胸襟恋衣

 命ぜられたのは色の任務ではなかった。

 抜け忍でもなく、あえてそれに呼び名を付けるなら『はぐれ忍者』というべきか。
 昔からどの隠れ里にも属さず、本当にひっそりとその血脈を受け継ぎ生きている忍がいる。最早忍と呼べるのかは定かではないが、額宛てもなくチャクラを駆使して術を操るそういう存在が未だにいることに、まず驚きを隠せなかった。しかも、どうも血継限界というわけでもないらしい。大抵の場合はその能力目当てにどこかの隠れ里へ引っ張られ忍にさせられるか、一族郎党皆殺しというのがセオリーだから、その特異さは群を抜いていた。

 火影様直々に呼び出しを受け、そう言った輩が火の国の一角にいるらしいというのを聞かされたのはつい数日前のこと。そして言い渡されたのは、その実際の調査だった。
 必要であれば木ノ葉に連れ帰るか殺し、害がないのであれば目を伏せると。
 相手がどのような術を操るのかは私にさえ明かされず、この密命とも言うべき任のすべてを唯一聞かされているらしいのは、ツーマンセルを組むことになったはたけカカシ先輩のみ。とすると、この任務を命ぜられたのはカカシ先輩で、私は飽くまでその補助だということはいちいち言われずとも分かるよりほかない。
 やってくれるか、という火影様の言葉に、是も非もなかった。

 そうして向かったのは火の国の辺境にある大きな歓楽街。
 煌々と輝くネオンから逃げるように路地裏に身を潜めながら、私はひっそりと息をついた。
「こんなところで、術を……? 一体何の使い手なんだか」
「まあそう言うな。と言っても、おおかた検討はつくけどな……」
「私は検討もしたくないです」
 どちらともなくげんなりとした気持ちがにじみ出る。
 片眉をあげて先輩を伺っても、先輩はこの上なく面倒でやる気のなさそうな顔をしているだけだ。仮にも火影様の勅命でこんなへんぴなところまで遣わされたのだ。戦闘になる可能性も十分にある。もう少しどうにか取り繕えないのだろうか。
 とはいえ、歴戦の忍である先輩がこんな締まりのない顔をしていると、気を張っている自分が馬鹿のようにも思えた。
「ま、今回は役割分担がはっきりしてるとはいえ、油断は禁物だ」
 私よりもおよそ油断しているように見えるこの人に言われても、とはまさか口には出来ない。これでいて里有数の上忍なのだ。
「私が相手のチャクラを感知して、先輩が写輪眼で術を分析し、危険か否かを確かめるんでしたね」
「その上で必要があれば術者を持ち帰るか、術だけいただいて術者は殺す」
 どちらにしてもオレがコピーするってのが必須事項だ、とこれまたどこか力のない声。いつもの姿と言えばそうだけれど、どうも緊張に欠けているように思えて仕方ない。先輩とツーマンセルで動いた回数は少ないものの、他の任務の時はもう少しきりっとしていたような気がするのだけど。
 ……まあ、それはそれとして、任務内容の全てを把握できないとはいえ、せめて足手纏いにならないように、自分の役目はしっかりと果さなければ。先輩は、私が想いを寄せている人でもある。それだけに、妙に力んでしまったりするのにも気を付けなければ。
「では、感知に集中したいのでどこか場所を」
「……って言ってもね。ここじゃムリか」
「こんな街ですから」
 言う間にも、こそこそと話し合う私たちを横目に大通りを過ぎていく男女の多いこと。
 他人の嗜好にケチはつけたくないけれど、耳を澄ませばそこかしこの路地から聞こえてきそうな喘ぎ声には少々閉口せざるを得ない。

 私は感知タイプの忍で、かなり細かく、かつ具体的にチャクラを感じ取ることができる。一般人のそれから、不自然なほど気配を殺したそれまで。面識があれば個人の特定も不可能ではない。ただ、その精度に比例して時間がかかることと、感知作業の間は全く無防備になるのが弱点でもあった。基本的に里内でじっくり腰を落ち着けて、里に異常がないか監視したり、戦闘をできるだけ回避するような潜入任務ばかりしている、しがない特別上忍なのだ。単純な戦闘において特筆すべきものを持たない私は、仲間の足を引っ張ってしまうリスクが高い。特に感知に集中している間は完全に無防備になり、たとえばクナイを投げられればあっさりとくらってしまう。
 こんな風に一般人の多いところでの里外任務もそう回数があるものではないし、他里ならまだしも、抜け忍の一人でも紛れ込んでいたら、木ノ葉の額宛てをさらしている今の格好では特に危険だ。
「人払いとなると、どこか部屋を取るしかないな」
「部屋」
 カカシ先輩の言葉に、私の思考は一瞬止まってしまった。
 ええと、それはつまり、その?
「万が一に備えて一般人を装うか」
「えっと、カカシ先輩、それは」
「男女のアベックが一番自然かな」
 アベック!
 先輩の言い回しに笑う余裕がある私は、意外と落ち着いていたのかもしれない。あるいは、先輩は私を和ませようと敢えてそう言ってくれたのかもしれないけれど。
「そうですね。でしたら街の中心が望ましいです。それだと私を中心に円形状に調べれられるので、チャクラ消費の意味でも効率よく洗い出せるかと」
「分かった」
 先輩は小さくうなずいて、すぐにドロンと煙が上がる。現れたのはまるで面影のない、一人の男。私もそれに倣うように一般人の女に化けると、見る影もない先輩の腕に、自分のそれを絡ませた。


 今日のこれは一応潜入任務にあたるとはいえ、今までのそれとは勝手が違う。火影様勅命の上、ツーマンセルとはいえ隊員にさえ明かされていないことがある。それも恐らくは一番大切な核となる部分だ。本来なら正規部隊に配属されている私たちよりも暗部向きの内容。けれど術のコピーはカカシ先輩でなければできない。私が選ばれたのは……感知タイプの中でも精度が高いから、だろう。ならば尚のこと、私がヘマをするわけにはいかない。
 ぎゅっと、腕に絡めた手に力を込めた。



「では、始めます」
「頼んだ」
 適当に見繕ったホテルの一室で、床に胡坐をかいて座り込む。深呼吸を繰り返し、じっくりと感覚を澄ませていく。
 チャクラとは生命エネルギーであり、これは一般人の中にも流れているもの。まずその数を把握する。歓楽街とあって無駄に多いのが面倒でもあるけれど、そこからこの街に相応しくない動きをするものを選出していく。あるいは、術を使っている気配のあるものを。
 日向の持つ白眼にはほど遠いけれど、術を発動しているときのチャクラの大小や動きというのは一般人のそれとは似ても似つかないから拾うことは可能だ。また、正のチャクラ、負のチャクラなど、感情によってもその質が異なる。あまり考えたくも感じたくもないけれど、こういう場所だ。自然とどんなチャクラが現れるかというのは決まってくる。
 少しずつ範囲を広げながら、時間をかけて細かく絞っていく。濾過作業のような工程が半分ほど済んだ直後、身体が大きく傾いて、私は敵襲かと反射でクナイを構えていた。
「おっと」
「……ッ、先輩!?」
 構えたクナイの切っ先が捉えていたのは先輩の肩口で、気が動転した私は慌てて手を引っ込めることもできずに固まった。何とか目線だけを動かして状況を確認する。クナイを持たない左の腕を強くつかまれていて、身体が傾いたのは先輩が私の腕を引いたからだと分かった。
「悪いな。声かけたんだけど、聞こえてなかったみたいだったから」
「いえ、こちらこそすみません」
 先輩の手が離れるのと、私がクナイを仕舞うのはほぼ同時だった。
「何か異変でも?」
「ああ。……お前の身体にな」
「え?」
「首筋に印が現れた」
 相手に気付かれて囲まれたのかと思いきや、先輩が指差したのは私自身。思わず自分の手で触れそうになるのをこらえて、部屋に置かれた無駄に大きな鏡を見れば、確かに首筋に印が浮かび上がっていた。
「……見たことのない術式です」
「そうだな。ま、似たようなのならオレは見たことがあるが……」
「呪印術でしょうか」
「いわゆる秘伝術なのは確かだな」
 呪印術も秘伝術もどちらも機密性の高い術で、術の理を知るものはほとんどおらず、特定の術者だけが使用可能な極めて特殊で難解なものだ。木ノ葉にも実に多数の秘伝術が存在するし、先輩の写輪眼で分析することは不可能ではないだろうけれど、それを使うとなるとそれはそれで先輩の技量も試されてくる。
 鏡で確認した印は、封印術のように術式が書かれたものだ。
 ふむ、とカカシさんは私に髪を上げるように指示を。簡単に一つにまとめて結い上げると、もう一度見せるように言われて印の刻まれたうなじを差し出した。
「恐らくは対象のチャクラを乱す類のものだな」
「というと、幻術のような?」
「まだ発動条件は満たしてないのか、オレが見たところでは変化はないな。シコク、念のためチャクラは練るな。今、自分で何か変わったところは感じるか? 印が疼くとか」
「……いえ」
 普段は決して見ることのない左目の瞳で、カカシさんが印を睨みながら思考を巡らせているのを鏡越しに見る。
 身体的な変化は私でも感じ取れない。なにせカカシさんに止められるまで、印が現れたことにも気づかなかったのだ。
「トラップ、ですよね……。相手に感づかれたんでしょうか」
「どうだろうな。術者の意志にかかわらず、条件を満たせば発動する類なら可能性は低いが」
「そんな術があるんですか?」
「なくはない。数は少ないけどな」
 流石は千の術をコピーしたコピー忍者の異名をとるだけのことはある。
「少なくとも、このトラップさえ秘伝術だというのなら、私たちの他にも同じようなことをした輩が過去に、おそらくはすでに何人もいたってことですね」
「そうだな……」
 ぐ、と歯噛みする。
 感知する段階で相手の術中にはまることは、珍しいけれどないわけではない。特に私は。
 勅命――そして密命を受けておきながらの失態に、込み上げてくるものを何とか押しこめる。
「取り敢えず今は相手のことよりお前のこれを何とかするぞ」
「、すみません」
「お前に落ち度はないよ……。感知の度合いによって術の強さも変動するものだったとしたら、取り返しがつかなくなっていたかもしれなかったわけだし」
「……そんな強力な術なんですか」
「もう少し調べてみないことには、なんとも言えないな。……シコク、服を脱いでくれ」
 一気に緊張感が増した直後のカカシさんの言葉に、私は瞬間的に思考が止まった。
 まあ、けれどそこは腐っても特別上忍としての実力というものがある。すぐに言葉を返すことはできた。
「この印が他にもあるかもしれないってことですか」
「ああ。首筋の印にある術式はこれ一つだと不完全だ。おそらくは後四つか五つある」
「……先に自分で確認します」
 任務中とはいえ、怪我もしてないのに全裸なんて、しかもそれを先輩に見られるなんて絶対ありえない。無理だ。恥ずかしすぎるし、動揺を顔に出さない自信は正直ない。おそらく先輩の方は顔色一つ変えないだろうことも分かりきってるから、尚のこと嫌だ。
 そう思って部屋にあるシャワールームに移動しようとした矢先、先輩に行く手を遮られた。
「目なら閉じて後ろ向いててやるから、ここの方がいいと思うけど」
「え、と」
 私が意図を図りかねていると、先輩はさっさと風呂場の方へ入ってしまった。
 そこには先ほどまで壁があったはずなのに、私の眼はその奥にいるはずの先輩の姿をはっきりと捉えていた。先輩はと言えば、何でもない事のようにこっちに向かって手を振っている。そしてすぐにそこから出てくると、分かった? と首をかしげて見せた。
「マジックミラー、ですか」
「ま、この手のホテルにゃよくある設備だ。もちろん中からこっちは見えない。で、切り替えのスイッチはこのベッドの上にある、これ」
 言いながら、先輩はぱちぱちとベッドサイドに置かれた机にあるスイッチを押して見せる。それに合わせて風呂場の様子が見えたり消えたりするのを確認して、私はここで脱ぎますと小さく宣言した。

 すでに動揺しているのだ。先輩の言わんとすることをようやく飲み込んだ私は、先輩が宣言通り私に背を向けたのを確認して、さっと服を脱いだ。服の下に仕込んだ装備もすべて外し、軽く鏡の前で回りながら自分の身体を確認する。
 先輩の読み通り、首筋の他にもいくつか、印を見つけることができた。……見つけた、のだが。
(……術者は何を考えてんの!? 何も考えてないの!? わざと!? 狙ってここにつけたんなら一発シメてやんないと気が済まないわよ!?)
 幸い先輩の写輪眼ならこの術がどんなものなのか知り、対策を練って、上手くいけば封じるなり相殺するなり消すなりとできるだろう。これは本当に良かったと思う。心の底から。
 問題は、その写輪眼で見てもらうことになる印の場所、だ。
 うなじはさっき見られたばかりだし場所としても問題はない。その他がマズイ。
 胸、下腹部、右内腿、腰……どれも際どいところばかり、まるで狙ってるのではないかと思う。下着は外さなくてもいいけれど、ずらさないと印の全ては見えない。
 それにしても人を馬鹿にしている。そんなものに引っかかった自分が情けなくて、泣きたくなった。
 この手の印というものは、術者か、あるいは印を付けられた者のチャクラに反応して発動するものが多い。その効果こそわからないけれど、なんにせよ私は一切の術を封じられたも同然。術はおろか、チャクラを練ることもできやしない。そうなると、簡単な体術すらも使えなくなる。ただの一般人だということだ。
 これを、先輩に見てもらってどうにかしない限り。


 クラ、と傾いたのは何に対してだったのか、考える気力も根こそぎ奪われて、私は唸るように先輩を呼んだ。
「カカシ先輩」
「終わった?」
「一応は。数は先輩のおっしゃってたように五つ確認しました。首、胸、下腹部、右内腿、腰の五か所です」
 かすかに苛立った声のまま告げてしまったものの、先輩はほぼ無反応。
 別に、見られたくないからと駄々をこねるつもりはない、つもりでいるけれど、なにせ相手が相手だ。
 すでにトラップにかかって情けない姿を見られているとはいえ、さらなる痴態を先輩に見せなければならないのかと目頭が熱くなるのを再び堪える。
 本当は、単に恥ずかしいのだ。でも今は任務中だという意識はそんな羞恥心を覆い隠そうと、自身の思考を止めることを許さなかった。
「首を除けばあと四か所か」
 先輩は未だに背を向けたままだ。私はゆるく深呼吸をして、部屋に置いてあったガウンを引っ掴んだ。前合わせのそれを軽く羽織って、腰ひもをゆるく締める。下は自分が着ていた短パンを穿きなおした。
 そのまま先輩の前に回り込んで、お願いします、と頼みこむ。顔は見れなかった。
「じゃ、腰から見る」
「はい」
 先輩に背を向け、自分でガウンの裾を引き上げると、先輩の手が私の短パンを少し下げた。その指先に、情けないくらい反応してしまう。顔が見えないこと、見られてないことが救いだった。
 じっと、先輩から声がかかるのを待つ。暫くして終わったと短い言葉。思わずため息がこぼれてしまったのは仕方のないことだと思ってほしい。もっとも、実際、こんな面倒なことになって、本当にため息をつきたいのは先輩の方だろうけど。
 ガウンを直して、くるりと先輩の方へ身体を反転させる。直後、無駄に大きな鏡に私たちの姿がはっきり見えて、私はさらに先輩を軸にしてくるりとその背後へ回り込んだ。
「?」
「……あ、ええと、鏡越しに見えるのは、ちょっと」
 不思議そうに私の行動を見ていた先輩にそういうと、先輩は一瞬鏡に視線を走らせて、納得したように頷いた。
 私は、もう一度深呼吸を。ガウンの前を、自分で肌蹴させる。先輩との身長差では下着も見えてしまうけれど、そんなことはこの人の前で、しかも任務中になんて口が裂けても言えなかった。
 印が見えるように、下着ごとずらして身を固めると、先輩が私の名を呼んだ。
「印が歪まないように胸張って。肩甲骨から意識して肩をもっと開いて頂戴」
 羞恥心から縮こまった背。自分を守るようにきっちり締めた脇で、寄せる形になった胸は、いつもよりもその曲線を主張していた。
「す、みません」
 思うように言われたことができず、任務中任務中と頭の中で繰り返しながら両手を後ろに回して、半ば無理矢理に胸を張った。ガウンがだらしなく開いたけれど、自分がどんな姿を晒しているかも、先輩の表情も映したくなくて、顔をそむけて念仏を唱えるように任務中だと自分に言い聞かせる。
 息すらしにくくて、呼吸に合わせて上下に動く胸が今は酷く憎らしい。
 心拍数が跳ね上がり、身体が熱を持っていく。ああ、これも先輩には丸見えだろう。
「ん、終わった」
 言いながら、先輩自らガウンを直してくれる。ふうふうと息をしながら、腰ひもは自分でしめなおした。
「大丈夫か?」
「はい」
 念のためだろうけれど、わざわざ訊ねてくる先輩も今は憎らしく、恨めしい。
 こんな状況で少しも怪しい雰囲気にならないのは、先輩だからこそ成せる技か。いわゆる複雑な乙女心というものは、先輩にとってはさぞかし面倒くさい物だろう。
 自分の手が短パンをずり下げるのを他人事のように見下ろす。先輩が私の前に膝をついて、屈んだ。ガウンの裾が持ち上げられ、今更自分で持つこともできずに胸の前で手を組んで、固く目を瞑った。
 煌々と、およそこんな場所には似つかわしくない部屋の中で、何をやっているのか。命ぜられたのは、こんな、色の任務のようなことではないのに。否、色の任務でさえこんな感情を伴うことはない。
シコク
 何もかもかなぐり捨てることができたらどんなにか楽だろう。
 早く終われコンチクショウと思っていると、先輩に名を呼ばれ、思わず目を合わせてしまった。
「は、い」
 自分の声が遠い。いや、小さいのか。先輩は写輪眼こそ見えているけれど、その表情はどこか普段のように眠そうな印象を受けて、いつもこれを目にするときは戦闘中で険しかったせいか変な感じがした。
「ちょっとベッドに横になって」
「……え?」
「辛いんだろ」
 辛いのは身体ではなくこの状況です、とはまさか言えるはずもなく。
「あと、オレも見辛いから」
 そんなわけがないのに、そういわれてしまっては従わないわけにはいかなかった。
 先輩がベッドの掛布団をめくってくれ、開いたそこにおずおずと身体を乗せる。照明がまぶしくて、手で影を作った。
「これで、いいですか」
「ああ」
 にこりともしない先輩に、任務中という言葉がよぎる。これが恋人だったら話は違ったかもしれないけれど、私たちはただの先輩後輩であり、仲間であり、どちらかというと私が一方的に先輩に懐いているようなもので、いっそ幻覚でいいからさっさとかかってしまえばこんな馬鹿なことを考えずに済むのにとさらに馬鹿なことを考えた。
 動いたことで印が隠れたのか、先輩が短パンを少し下げる。腰の時とは比べ物にならないほど意識してしまって、ほとんど反射でその手を抑えてしまった。
「っ、あの、」
「お前も分かってる通り、今は任務中だ」
 強い叱責の声に、顔が歪む。けれど先輩は私の手を振り払うことなく、私が自分で話のをじっと待ってくれていた。これが今先輩にできる最大限の優しさ……否、譲歩、だ。
 私は指を一本ずつはがすようにして、何とか先輩の手から自分のそれを放すことに成功した。手持無沙汰になった手で、ガウンの裾を強く握りしめ、きつく目を閉じた。
 忍として培ってきたものが、こうも容易く崩れるなんて、今まで私がしてきたことは一体なんだったのだろう。後で怒られるか呆れられるかするのだろうと思うと、眉間に皺が寄るのを止められなかった。
 シン、と静まり返った部屋には、かすかに外からの音が浸み込んでくるだけで、ベッドが軋む音すらしない。
 仕方なくだろうけれど、ずらした短パンが戻らないようにと下腹部の脇で抑えた先輩の掌の熱が妙に温かく感じられた。

 きし、とベッドのバネが初めてたわむ音がして、ゆっくりと瞼を開ける。
「最後は右内腿だったな」
 先輩の声が、死刑宣告のように思えた。

 このまま足を広げても、印の一部は短パンに隠れてしまっている。なんとか捲りあげて見ようと思うと、かなりぎりぎりに……いや、それでも全ては見えないだろう。
「先輩、あの」
「……やれるか?」
「少し、目を閉じていただければ」
 ちんたらしてるヒマはない。先輩が少し身を引いて目を閉じたのを確認すると、私はそろそろとまた短パンを脱いだ。印が見えやすいように右足を外に開き、足を曲げる。
 うるさい心臓に連動して赤みを増しているだろう顔が、身体が熱い。
 なんて破廉恥な、とどこかの誰かの声を聞いた気がしたけど、私は忍で、先輩も忍で、そして今は任務中だ。
「おねがい、します」
 先輩が目を開けるより早く、再び目を閉じる。
 この後どんな顔をして先輩を見ればいいのかわからない。この後だけじゃない。この先ずっと、もう先輩の顔は見れそうにない。里で見かけても声なんてかけられない。任務でさえ、一緒になるのは想像したくない。
 できることなら、先輩を巻き込まないように起爆札でも使って今すぐ自爆してしまいたい。でも最低でもこの任務だけは完遂しなければ。私にも忍としてのプライドや意地はある。

 ――ああでも、やっぱり今すぐにでも消えてしまいたい。



******



(――って顔してるな)
 きつく閉じた瞼は震えていて、シコクがある種の興奮状態にあることは見て取れた。さっきまでガウンの裾を強く握りしめていた両手は、今はシコクの胸の上で握り拳となって彼女の心を守るように鎮座している。
 少し目線を下げれば、あらわになったシコクの白い肌が、部屋の照明でまぶしく光っていた。そこに落ちる影を作っているのがオレだということに、思うところはない。
 今は任務中であり、……ま、任務とは言えシコクが今回オレとのツーマンセルに選ばれた理由を思うと、さすがに同情を禁じ得ない部分はあるが、だからと言ってそれが今手を止める理由になることはない。

 シコクがこうなるのは必然で、それをオレと五代目は知っていて、シコクはこの印こそが目的のものだということも、その効果についても、何も知らない。

 五代目が目を付けた術――まさに今シコクの身体に浮き出ているコレだ――は、いわゆる色町、花街での任務の成功率を大いに上げるもの。シコクにはやはり全てを教えてないが、対象となった者のチャクラを乱し、幻覚を見せるものだ。それも、死のイメージを植え付ける類ではなく、性欲を呼び起こすような、ま、『エロ忍術』の類。幻術は術者のレベルによっては幻覚を見せるだけで相手を死に至らしめるほど強力であり、これもその意味では油断ならない術ではある。
 今回は内密にこの術を木ノ葉へ渡す密約が交わされている。この術と引き換えに、街の治安を任されるのだ。元々隠れ住んでいた術者の血族だが、歓楽街の規模が大きくなったことでいろいろと自治にも限界が出てきたらしいというのが五代目からの説明だった。勿論術者の処分は表向きの話であって、術の実態調査などというのも全くの嘘。
 ま、そんなことでコピーを任されたオレはともかく、シコクが選ばれたのはこの術にかかるための感知タイプが望ましかったのと、こういう状況になってもおかしな方へ流されないやつだからとオレが五代目に口添えをしたからだ。もっとも、オレの希望なしでも五代目の老婆心……もとい火影心でシコクが選ばれるのは確定していたようだけど。
(全く……恨みますよ、五代目)
 シコクの気持ちを知らないわけはない。この際だからついでにぺろっと食ってきな、などと無責任に言い放ってくれた五代目の、嫌に生き生きとした笑顔を思い出す。オレが任務中にそんなコトするわけないのを見越した嫌がらせだろう。大方、お前は口がうまいからどうとでもフォローできるだろう、ってところか。五代目は、気風はいい。気風は。だがそのあとのことを人任せにするのはいかがなものか。
(大体、シコクシコクでなんで気づかないかねえ)
 こちとら、なんとも思ってない相手を毎回毎回構ってやるほど優しくも暇でもない。ささやか且つこうもあからさまに『お前は特別だ』と示してやってるのに、どうにも恋は盲目というのは本当らしい。
 最後の印をコピーし終わり、シコクの様子を確認するが、目を開けた時と変わりはなかった。ように見えたのは一瞬だけで、先ほどよりもわずかに息の乱れが酷くなっていた。
シコク、……シコク?」
 呼びかけても全く反応はない。どうも幻術が発動したようだ。
(印の場所は性感帯……条件は体温と脈拍数か)
 こんなこと、惚れてる奴相手なら自分でじっくり調べていくのがオツってもんでしょ、とは思うものの知ってしまっては忘れるはずもない。
 なんにせよ、これを最早忍と呼ぶにはあまりにも縁遠くなった人間が使っているのかと思うと、げに恐ろしきは人の欲かなどと凡そくだらないことを考えてしまう。ま、どこかの誰かの直球なエロ忍術よか、はるかに高度にゃ違いないが……術者がこれ以外では平凡な人間であることを考えると、むしろ忍でなくてよかったのだろう。本人たちの平穏のためにも。

 あとは術の解除をするだけとなって、つらつらと関係のないことを考えていると、シコクの腰が揺れて、両膝をこすり合わせるように足がうねり始めた。今まで耳にしたことのない女の声が、その唇から洩れる。

(……ま、相手は十中八九オレだろうけど……本物を差し置いて幻覚のオレとお楽しみなんて、ちょっとあんまりじゃないの?)

 さて、どうしてやろうか。
 術式からこの術のからくりは分かったし、幻術そのものはオレのチャクラを流し込んでやれば今すぐにでも解くことができる。術の効果を消すのは、高くなった脈拍や体温を下げてやれば収まるはずだ。そしてその時点で印は消える。
 それだけの術と言えばそれまでだが、一般人や並みの忍で女の方がこの手の術にかかれば、このまましっぽりやってしまうのが人の性というもので、なかなかに侮りがたい。それがこの術の強みでもある。オレは全くやる気にならないけど。

 問題は、術を解いた後の話だ。

 オレが任務中だと叱咤した時のシコクの諦めたような表情を思い起こす。あれはきっと、何か面倒な誤解をしたに違いない。こんな場所で男女が二人、それも想い人相手に服を脱ぐ羽目になり、あられもない姿を見られ……。こんなことでオレとどうにかなりたいわけもないだろうが、まったく相手にされなかったのもシコクには堪えただろう。
 シコクのことだから、里に戻ったら二度と自分からオレの前に現れることはないだろう。それは困る。というか特別上忍のなかでも特に感知に優れたこいつに逃げられるのは追いかけるという意味でも非常に面倒くさいことになる。
 ……面倒くさいが、シコク相手に労を惜しむつもりはない。
 オレだって一時の劣情に流される程度の忍でも、軽い気持ちでもない。そのあたり、きちんと教え込まないと、ここまでゆっくりじっくり積み重ねてきた甲斐がないでしょ。
 いかにスマートに且つ綻びのないよう帳尻を合わせてこの任務内容についてシコクを丸め込むかの算段をしながら、どうすればシコクがオレから逃げ出さずにいるかを考える。どうやったって告白は免れないだろうが、もしかして五代目が狙っていたのはむしろそっちではないだろうか?

 癖があるって言っても程度があるでしょうよ、とため息をついて、オレはゆっくりとシコクの腹に掌を当て、チャクラを練った。
 ――とびきりの現実をくれてやるんだから、覚悟しときなさいよ。


2011/10/02 : UP

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