交差した日

 木ノ葉は豊かな自然に恵まれ、気候も穏やかなほうだ。
 暦も九月に入り、やれ十五夜だ中秋の名月だお月見だと多忙を極めた団子屋も落ち着きを見せるころ。その日は見事な秋晴れに恵まれ、非番だった私は一通りの家事を終えると、今日の夕飯は何にしようかと考えながら、自宅であるアパートの一室から、広い里の中を木ノ葉茶通りに向けて歩いていた。
 その道中、家の近くにある公園の脇を通り過ぎようとした時、私は思いがけないものを目の当たりにして、思わず足を止めた。
 目に入ったのは嫌でも目に付く銀色の髪。まだ成長期途中とはいえそろそろ小さいとも言いにくくなった躯体は、公園の中にある遊具の上にあった。
 その額に輝いているのは木ノ葉の忍を証明する額宛て。左目を隠すように装着されているのももう見慣れてしまった。顔の下半分は相も変わらずマスクでおおわれている。
 そしてそんな彼は、私よりもずっと実力のある上忍であった。

 どこか表情の読めない右目は何かをじっと見つめている。気になってその先を追いかければ、なんてことのない親子連れが、笑顔を浮かべて歩いていくところだった。
 そしてもう一度、彼に目を戻す。
 次の瞬間、私は止まっていた足に力を込め、彼のすぐ後ろに飛んでいた。

「はい、それダメよ」

 持っていた長財布で彼の視界を遮ってみると、驚く様子もなく、ただ困惑した顔で私を見上げてくる。
「はたけカカシ上忍。今日は非番でしょう?」
 違う? と首を傾げてみせると、彼、カカシはぱちぱちと数度右目を瞬かせた。その様子は親子連れを見ていたそれとは異なる、年相応の顔つきで、少し安心する。
 胸を圧迫する奇妙な切なさがほどけて、私は自然と笑みをこぼしていた。
黒曜シコク……中忍。どうしたんですか」
 既に三年も前に上忍になった彼とは一度だけ任務で一緒になったことがある。といって異例の速さで上忍へ昇格した彼は有名と言うにはあまりにも有名で、この里の忍なら知らない者はいない。
 対してしがない中忍である私のことを、彼が覚えていたのは意外だった。
「どうしたって、カカシがオッサンみたいな顔してたから」
「オッサンって……」
「オッサンよ。ここに十人私がいたら十人ともがそう言うくらいオッサンだったわ」
「……そりゃ、シコクさんが十人いたらそうでしょうね」
 だって数が増えただけで全員シコクさんだし、と言外に含ませてカカシは変な人に絡まれたような顔をして見せた。全く失礼である。
「私のこと覚えててくれたのね」
 忍が二人遊具の上に立っているというのは、見る人が見れば滑稽かもしれない。それでもちらほらと見える子供たちは私たちを気にすることなく砂場で遊んだり、縄跳びをしたりと自分たちの遊びに忙しいようで、珍しいものを見るような眼は一つもなかった。
「上忍でもなんら遜色ない人だと思ったので」
 言う直前、少し迷ったそぶりを見せたものの、カカシははっきりと私の眼を見てそう言い切った。はっきりとしていたのはその眼だけで、表情は少々言いにくそうではあったけれども。
「褒めてもらえて光栄だわ」
「いえ」
 嫌味なく笑ったつもりだったけれど、どうも彼はそうではないらしい。私は一人でいたときよりも随分と堅苦しく立ち尽くしたままのカカシに、ねえ、と改めて声をかけた。
「今日は、一人なの?」
「はい。さっきシコクさんに言われたように、非番です」
「じゃ、もしよかったら私に付き合ってよ。私も非番でね。今から夕飯の買い物に行こうと思っててさ。カカシの好きな物作るから、荷物持ち頼まれてくれない? 男手があるなら重たい物とかも買い足しておけるし助かるんだけど」
「え」
 名案だと言わんばかりに提案すると、カカシは遠慮がちにいいんですかと聞いてきた。この場合、そんな謙虚そうな態度をとるべきなのは立場的にも私の方なのだけれど。
「構わないわよ。私あんまり好き嫌いないし、あ、料理だってちゃんと自炊してるし」
「そうじゃなくて、あの、オレ、これで男なんですが」
 カカシの口から思いもしない言葉が飛び出て、今度は私が目を丸くする番だった。
 確かに好きなものをごちそうする、と言う提案はつまり、家に呼ぶということだけれど、いやはや、しかし、それをこの子が。
「いくらフリーでも流石に取って食うつもりはないけどねえ。カカシ、今いくつ?」
「……十五、になりました」
「そうねー、どうにかなるなら最低でも後三年先ねー」
 けらけらと笑って見せるけれど、カカシが持つ空気はすでに大人のそれとほとんど変わらない。それは否定なんてできないし、してはいけない彼の成長で、止められるものではないけれど、でも。

 道行く親子連れを羨むでもなく妬むでもなく、ましてや寂しがるでもなく、ただ底抜けに視界の中に存在する幸福の形に優しく目を細めるには、この子はまだ早すぎると思ったのだ。



「適当に寛いでてって言いたいんだけど、そっちの部屋のベランダに布団干してるから叩いて入れてくれる?」
「上官を使いますか」
「それを言うには、ちょっとタイミングが遅かったんじゃない? それに今日はお互い非番でしょ。お姉さんと男の子なの」
「オレはこれでも客のはずですけどね、お姉さん」
 口では軽口を叩きながら、カカシは失礼しますと断って、私の言った通りに布団を取り込みに行ってくれた。
 パンパンと布団を叩く音を耳にしながら、カカシに持ってもらっていた買い物袋から日用品を使いやすい場所に置いていく。

 道すがらの会話でカカシの好物と苦手なものを聞いた私は、彼の渋さに思いがけず吹き出してしまったのを思い出して、また頬が緩んだ。
 好きなものはサンマの塩焼きと、茄子の味噌汁。どちらも今が旬のものだ。
 そして苦手……もとい、嫌いなのは天ぷらと甘い物全般。
 苦虫を噛み潰したような顔で教えてくれた。よほど嫌いらしい。
 食べ物の好みと言うのは一緒に食事をとる人、特に親の好みに強く影響されるらしく、『おいしい』と言って食べる様子を見て、『これは美味しいものだ』と認識するのだと聞いたことがある。
 まだサクモさんが健在だったころ、はたけの家ではどんな食事をしていたのだろうと思いを馳せていると、カカシが台所まで戻ってきていた。
「敷布団、二枚ありましたけど」
「来客用よ。タンスに入れっぱなしじゃ、急にそうなったとき嫌じゃない」
 まあ使うのは専ら女友達だけど、と誰に向けたのかわからない一言を付け加えて、私はさっき買った食材を冷蔵庫の中に放り込んでいく。
「……あと、あの、洗濯物が干してある場所に男行かせるってどういう神経してるんです」
「あら、そんな大層なものじゃないでしょ? ついでに入れてくれたら助かったけど」
「さすがにそれはご自分でどうぞ」
 そんな過激なものを干していた覚えはないけれど、確かに下着も干していたような気がする。
「で、布団のことですけど……オレ、泊まるんですか?」
「私はそれでもいいわよ。服も大きめのスエットあるしそれ着ればいいでしょ。ああでもお風呂周りのものは私の使ってもらうしかないわね」
 カカシが気にしないならお好きなように、と言うと、カカシは目を白黒させて、
「……もうちょっと、なんとかなりません?」
「なにが?」
「貞操観念」
 にらんでくる様子は、でもどこかたじろいでいるようにも見えた。十五歳と言うと淡い恋心だのと青臭くて甘酸っぱい時代だけれど、この子もご多聞に漏れずそうなのだろうか。だとしたら可愛いのに。
「カカシからしたら私なんてオバサンでしょー?」
「……お姉さんですよ」
「ふふ、ありがと」
 お世辞なのか、はたまた。カカシの好みを考えると結構本気でそう思ってくれているかもしれない。
 視界で揺れる銀の髪に触れると、カカシはうわ、と声を上げた。
「なんですか」
「えー? 綺麗な髪の毛だなと思って」
 触られるの嫌? と聞くものの、手は止めない。髪に触れるというより頭を撫でていると言った方がしっくりくるけど、カカシは嫌がらなかった。
 少し俯いたそれは、自分から頭を撫でてほしいと頭を差し出しているようにも見えて、少し赤くなっている耳も知らないふりをした。
「柔らかいわねー。いいなあ」
シコクさんの髪は芯が強そうですよね」
「そうなの。寝癖がつくとなかなか直らないのよ。イヤになっちゃうわ」
 締めとばかりに軽く、優しくカカシの頭を叩くと、私は肩をすくめてお米を洗おうと炊飯ジャーに手をかけた。
「手伝います」
「だーめ。お客さんは座って待つの」
「客に布団入れさせといて、今更ですね」
「いいの、ここからはおもてなしだから」
「なら茶の一杯でもいただけません?」
「熱いのがいい?」
「はい」
「少し待ってて」
 暇だから、とカカシは私の傍を離れることはなかった。家主の眼の届く範囲にいるようにと気を使っているのかもしれない。
 見られてまずいものは置いてないつもりだけれど、私に小言を言ってくるだけあってしっかりしている。そういえば今日は意識してないけれど彼は私の上官であるからそれは当然か。
 必要な分だけ火にかけたヤカンはすぐに湯気をだし、気持ちばかり濃いめに出したお茶を入れると、どうも、とカカシは湯飲みを大事そうに両手で受け取った。マスクを下ろして少し口で冷ましてから、ずず、とすする。
「うまいです」
「それはなにより」
 粗茶ですが、と言えば、カカシはくすりとあどけなく笑った。

 そういえば、マスクを下ろしているのを見るのは初めてだ。何か理由でもあるのだろうかと考え、この子が置かれてきた環境を思い出した。
 上忍になったころを境に雰囲気が柔らかくなったことを踏まえると、マスクは単に昔の名残と言ったところだろう。中忍の頃の彼はどこか張りつめていて、真面目が歩いているようなものだったから。まああれは真面目と言うよりは神経質っぽかったけれど。

 どこか綻ぶような心地を覚えながら、私は夕飯の算段をした。まだ日も高い。逆算しても時間には余裕がある。
 結局お米を洗って炊飯器にセットするだけすると、私はカカシとともにリビングへ移動した。
「今日は天気がいいわねえ」
「そうですね」
「昼寝でもしようかって気になるわね」
「オレがいるので、それはまた日を改めて一人の時にでもしてください」
「カカシ冷たいー ノリ悪いのはモテないわよ」
「別にモテたいと思ったことないです」
「言うわねえ」
 この年で未だ独り身の私には、カカシの発言が余裕めいたものに思えてしまう。憎たらしいとは思っても、羨ましいなんてこれっぽっちも感じない。
「あ、そうだ洗濯物入れなきゃ。カカシ、」
「手伝いません」
「ええー……じゃあ、たたむのは」
「同じことです! 帰っていいですか」
「それはダメ。あんな量の食材、一人じゃ無理よ」
 仕方なく一人で手早く洗濯物を取り込んで、とりあえずたたむのは後にしようと足早にリビングに戻る。
 座布団に座っていたカカシは、私が戻ってくると同時に、思い出したように口を開いた。
シコクさんは、人気がありますよね」
「……そうなの?」
「ええ。よく気が回って、面倒見もいいと」
 自分の噂や評判なんてのはあまり耳にすることでもない。興味がわいて尋ねると、カカシはすぐに答えてくれた。
「まあでも結局はそういう姉御肌的なので終わりなのよね」
「……性格も実力も、シコクさんの悪い噂は聞いたことがありませんが」
 どうしてまだ中忍なんです、と真っ直ぐに聞いてくるカカシは、心底不思議そうだ。

 上忍に昇格するには、火影をはじめとする上層部に認められる必要がある。もちろん先輩上忍たちの推薦も、少なからず登用される際には重視されることも。選抜されるというだけである程度条件と言うものがあって、それは特に隊を率いる部隊長としてのスキルが求められる中忍のそれよりも遥かにレベルの高いものが要求される。忍個人としての能力はもとより、統率力や判断力、意志の強さや、時として部下を育てると言うものまで。
「上忍になるには、足りないものがあるのよ。たとえば相応の覚悟とか、時として仲間を捨てて任務を遂行するほどの、揺るがない意志、とか。あるいは、その状況で仲間も救えるほどの高い実力、とかね」
「……そう、ですか」
 カカシは上忍になる気はないんですかと言いたそうにしていたけれど、それを口にはしなかった。どこか残念そうに聞こえたのは、私の思い違いだろうか。
「それにね、上忍になったらできないこともあるわ」
 キャリアアップをしたくないわけではない。上忍としての日々は今よりもっと大変で辛いだろうけれど、里のために命をかけることは今までにもあった。先に自分で口にした覚悟や自負も持っている。それらは上忍として任務にあたる度、身体に、頭に、そして心により深く馴染んでいくだろうということもわかる。
「アカデミーで教師をしないかって話がきてるの。まあ、するもしないも、選抜試験に通らないとできないわけだけど……中忍、特別上忍ならともかく、上忍は上忍師でもない限り、教育の現場に就くなんて無理な話よ」
 厳密にはアカデミーで次世代の育成にあたることと、上忍師として下忍を教えるのとでは天と地ほど内容に違いがある。
「アカデミーでの教員を経てからでも、遅くはないと思うのよ」
 今は家庭はおろか恋人でさえもいないけれど、里の未来そのものである子供たちとその日々は、きっと私に、大切な忍としての生き方と自覚を今以上に教えてくれるはずだ。同時に、人としてのぬくもりを、死ぬその時まで忘れないようにもしてくれるに違いない。
 どんな顔をしていたのか、カカシは目から鱗だとでもいうかのように目を瞬いて、それから少し、口元に笑みを浮かべた。
「すみません、みくびってました」
 そうして、黙ってればいいのに馬鹿正直にそんなことを舌に乗せて。
「くノ一なんて、少々図太くなけりゃやってられないわよ」
 私の笑みを誘ってから、二人でくすりと噴出した。



 非番にも関わらず忍の話になってしまったのを咎めることもなく、結局カカシは私の手料理を美味しそうにほうばってくれた後、夜も九時を回ろうかと言う頃には帰ると言い出して、私は玄関まで彼を見送った。
「カカシ」
「はい?」
 脚絆を履いたのを確認して、カカシがドアノブに手をかける前に呼び止める。
「泣かなくてもいいけど、泣き方を忘れちゃだめよ」
 言えば、カカシはきょとんとして、それからどこか誇らしげにその右目を細めた。
「大丈夫です。オレには、この左目がありますから」
 額宛ての下に隠れているのは、三年前からカカシの頼れる相棒を務めている写輪眼。直接すべてを見聞きしたわけではないけれど、大体のことは推測で事足りた。
「そう。余計な世話だったかしら」
「いえ」
 はにかむ様子は、今日訊いた歳よりも幼く見えた。
「誕生日、おめでとう」
「プレゼント、ありがとうございます」
 最後、カカシがドアを開けて出ていく直前、くしゃりと撫でた髪はやっぱりやわらかくて、私の手をするりと抜けて行った。
 暗くなった空は昼ごろ綺麗に晴れていた姿そのままで、雲一つなく澄んでいる。そこに目立つ銀色の髪が月に照らされて夜の闇を跳ね、消えていくのを見送ると、そっとドアを閉めた。
 虫の鳴き声が耳にやさしい。秋はもうすぐだ。

2011/09/15 : UP

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