駆け引きのリズム

 タタン、タタンと規則正しい音と共に地下鉄が走る。
 最近お付き合い……を始めたライカンさんに六分街まで迎えに来てもらって、ルミナスクエアへ移動中。今日は彼の好きな、上質なステーキを食べられるお店で食事をした後、花屋さんに行ったり、川沿いを歩いたりする予定のそういう、ちょっとしたデートだった。
 そう、ちょっとしたお出かけデートだったはず、なのだ。ライカンさんがバチバチにかっこいい私服で迎えに来てくれるまでは、そう思っていた。
 ジャストサイズのボルドーのジャケットと、中に着ている黒のハイネックが上品に彼の上半身を包む。胸元の黒い布地に垂れたゴールドのチェーンネックレスはよく映えてゴージャスで。更にアウターとして黒いトレンチコートを肩に掛け、ジャケットの胸元にはサングラス。どう見てもアッパークラスの紳士といった出で立ちなのに、これで普段は本当の上流階級に傅いているお仕事をしているのだから世の中分からないものだ。
 そんな彼の太い腕が私のために差し出されたとき、これから一体どんな場所に連れて行かれるんだろうと思うほど非日常感が凄くて――いやデートは非日常か――正直、気後れした。自分なりのおめかしも、彼の前では子どもっぽくないだろうかと何度も前髪を触ったりなんかして。
 とはいえ、ようやくライカンさんから名前で呼ばれるのにも慣れた。きっと、いつかはこの素敵なコーデにも慣れる日が来るだろう。それくらい長いお付き合いができればいい。そうであってほしいと強く願いつつ、私たちは地下鉄六分街駅に滑り込んできた電車へと乗り込んだ。
 冷えた空気も、車両の中に入ってしまえば上から降ってくる温風に程なくして暖まる。けれど今日は、目の前にある彼から漂ってくるえも言われない良い香りと、彼の体温とおぼしき温もりがあっという間に私の頬を温めた。
 たまたま世間一般のお休みと重なったせいで、ここ最近で一番冷え込む日だというのに地下鉄は混んでいた。私はライカンさんによってエスコートされて、車両に乗った後もドアの側に誘導されて、他の人から圧迫されないようにと守ってくれていた。勿論、私が潰されない程度でしかないため、いつになく彼と距離が近い。
「大丈夫ですか? サヤ。少し顔色が良くないように見えますが……」
「だ、大丈夫です。ライカンさんが居てくださるから、寧ろいつもより温かいくらいで」
「そうですか。ならばいいのですが……。冷えのぼせかもしれませんし、足元が冷えて困るようでしたらすぐに教えていただけますと幸いです。できるだけ暖かい場所で過ごしましょう」
「は、はい」
 まだキスさえしたことがないのに、私服姿のライカンさんの胸元に顔が来てイイ匂いがして、あったかくて、彼の腕が私の後ろの手すりを掴んでいて、殆ど抱きしめられているのと変わらない。
 いつもならなんでも無い地下鉄の距離が長く感じる。遊びに出かける人達で混み合っているものの車内は比較的静かで、だからこそライカンさんが頭をかがめて、声を潜めて、私にささやきかけるという状況に頭が沸きそうだ。
 ガタン、と少し揺れてバランスを崩す。何か掴むものを求めて彷徨った手が、ライカンさんに取られた。
「おっと」
「あ、わ、ごめんなさい」
「いいえ、大丈夫ですよ。このまま私に捕まっていてくだされば……後ろ手に手すりを掴むのにも、限界がございます」
「で、でも」
「別に手でなくとも……服でも構いませんし、サヤが掴みやすいところで……いっそ、腰に手を回していただいても」
「いっいいえ、あの、そ、それにもうルミナスクエアに着きますし……!!」
「おや……では、ブレーキに備えてお支えしましょう」
 言うや否や、ゆるゆると速度が遅くなり、ライカンさんが私の腰に手を回す。
 正面から腰に手が伸びると言うことは、実質片手で抱き寄せられている状態に等しい。
 私が頭を真っ白にしている間に電車は止まり、ライカンさんもそれにあわせてさっと手を放した。
 意識しすぎている私がおかしいんだろうか。
 頭がゆらゆらと揺れている感覚に、ドアが開くと共にさっと下車する。ライカンさんのエスコートもあって人の流れに沿って改札を出て地上に出ると、ようやく大きく息ができた。
 信号を待ちながら、ライカンさんが心配そうに私を見下ろす。
サヤ? 本当に大丈夫ですか?」
「……はい……いえ、あの、大丈夫ではないんですが大丈夫と言いますか」
 ドッドッドッドッ
 バイクのエンジンみたいな音が心臓から出ている気がする。これは多分階段を上がってきたからだけど、さっきまでの近すぎる距離を思うと、今日はこれからどうなってしまうのかと緊張してくる。
 私は深呼吸をすると、気遣わしげな目線に微笑んだ。
「今日のライカンさんが特別に素敵なので、ちょっと……ドキドキしすぎて、苦しいと言いますか」
 変な言い方にならないように気をつけつつ、「大丈夫だ」の一点張りではいけないと正直に理由を話す。と、そこでようやくライカンさんの表情が和らいだ。
「ンンッ……そうでしたか。それはなんとも……嬉しくも、面映ゆい心地になりますね」
 ふるん、と彼の尻尾が揺れた。
 私が彼の尻尾を見たのが分かったのだろう、こほんとわざとらしい咳払いに、ライカンさんの顔を見上げる。いつも優しく私を見つめる目は、今は上の方を泳いでいた。
「ふふ。私の顔色はすぐにバレちゃうから、私ばっかり伝わってるんじゃないかって思ってましたけど……ライカンさんが尻尾で教えてくれるなら、おあいこですよね」
「……それは、」
 ふるり。また揺れる。
 柔らかく左右に揺れる尻尾の先に思わず笑みが深くなる。
サヤ
 と、名前を呼ばれた。見上げると、ライカンさんが頭をかがめていて、
「尻尾ばかり見ていると、無防備なあなたを狙っている不届き者が何をしでかすか分かりませんが――……それでもよろしいですか?」
 顎のラインを彼の指が辿る。私が目を見開いて固まっていると、私の視線をかわすかのようにライカンさんの指先はジャケットの胸元に収められたサングラスをするりと外して、さっと目元を覆ってしまった。
 信号はまるで計っていたように青に変わり、人の波が動き出す。私たちもそれに続いた。
「あ、ず、ずるいです。塞いでしまうなんて」
「さあ、どうでしょうか。サヤは、私の尻尾を見れば十分に私の気持ちが分かるそうなので」
「そこまでは言ってません」
 ライカンさんの腕に添えた自分の手にきゅっと力を込めて、僅かに自分の方へ引っ張る。サングラスの横から柔らかな視線が向けられているのが見えた。
 ――緊張はもう解れて、彼の温かさだけが残る。
 彼の目から隠れるように頭を腕に押しつけて顔を背けると、おかしそうな笑い声がつむじに転がってくる。そっと様子を窺うと、ばっちりと目が合って。
 そうこうしている間に、足はルミナモールの入り口に着く。
「あなたの装いもとても素敵ですよ。私のために着飾ってくださったと思うと、……このまま、部屋に持ち帰ってしまいたい」
 と。
 出入り口でそんなことを言ってくるものだから、私の心臓は再びドンドコと鳴り始めて、思わず、彼のジャケットを無遠慮に握りしめてしまった。
 まだ駅に着いただけだというのに、本当に今日一日ライカンさんとデートだなんて、無事でいられるんだろうか。
 湧いた疑問は、やかましい鼓動の中に埋もれてすぐに見えなくなった。
 私の気持ちなんて知らないとばかりに楽しげに目を細めたライカンさんが、いきましょうか、と優しく歩き出したから。
(~~っ!! ライカンさんがそんな意地悪をするなら、私だって帰り際に「持って帰ってくれないんですか」って、聞いちゃうんだから……!!!!)
 絶対に、今日の終わりに仕返ししてやるんだから、と、エレベーターの前で私は固く誓ったのだった。

2026/01/26 UP

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