すきだらけ
「だーれだっ?」
「きゃ、」
うららかな光降り注ぐオクヘイマにて、急に視界を誰かに塞がれた。瞼を閉じたこともあり、視界は暗くなる。わたくしの目を後ろから覆ったものは指先まで温かく、指ぬきグローブをはめた男性の手だった。
弾んだ声はハスキーだけれど楽しげで、本当に目を塞がれただけなのが悪意のなさを証明していた。
こんなことをするお方は、わたくしが知る限りお一人しかいらっしゃらない。
「まあ、一体どちらの天外からいらした英雄様でしょうか」
「イディア、それでは俺も含まれている。あと、穹がすまない」
するりと外れた手に閉じていた瞼を開けると、考えていた通りのお二方が立っていた。
「ようこそお越しくださいました、穹様、丹恒様。アグライア様から仰せつかったプライベートルトロは、今でもお二人にお使いいただけるよう整えてございますよ」
「まだそんなことしてるのか?」
「おい穹。言い方というものがあるだろう」
わたくしよりも背が高く、わたくしよりも溌剌としてお若い雰囲気のあるお二人の会話は、小さなキメラがじゃれ合うように他愛もない。今はそれがより一層、戦いは終わったのだと感じられた。自然、まなじりが下がる。
「なにかご不便などございませんか?」
「いや、それは大丈夫だ。ちょっと噂を聞いたから確かめたかったんだけど……」
穹様が言葉を濁す。躊躇うような間に、首を傾げた。良くない話なのだろうか。
「なあ、まだモーディスとくっついてないのか?」
「……くっつく、ですか?」
「付き合うってこと。恋人になるの方が分かりやすいか?」
「は、」
取り繕った綺麗な返答もできず、わたくしはかろうじて口元を手で覆った。
どなたにも漏らしたことのない気持ちを、ついこの間花開いた彼との関係を、どうして穹様が知っていらっしゃるのだろう。そればかりか恋人だなんて、まるで彼の心まで知っているような――……いいえ、穹様は救世主であられる。モーディス様も彼をお認めになり、どこかで胸の内をお話になったのかもしれない。
「ど、どうしてそのようなことを……」
「だってお前モーディスのことだいすk」
「すまない。こいつはデリカシーというものをまだ学んでいる途中なんだ。大目にみてやってくれないか」
「丹恒!」
「これ以外にどうフォローしろというんだ」
「でも丹恒だって気になるだろ」
テンポの良い掛け合いも普段ならば心健やかに聞けた。けれど、流石にその会話の内容に動揺を隠せない。
「お、お二人ともどこでそのようなお話を?」
声が震えてしまった。丹恒様はわたくしを見下ろすと、柔らかく目を細めた。気遣わしげなお顔がいたたまれない。わたくしは、そんなにも分かりやすかっただろうか。
「ピュエロスの一画でモーディスが伴侶を決めたという話が出ていた。黄金裔は既に皆知っていると思うが、誰かが積極的に流している様子はなかったから、他から漏れたんだろう。相手について話しているわけではなかったが、モーディスが選んだならばイディアだろうと穹が言い出してな」
「……そ、そうでございますか……」
「大丈夫か? 顔が真っ赤だぞ」
わたくしを動揺させたご本人である穹様が首を傾げる。
――……心当たりは、ある。
モーディス様と身体と、心を結んだ日。彼は人払いをして、あまつさえ、しばらくわたくしは動けなくなるから仕事を振ってやるなというようなことを小姓に伝えていた。
そこから漏れたのだろう。
……まさかわたくしたちがお互いの肌を知っているのだと、そこまで広がっているのだろうか。確かめたかったけれど、あまりにも恥ずかしくて口にすることはできなかった。
「だ、だい、大丈夫です」
「とても大丈夫そうではないが……すまない、忙しいところにくだらないことを」
「くだらなくないぞ。おめでたいことだし、モーディスと結婚するなら仕事してる場合じゃないだろ」
「だが、今すぐにどうこうという話でもないだろう。……とにかく、この話はこれ以上俺達が首を突っ込むことじゃない。助けが必要ならばいつでも連絡して欲しいが、そうでないならば各々、都合というものがある」
終始わたくしを気遣ってくださる丹恒様と、慶事を無邪気に喜んでくださっている様子の穹様。お二人に感謝の言葉を述べると、丹恒様が「本題はこっちなんだが、なのかを見なかったか」と話を変えられた。最後にお見かけした場所をお伝えすると、そのまま彼らは祝福と感謝の言葉を紡いで、去って行った。
――……びっくりした。まさか、もうそんなに話が広がっているだなんて。お二人がご存じだと言うことは、他の人達にも相手がわたくしであることは伝わっているのだろう。
熱くなってしまった頬を冷まそうと、人気のない回廊へ移動する。柵側に身を寄せると、心地よい風が身体を撫でていった。柔らかいオクヘイマの風に目を閉じてしばらく心を整えていると、ふと後ろから囲い込まれた。太く逞しい手が後ろからわたくしの左右を塞ぎ、柵を掴む。
「モーディス様」
彼の囲いの中で振り返ると、じっとわたくしを見下ろす彼と目が合った。
柔らかな色味の髪と瞳が視界に入るだけで心が弾むのに、彼の意識が、視線がわたくしに注がれていると思うと、身体が熱を持っていく。
「イディア」
「はい」
彼の唇が頬に触れる。少し前まで紛争の火種を受け継ぐ者として孤独に戦い続けた勇ましさは今は遠く、驚くほど優しくわたくしに触れてくださることを、一体どれほどの人が知っているというのだろう。
「楽しそうだったな」
「……ご覧になっていたのですか?」
「救世主は気安くお前に触れていたし、お前は顔を赤らめていた」
言葉は詰るようなのに、彼の目は穏やかだ。
「わたくしが……いいえ、モーディス様が、伴侶を選ばれたという話をお聞きになったそうです。それで、わたくしだと思ったのですって。確認されてしまって、あまりの話の早さに動揺してしまいました」
「なるほどな」
人気がないとはいえ、回廊はいつ誰が通るとも知れない場所だ。そんな場所で、つまり人目を憚ることもなく、モーディス様がわたくしに触れている。
腰を抱かれ、引き寄せられた。その力のままに彼の胸板に手を添えて、腕の中にしっかりと収まる。腕の強さがあの日を思い起こさせて、わたくしは俯いた。また顔を赤らめているに違いなかったから。
「顔を上げろ」
「だ、だめです、今は」
「俺が口づけたいと言ってもか?」
「あっ」
くい、と腰を抱く腕とは別の手がわたくしの顎を下からすくい上げる。力尽くではなかったからこそ、愛撫めいた指先が顎の下をくすぐるように動いて、わたくしは逃げるように顔をあげてしまった。
「ん、んっ」
唇が重なり、何度も甘く、柔らかく吸い付かれる。
「モーディス、さま……っ、いけません、……こんな、ところで……っ」
「はっ……ここでなければ良いということか?」
彼の囁きが直接口の中に入ってくるのではと思うほど近い距離だった。挑発的につり上がる眉に、熱の宿る瞳。声は低く甘く、睦言のようだった。
「……っ」
今日の仕事は、もう、ない。
こくりと頷いたわたくしに、彼が息をのんだのは刹那ほどの間で。
そのまま彼のプライベートルトロに連れ込まれ、どうなったのかは……言わなくても、分かるだろう。
2026/01/17 UP
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