その舌を唆したのは
今まで見慣れたとおり、感情の読めない表情で、カカシさんはぽつりと呟いた。「オレ、お前が思ってるよりお前のこと好きだと思うよ」
カカシさんと私はいわゆる歳の差カップルと言うやつで、私は彼の初めて受け持った下忍だったサクラ、ナルト、サスケの第七班と同い年のくノ一だ。残念ながら私が下忍として認められたのはサクラたちよりも一期遅かったけれど、今では立派な中忍で、幅広く任務をこなし、里のために奔走する日々を送っている。
担当の上忍師から離れ、カカシさんに弟子入りしたのはもう六、七年ほど前になる。あれは丁度木ノ葉崩しがあった後くらいだったか。
体術こそやや伸び悩んでいたものの、そのほかがバランスよく伸びているからとのことだった。弟子入りを頼み込むのには私が直接交渉したのだけれど、その時カカシさんが猛烈に嫌そうな顔をしたことを、私は今でも忘れてはいないし、これからも忘れることはないだろうと思う。渋々承諾してくださったかと思えば師匠よびをすることを禁じられ、自分はそんな器ではないからと強く言われたことも。
師弟関係から恋仲になったことは、例がないわけではないようだけれど、私たちの周囲を驚かせるには十分だった。
カカシさんは一時未成年相手に何をしているのか、だとか、お前に限ってはあり得ないと思ってた、とか散々ネタにされいじられ、私の代わりのように話題の標的にされていた。まあ私もいのやサクラに
「確かにカカシ先生はすごい人だと思うけど、でもオッサンよ!?」
とか言われたのだけど。
もちろんカカシさんと親しい上忍がお前に限って、と言ったように、カカシさんが私を恋人と言う立場に置いてくれるようになるまではそれなりの努力があったわけで、まったくその気のなかった彼の心境にどんな変化があったのかは私には皆目見当もつかない。
けれど一つ確かなことは、私の気持ちに応えてくれたのは、遊びや気まぐれでは決してないことだ。
弟子入りしてから四年目に、師弟の間柄は切れた。とはいえ、気持ちはいつでも師匠だったのだけれど、ナルトの帰還や暁の活動が活発になったこともあって、修業ができなくなったのだ。
そうして殺伐とした日々を何とか生き抜いて、思い切って想いを告げた時、カカシさんはいつものように読めないとろんとした目で私を見て、少し間を置いてからこういったのだ。「三日、考えさせて。必ず答えは出すから」
そうしてきっちり三日後に、遅刻することなくカカシさんは答えをくれた。イエスという、嬉しい答えを。
カカシさんの生きた時間は、私が彼の近くにいた時間はもとより、生を受けてからの時間などではとても太刀打ちできないけれど、それでも私に対して真摯に接してくれているのは感じ取ることができた。
まあ、確かにカカシさんの愛情と言うものと、私のそれとでは種類が違うのではないかと思ったことがあるのも確かだ。
私とカカシさんとでは、ありとあらゆる経験において、差がありすぎる。その違いを『差』と安易に口にするのが、おこがましく感じるほど。
里のために生きる。言葉にするとそんなものだけれど、カカシさんの悲しいくらいの忍としての生き方はまさしくそれだった。そんな彼が恋人なんて言うものを作ったこと自体いまだに信じられない思いがするのだけれど、彼が私を見る目と言うのはいつも優しくて、たまに恋人と言うよりももっと漠然とした、『守るべきもの』として見られているように感じることがあって、それはキスも滅多にしない今の関係を強く示しているような気がして、一抹の不安はあった。
「ええと、なんです、突然」
思い当たる節はあるものの、それを本人に言ってしまうのは憚られて、私はとりあえず浮かんだ疑問を口にした。
私のお気に入りのソファに深々と腰かけたカカシさんは、食事に使った食器を片づけ終わった私をじいと見て。
「いやー、壁に耳あり障子に目あり。人の口に戸は立てられないとはよく言ったもんだ」
「カカシさん?」
飄々と思わせぶりなことを言う彼に、私の頭はフル回転だ。
一かけらの不安をまさしくそうだと誰かに打ち明けたりしたことはなかった。じゃあ何?
カカシさんと違って表情を顔いっぱいに出す私に、彼はす、と私が座るスペースを開けてくれた。そこに警戒もせず腰かけると、続きを促すべく彼を見上げる。唯一露出している右目は、今は私の方は見ていない。
「ちょっと前にサクラといのにものすごくどやされてさ」
少しだけ苦笑の色が見える声。けれど表情はどこかまだ読めなくて。
口を挟まないことで先を知りたがる私の頭を、カカシさんの手が滑って行った。
「お前、欲求不満なの?」
「!」
とくん、と高鳴る胸の鼓動を台無しにしたその言葉に、私は目をひん剥いて声を荒げた。
「なんですか、それ!」
そんなことは口外したことがない、と半ば怒り気味に言えば、カカシさんはそんな私にも動じずに言葉をつづけた。
「あの二人にオレとの近況訊かれて、『何もない』って言ったんでしょ」
違うの、と言外に含まれた声に、確かにそんなことを訊かれたし答えたと思いだしながら肯定する頷きを一つ返す。
「19にもなって、それはおかしい! だって」
「あの二人が、カカシさんのところにそう言いに?」
「うん」
何をしているのだ、と思ったけれど、サクラといのには片想いの頃……抱いた気持ちが恋だと気付いたころから相談に乗ってもらっていて、たくさん励ましてもらった分嬉しさもあった。きっと二人のことだから、自分のことのようにカカシさんに詰め寄ったのだろう。
「すみません、なんだかご迷惑をおかけしたみたいで」
「いや、大事なのはそこじゃなくて」
それでも飛び火するように一方的に怒られたのだろうことを見越して謝罪すると、カカシさんはふるふると頭を振った。
「お前はどうなの」
「どう、と言われても」
「おかしいと思う?」
首をかしげながら訊いてくる姿は、仕草は可愛いのだけれど意図が分からず、私は少しばかり考え込んだ。
とはいえ、相手はあのカカシさんである。こういうときはこちらから探りを入れたって無駄で、私はあまり深く考えないようにして答えた。
「私、大事にされてるってことですよね?」
確かな返事が欲しくて訊き返すような形になったそれは、どこかはっきりと自信が持てない私の心の内をよく表していた。
私の返事に、カカシさんは目を細めて、それから
「オレ、お前が思ってるよりお前のこと好きだと思うよ」
と、先に紡がれたそれと一言一句違いない台詞を復唱した。
そこでようやく、答えが既に与えられていたことに気付く。
「オレとお前じゃ、そういうものの表し方も、求め方も違う」
珍しくカカシさんが言葉で何か伝えようとしてくれているのを逃すまいと、合わせた視線は逸らせなかった。
「……私、カカシさんと部屋でのんびり過ごしたり、カカシさんの隣を歩くの、好きですよ」
「ありがとう」
私の呟きのような小さい声に、カカシさんはうれしそうに目を細めた。
「お前が20歳になるまでは、手は出さないって、決めたんだ」
「……ぇ、」
カカシさんの思いがけない言葉に驚いた。
私の考えることなんて筒抜けだろう。カカシさんは、少し眉を下げて困ったように笑った。
「忍としちゃもうとっくに一人前だろ。それを認めてないんじゃない。ま、オレから言わせればお前はまだまだペーペーもいいとこだけど、お前のことは買ってるよ」
「……え、と」
カカシさんの口からこぼれてくる珍しい言葉の中でも、褒める類のそれに私はますます目を見開いてしまう。けれどカカシさんは真に言いたいのはこれではないとばかりに、先を急ぐようにまた口を開いた。
「でもな、忍としてってのを理由にはしたくない。一人の大切な女性として、お前のことは大事にしたいんだ。仲間や里はオレの守りたいものだけど、オレがそう思っているのはお前だけだ」
胸の高鳴りが戻ってくる。優しいようでいて厳しくも感じられるその声色からはひたすら真剣さが伝わってきて、私は急に恥ずかしくなってカカシさんから視線を外してしまった。
今日はカカシさんの誕生日なのに、どうして私の方がこんなにも喜んでいるのだろう。
「あの、どうして急に……?」
おずおずと、嬉しくて泣いてしまいそうな衝動をこらえて聞くと、カカシさんは愛読書を読んでいる最中のように顔を真っ赤にして、誰の眼から見てもわかるほどはっきりと狼狽した。
またぞろ珍しいそれに、私は俯き気味だった顔を上げて、カカシさんを凝視してしまう。
照れ果てた末、まるで見られるのを嫌がるようにカカシさんは私を抱き寄せて、私の肩口に顔をうずめた。ハァ、と熱くて大きなため息が鎖骨にかかって、ぞくりとしたものが背中を駆け上がった。
「つないでおきたくて」
「え?」
「お前はまだまだずっと若いんだから、このままだとどっか行っちゃうんじゃないかって」
オジサンはオジサンなりの懸念ってもんがあるのよ、と直接心臓に声が響く。もうこんな恥ずかしいこと一生言いたくない、と、言った傍から後悔するようなそれに、私はくすりと笑ってしまった。
「笑うなよ」
「すみません。でも、嬉しくて。一生、今の言葉は大切にします」
「そうして頂戴」
カカシさんはもう一度私の方でハァとため息をつくと、そっと離れた。少し名残惜しいけれど、胸の内はずっと暖かだった。
「私、カカシさんが不安になるようなこと、しました?」
不意に浮かんだ疑問をそのまま口に乗せると、カカシさんは口が滑ったついでに、と答えてくれた。
「してないから困ってたというか」
「?」
「お前くらいの年ごろなら、服もそれなりに露出したの着て、好きな男の気を惹いたりするもんでしょ。まあヒナタみたいに性格にもよるけど。でもお前、全然そんな気配もないし。手は出さないって決めたって言った手前言いにくいけど、誘ってこないってことはオレにはそっち方面は期待してないのかって思ったりしたわけ」
お恥ずかしながら、と茶化していうカカシさんは本当に恥ずかしいのだろう、やや自嘲するように肩をすくめた。
「そんな……!! だっ、だって、カカシさん相手にそんなこと……逆に、きっと子どもだって呆れられると思って……」
慌てて弁解すれば、
「なんだ、そうなの」
と、もう普段通りの声。けれどカカシさんはすぐに嬉しそうに目を細めて笑った。それを見て、ああお互い不安だったのだと思うと、私も自然と、頬が緩んだ。
「意外です。カカシさんも、そんな風に慌てることがあるなんて」
「そうさせるのはお前くらいのもんだけどね」
オジサンってのは臆病な生き物なんだよ、とおどけるカカシさんに、私はあの、と切り出した。カカシさんは小首をかしげて、私を見る。
「つないでおくなら、ここ、先にもらってくださいませんか?」
そうして私がその目の前にかざしたのは左手。カカシさんはしばらく私のそれをじっと見つめて、それから息もできないほど強く、私を抱きしめた。
耳元で、私の大好きな声がささやく。
「その前に、お前のご両親に挨拶するのが先だよ」
幸せな誕生日だと震えた声に、私はしっかりと、彼の身体に腕を回した。
2011/09/15 : UP
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