茶葉の綻ぶ頃に
沈玉の谷、その中でも翹英荘は茶葉の生産地として名を馳せる。
璃月の豊かなお茶文化はフォンテーヌの紅茶文化に引けを取らない。時間帯や作法によって様々な呼び方をするほどお茶に関する語彙は豊富で、特に遺瓏埠ではその傾向が顕著に出る。
最近では原因も分からぬまま急激に茶葉の品質が落ち込むという憂き目に遭ったものの、現在はそれも解消し、名産地の名をほしいままにしていた。
若茗は、翹英荘で茶葉に関する研究をしている。
研究というと学者然としているが、翹英荘の茶農の家に生まれ育った。長らく茶葉を摘み、茶を淹れ、味わってきた経験を活かして、等級の低い茶葉に新しい価値をつけて、翹英荘全体の売り上げを伸ばせやしないかと模索している最中だ。
茶葉のブランディングや新しい茶菓子のプロモーションなど、どちらかと言えば商人の分野に食い込んだ思考をしており、茶商として生計を立てる葉徳の元で日々様々な業務について学んでもいる。他の茶農からも顔は知られており、着実に知識と技術を積んでいる若き女性。
――というのは、外向きの来歴になる。
実際は、葉徳さんの息子であり、幼馴染みでもある嘉明に長年淡い気持ちを抱いていて、全ては彼を意識するあまりのことだという……なんというか、外に出すには恥ずかしい、実ってもいない恋と執着による副産物というのが本当のところだった。
最初は嘉明のお母さんが亡くなったとき。元気がなく、ひっそりと泣いてもいた彼の側で、寄り添って、励ましたかった。でも彼の大切な人が亡くなったという重い事実を前に、私は上手い言葉を見つけられなくて、ただ嘉明にしがみついて、悲しみを共有しただけに終わってしまったけれど。
その次は茶商を継がせたい葉徳さんと、幼い頃、他でもない葉徳さんと見た獣舞劇に惚れ込んだ嘉明との衝突をどうにか和らげたい一心で、「私は茶商のお仕事興味あるなあ~~!」と葉徳さんの注意を逸らそうと必死になった。
今思えばそのやり方は回りくどく、彼らのためでないことは明らかだった。その場しのぎで葉徳さんの気を引くことは対処療法的なものでしかない。始めた頃はそれが私にできる唯一の方法だったのは確かだけれど、結局の所、自分の恋心を優先したからそうなったのだろうと今は思う。獣舞劇をやるために翹英荘を飛び出した彼と、少しでも縁(よすが)を繋いでいたいと。
そのまま彼らの仲を上手く取り持てないまま、取りなせないまま月日は過ぎてしまって、ついに彼らは先の海灯祭で和解した……らしい。海灯祭が終わって葉徳さんのところへ顔を出した嘉明は、前のように気まずそうな、強張った顔をすることはなくなっていた。
今も時折顔を見せている。ぎこちないけれど、その表情はどこか明るい。
そんな彼の表情を見て、「ああ、もう大丈夫なんだ」って直感が働いた。
そうなると、私の気持ちは宙に浮く。張りぼての大義名分は風に吹き飛ばされて、その影に隠れた恋心を持て余していた。
そして私にとって悪いことに、最近、葉徳さんは素直に嘉明の無事と今後を心配するようになった。そのこと自体は歓迎すべきであったものの、親としての心配のために、結婚……の前段階、恋人を気にするようになった。
「いい人はいるのか?」
「一人じゃ何かと大変だろう」
「別にお前のいい人を判じようとしているわけじゃない。知っておきたいんだ。誰か、支え合える人が居るならな」
そう言って、なんというかずけずけと切り込むのである。幼馴染みと言うこともあり、私が居るところでも遠慮無く交わされるから困る。きっとまだ話題に困っているのだろう。嘉明もそれが分かるのか、いつもはぐらかしていた。
けれど、それもついに限界だったのか、葉徳さんは触れない方がいいものに触れてしまった。
よりにも、よって私を――これも昔からの顔なじみだから、口をついて出たのだろう――嘉明に薦めているのを聞いてしまったのだ。
間が悪く、二人のためにお茶を出そうとしていた矢先のことだった。
「若茗はどうなんだ? あの子は良い子だぞ。昔から優しくて気が利く。最近はとみに綺麗になってな」
「はあ? 茶商の仕事を頑張ってるあいつにオレを? お互いのためじゃないだろ、そいつは」
と。
娯楽小説でそういうシーンを何度も見たけれど、案外こういう時って持ってるものを落としたりしないものだ。と、その時の私はぼんやりと考えていた。……ショックだったのだと、思う。
その後の二人の会話がどんなものだったかはよく覚えていない。取り敢えず、会話が収まって沈黙が続いた頃に、しれっとお茶を出しに二人の前に顔を出した。多分、いつも通り振る舞えていたはずだ。
知っていた。彼が私を必要としていないことも、彼がもし誰かを意識することがあれば、きっとそれは私ではないだろうことも。
それに、葉徳さんの言い方や口をついてでたのが私の名前だったのもまずかった。私とくっつけることで嘉明に茶商を継がせることをまだ諦めてないんじゃないかと思わせてしまう。
本当なら話を聞いたことにして、ちゃんと、すぐに取りなすべきだった。二人の衝突に度々割って入ってた私ならできるはずだった。
でも、足は動かなかったし、声も出せなかった。私は、二人が仲良くしてくれることを夢見てここに居たのではなかったか。
だから……一体私は何をやっているんだろう、と、そう思うことは止められなかった。
気づけば一日が終わっていて、どうにか折角嘉明が帰ってきたのだからと翌日休みをもらったことだけは忘れずに自分のベッドの中に潜り込む。
そこでようやく悲しみがやってきた。
茶商の仕事は好きだ。夜勤は流石に無理だけど、経理などの事務作業も嫌いじゃないし、倉庫の在庫管理や、お茶のテイスティングも。商談についていくのも、茶農家の人と話すのも、茶畑を見るのも。
できることが増えていくのは楽しかった。多くのモラを任せてもらって買い付けをしたり、フォンテーヌにお茶留学みたいなこともした。
全部、嘉明との繋がりを求めて始めたことだけれど、もうそれがなくても世の中は回っていくんだなと思ったら急に悲しくなった。
この恋はもう、あってもなくてもいい。でも、できるならずっと持っていたかった。
けれど、嘉明が……例え親が用意したのだとしても私と一緒になることに消極的ならば、私は絶対に乗り気である所を見せるべきではない。葉徳さんは話の一つとして私の名前を出したにすぎない。私が積極的になれば、きっと嘉明は「親父の言うことなんて適当に流しとけよ。オマエは自分の好きなことをすればいいんだ。気にしなくていいから」なんて言って、また実家と距離を置くはずだ。
それは、本意じゃない。本当に。すごく嫌だ。
強い感情に自分でもびっくりするくらい。
彼がまた葉徳さんとぎこちなくなるくらいなら、もう表に出すことも許されなくなった私の恋心なんてなんでもない。
ただまあ、感情は駄々をこねる。せめて振られるなら自分で告白してからが良かったとか。嘉明がいい人と出会うまでなら別にいいじゃないとか。どうして私じゃダメなの、とか。
それらをすぐに押し込めることは難しくて、じわじわと視界が涙で歪む。
――でも、私は嘉明がいつ眉にピアスを開けたのかも知らないじゃない。
意地悪な自分の声が聞こえて、流石にその晩は泣きに泣いた。窓から差し込む優しい月明かりだけが慰めだった。
次の日。
起きて身支度をした頃に嘉明がやってきた。
「え、嘉明?! どうしたの?!」
「はよ。ちょっとな。上がっていいか?」
「う、うん、おはよう……」
他の人ならいざ知らず、嘉明ならばいつでも受け入れる。これはもう、身体に染みこんだ習慣に近い。
彼が葉徳さんと喧嘩して、突発的に家を飛び出すことは残念だけどよくあることだったから、「まさか今日も……?」とは思ったものの、違和感はなかった。
「そんなカオすんなって。別に親父と喧嘩したわけじゃねーから」
「うん……ならいいけど……。だったらこんな早い時間にどうしたの。早茶する?」
「おっ、いいな」
「ウェンツァイは何を食べるの?」
「同じものでいいぜ」
彼が小さな睨獣と出会った話は聞いている。けど、一緒にお茶をするのは初めてだ。
火を熾して、湯を沸かす。せいろで点心を蒸して、嘉明が好きな野菜の湯引きとお茶が用意できれば、あとは食事を楽しむだけ。
「で? 葉徳さんとの喧嘩じゃないなら、なんでこっちに来たの?」
温かいものをゆっくりと飲み食いして寝起きの身体を起こしてやりながら、美味しそうに食べてくれる嘉明へ尋ねる。
忘れてなかったのか、と一瞬目を逸らされたものの、それが言葉を探すためだと分かったから、じっと待った。
「や、なんとなく……っつーのは流石に無理があるか。昨日様子がおかしかったからさ。なんかあったのかと思って……気になってたから、つい朝の稽古が終わってすぐにこっちに来ちまった」
「あら」
思わず口元を手で隠してしまった。嬉しくて笑いたいような、でも気づかれてしまったのかという気まずさで強張ったような、不自然な形をしていたに違いなかったから。
「昔からよく気づくね」
「まあな。昔からよく黙ってため込んじまうじゃんか、オマエ」
「そう、だっけ」
「そうだよ」
自覚がない自分の話って、こんなに心に入ってこないものなんだろうか。
でも嘉明が嘘を言っている気配もなくて、私はひとまずお茶と共に彼の言葉を飲み込んだ。
「今日だってなんかオレと親父に遠慮しちまうし」
「休みのこと? 遠慮はしてないけど……。せっかく折り合いがついたんだから、親子水入らずで過ごせば良いじゃない」
「いや……誰かいた方が気が楽で……って、またこのパターンかよ。オレのことはいいんだって!」
「話を逸らしたつもりもないけど」
口を動かしながらも、ぱくぱくと手が進んでいるのは流石と言うべきか。年頃の男の子ってこんなに沢山食べるのかとも思いながら、でも嘉明だしな。嘉明だけかも。なんて考える。
結局、彼を思うだけで楽しくなってしまう自分に苦笑いだ。
「愚痴でも吐けって? 嘉明こそ、愚痴とかないの」
「ない!」
「葉徳さんとギスギスしてたときは止まらなかったのにねえ」
「な、あっ、……いいだろ、それは! もう!」
「ふふ」
私も、愚痴らしい愚痴はない。一瞬一瞬を切り取ればなくはないけれど、他の誰かに零すような、慢性的な不満はなかった。
親身になってくれるのが嬉しくて、心が解れる。けれどそれも次の一言で吹き飛んだ。
「あ――~~っ、これじゃいつまで経っても……なあ、だからその、例えば恋人とか……そういうので悩んでるとか」
「えっ?」
「昨日、親父とそういう話になったんだよ。それでちょっと、気になって。なんかぼうっとしてただろ。幸せでって言うよりは、なんかちょっと暗い顔でさ」
言葉を失うってこういうことか。
そう思うほど頭の中は真っ白で、何も返事ができなかった。
「……図星か?」
「……。恋人なんて、いないけど」
「じゃあ、好きな奴」
「それは……」
嘉明に何か隠し事をする、なんてことが今までなかったせいで、素直な反応を返してしまう。つまり、言い淀んで、頬を赤らめてしまった。
自分では分からないけど、顔も身体もカッと熱くなったから、きっと真っ赤だろう。
嘉明の顔が見られなくて視線が食卓へと下がる。
目を合わせなければ、言える気がした。
「ちょっと……その、失恋? を……」
かろうじてそう言う。
「……嘉明?」
急に静かになった嘉明に違和感を持って目線をあげる。食事の手を……口を止めて不思議そうに彼を見つめるウェンツァイと、ぽっかり口を開けてこっちを凝視する嘉明が視界に入る。
まさに客観的に見ても『言葉を失っている』彼に、首を傾げた。
「嘉明?」
「……」
ぽかんと開いていた口が、きゅっと閉じる。ちょっとだけ眉をひそめた顔は、怒っているようにも見えた。
幼馴染みのよしみで、家族のように思ってくれているのだろう。
彼が家を飛び出してもう随分経つのに、未だにそう思ってもらえているのが嬉しい。でも彼から発せられる恋とは違う感情を優しく受け入れるには、昨日の傷はあまりにも新しすぎた。
「もったいねえ」
「え?」
「……最近、オマエ綺麗になったじゃん。そいつのためなんだろ?」
「へ?!」
およそ嘉明の口から飛び出した言葉とは思えなくて、さっき動揺したのとは違う、明確な照れで顔がまた熱くなる。思わずほっぺたを手で包んでしまった。流石に子どもっぽい仕草だったかなと、顔のあちこちを触って誤魔化すけれど、彼にそう言ってもらえたことが殊の外嬉しくて、にへへ、と笑ってしまう。
「ホント? 嘉明に言ってもらえるなんて思わなかったな」
都会の人みたいに華やかなお化粧ではないけれど、唇に少し潤いを足したり、産毛を剃ったり、眉を整えたり、ファンデーションを叩いてみたりとそこそこ時間をかけている。
嘉明はがさつと言うわけではないけれど、そう言うのを口にするタイプじゃなかったから、意外だった。……遺瓏埠や璃月港で仕事をするうちに、できるようになったのかな。
親子の中を取り持てずに、家を飛び出した彼を追いかけもせずに、寂しい、なんて嘉明からすれば理不尽な気持ちがじわりと胸に滲む。
だめだ。なにもかも悲しい気持ちに結びつけてしまう。
よくない思考を切るためにわざと大きく息を吸い込んで、
「今日は特別におかわりを許可しましょう」
なんて軽口を叩いて立ち上がった。
すると、軽く机に添えた手を、嘉明から優しく掴まれた。
彼を家の中に招いたときにはすこし見上げていた顔を、今は見下ろしている。私の胸の近くに彼の頭があって、その距離の近さに振動が強く脈打つ。
彼の眼差しは強く、真っ直ぐで、怯む心とは裏腹に目がそらせない。
「がみん、」
「若茗」
昔よりも低くなった真剣な声で名前を呼ばれて、口を噤んだ。私から話題を逸らすのはもう許してくれないらしい。
「……オレじゃだめか?」
果たして、見つめ合った後にこぼれ落ちた言葉は、今ひとつ計りかねるものだった。
ただ手首を掴む力が少しだけ強くなって、嘉明が真剣なことだけが伝わってくる。
「だ、だめって……なにが?」
「オレ、いつも気づくのが遅くてさ。遺瓏埠に出て沢山の人に助けられて、やっと自分がどれだけ色んな人に助けられてきたか初めて分かって……。オマエのことも。何かと側にいてくれてさ。おふくろが病気で弱ってたころからそうだったろ。
オマエがそうしてくれたからあん時だいぶ気持ちが楽だったんだって、あっちでどうにか自立出来てから思ったんだ。笑っちまうよな。おせーよって」
へら、と嘉明が笑おうとする。でも、苦笑いみたいになって、全然上手に笑えてない。
そんな顔を見せられて、つられて笑うなんてできっこない。
「オレ、オマエがどんどん綺麗になってっても、綺麗になったな~って思ってるだけだった。親父に言われて気づいたんだ。誰かのためかも知れないって……」
「……」
はくはくと唇が動くけれど、何も声が出てこない。嘉明の名前を呼ぼうとしたのに、喉が張り付いて、彼の言葉を邪魔したくなくて、躊躇いが言葉を引き留めていた。
私の手首を掴んでいる嘉明の手。その親指が、すり、と私の肌を撫でる。
「ずっと変わらないって思ってたんだろうな。自分が獣舞劇を諦めなかったみたいに。若茗もずっと前に茶商に興味あるって言ってたし、昔は方便かなって思ってたけど、今も続けてるからさ。勝手にオマエも変わってないんだって、安心してたんだ。
こんなに、変わったのにな」
じっと私を見つめる目は、もう直視出来なかった。
恥ずかしくて、この後何を言われるのだろうと思って、瞬きと共に少しだけ視線をずらす。嘉明のチョーカーの側にある、ほくろを。彼の顔を見つめられないときはいつもそう。
「こんなに手首が細いのだって、オマエが特別細いっつーより、オレの手がでかくなったってのが正しい」
嘉明が頭を動かして、私を覗き込む。
今までそうされたことがなくて、私はその場で後ずさりしかけて、できなくて、たたらを踏んだ。
いかないで、と言いたげに、嘉明が私を引き寄せるように手を引く。戸惑いが隠せていないだろう私の顔をじっと見つめて、私の目線を先回りして、嘉明が顔を傾ける。
「だから、……オマエはオレのことそう言う目で見てねーかもしれないけど、これから意識してくれよ。オレのこと。オレも男なんだって……分かってくれ」
いつも以上に血色のいい顔でそう言われて、私の混乱は頂点に達していた。
嘉明はそれきり、返事を待つように黙ってしまう。
焦った私は、頭の中でふつふつと湧いては消えていく言葉を追いかけるしかできなかった。
「なに、それ。そんな、私が……嘉明が、私をすき、……って言ってるみたいな、そん、それ、どういう意味で言ってるの」
しどろもどろになりながらやっとの事でそう言うと、嘉明の目が大きく見開かれた。
「えっ、あ、……~~っ、くそ、オレは言ったつもりで……!!!」
珍しく慌てた様子で取り乱す嘉明に、頭の中は冷静になるけれど、その代わりに溢れそうになる期待をどうにか押し込めた。嘉明はやんちゃで快活だけど底抜けに優しいから。その優しさで昨日の傷が深くなる可能性だってある。
じっと、今度は私が嘉明を見つめる。空いている方の手で頭をかいていた嘉明は、私が彼の言葉を待っているのだと気づくと、咳払いを一つして立ち上がった。
やっぱり、今は嘉明の方が背が高い。
「好きだ、若茗。オマエからすれば今頃になってどうしてって思うかもだけど、オレにとっちゃ今からでも全然遅くないからさ。さっき言ったこと、考えてくれよ」
さっきとは違って、今度はともすれば口から変な声が出そうになるのをこらえる。この返事を間違えたくない。少なくとも、さっきみたいに何も考えずに言葉を口にするべきじゃないと思った。
私の気持ち、気づいてたの? といいかけて、嘉明の口ぶりからそれはないと出口を塞ぐ。
いつから? と聞きたい。けれど、今大切なのはそこじゃない。
私の方が先に好きだった、と、とっくに意識してる、と答えたくて、でも胸が一杯で、そうこうしているうちに昨日の親子の会話を思い出す。
嘉明は茶商を継ぐつもりはない。獣舞劇の舞者として、既に実績も積み始めている。きっとそれはこれからも変わらない。鏢師としてもどんどん有名になるに違いない。
私は? 私は……葉徳さんに師事する、いわば弟子として、茶商を継ぐのだろうか。でも、私がやりたいことは茶葉に関する勉強や研究に近くて、最近も丁度スメールからの学者さんと頭を突き合わせて、茶葉の木の移植が上手くいかない理由について話をしていて……。
彼の邪魔をしたくない。でも、曖昧な言葉を今、口にするのは違うと思った。
ぐるぐると考えている私を、嘉明はずっと見守っていてくれたけれど。
私からの返事がなかなかないことに、そっと手を放した。
私にはそれが、諦めのように思えてしまって。だから、そうして欲しくなくて、彼の手を追いかけた。
「嘉明」
「っ、なんだ」
彼の動揺が伝わってくる。さっきの私もこうだったのだと、まるで鏡を見ているようだった。
それでも、嘉明は最後まで言ってくれたから。
「私も嘉明が好き」
彼の胸に飛び込むだけでいい。でも、そこまでの勇気は持てなくて、言葉だけを投げ返した。
「若茗、」
「でも、分からないの」
「……なにがだ?」
「私と嘉明が……一緒に生きているところ。嘉明には獣舞劇をこれからも頑張って欲しいよ。足引っ張ったりしたくなくて、あなたが家を飛び出したときも追いかけられなかった。私は嘉明のやりたいことを、応援はできても何の役にも立たないって思ったから。
私も……お茶の勉強、もっとしたくて。スメールと翹英荘の土と水の違いを、今からでも調べたいと思っていて……。そんな風なのに、恋人になるなら、嘉明の帰りを家で待っていたいとも思う」
立ち上がった嘉明の顔を見られなくて、その胸に言葉をぶつけ続ける。
嘉明を優しく迎えたい。いつだって。その立場を得られるのは嬉しいけれど、じゃあ実際自分がそうできるのかは別だ。
彼が辛いときに側にいられないなら、意味がないんじゃないの? 彼についていくことに躊躇っているなら、私にそんな視覚はないんじゃない?
自分の頭の中で、必死に誰かが叫んでいる。
「なんだ、そんなことか。別にそれでいいだろ」
「え?」
「オレもオマエもやりたいことやって、会ったら気持ちを確かめ合う……それでよくないか? なんかだめなことってあるのか?」
さっきまでの動揺が嘘のように、きょとんとした顔で嘉明が言う。
そう言われると、問題だと思っている私がおかしいみたいな空気になる。
「……恋人として嘉明にしたいことと、私が個人的にやりたいことの両立が難しいってことが言いたいんだけど」
「そんなの、オレだってそうだぜ。毎日若茗の所に帰ってうめー飯を一緒に食いたいけど……鏢師の仕事もあるし、人付き合いだってある。でも、オマエが他の誰かのために綺麗になったり、特別な飲茶をすんのは嫌だ」
「……束縛する権利が欲しいってこと?」
嘉明の口ぶりでは、まるで私を、私の心を独り占めしたいと言っているみたいだ。独占欲なんて、社交的な彼とは結びつかない。
けど、冗談を言っている顔でもない。
「そういう言い方でもいい。恋人でも夫婦でも、なんでも。とにかくオレはオマエに同じように思ってて欲しいし、オマエがオレを独り占めしたいって、特別なのは自分だけにして欲しいって思ってくれたらすっげー嬉しいってこと」
そう言って嘉明がはにかむ。その顔があまりにもかっこよくて、男の人で、でも変わらずに優しく私を見つめるから。
私は、思い切って彼の胸に飛び込むことにしたのだった。
2025/12/23 UP
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