口汚いような語彙が増えたのはひとえに彼らの功績によるところが大きい。
 とはいえ、余所から来たハンターでも気の良い者やその言動や振る舞いに敬意を払える者はいる。悪目立ちする連中よりは余程多く見てきたと思う。見るだけなら、年代も様々な男達を沢山知っている。
 ――にも関わらず、十五を過ぎてからこっち、自分でさえ持て余すほどの劣情を抱えながらも特定の男しかその対象として意識できないというのはつまり、そういうことなのだろう。
 単純に他の男が信用に足るかどうかで慎重になっているだけじゃなくて、なんというか……他の男の身体をなめ回すように見ても劣情など微塵もかき立てられず、明け透けに誘われても応じる気になれず、というのは、もう充分その人に操を立てていると言えるのではないだろうか。
 だから私は、長い間くすぶり続けてきたこの気持ちを相手にぶつけてもいいのではないか。
 最近の考え事と言えばそんなことばかりだった。他の人から見ればなにを回りくどく考えているのかと思われるようなことかもしれないが、私にとっては大切なことだ。
 相手が、ハンターとして一人前になれるよう尽力し育ててくれたウツシ教官なのだから。

 師弟関係……というか、物事を教え、教わる関係というのは、その仲が良好である場合は距離が近くなったり、特に教わる方が教える方へ敬意や好意を抱きやすい。結果、恋愛感情を抱きやすいのだと、思う。たぶん。一般論というのは里の外から来たハンターや行商人達の話から得たものであって、自分の経験則ではないので自信はないけれど。
 何せ今まで里から出ることなんてなかったから、自分の気持ちがどういうものなのか、長い間分かりかねていた。身体のことで違和感や疑問があればまずゼンチ先生に、と教官からも言われていたため、性衝動については理解できた。けれど、それが教官だけに向けられているらしいということに気づくには、時間や『他の者』との比較が必要だと言われたのもあって、大人しくその通りにしたのだ。教官から『気持ちが逸るときこそ、慎重にならなくてはいけないよ』と再三言われてきたことも大きい。
 そのうちに、外から入ってくる娯楽小説や里外のハンターがもたらす恋愛話でどうにか世間のいうところの『恋愛』を見聞きした。性欲を発散するために特に親しくもないし夫婦や恋人になるつもりもない相手と性行為をすることはハンターにはままあることだということも同じ時期に知ったからか、余計に自分の気持ちが分からなくなって、随分と悩んだものだ。行きずりの相手も珍しくはないが、信頼できる相手であればそれを機に男女の仲になることもよくあるのだと。そして、だからといってその後ずっと恋人や夫婦で居続けるわけではないことや、『気の迷いだった』と愚痴を言うことも。
 すごく、時間をかけたと思う。
 そしてこの持て余している気持ちをぶつけて、やんわりと――否、真正面から否定されるのが怖いと思った時、私は教官に抱いている気持ちは勘違いではないと結論づけた。それでも庇護されている立場だからだろうかと私なりに悩んで、まだまだ学ぶことはあれど、ハンターとして一人で任務をこなすようになってからも変わらない恐怖に、覚悟を決めた。

「というわけで教官、抱いてください」
「……夜子、キミが長い間真剣に考えていたということ、よく分かったよ。そしてそれをよく俺に伝えてくれたね。凄く立派だと思うし、キミにたくさんのことを教えてきた身として誇らしい気持ちでいっぱいだ。でもね、ちょっと情の交わし方が性急すぎかな?」

 日が暮れてから少し。ハンターとしての生活に関して相談があると教官を自宅に招き、なんのかんのと夕餉を済ませたあと。畳んだ布団の隣で教官を正面に据えて、私は切り出した。
「私も大人になりましたし、お互いいつ死ぬか分からないんですから先に本懐を遂げておくのが悔いもないかと」
「そう言われるとそうなんだけどね!」
 珍しくどう言ったものかと唸る教官の様子は、悪くない反応だった。当然だ。この人は安易に私を否定しないし、拒絶したりもしない。万が一そんなことがあるのなら、それは強く堅い意思と、私への愛情から来るものに違いないと言い切れる程度には、私はウツシ教官のことを見てきたし、彼の深い愛情を受けて育ってきた。
「子を孕むかどうかは話し合いが必要かと思いますが、ずっと教官にしか欲情しないのに今までずっと自分だけで慰めてきたんです。大きさや長さが問題なのかと張型も考えたんですが、カゲロウさんに頼むのは良いとしても張型なんて買った日には誰から何を言われるか」
「少なくともカゲロウさんの口は堅いと思うよ……」
「私の羞恥心の問題です! 教官だっていつの間にか私のあれこれ把握してるじゃないですか」
「そりゃ、大切な愛弟子のことだからね。でもそんなところまで根掘り葉掘りは……というかキミ、ここまでずばずばと真っ直ぐに色んな事を言ってくれるのに、買えなかったのかい」
「今は教官相手なので」
「それは光栄だね」
 教官の表情には嫌悪や忌避感は見られない。成長した今でも全力でその腕に飛び込んだって容易く受け止めてくれると感じた通り、教官の態度は変わることがなかった。肉体面でも、精神面でも、だ。
「ところで、そもそもハンターとしての生活に関する相談、じゃなかったかな?」
「話を変えたつもりかも知れませんが結論は同じですよ。……いい加減、自分でも持て余してるんです。それが原因で、クエストの最中も集中力に欠けているのが分かりました。でも、どんなに自分でしても収まらないんです。そのくせ他の男に話を持ちかける気にもなれなくて……だから私は、教官のことを一人の男として見てるんだって思ったんです。実質あなたに操を立てているわけですから、他でもないあなたに、収まるまで相手をして欲しいんですよ。もともとその気になるのもあなたにだけだったんだし、そうすれば調子も戻るかと」
「……告白と相談を一気に解決しようとするなんて、流石だよ愛弟子」
 こんな時まで褒めてくる教官に少しだけ笑みが漏れる。
「数年前からずっと一人でするときだって、教官にされるのを想像しない日はありませんでした。実際、他のどんな男の身体を見ていても反応しません」
「それは困ったね……」
 眉尻を下げながら苦笑する教官へ、ずい、と身体を近づける。そのまま教官を押し倒すように床に手を突こうと上半身を乗り出すようにして前へやると、教官は流されることもなく私を受け止めた。軽装のせいで分厚い筋肉の隆起を頬に感じる。
「……別に、これを機に恋人面を許されたいわけじゃないので。教官だったら私の気持ちに応えることとは別に、抱いてくれるだろうなって言う下心もあって」
「愛弟子は教官のことをよく分かってくれてるね」
 頭を撫でられる。優しい手つきだった。その声が優しく家の中に響く。
「でもね」
 教官は穏やかな声で続けた。
「ウツシとして、一人の男としての俺は別かな」
 頭を撫でていた手が離れ、すり、と私の太ももを掠める。瞬間、内股に熱を感じた。
 肌に何かが触れたわけではない。教官の体温だと思いつつも思わず目線を下げた私を待っていたのは、
「俺は、ずっと前からキミのことを考えていたよ。どうすれば俺はキミの前で、一人の男になれるんだろうってね。キミが健やかに育ってくれて本当に嬉しく思う一方で、一人の人として自信をつけたキミと、これからどうやって近くなっていこうかって」
 ――軽装故にはっきりと主張する、男の生理反応だった。
「そうやって悩むのもそれなりに楽しかったんだけど、まさかキミの方からこうも真っ直ぐに飛び込んできてくれるとはね」
「……教官に、里のみんなに育てられたので」
「あはは、本当に、キミは里の誉れだよ。こうして立派になったのは、他ならないキミのたゆまぬ努力があったからさ」
 股間以外、教官は私の知る教官だ。けれど、その口から零れてくるのはよく知る声と、今まで一度も聞いたことのない言葉達。
夜子、キミは俺の愛弟子で、……一番大切な女性だ」
「きょうか、」
「だから」
 私の胸が熱くなり、どきどきと高鳴りだした瞬間。
「キミの身体も大事にしたいんだ。いいね?」
 まるで普段の調子でそう言われて、私は少し肩透かしを食らった気分だった。まさかここでお開きにでもなるというのだろうか。有り得る。ウツシ教官はそういう所がある。
「ええ、それはまあ、ハイ」
「その反応は分かってないね……まあ、いいさ。そろそろ言葉じゃなくて実際にやってみようか」
「はい……?」
「キミが真っ直ぐにぶつけてきてくれた気持ち、全部受け切らないと男が廃るよ。大丈夫だよ愛弟子。キミの期待に応えてみせるから」
 ころりと畳に転がされたかと思うと、驚くほどの手際でさっと敷き布団が広げられる。ばさりと布団が立てた風を感じていると、頬に口づけを受けた。
「え、え、」
 ――初めてだった。抱きしめられたり、頭を撫でられたりとボディタッチはあったけれど、こんなことはされたことがない。
 そこで初めて、教官は徹底してその辺りの……節度、なるものを守っていたことに気づく。同時に、もしかして意識されていたからこそ今まできっちりと線引きをされていたのだろうかと思い当たった。
「教官、あの」
「うん?」
 布団に寝かされながら、私を見下ろす教官を見上げる。その顔は優しくて、でも嬉しそうで。
「私ってもしかして、私が考える以上にあなたに想われていたんでしょうか」
 ふは、と教官が破顔する。そして、今まで見たこともない蕩けそうな表情で頷いた。
「そうだよ!」

******

 俺の気持ちに気づいてくれて嬉しいよ、と幸せそうに言われてから始まった情交は序盤こそ穏やかだったものの、終盤ともなれば苛烈を極めた。
 最初は、まるで動物と触れるときのようにして怖いことはないのだと教え込むように、私に教官の身体のあちこちを触れさせてくれた。劣情をかき立ててきた教官の身体はたくましくて、普段決して見ることのない局部に関しては、実物のインパクトはあまりにも強く、思わずごくりと唾を飲み込んだりもした。
 そうして教官に導かれるように事を運ばれ、愛撫されて盛り上がるところまでは良かった。初めての私に配慮して、教官は根気強く、彼を受け入れられるように私の身体を拓いてくれた。しかし準備が整う頃には、私は既に持て余していた衝動を散々焦らされて、何度もなんども彼の指で、舌で、言葉で高められていたのだ。
 挙句、本当に私の気が済むまで、体力が尽きるまで行われた初体験は、何というか、嵐のようだった。
 もう無理です、と弱音を吐けば、「大丈夫さ」「痛くないかい?」「頑張れ、キミは俺の自慢の愛弟子だよ」と優しく言われ、容赦なく身体の奥を突かれた。気持ちいいからだめ、と首を横に振っても、「うん、気持ちいいね」「もっと気持ちよくなっていいんだよ?」。待って、と懇願すれば「待てない」「すきだよ」「愛してるよ」と言葉の雨に降られる。
 極めつけに、高みへ登りつめる度に、気づいた教官から「上手にイケたね」「かわいい」と口づけられ、長い間彼に師事していたからだろうか、快感で翻弄されている時でさえ褒められると嬉しくてしょうがなくなって、盛り上がってしまったのだ。
 最終的に自分が何を言っていたかはおぼろげなものの、教官と繋がっている場所だけで達した時も「流石だ」「覚えがいいね」「上手いよ」なんて褒めそやされていたのを思い出して、私は軋む身体を強張らせた。
 長年の反射は恐ろしい。行為の最中まであんなに甘い声で褒められて、私の頭は、身体は、心は、きっとその期待に応えようとしてしまうに違いないのだ。

 ――このままでは今までと違う意味で持て余す身体になってしまうのでは?!

「おはよう愛弟子! どうかな? 衝動は収まったかい?」
 初めてで散々喘がされて横になる私に、ピンピンしている様子の教官が家の戸口を開けて顔を覗かせる。両手で持っている手桶からは湯気がたち、その腕には手ぬぐいが引っかけられているところを見るに、風呂湯を貰ってきてくれたらしい。
 昨日は私の都合で時間を融通してもらったが、教官も忙しい立場だ。装備も既にいつも通り。朝の鍛錬もすでに終わらせたのかもしれない。ついでに、里長に今の私が使い物にならないことも伝えに行ってくれた可能性もある。そしてどうやら今から私の介抱をしてくれるつもりらしい。
 今日の段取りを確認したり、感謝を述べるよりも先に、私は教官を見て肌がざわめくのを感じた。
 恐ろしさに近いその感覚は、教官に対してではない。彼が思うよりもずっと、自分が既に彼によって十分すぎるほどに仕込まれていたのだ、ということを身を以て理解してしまったからだった。
「せ、責任取ってくださいよ……!」
「? 勿論さ!」
 何を当たり前のことを、と言わんばかりの教官に、絶対に意味が通じてないことが分かったけれど、でも、それでいい。別に間違いじゃない。というか、追求されたくない。なし崩し的にまた盛り上がってしまいそうだ。教官のことは好きだけれど、まだ昨夜のような甘くて色気の強い彼は今の私には刺激が強すぎる。
 逃げるように情事の名残が残る布団に頭まですっぽりと潜りこむ。教官の落ち着いた足音と気配が近づいてくるのが分かる。手桶が置かれ、彼が布団近くに腰を下ろすのを感じた。
「おーい愛弟子? ……顔が見たいな、夜子」 
 いつもの調子から一転、優しく、慈しむような声で名前を呼ばれて、私は沈黙を貫こうとしたものの、いつまでも無視することもできず、渋々顔をだした。
「……ずるい……」
「そうだよ。俺はキミの教官でいたいし、一人の男としても見て欲しいと思っているようなごうつくばりだからね」
 そんなの、この先何があっても彼は私の教官だし、もう充分一人の男として見ている。
 言いたいのに、喉を震わせることができない。胸の内に去来する人生イチの充足感が大きくて、歯を噛み締めていなければ何を宣うか分からなかったから。なのに、
「幻滅しちゃったかな?」
「……すき」
 いつもよりほんの少し小さな声に、胸を締め付けられ、考えるよりも先に簡素な言葉がまろびでた。
 どこか寂しげだったまなざしが驚きに染まり、じわりと喜びが滲み出す。それを見て、せり上がってくる気持ちをなんと呼べば良いのだろう。
 近づいてくる彼の顔に合わせて目を閉じると、程なくして唇が触れ合う。
「あなたのことも満足させられるように、私もがんばります」
「……うん?」
「だから、……全部教えてくださいね、ウツシ教官」
 言うと、たった一人の大切な男性は片手で顔を覆って天を仰いだ。
夜子、すごくかわいいんだけど、あまり煽らないでくれるかな?」
 しばらくの後困った顔でそう言われて、私は首をかしげた後、なんのことか思い至り謝罪と共に身体を強張らせた。
「そんなつもりは……!」
「うん。大丈夫、分かってるさ。昨日のキミの真っ直ぐさを考えればね。でも、夜に言われたら我慢できそうにないから、こういう話のタイミングには気をつけようか」
「はい……すみません」
 恥ずかしくて布団を目元まで引き寄せて彼の目から隠れる。……まさか私は、今までにもこうして意図せず教官を煽ってきたのだろうか? そう思うと、今度は申し訳ない気持ちさえ湧いてきた。いや、でも、その手の話を教官に振ったことはなかったはず。流石に大丈夫だよね?
 ぐるぐるしていると、頭をぽんぽんと撫でられた。
「とはいえ、俺だけを相手に学んでくれると嬉しいかな」
「勿論です」
 ぐっと身体に力を込め、身を起こす。そして彼の『覚えの良い愛弟子』として、彼が恋仲になった私に手心を加えてくれていることが分かった今、ちょっとだけ意趣返しすることにした。ちゃんと教官しかいないって言ったのに、あんなに私を抱いたのに、この人はまだ実感がないらしい。
 布団から露わになった、何も身につけていない私の肌。彼の目が動揺しながらも私から離れないのを見て口角を上げる。

「手始めに、ウツシ教官。身体、拭いて欲しいです」
「……愛弟子っ! キミ、ホンット、そういうところだからね?!」

2021/05/14 : UP

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