暇人に贈る言葉

 上忍待機所、『人生色々』。比較的安定した世界情勢は喜ばしいことだが、特に上忍にとっては生活が様変わりするほどのことではない。
 任務は日々舞い込んでくるし、戦争こそないものの、忍同士の戦闘はBランク以上ならばほとんどすべてのそれに可能性がある。上忍に割り振られる任務はAランクがSランクが原則のため、任務に赴いて戦闘がないことの方が稀であった。

 だが、その日は少し様子が違っていた。
 常ならばまず待機命令の出ないような――つまり次々に任務を与えられるような――有能な忍が、今日は彼女の目の前で愛読書を開けていたのである。
 彼の『本を読んでいる』姿はさして珍しくはないが、彼に任務があてがわれないとは珍しい。勿論、彼も彼女も同じ上忍である以上、彼にも休日や待機命令はあって当然なのだが。

 彼女は視界に入る彼の顔をぼんやりと眺めた。

 里の誉れ。木ノ葉一の技師。コピー忍者。写輪眼のカカシ。

 彼を称える言葉は数多あり、それを背負いながらも心が壊れることがないのは、やはりその有能さが真実のものであるからか。
 けれど、彼は知っているだろうか。
 一部のくノ一の間で、どんな風に噂されているのかを。
「……何よ? 他人の顔見てにやにやしちゃって、失礼だね」
 どうやら彼女の忍び笑いは胸中だけでは済まなかったようだ。じろり、とカカシは彼女を半眼で睨んで見せたが、彼女はさして意に介した様子もなくそれを受け止めた。咎めるような視線は、それ以上に彼女がなぜ彼の顔を見てにやついているのかを知りたがっていた。
 カカシからしてみれば少し気になった程度だろうが、まさに彼女の笑みの原因が自分であるということは酌んでいるようで、彼女の眼に映るカカシは先ほどまで本に目を落としていたそれとは違って、どこか居心地が悪そうだ。
「いや、大したことじゃないんだけどね」
 彼女はそう切り出しながら、くすっと笑う。
「アンタ、くノ一の間で随分言われてるわよ。――……平気で二股かけるだの、同じ女は二度と抱かないだの……あ、大の女嫌いで、衆道の気があるってのも聞いたわ」
「ナニ、ソレ」
「前半と後半って真逆だし、同時に成立するには無理があるわよね」
「いや、そこじゃなくて」
 悠然と一笑に付す彼女に対し、カカシは呆れ交じりにため息を一つついた。それを見ながら、彼女は言葉を続ける。
「随分前から言われてたみたいよ? ま、私が知ったのはつい最近なんだけど」
「……一応聞くけど、なんで知ったの」
「たまたまよ。里の治安に関わる噂ならともかく、一忍の、しかもプライベート全開で根も葉もない与太話なんて」
 そこまで暇じゃないし、と締めると、彼女は肩をすくめた。
「他人事だからって好き勝手言ってくれるねえ」
「カカシが止めないからでしょ? 好き勝手言わせてるのはアンタじゃない」
「オレもそこまで暇じゃなーいの」
 視線こそ手元の本から逸れないカカシだが、会話はしっかりとしている。彼女の、今は暇そうだけど、というからかいも軽く流して、けれど不意に、ちらりと彼女に焦点を合わせた。
「それに、お前はそれ、信じてないんでしょ?」
 やる気のなさそうな目を向けられ、彼女は間髪入れずに頷きを。
「当たり前じゃない、どれだけ上忍やってると思ってんのよ。噂とばしてる連中よりはまだいくらか私の方がアンタについてはわかってると思うけどね。どうせ元になった行動だって任務がらみでしょ? そもそも、プライベートが派手、なんて話どころか全くそんな匂いもさせないってのに、信憑性もへったくれもありゃしないわ」
 私生活まで忍べるというのなら噂が立つ隙もない、という彼女の主張に、カカシは人の口に戸は立てられないって言うけどねえと呟いた。
「だから、任務がらみって言ったじゃないの」
「ま、正解だけど」
「でしょ」
 得意げに胸を張ってみせながら、彼女はふと頭に浮かんだ疑問に、僅かの間表情を消した。そして、それに気づかないカカシではない。
「どうかした?」
 先ほど一瞥をくれた時とは異なり、カカシの声と目線は、より純粋に不思議そうな色を伴って彼女に向けられている。
 それを気にも留めず、彼女は何事か考えるようにじっと一点を見つめたまま動きを止め、それから不意にカカシを見ると
「カカシって普段任務のない時何してるの?」
 と、どこか訝るような表情で再び口を開いた。
 急な問いにもカカシは慌てることもなく、本から彼女へ移した視線もそのままに
「何って言われてもねえ。修業?」
 答えあぐねて、首をかしげながら、語尾を上げた。
 カカシは今日でこそこうしてゆったりと腰を落ち着けているが、基本的に多忙を極める忍である。写輪眼の使い過ぎでチャクラ切れを起こして入院することも珍しいことではない。よって彼が身体を休めているのは休日というより任務明けの入院期間であり、退院すればコンディションの調整もそこそこに再び任務を受け、西へ東へ奔走するという有り様であった。
「うわ。立派ねえ」
「顔と台詞があってないよ」
 しかめっ面で言われてもねえ、とカカシは呆れるでもなくそう零したが、彼女は面白くなさそうな表情のまま、唇を尖らせた。
「趣味とかないわけ」
「読書かな」
「ああ、そのエロ本?」
「イチャパラはエロ本じゃないって何度も言ってるでしょ!」
「私はまだ一回しか聞いてないわよ」
 カカシの台詞で他にもこうして日常的にからかわれているらしいことが分かってしまったが、生憎今彼女が興味を示しているのはカカシの私生活であって、彼女のいないところでカカシが何をしているかではない。
「ねえねえ、じゃあスキを見つけて、抜き打ちでカカシの家覗きに行っていい?」
「お前の趣味は崇高すぎてオレには理解できそうにないよ」
「だって気になるんだもの! 別に風呂覗こうってんじゃないんだし」
 いつ行くか言うのは意味がないから、行くってことだけ宣言しておくわね! と言う彼女はすでにカカシの家、もとい私生活を覗きに行くことが決定しているようだった。当のカカシは否こそ口にしていないものの、まだ了解もしていないのだが。
 カカシはそんな彼女を見ながら苦笑気味に眉を下げた。
「あのね、張り切るのは勝手だけど、お前がオレの家覗きに来る日に、オレも休みだとは限らないでしょうよ」
「あ」
 もっともな指摘を受けて初めて、彼女は自分が一番肝心なことを失念していたことに気付いたようだった。
「あー……残念。休みが重なるなんて可能性としては低いわね……。重なってるか確認なんかしたら、教えてるようなもんだし」
「……そこまでして覗きたいわけ?」
「アンタねえ、さっきも言ったけど、今まで全く私生活の見えない奴が、そう素直になるだなんて誰が思うのよ。こっそりしなきゃ、カカシはごまかしちゃうでしょ」
 なんだかんだ言いながら、待機というのは暇なものだ。あまりになにもなければ、暇つぶし程度の会話にも華が咲く。
 心底気落ちした様子の彼女を視界に入れながら、カカシはぽつりと言葉をつないだ。
「そうでもないけど」
「え?」
「ていうかさ、わざわざこっそり覗かなくたって、休みが重なるんなら、普通にオレの家来ればいいんじゃないの? お前だって折角の休みをそんなくだんないことで潰すより、一緒にゆっくりしたほうがよほど有意義だと思うよ」
「……だ、だからカカシ、ごまかすって言ってるじゃない」
「そんなことしてなんになるってのよ? ……で、オレの家、来る? お客さんとして」
「……いいの?」
「なんで? どうせ目的は一緒だし」
 予想外のカカシの言葉にぱちぱちと目を瞬かせながら、そうでしょ、と首をわずかにかしげて見せるカカシに、
「そうだけど」
 こっくりと頷きながらも、彼女はカカシに歓迎されてどう反応すればいいのかと狼狽えているようだった。そんな彼女を笑うこともなく、カカシは畳み掛けるようにぽふんとわざと音を立てて本を閉じ、
「ああ、でも一つ言っとくと」
「?」
 カカシの意図を探ろうと頭を働かせる彼女に言い放った。
「家に上がったら、その日は朝まで帰れないかもしれないってことは、覚悟しといたほうがいいかもね」
 そして、これ以上ないまでに目を見開く彼女に、にっこりと笑いかけ
「ま、よーく考えといてちょうだいよ」
 都合よくやってきた忍鳥から伝令を受け取ると、何事もなかったかのようにいつも通り、任務へと繰り出していった。

 残されたのは、彼女一人。
 茫然と彼を見送り、そして混乱しながらも赤くなった頬を手で押さえて、頭に浮かぶカカシの意図を振り払っては、上忍としてあるまじき狼狽ぶりを晒し続けながら、え、だの、うあ、だのと意味のない言葉を発するのであった。

 カカシにまつわる噂話が一転して一つに塗り替えられるのは、もうしばらく先の話。


2011/10/16~20011/11/09

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