校舎裏のエチュード
呼び出されたアカデミーの校舎裏。人の気配はなく、目の前には頼りなく笑う長身の男。背中には校舎の壁。「好きです。オレと、お付き合いしてくれませんか?」
今時アカデミー生でもやらないような告白をしてきたのは、三十路も過ぎたいい大人だった。とはいえ、そんな子どもっぽいセリフもこの男が口にするとどこか飾って見えなくもないのがこの男の成せる技だろうか。実際は気障などころかがちがちに緊張しているのが見て取れるのだけれど。
私はもうすっかり見慣れたその男を頭の先から足の先まで三回ほど往復するほどにまじまじと見つめて、それからゆっくりと口を開いた。
「カカシ、よね? ホンモノの」
「うん」
「……失礼を承知で言うけど、なにかの罰ゲームとか、冗談とか、体調不良とか、誰かの術にかかってるとかじゃないのよね?」
「うん。いたって真面目だし、コンディションもいいよ」
本当に失礼な私の言葉にも、カカシは穏やかに答える。術にかかってないと言われても確認する術は私にはないけれど、取り敢えず今はこの状況に真摯に向き合うべきだ。カカシがそうしているように。
つかまれた両手は壁に押し付けられてこそいるけれど、カカシの力はそう強いものではない。穏やかな態度と併せて、無理にどうこうするつもりではないのが分かるし、この男がそんなことをするとは思ってない。多分、万が一私が瞬身の術で逃げてしまうことを恐れての保険なのだろう。
いつもは飄々として何を考えているのかわからない、気の知れた相手には特にそれを崩さないこの男が、こうも優しそうな雰囲気を出そうとしているのだ。内心では不安なのか怖いのか。元々カカシの気質は穏やかだとはいえ、普段見せる類のものとは違う様子に、私まで変に緊張してしまっている。
私もカカシもいい大人なのだ。オジサン、オバサン扱いされるくらいには。
それを、こんな子どものような、否、カカシの気持ちを馬鹿にするつもりはないけれど、こんな青い春の真っただ中にいるような、こんな事態のまさか私が当事者だなんて、ねえ?
気恥ずかしさはともかく、ともすればパニックになりそうだ。いや、もう随分頭の中は混乱していて、カカシの顔が見れない。
修業に明け暮れ、女っ気もなかった男が、こんな風にベタを通り越してテンプレートとしても最早古いような方法で想いを伝えてきたという事実に眩暈がした。厳密には、それにくらりとキてしまった自分に。
「ええと、ちょっといきなりで……逃げないから、手、放してくれる?」
いつもならなんとも思わないのに、手甲越しに伝わってくるカカシの掌の熱に心拍数が上がる。任務でカカシの肩や背を借りた時より、ずっとその温度を意識してしまう。
「ん」
そっと離れた手に、私はそのままその場に座り込んだ。膝を抱え、そこに顔を埋める。
「……迷惑だった、とか」
いつも通りの声を近くで聞いて、目線だけでカカシを見やる。カカシは私の顔色を窺うように目の前にしゃがんで、やっぱり頼りない顔をしていた。
「そうだったらとっくにそう言ってここから消えてるわよ。いつから私はそんなにしおらしくなったの?」
普段なら遠慮のかけらもないのに、私に気を使うカカシが可笑しくてつい笑みをこぼせば、カカシはそういえばと手を打って、ぱっと身体をひねって、私がそうしているように校舎の壁に背を預けた。
手を伸ばせばすぐに届くけれど、くっついているわけじゃない。
私たちの間にできた奇妙な空間に目を丸くして、私は急がないように注意しながら、意識的にゆっくりと考えを巡らせた。
「どうして私なのか、聞きたいわ」
「……いろんなことが落ち着いて、なんとなく目についたのがシコクだった」
「もっと具体的に言わないと、今すぐアンタを振ることになるわよ」
カカシはあまり自分を語らない。聞いたことがない。
今までは別にかまわなかったけれど、今は違う。どうにかして真意を聞いてみたい。――この男に、口説かれてみたいと思っている。
呆れを含んだ私の声に、カカシは困ったな、とその言葉通りの困りようを見せてくれた。こうしているとヘタレのようにも思えてくるけれど、三十路を超えて新しい発見をさせてくれるなんて、面白い男だ。
「多分、前から好きだったんだと思うんだけど、そこにオレの方もようやくスイッチが入ったというか」
「うん」
「今までバタバタしてたけど、ようやく一つの時代が終わってみてみれば、周りの奴らは知らない間に結婚してたりして、早いやつは子どもだって生んで育ててる。そんな感じでよくよく見渡してみれば、なんだかシコクが気になってくるじゃない?」
「今はフリーだし、待機所で顔もよく見るし、仲も悪くないし?」
「ま、オレもよく分からないのよ。アンテナ張ったらシコクが引っ掛かったのか、単に自覚が遅かっただけなのか」
「今までのカカシのアンテナの感度壊れてたんじゃないの」
「いや、逆に感度高すぎて、今まで引っかからなかったんじゃないの」
「なによそれ!」
「シコクがオレの琴線に響くぐらいのいい女になったってこと」
軽口に乗せて持ち上げられて、はにかむと、カカシが優しく目を細めた。
「ダメ、か?」
小さな声には答えずに、私はカカシとの距離をゼロにして、その二の腕に寄り掛かった。
「いきなりだし、思ってもみなかったからうまく答えられないけど。好きか嫌いかなら好きだし、アリかナシならアリ」
嫌どころかカカシの体温が心地いいとすら思える。頭より、心の方がいくらか素直だということか。
「……」
「好きって言われて嬉しかった。今、すごくドキドキしてる」
カカシもそうなんだろうか。
「、シコク」
「カカシに、キスしてほしい。そう思ってる」
ぽつりとした呟きの直後、唇に柔らかなものが触れた。軽く吸い付いたそれはゆっくりと離れて、反射でつぶった眼を開けば、マスクを下ろしたカカシの顔が、すぐ近くにあった。
やる気のないようにも感じられる普段の姿とは打って変わって、どこか切なさすら感じる眼差しが熱い。文句なしの色男が、そこにいた。
「カカシ」
名前を呼ぶ自分の声が遠い。カカシは少し照れたように眉を下げて笑った。
「大事にする」
「……もうされてると思ったけど」
「忍仲間としてじゃなくて」
女の人として。言って、カカシの両手が私の頬を包んだ。
「鈍かったのは私の方ね」
「お互い様でしょ」
「そう思うと、タイミングって大事だわ」
くす、とどちらともなく笑う。近づいてくる気配にカカシの手が離れた。
授業が終わったのだろう。元気なアカデミー生たちが校舎内を駆ける音がいくつも重なり、昼食の時間だと告げている。
「ねえシコク」
「なに」
明るい声だ。頬が緩む。
「子どもって悪くないと思わない?」
「奇遇ね。私も今そう思ったわ」
2011/09/15 : UP
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