平日、昼間、ノンアルコール
ライトさんは節度ある人だ。
今までよく分かんないお兄さんだなあ……と思っていたのが、急にぐいぐい来られてドキドキしてしまったけれど。
ベタベタと身体に触ってくることもなければ、勿論キスやそれ以上のことだってしてこない。
……いや、ぐいぐい来られた最初に朝まで抱き枕にされたアレとか、同じベッドの中で迎えた朝に耳たぶをはむはむされたりしたのは……ノーカン、ではないけれど。あのおかげで彼の思惑通りガチガチに意識してしまうようになり、なんなら強く好意を持つようになってしまった。
男性に口説かれるなんて、どきどきするような出来事に舞い上がっていると言われたら否定はできない。けれど決して、流されてるわけじゃない。
多分、それまでの関わり方も、それからの関わり方も良かったのだ。
だからうっすらとあった好意はどんどん増幅して、否応なしに彼を意識してしまうようになった、というだけで。
彼から私に触れた回数は片手で数えるほど。
その全てで、強引さとか恐怖とか、そう言ったマイナス感情や不快さを覚えることがなかったのは本当に大きい。
だって、酷く女慣れしている彼に対して私は――……
「ほう。経験がない。俺にとっちゃ朗報でしかないが」
「……そこじゃなくてっ。だから、もっと手心をというか、ゆっくりしたお付き合いでもいいですかってことが言いたいんです」
「俺が急かしたことがあったか?」
「少なくとも私に意識して欲しいっていうアプローチに関してはだいぶ急でした」
「それについちゃ言い訳のしようもない。最低限リングにあがらないと話にならんからな」
落ち着いた声色。すくめた肩。表情の読みにくいサングラス。
スカした態度に反して、よく見ればその眼差しはとても柔らかい。
その眼差しが何よりも私を安心させてくれる。もしそれが演技だというのなら、それはもうショックを受けるほどに。
「次は手でもつなぐか」
「ふふっ」
「おいおい、笑ってくれるな。だったら、あんたはどういうのがお望みだ?」
「え……と。今が充分楽しいのですが……すみません、ライトさんに甘えているのは分かってるんですけど。あの、だから、そう感じさせてくれるところが、すごく素敵な人だなと思っていて」
用心棒、護衛、郊外のチャンピオン。
聞き及ぶそれらの立場は、どれだけマイルドな言い方をしても『武力』という無骨なものと切って離せない。
そういう所に立っている人が、安易に触れてこない。強引に事を進めてこない。拳をちらつかせることもない。
私の前で。仲間たちの中で。それだけで、大事にされているのだと容易に理解できる。
ライトさんは、私の前ではただただ優しい男性だ。
軽くて気安いやりとりとは裏腹に、誠実に口説かれている。だからこそそれに甘えている自覚があって、感謝もしている。
「そりゃどうも」
「つ、伝わってますか? ほんとに?」
「ああ。あんたがここへ来る度、バーニスより先に俺を見るようになってくれたからな」
「……!!!」
「ははっ。そうそう。そうやって俺に向かってこい。独り相撲じゃ味気ない」
振り上げた拳をわたわたとライトさんへ向けてじゃれつく仕草をすると、思いのほか快活で爽やかな笑い声が小さく響いた。
恥ずかしいけれど、嫌じゃない。楽しい。
酒の力も相まって、へラリと笑う。
郊外の夜。
良い気分だった。
つい、三日前のことだ。
今日は週末ではない。
平日、たまにある休日に映画でも見ようかと思い立って向かったビデオ屋に、何をどうしてか店員側の立ち位置でカウンターに座っていたライトさんにつかまった。
厳密には、いつもの読めない態度でおすすめの映画についてプレゼンのようなものをしていた彼の姿を、何度も目を擦って確認した私が話し掛けたのだけど。
「知り合いかい? ライトさん、もう上がっていいよ」
「悪いな店長」
「いいや。こちらも凄く助かったよ。またお願いするときがあると思う」
私たちが知り合いであると察したビデオ屋の店長さんが気を利かせてくれたらしい。着の身着のままで接客をしていたライトさんは、そのまますっと立ち上がって、私に向き直った。
それから、目を白黒させる私にくつりと笑って。
「丁度いい。映画ならさっき店長おすすめの話題作について聞いたところだ。ルミナスクエアまで行くか」
「えっ、今からですか?」
「酒がなけりゃ続かない付き合いじゃ困るんでな。点数稼ぎだと思ってくれ」
まさか白昼堂々、人目があるなかでそう言われるとは思わず、私は営業スマイルの素敵な店長さんに見送られながら、折角六分街までやってきたのを引き返すことになったのだった。
映画はじっとりとしたホラーで、ジャンプスケアに身体が飛び上がってしまい、ライトさんの片腕に縋りながら見ることになってしまったのも、私の心にダメージを加えた。
意識している男性の前で変な振る舞いはしたくないものだし、会うなら心の準備がしたい。
けれど、ライトさんは黙って私に腕を貸してくれて、あまつさえエンドロール後には「役得ってやつだな。まあ、勿論狙ってこの話を選んだわけだが」とおどけて見せた。
本当に、この人は相手に力を抜かせるのが上手い。
その後は文具店に足を伸ばした。ライトさんの希望だった。
「プレゼントって奴をねだってもいいか」
「えっ も、勿論です」
手帳の棚の前でそんなことを言われて、彼の手には二つの商品が選ばれた。
胸ポケットにすっぽり収まってしまう位の小さな手帳ノート。それから、しばらくにらめっこした果てに選ばれた、白くて可愛いボール
ペン。絶対に彼の趣味ではないはずの。
「こいつを俺が買う」
「? は、はあ」
「あんたには、この手帳に字を書いて欲しい」
そう言われて、ピンとくる。
私が書く文字が好きだと、そう言っていた。それをプレゼントに欲しいだなんて。
「どんなことを書きましょうか。お祝いの言葉……とか」
「何でもいい。それに、一回じゃ無理だろうな」
「え?」
「この手帳をあんたの字で埋めてもらいたい」
「え?!」
「このペンは勿論、そのためのもんだ」
分かったか、とばかりに首を傾げられ、私の目は何度も彼と手帳とを行き来した。
「俺宛のラブレターでもいいぞ。あんたの感じたものが垣間見れるなら、内容はなんでもいい」
そういう彼の口元は柔らかく微笑んでいる。
私は少し逡巡の後、頷いた。
そして、彼を真似するようにペンを棚から選び取る。鈍い緑に朱の差し色が入った、金具が金色の……ライトさんのような色のものを。
「いきなり一人であれこれ書くのは難しいです。だから、ライトさんの言葉もください」
「む……」
珍しくその口元が引き結ばれる。
「書き物はしないんだが」
「そんな大層なものじゃないです。メモ書きでもいいですよ。それに、普段しない人がするからこそじゃありませんか」
「……努力はしよう。だが、期待してくれるなよ」
「ありがとうございます。こういうのは気持ちです。私に時間を割いてくれるのが嬉しいんです」
「そういうもんか」
「そういうもんです」
いかにも苦手そうにしている彼の口から、「努力しよう」だなんて真っ直ぐな言葉がこぼれて、思わず笑顔になった。
そこでふと思い至る。
「あ」
「どうした」
「いえ……ライトさんにばかり頑張ってもらっているな、と……」
「なにか見返りがあるのか?」
くすりと彼が笑う。サングラスの奥の瞳は相変わらず優しく細められていて、けれど口角はいつもの余裕綽々なものだった。
別に見返りが欲しいわけじゃないけれどって、そんな顔。
「見返りになるかは分かりませんけど……ライトさんの誕生日、いつですか?」
「12月27日だ」
「年末かぁ……」
「なんだ? 祝ってくれるつもりがあるのか?」
「当たり前じゃないですか」
咄嗟に返すと、意外そうな目をされた。心外だ。
「ただ、仕事納めが28日でして……」
「当日に都合がつけばバーニスの特製ドリンクが飲めるが……まあ無理そうだな」
「本当に残念です。けど……一日遅れになっちゃってもいいなら、その、」
ぎゅっと言葉に詰まる。
本屋さんの中だけれど、近くに人気はあまりない。平日の昼間だからだ。よかった。
「……手をつなぐ以上のこと、私としませんか」
「……。そいつは、」
「できれば、長いお付き合いだと嬉しいんですけど」
顔が赤くなる。俯きそうになる顔をなんとか上げてライトさんを見上げると、目を見開いて驚いていた。
それは、そう。
どんなにわかりやすく反応していても、彼の気持ちに応えるような言葉を返したのはこれが初めてだ。
「ろ、ロマンスをしませんか。私と」
ぎこちない言葉を続けた私に待っていたのは、ビックリするほど照れて顔を隠そうとする彼の、初めて見る狼狽した姿だった。
ちなみに、ノートの件をカリュドーンの子たちに知られて『交換日記かよ』って散々弄られるのは今週末のことである。
2025/10/31 UP
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