君に首ったけ

 恋は盲目。そんなありふれた言葉通りの症状をものの見事に発症した私は、それにしてもここまで馬鹿になるとは思ってなかったと頭を抱えた。

 甘栗甘から少し離れた場所にある、とある甘味処。栗を扱う甘味メインの甘栗甘に対し、こちらは季節によってその品を変えることで有名な老舗中の老舗。
 その店内で、私は春野サクラと真っ赤な布の掛けられた二×三の六人掛けの椅子に、隣り合って座っていた。お互い、膝をくっつけるようにして向き合っている。サクラの手にはさっき注文した今秋発表されたばかりの新しいスイーツ。彼女の好きな白玉餡蜜もしっかり入っている。対して、私は温かい緑茶と羊羹を一切れ。
 客は他にもいた。この店は常に盛況で、他にもある三人掛けの長椅子や六人掛けの椅子には年齢層の幅広い女と、カップルたちが楽しげな表情で座り、思い思いに舌鼓を打っていた。

「あの、本当にいいんですか?」
 サクラの顔には、私の顔色を伺いながらも隠し切れていない喜びが浮かんでいる。私は眉を寄せたままため息とともに頷いた。
「お詫びみたいなものよ……貴女に気にされるとこっちも困るの。他に頼みたいものがあればすべて私が払うから」
 彼女に話があるのだと事前に約束もなく引っ張り出して一方的に切り出した用件は、今思うとほとんど恋愛相談のようなものだった。
「お詫びって……そんなことされるような覚えはないですよ?」
「貴女にはなくても、私にはあるの」

 分かっている。自分がこの子になにをしたのかくらい。

 けれど行き場のない想いをどうにかして誰かに吐き出したくて、よりによって白羽の矢を立てたのがこの子だった。本当に、どうしてこの子を選んでしまったのか、自分でも馬鹿なことをしているという自覚はある。けれど彼女以外には考えられなかったのもまた正直なところで。
シコクさんが落ち込むことないですよ。それに、私に言ったこと、カカシ先生には言わないんですか」
 やっと手にしたスイーツを口にしてくれたのを見てほっとしたのも束の間、サクラはつい今しがた私が吐き出した思いの丈についての話を蒸し返した。

 はたけカカシ。まさに今の私の悩み事そのもの。

「言えるわけないわ、こんなくだらないこと」
「くだらなくなんてないと思いますけど」
「ええ、私にはくだらないことなんかじゃないわ。でも、カカシにとってはくだらないことよ」
 断言する私にサクラは納得しかねる様子だったけれど、私がその判断を覆すことはなかった。

 くだらない。本当はとてもくだらないこと。けれどサクラにもそう言ったように、私にとっては全くくだらないことなんかじゃない。
 本当は、こんなことはカカシ本人にぶつけるべきことなのもわかっている。でももし言ったらカカシがどんな態度でどう返してくるのかも、薄々分かる。それが嫌だ。見たくない。聞きたくない。最悪、面倒だから別れようとか言われるに決まってるのだ。

「嫉妬なんて、好きな人にされたら嬉しいけどなあ」
「カカシ相手にそんなもの、馬鹿にされて鬱陶しいってあしらわれるのがオチよ」
「そうですか……?」
 投げやりに、捨て鉢になっている私に対し、サクラは眉を寄せて手を止めた。もくもくと口に入れたものを租借し、飲み込む。
「私はカカシ先生とシコクさんが二人の時にどんな風か知りませんけど、そんな態度、好きな人にするものじゃないですよ」
 こんな馬鹿な私に一方的に付き合わされているのに、きちんと相手をしてくれる。この子はいい子だ。

 だから私は、この子に嫉妬しているのだ。
 嫉妬している相手に、馬鹿正直に嫉妬していると言いに来たのだ。私と言う馬鹿は。


 カカシは仲間想いのいい奴で、私にも勿論優しい。あいつの厳しさは同時に優しさの表れであり、私の知る限り理不尽に怒りをぶちまけたことはない。
 そのカカシが初めて上忍師として受け持った下忍。サクラはそのうちの一人だ。
 素晴らしいくノ一になるよと私にこぼした時のカカシは本当に嬉しそうで、どこか自慢げで、だから私は妬いている。
 
 サクラにあなたが羨ましいと告げた時、どうして私なんですか、と、開口一番、彼女は目を丸くした。
 どうしてもこうしても、色目を使ったり、身体が少々蠱惑的な程度でカカシがふらつかないのは知っている。
 サクラがカカシの大切な、初めての教え子だからだ。サクラはカカシにとって、特別な子なのだ。だから。
 こんな風に一回り以上も年下の子に取り乱す日が来るなんて私も思わなかった。
 サクラを見るカカシの眼はとんでもなく優しい。私には見せないような、それはそれは穏やかで、慈愛に満ちた顔なのだ。
 だから妬いている。そういえばカカシはきっと面倒そうな顔をするだろう。私をいっとう特別に扱ってくれと強請れば、私から離れていくに違いないのだ。カカシは、サクラを大切な部下として、生徒として見ているだけなのだから。

「私、自信ないわ」
「え?」
「つきあいはじめたのだって、私といると楽だからって言われたからだもの」

 シコクは無暗に束縛したりしないし、口うるさくないし居心地がいい、なんていわれたら、こんな気持ちをカカシに吐露するなんてとてもじゃないけれどできるはずもなかった。
 私だって、最近まではカカシの言うとおりの女だったのだ。必要以上に干渉せず、お互い気の合ったときだけ一緒に過ごす。べたべたするのは好きではないし、カカシがどこで何をしてようとさして興味はない。付き合う前から変わらなかったそのスタンスが、今では不満で仕方がない。
 否、不満と言うのは違うかもしれない。干渉されたいわけではないし、べたべたと引っ付きたいわけでも、カカシの一挙一動全てを知っていたいわけでもない。ただ、なにか、『足りない』のだ。何かが。
「カカシが私を好きか自信もないし……、今まで平気だったことが許せなくなったって、私がカカシを好きじゃなくなったからとも言えるんじゃないかしら」
「そんな、」
 シコクさんのは間違いなくいたって普通の嫉妬ですよ、と慌てるサクラに、私はため息を一つこぼす。なんだか妙に切なくなって、これが寂しいというものか、などとぼんやり考えた。
「むしろ今までが淡泊すぎたんじゃ? シコクさん、いつもクールでかっこいい感じだし、今日みたいな話が聞けて、シコクさんも恋愛になると可愛い人なんだなって、私はうれしかったですよ」
 サクラの手は言葉を終えると甘味に延びる。美味しいのだろう。その動作を目にしながら、私もつられるようにちびちびと羊羹を崩して口に運ぶ。彼女の顔が綻んでいるのは甘味のせいではないだろうかと思考が一向に開けないことに、また気分が落ち込んだ。

「私、どうしたらいいのかしら……」
 
 最早恋愛相談のようなもの、ではない。そのものだ。
 嫉妬しているとはいえ、サクラがどんな子なのかはカカシには及ばずともある程度知っているし、他の誰かに漏らせば呆れるか笑われるかするこんな話も真面目に受け入れてくれると思ったくらいには、私も彼女のことは評価している。だからこそこんな意味不明なことになったのだけど。

 別に、浮気されたわけじゃない。
 これは私のわがままで、カカシは何も悪くない。でも、我慢もできそうにない。
「いっそ十年くらいの長期任務でも貰いに行った方が……」
シコクさん」
 時間と距離を置けば、あるいは突破口も見いだせるかもしれない。頭を冷やせば、こんな風な考えも消えていくかもしれない。そう思った矢先、サクラがそれ以上はいけないとでもいうかのように私を呼び止めた。
「恋愛って、一人でするものじゃないですよ。ちゃんとカカシ先生に伝えたほうがいいと思います」
「うまく言える自信もないの」
「もしカカシ先生がそれで怒ったり馬鹿にしたりしてシコクさんに取り合わないなら、そんな人とは別れたほうがいいです。シコクさんなら、もっといい人も見つけられますよ。世の中広いんですから」
「……他の誰かじゃダメなのよ」
 途方に暮れて呟いた私に、サクラは可愛らしい笑い声をあげた。
「ホラ、シコクさん、そんなにカカシ先生のこと好きなんですから!」
 尚のことちゃんと向き合わないと、と言うサクラの声は優しい。

 カカシに気を使ったり、あれやこれやと気を揉んだりしたことはなかったけれど、いつの間にこんなに不安になるほど好いていたのだろう。
 サクラに言われて、とりあえずカカシのことが好きだという自分の気持ちは見失わずに済んだ。改めて発見できたというべきか。
「……そうね、私、カカシが好きなのよね」
「ええ、誰がどう見ても」
「……今日はいきなり連れ込んで、こんな話でごめんなさい」
「次は惚気話でも期待してますね」
 にこ、と微笑んだサクラに、ぎこちないながらも顔が綻んだ。
 頼みたいものはもうないのかもう一度尋ねて首を横に振ったサクラに、私は緑茶で羊羹の残りを流し込んで、伝票を手に取った。
「ありがとう、相手してくれて」
「気分は晴れました?」
「これから晴らしに行くわ」
 くすっと、今度は上手く笑えた。サクラに別れを告げて立ち上がる。
 弾む胸には、カカシが好きだと溢れる甘い実感と、幾ばくかの不安と、緊張。
 どうか受け止めてほしいと思いながら、私は足に力を込めた。


******


「別れ話の相談じゃなくてよかったですね、先生」
「……」

 どうやらシコクは本当に最後まで気づかなかったようだ。よほど追いつめられていたらしい。もっとも、彼女の場合は考えすぎていただけなのだが。
 シコクが駆けていった方向を眺めた後、手元のスイーツに目を落としながら、サクラはシコクが座っていた席の後ろに腰掛けていた背中に声をかけた。
「お膳立てのお礼は、シコクさんからの惚気話ってことにしておきますから」
「……サクラ、お前、強かになったね」
「あら、Sランク任務代わってくれるんですか?」
「馬鹿言うんじゃないの」
「くノ一はみんな強かですよ。ああ、それにしてもカカシ先生がそんなに私のこと大切にしてくれてたなんて嬉しいなあ」
 どろん、とサクラの背後で紫煙が上がる。無言で逃げるとは何事だとサクラは憤慨したが、消えた相手に届くはずもない。
 およそ初めて見た余裕のない師の姿に、カカシ先生でもそんなものを見せることがあるのね、と口元には笑みが浮かんだ。
 教え子の前では大人ぶり余裕ぶり、いいところを見せようというカカシの姿は時として安心感すら与えることがある。その意味では間違ったことでは決してないが、それだからこそ、限りなく焦りを見せまいとして失敗していた様子には驚きとともに笑いが込み上げるというものだ。
 自分も大人になったわねえとサクラは思いながら、残り少なくなった白玉を一つ口に含む。
 カカシは言葉で何かを伝えることはほとんどない。というと語弊があるが、言葉で納得させるよりは相手に感じ取らせることで示すことが多い。
 けれど、ここ最近の彼女の様子を気にして、苦手なはずの甘味処で一杯の茶をすすりながら女の話に聞き耳を立てた挙句、瞬身で急いで追いかけるほど彼女が好きでたまらないのなら、さっさとそうだと告げればいいのだ。

 シコクさん、明日任務出来る身体でいられるかしら、とひとりごち、サクラは咀嚼して潰れた白玉を飲み込んだ。


2011/09/18 : UP

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