気になるあの子

1

 それは、甲子園予選の第一試合目――。
 敵だと言うことは勿論分かっていた。
 でも、どうしても気になったんだ。
 一緒に応援に行った友達には
「アンタ自分の立場分かってんの?つーか趣味が良いんだか悪いんだか」
 としかめっ面で言われたんだけど。
 でも、私がその人に会いたいというと、変わり者と笑って、行ってきなよと背を押してくれた。
 気になったのは対戦相手校の三年生だから、これを逃せばもう会えないかも知れない。
 有り難うと礼を言って、私は球場から出た。
 控え室とかよく分からなくて、所謂出待ちをして待っていた私。十二支が出てくるところからは大きな歓声が上がっていたけれど、私が待つ場所に人は一人も居ない。そりゃぁそうだろう。今日の相手校は十二支のメンバー二人も怪我をさせているのだから。
 それでも、私は気になっている人のために待っていた。
 騒ぎの真っ最中に、お目当ての高校が出てくる。
 私立武軍装戦高等学校。
 私はその中で、一人違う種類の帽子を被った人に声を掛けた。
「あのっ」
 声が上擦ったけれど、その人は疲れた目で私を見た。黒い瞳が綺麗だと、私は見当違いなことを思ったけれど
「何だ?」
「十二支の制服だね」
 大きい人(武蔵くん)と、キャッチャーやってた小さい人(妙高くん)が出てきて、びくりとした。
「何か用?」
 さらにはショートの人(敷島くん)から色々出てきて驚いたけど、監督さんの一喝で、私の目当ての人以外は帰る準備に戻っていった。(トラックで帰るようだ)
「……」
「あ、えと」
 首を傾げたその人――センターの神鷹くんだ――に、私は
「頭、最後に打ったでしょう?えと、大丈夫ですか?」
 言って。神鷹くんが表情を変えないまま、その黒い瞳で私を見つめ返してくるのを、まるで裁判の判決を待つような気持ちで見ていた。
 神鷹くんは私の問いにこっくりと頷いて、なにやら手を動かした。……確かこの人はわざと試合中一度も声を出さなかった人だ。四番だった。
「あの、ごめんなさい、手話って、分からなくて……」
 済まなさそうに言うと、神鷹くんは少し動きを止めて(耳は聞こえているらしい)、それから何か思いついたように手を出した。
 その手の意味が掴めなくて、私は首を傾げたけれど、神鷹くんは私の手を取って、掌を上に。
 そして向かい合っていたのを、私の直ぐ脇に立って、私の掌に、平仮名で文字を書き出した。
 思わぬ密着に驚いたけれど、私は神鷹くんの文字を綴る指に集中して。
「……しん……ぱいしてく、れてあ、りがとう……?」
 読み上げると、神鷹くんはこっくりと頷いた。そうしてまた指を動かして。
「じゅうにしの、ほうは、いいの……?あ、それは別に構いません。負傷者は出ましたけど、今は病院に搬送されて、治療が行われているそうですし。結果論になりますけど、勝ちましたし、みんな嬉しがっているでしょう」
 そう言うと、神鷹くんはふるふると首を振ってまた、綴り出す。
「……そうじゃ、なくて……ここにいて、いいの?なぜ、ここに、いるの?」
 単調なリズムで繰り出された文字に、私は少し言葉に詰まって、不思議そうにしている神鷹くんにあの、と声を出した。
「あの、えっと、頭のことが気になっていたのもあるんですけど、その……神鷹くんは三年生ですよね?だから今日を逃せばもう二度と会えないと思って……!」
 堰を切ったように感情が先走って、言葉が追いつかなくなった。言葉を詰まらせちゃいけないと思って、自然に早口になる。足が震えるのを感じながら、私はこの人と、接点を持ちたいと思ったことに気付いた。
 神鷹くんはまた無表情のまま動きを止めて、それからありがとう、と文字を綴った。
 思わず顔を上げると、神鷹くんはやっぱり無表情のままで。綺麗な黒い瞳を私にくれた。
「あ……えと……」
 言葉に詰まっていると、神鷹くんは私のスカートを指差した。
「え?」
 そこには携帯につけたストラップがポケットから出ていて、私が携帯を取り出すと神鷹くんはまた掌に
「あどれす、あげる」
 と、そう書いて。私は急いで携帯を開けて、アドレス帳の新規に神鷹くんと名前を打った。それを神鷹くんに渡すと、神鷹くんは素早く自分のアドレスを打ち込んで、それから
「またね」
 と私に書いて、急いでトラックに乗り込んでいった。
「あっ、ま、また!」
 焦って手を振ると、僅かに掌を見せて、それを振ってくれた。
 ぽけっとしながらトラックを見送って、暫くそこに佇んでいた私だったけれど。
 友達の声にはっとなって、神鷹くんのアドレスを見ようと携帯の画面を見ると、そこには。
「神鷹……樹」
 神鷹くんの名前が書かれていて。思わず、首尾はどうかと聞いてきた友達に抱きついて、やったー!と叫んだ。

2

「アンタホンットに良く続くわねぇ。あれでしょ、相手ってあの無口な四番バッターでしょ?」
「違うよ無口なんじゃなくて寡黙なの。メールじゃ普通に返してくれるもん」
「どう違うのよ……」
「ニュアンス。司馬くんのが分かりづらいと思うな」
「あれはもうなんか違う次元よ」
 ――まだ夏休み。一回戦敗退を喫した武軍装戦は、いや、特に三年である神鷹くんは、夏休みは暇なはず。不謹慎だけど嬉しいと思う。
 三年なら既に受験が始まっていると言っても良い。だから勉強しているかも知れないけれど、メールのやりとりは出来るから。
「で、今日は何?」
 八月の初め。私は友達に電話をしていた。実はこの間、神鷹くんとメールをしていて、寮に行っても良いことになったのだ。武軍装戦は全寮制らしくて、勿論武軍装戦は女人禁制で有名なんだけれど、こっそりと。実は結構そう言うのがあるらしくて、他の部活でまだ夏が終わっていないところに教師の目も向くらしくて、夏休みでガードが甘いことも手伝って、私はそれを受けた。勿論見つかれば神鷹くんが只では済まされないんだろうなぁと思いつつ。
「今から武軍装戦に行ってくるから、それ」
「ああ……。まったく、付き合ってもいないのにいちゃつくのは止してよもう、熱い」
 友達はウキウキ気分な私からの愛の電話を乱暴に切ってしまった。ショックを受けながら、私は神鷹くんから指定された最寄り駅へ到着。バスに乗り換えて、武軍装戦高等学校前で降りた。
「あ」
 そこには、ミリタリールックの神鷹くんがいた。……普通に着こなせてて、顔を覆うマスクが目立たない辺りが凄く変な感じ。
「こんにちは」
 挨拶をすると、神鷹くんは少し頭を下げてくれた。その黒い目が綺麗に光っている。赤みのある髪の毛は日本人とは少しかけ離れているように思えるのだけれど、日に照らされたそれは綺麗だと思った。
 神鷹くんは少し道を歩いてから、人気のない道ばた(武軍装戦はもともと人気のない山の方にあるけど)で私の手を取って、
「……め、を、つむって?」
 掌に書き出された文字を読み上げて、神鷹くんが頷いた。言われるままに目を瞑ると、急に肩と膝の裏に熱を感じた。
 声を出すこともままならないまま戸惑っていると、神鷹くんの呼吸が僅かに聞こえた。そのまま、暫くの間神鷹くんが私を抱えて走っていることしか分からなかった。
 感覚で分かるのは神鷹くんの呼吸と体温と足音と、そして蝉の鳴き声だけ。
 少し慣れて来始めた頃に、神鷹くんが止まった。
 足の方が下に降りる。神鷹くんは私の腰に腕を回して、私を支えてくれた。
 そしてぽんと一つ私の肩を叩いて。
 恐る恐る目を開けると、そこには寮の建物らしいものが建っていた。
「……ここ?」
 聞くと、こっくりと頷く。神鷹くんはそっと私の腰から腕を外した。息は私を抱えて走っていたのに全然乱れていなくて、やっぱり訓練しているからなんだろうなぁと驚いた。
 そう言えば寮を管理する人とか、監視カメラはどうなのだろうと尋ねると、神鷹くんは問題ないと私を手招いた。


 寮の中はとても綺麗だった。生徒達はみんな共同戦線というか、規律を乱すことが多少あっても隠しあいっこをしているらしい。条件は規律を破ってまで行動する理由を話せとか、色々あるみたいだけれど。
 その所為か、廊下ですれ違っても武軍装戦の人は皆気さくに挨拶をしてくれた。
「いい人達だね」
 言うと、神鷹くんは少し目を細めて。
 穏やかな表情に、私も頬が緩んだ。

3

「……神鷹さん、最近元気ないけどどうかしたのかな」
「ああ、対十二支戦の時の女の子関係らしいぜ」
「対十二支って……ああ、あの時の」
「この間寮に来たろ。で、神鷹さんどうやらマスクの話題になってさ。失敗したって」
「失敗……ね」
「神鷹さんの気持ちも分かるけど、まぁ不用意にその話になったって言う辺り相手もどうかと思うけど――……」

 ――俺の顔の、いや、マスクの下には所謂"古傷"がある。
 それは結構大きくて、さらけ出すと周りの人間から余計な推測をされるので、見えないようにした。幸いこの高校に入学してからは不思議と違和感は感じなくなったが、それは周りが周りな所為だろう。
 そうだ。高校に入ってからは幾分かマシになった、ある種のコンプレックス。それがこの間また、浮き上がってきたんだ。
 切っ掛けは些細な一言。
 神鷹くんは、そのマスク、暑くないの?
 暗に外さないかと問われ、俺は首を横に振った。知り合って間もない人間に――特に異性は――こんな傷を見せたら、怖がるだろう。
 けど、問題はここではなかった。
 十二支戦終了時に、俺に声を掛けてきたその人間は、俺の頭の無事を尋ねて、俺もその所為で気が動転していたのか、寮にまで呼んだその人間は、俺が招いたその部屋で、どうして、と尋ねてきたのだ。
 古傷があると、彼女の掌に綴ると、大きいの、と彼女はまた問うた。俺は分からないと答えた。傷は古傷というだけあって古く、それだけの時間を経ていた俺にとって、そして武軍で過ごした三年の歳月は、傷の大小を気にさせなくなっていた。
 彼女は無理強いはしないけど、と前置きをして、そして、傷くらいで神鷹くんに対する気持ちが簡単に変わってしまう訳ではないと告げた。
 今まで見落としていたのだ。月日は、誰に対しても等しく降りかかっているのだと言うことを。変わっていくのは、俺だけではないのだと言うことを。
 中学時代の全く子どもだった、庇護されるばかりの人間ではなくなりかけていることを。
 視野も広くなり、精神的にも熟して行くと。
 過去の投げかけられる人の視線ばかりに囚われて、俺は大きなことを失念していたのだ。
 只でさえ彼女が俺に話し掛けてきていると言うことを。十二支なら武軍の行いは分かっているはずだ。そして試合後にもかかわらず、彼女は声を掛けた。"武軍装戦高校"の俺に。
 ――その時点で本当は気付くべきだった。
 "武軍装戦高校"ではなく、彼女は何者でもない俺自身に言葉を投げかけていたと言うことに。
 あの日彼女は大して気にしない風を装っていたが、その心中は定かではない。俺は見落としていた事実に愕然として、マスクを外す機会を失っていた。
 抵抗はある。トラウマと呼ぶには長く、しかし確実に擦りつけられていった俺の中の、傷へのコンプレックス。でも、彼女ならあるいは、と思う。もし傷を見せて彼女が怯めばそれまでだったと思うだけ。所詮は彼女も過去の人間と同じだったのだと思うだけ。
 しかし少しだけ、外部との関わりを持とうと思ったのは、多分俺も今のままではいけないと感じていた証拠だ。
 変わらねば、と。

「いいんじゃない?神鷹さんは兎も角、相手の子の方は帰り際も普通だったよ。それより、神鷹さんが携帯なんて持ってたのは意外だったね」
「ああ、でも神鷹さんはハンドサインが基本だからな。メールなら交信手段としても有効だと思ったんじゃないのか」
「あれを使うべく神鷹さんは常に成績優秀者、厳しい素行チェックもくぐり抜けて、厳重な審査をパスしたらしいしね」
「まじかよ!?」
「まあそんなデータは武軍装戦開校当初から調べてもないけど」
「……」
「でも一応許可を取っているのは間違いないよ。その為に電波塔が幾つか建ってるし」
「はぁ……神鷹さんも分かんない人だな」
「そう?意外性はあるけど、あの子の一件から分かりやすくなった気がするね」
「……まぁ、否定はしないけどな」

4

 ――自分が今こなすべき行動は、謝罪だと気付いた。

 神鷹くんの寮に行って、もしかすると私は気に障ることを言ったのかも知れないけど、気になることが一つあった。
 神鷹くんのマスクは、彼の古傷を覆うためのものらしくて、それはもしかすると神鷹くんが他人には決して立ち入らせないようにしている部分かも知れなくて、私は不用意に、触れてあまつさえ古傷をえぐってしまったのではないかと。あれからそう思っていた。
 メールを送って、返事は返ってこなかった。
 そんな折り、神鷹くんから、返事じゃないメールが届いた。
【会いに行くから待ってて】
 それだけ。
 暑い夏。私は今時そんなと思うくらい冷房が駄目で(直ぐに喉をやられてしまう)、扇風機をひたすら強にして、ベッドに寝そべっていた。というか太陽がいよいよ暑くなり始めるころまで寝ていた。
 けれどそのメールで、瞬間、一気に暑くなったのを感じた。
 扇風機の風も何のその、私の感覚は全て、そのメールにだけに向けられていたから。
 一瞬で他を感じさせなくなったそれはけれど、本当に刹那的なもので。
 私は次に襲いかかってきた熱気に、再びベッドへと倒れ込んだ。
 扇風機の回る音と、蝉の鳴き声に聴覚が占領された。頭の中に蝉の鳴き声が反響して消えない。湿った空気は肌にまとわりついて、汗を蒸発させるのを邪魔していて気持ちが悪かった。
 神鷹くんがここに来るまでにどれほどの時間がかかるだろう?メールの着信時刻は今から大体四十分ほど前。
 何故私の家を知っているのかは、彼の行っている学校のことを考えると愚問だった。それを踏まえても、神鷹くんからのメールをロマンチックだと思うのはきっと私だけではないはずだ。
 居ても立っても居られなくなって、私は扇風機を切って部屋を出た。
 冷蔵庫の中からアイスを出して、それにかぶりつく。最低でも三十分はかかると思う。と言うか私が向こうへ行った時は大体一時間ほどかかった。

 ――……チャイムが鳴った。

 何故だろう、それは不思議なほど、私の耳には幻想的に聞こえた。
「はい」
 ドアを開けてその向こうを見る。
 そこには、やはりマスクをつけた神鷹くんが立っていた。少し汗ばんで、呼吸が荒い。
 僅かに神鷹くんの目が細められて、私はこんにちはと挨拶をした。
 玄関先でも何なのでと家に上げて、麦茶を出す。紙と鉛筆を用意してその側に座った。
「吃驚したや、起きたらメールが来てたから……」
 言うと、神鷹くんは用意した紙と鉛筆で、一言謝った。私は良いよ、と言って(正味暇だったし)、どうしたのと尋ねた。
 すると神鷹くんはまた、ごめんと綴って。マスクの下、見せても良いよと、そう書いた。
 私は驚いてしまって、思わず真顔で神鷹くんと紙の上にある文面を見比べてしまって、でも何とか、マスクに手をかけようとしていた神鷹くんを止めた。
 神鷹くんは訝るように私を見たけれど、私は
「なんで神鷹くんが古傷のこといきなりだったのかは分からないけど、あの、私、神鷹くんのこと知りたくて、だからマスクのこと聞いちゃって、でも神鷹くんが気にしてるなら、私に傷を見せるなんてしなくても良いんだよっ、私っ、」
 テンパってて上手く言葉が出なくて、神鷹くんは驚いた目で私を見て、それから首を横に振った。
【違うんだ。もうほとんど気にしてなかった。気にしているような気がしていただけで、俺は本当は、もうあんまり気にならなくなっていたんだ。それをこの間気付いて、それで、謝って、見て貰おうと思って】
 神鷹くんは紙の上にそう綴った。お世辞にも綺麗とは言い辛い字だったけど、だからとまた綴り始めた神鷹くんを見る。
 その指がマスクにかけられ、するりと下に落ちていく。同時に出てきた肌には、確かに傷があった。でも、神鷹くんは僅かに、口元に笑みを浮かべていて。
「有り難う」
「……え?」
 その口が綺麗な弧を描いて動いた。私は何がなんだか分からなくて、只耳に響いたその綺麗な声に、ドキドキして変な汗がでた。
 変な沈黙が流れて、でも神鷹くんの顔は穏やかなままで、
「あのっ、私、」
 何か言わなくちゃ、と思って開けた口を、神鷹くんはやんわりと押さえた。
 神鷹くんは私の目をじっと見て、綺麗な黒い目に、私は自分の顔が映っていることを不思議に思った。
 その目が徐々に近づいて、瞳に映った私の顔も大きくなる。
 もっと近くで――……。
 そう思った時、その瞼は伏せられていた。

「……~っ!」
 体の回りに自分のものとは違う熱を嫌と言うほど感じる。
 見つめていた神鷹くんの顔がよく見えた。
 その唇が、また綺麗に弧を描いて、紡ぎ出す言葉を。

 私は只、顔を赤くして聞くしかできなかった。
「し、しんよう、く……」
 戸惑う私に、神鷹くんは少し顔を歪めて、嫌だった、と紙に書いた。
 はた、と気付く。
 嫌だったのか?
 多分嫌じゃないと中途半端な返事をすると、それでも神鷹くんは良かったと紙に書いて。
「神鷹くん……テンポ早いよ……」
 言った私に。
「ゆっくりなら、いい?」
 と、首を傾げて。
「……良い……です」
 そう答えれば、また、熱気に包まれた。

5

 神鷹くんが笑う時はね、目元に少しシワが出来るの。武軍の人は知ってるのかな。……出来れば、知っているのは私だけだと良いなあ。


 友達を家に呼んだ。
 今日は十二支の試合がある日だから、直ぐに応援に行くのだけれども。
「早くお茶くらい出しなさいよー」
「ご、ごめっ……て言うか来て早々歌織ってば態度でかっ!」
「当たり前でしょ。約束の時間オーバーしてしかも迎えに来たらアンタまだ寝てるんだもんねー」
「うう……すみません」
 痛いところを突かれ、私は情けない声を上げて謝った。
 そう。しかも今日は視察に来ている武軍装戦の人(というか神鷹くん)と公衆の面前で堂々と会えるというのに!(いつも来るのだけど、なんて言うか、こう、近寄りづらくて……。でも今日は神鷹くんが一緒に見ようと誘ってくれたから一緒にいられる)
 もたもたしながら着替えていると、歌織がなにこれ、と声を上げた。Tシャツの頭を貫いて、袖に腕を通しながら私は歌織を見る。
 歌織の手には、何枚かのコピー用紙。
「ああ、それは筆談の後」
「ひつだん?」
「うん。神鷹くんがこの前うちに来たんだよ」
「へぇ……で、この『嫌だった?』って何なわけ」
 むふ、と歌織は意味深な笑みを浮かべて私を見る。他にも色々面白いことが書いてあるわねえ字汚いけど、と歌織が言う。
 ……やば、ちょっと思い出したじゃない。
「……ちょっとちゅーしただけだもん」
「は!ちゅーしたのアンタ達っ!」
 嘘をついてもばれることは見え見えなので本当のことを言うと、歌織は早ッ!と吃驚したような声を上げた。
 私だって早いと思ったよと言うと、アイツ意外とやるわね、なんて歌織が冗談めかして笑う。
「あたしもいい人見つけないとねー」
「え?歌織は牛尾キャプテンの応援じゃないの?」
「ばっか、あれは言葉は悪いけど所謂観賞用なの。……そうねぇ、猪里とか結構好みなんだけど」
「へぇ……」
「でもアイツもっと芋ッこい奴が好きみたいでさぁ。脈なさそうなんだよねー」
 歌織がつまらなそうに、神鷹くんが綴った紙を元あった位置に戻した。ちなみに猪里くんは十二支の二番バッター。ポジションはレフトだ。そこ抜けた笑顔の爽やかさと時折見せる真剣な表情が男らしくまたある時はやけに唇が色っぽく、方言が特徴的な身長は余り高いとは言いづらい人だ。でもそう言った諸々は全て猪里くんの性格によってなんというか、全て良い方向に向かってしまっている。
がとっとと男に喰われちゃうなんてねー」
「な、く、喰われたって……」
「ちゅーしたんでしょ」
「う……」
 当てつけとばかりに絡んでくる歌織に、準備が出来たから行こうと声を掛ける。
「はぁあー。ったく、あたしのに手を出すなんてなんて不届きなっ!」
歌織……」
「アンタも不用意に男を家に上げないの!その日親は家にいなかったんでしょ!?」
「確かにそうだけど……玄関先で話すのも失礼かなーって……。それに暑かったし、神鷹くんも結構汗かいてたし……水分補給を」
「ああもう!あんたは無防備過ぎなのよぅ!この先相手の口車に乗せられてベッドインしちゃったらあたし泣くからね!」
「そんな……」
 妄想が大暴走、もとい妄想族化している歌織をなだめすかして、家を出た。しかも歌織の言葉を聞いていたらしいお母さんにからかわれた(今度私がいる時に家に呼びなさい、と命令形だった)。
 家を出て試合会場に向かう。
 遅刻する旨は既に神鷹くんにメールで伝えていたから、道中、何処に座っているか尋ねた。
歌織はどうする?」
「あたしはお邪魔にならないように行かないよー……って言いたいところだけど、武軍はショートが結構良い顔してたし一緒に行く!」
「うわぁ」
 男チェック早いよ、と思ったけれど敢えて本人には言わずに、私達は会場の、武軍装戦高校がいる場所へ向かった。(迷彩の帽子とかで大体一目で分かってしまう)
「こんにちは」
「あ、キミは確か神鷹さんの」
「彼女!」
 出迎えてくれたのは、神鷹くんの直ぐ側に座っていた妙高くんと、敷島くん。特に敷島くんは身を乗り出してやたら笑顔で。(歌織は反応したけど)
「えと……?」
 神鷹くんは振る振ると首を横に振って、なにやら手でサインを。
「え?」
「あ、何だ違うのか」
「面白くねー」
 好き勝手言う男の子の声が飛ぶ。敷島くんによると神鷹くんはどうやらまだ彼女じゃないとサインしたそうだ。……まだ?
 神鷹くんを見ると、神鷹くんは僅かに目を細めて、ちょいちょいと自分の横の席を指差した。
 私はうんと一度頷いて、その前にと歌織を紹介した。
「ええと、友達の歌織です」
「はじめまして☆今日は武軍のショートくんとお近づきになりたくて参上しましたってわけでショートくん隣座るよー」
「へ?」
 呆気にとられているみんなと、敷島くんを置いて。歌織はさっさと敷島くんの隣に座った。(ちなみに歌織の言うショートは敷島くんだ)
 私も強引だなぁと思って見ていたけれど、神鷹くんの隣に座る。
 神鷹くんは早速とばかりに私の手を引っ張って、掌に文字を書いた。
【ぼうしは?】
 問いに、私はあ、と声を出して。
「忘れた……」
 日射しは強い。と言うか夏休みだし当然強い。寝坊なんかするからと歌織がからかってくるのを、私はぎゃぁと変な声を出して敢えて遅刻の理由を言わないでよと叫んだ。
 まさに寝坊したの、と無言で問うてくる神鷹くんに、私は縮こまりながらはい寝坊ですと答えた。全く恥ずかしい。
 恥ずかしさでどうにも行かないほど視線は地面に落ちていく。
「……?」
 不意に、頭に何かを乗せられて、私は視線を上げた。
 見ると神鷹くんが私の頭に手を乗せていて、そのままゆっくりと数回撫でられた。細められた目は穏やかで、苦笑すらしているようで、眉は少し歪んでいたけど。
 神鷹くんはそれから一緒に視察に来ていた多分下級生に何かサインをした。
 不思議に思ってみていると、下級生が何かを神鷹くんに手渡して、私の視界は再び薄暗くなった。
「???」
 見ると私の頭には、サイズの大きな、武軍装戦の帽子が乗っかっていた。
「あ、有り難う御座います……」
 まふりと帽子を被り治すと、神鷹くんはまた目を細めた。
「……意思の疎通が図れているのが凄いわね……」
 なんか悔しい、と言った歌織の言葉は勿論、神鷹くんの黒い瞳に吸い込まれた私の耳には残らなかった。


 神鷹くんが笑う時はね、目元に少しシワが出来るの。目尻じゃないよ。目元なの。それが凄く大人っぽくてドキドキするんだけど、でも、一番好きなのは真っ黒な瞳、かな。

2006/01/27 : UP