Aちてんまでのきょり。

1

 中学三年の冬。
 告白をして見事に振られた私は、高校に入学し。
 そしてその告白した本人と同じ高校だった事実に少しふさぎ込んだりした。


 人間というのは、立ち直りが早いと思う。
 私は一年一組の教室で、中間テストの後の席替えしたその隣が栄口君だという事に気付いて、あ、元気してた?なんて馬鹿なことを言った。でも『いい人』の栄口君は、うんと頷いて、久しぶりと言ってくれた。
 中学の時も一度同じクラスになって、それからちょくちょく話していた、少し仲のいい男のクラスメイト。それが、栄口君だ。
 栄口君は野球部で、高校で、とても楽しそうに部活をしている。知ってる。見てたから。
 野球部に入ったんだっけ?教室でていくの早いよね、とか、ゴールデンウィークは合宿してたんだって?って言うと、栄口君は酷く驚いた様子で、ええー何で渡辺さんそれ知ってんの、って。七組にね、篠岡千代ちゃんいるでしょ、仲いいんだ。で、野球部のことは実は一通り知ってたりするんだ。巣山君も野球部なんでしょ。言うと、栄口君はへえええ~って溜息を漏らした。で、ちょっと先生に注意されたりした。(今は授業中だ。ロングホームルーム。)
 ロングホームルームは五時間目で、終わりのチャイムが鳴ると、私は栄口君に話し掛けてみた。
 高校に入ってから、急にたくましくなったよね。栄口君は、まあねーだって。
「あ、あと、阿部君が良く笑うようになったよね」
「へ?」
 ……しまった。出しちゃ悪い話題だったかな。
 変な間が空いてから、栄口君は、私を指差した。指差すと失礼なんだよっていうと、栄口君はごめんと咄嗟に指を下げた。
 阿部、笑ってるっけ、って、栄口君は私を見た。笑ってるって言うか、すごく優しい表情になったよねって言うと、栄口君はとても微妙な顔をしてへえと言った。中学の時はもっと怖かったもの、眉毛吊り上げていっつも何かを睨んでた、と言うと、あの時はちょっとねと、栄口君が笑った。
「ま、渡辺さんもタイミングが悪かったよな」
「へ?」
 今度は私が変な声を出してしまった。すると栄口君は、ああいやいやとか言っちゃって。
 ほら、中学の時さ、告ったろ。あれ、時期が悪かったんだよ。だから、別に阿部、渡辺さんのこと嫌いなわけじゃないって思うけど。栄口君は言い訳するみたいに言った。何を、と聞くと、私を指差した。(また指差して!この人は)
「おい栄口」
 不意に喋っていると、教室の後ろの方のドア(私達の席は、教卓を上にすると、教室の左下、つまり一番後ろになる。ちなみに私が窓際)から、男子が二人、歩いてきた。
「悪ぃけど、辞書持ってねー?巣山にも聞きに来たンだけど」
 一人は、丸坊主だけど、ちょっとお洒落なメガネが素敵な長身の子。もう一人は、阿部君だった。何、お前等二人揃って忘れたわけ、と聞けば阿部君が五月蝿ェと答えた。ちょっとぶっきらぼうだけど、やっぱり中学の時よりもずっと優しく見えた。栄口君は自分の辞書を阿部君に渡して、私に、辞書貸してやってくれない、と聞いてきた。
 良いよと答えると、長身お洒落メガネ君にお礼を言われて、その笑顔がちょっと可愛かったりして、なんだか照れてしまった。うん、きゅんきゅんしたよ。
「えっと、……」
「あ、七組だよね。部活忙しそうだし、取りにいこうか」
 言葉に詰まったメガネ君にそういうと、彼はとても驚いた声を上げた。栄口君の時とちょっと似ていた。思わず笑って同じ反応と栄口君を見ると、栄口君はちょっと苦そうに笑った。
 篠岡と仲いーんだってさと栄口君は言って、私はメガネ君に手を出した。初めまして、花井君だよね、と言うと、彼は酷く驚いた顔をした。やっぱり栄口君と同じ反応で笑ってしまう。おどおどして手を握ってくれた花井君に、キャプテン大変だね頑張ってと言うと、花井君はまたはにかんで笑った。ほっぺたが赤くてやっぱり可愛かった。これで高校一年生だなんて正直詐欺だと思う。
 阿部君と栄口君も副キャプなんでしょ、すごいね、っていうと、栄口君は全然と言って笑った。阿部君も殆ど花井がやるからなと無愛想に言った。
 私、暇だし、千代ちゃんのお手伝いするよ、と言うと、栄口君はとっても良い笑顔でマジでと言った。マジよと言うと、マネジで正式入部しねェと聞かれた。阿部君に。花井君が驚いて、阿部君を見る。栄口君が、もしかすると一番驚いていたのかも。中学のことを知っているのは、この中では栄口君と、当人の私、阿部君の三人だし。
 阿部君は実際篠岡にだけやらせてらんねェだろ、と言って、花井君を見た。花井君はそうだなと、私を見下ろした。大きな花井君は、私が立っても、顔一つ分くらい違う。私の頭の先が、花井君の肩だ。
 私が首を傾げると、花井君は少し言葉に詰まった。栄口君は、驚きを隠しながらも大丈夫だよと言った。何が大丈夫なのか。
渡辺さんはなかなか根性有るって言うかさ、ねばり強いから」
「あ、私がちっちゃいから?大丈夫だよ、千代ちゃんのお手伝いくらいしかできないと思うけど」
「そっか?……ま、この話は考えといてくれたらいいし、取り敢えず俺ら教室戻るわ」
「おー」
 花井君は私にもう一回有り難うと辞書を見せて、私はどういたしましてと答えて笑った。人の良さそうな笑顔は、とっても格好良いけど、とっても可愛い。
 私が二人を見送ると、栄口君は私に向かって、阿部のこと吹っ切れた?と、ちょっと遠慮がちに聞いてきた。そこでちょっと遠慮がちそうな顔が出来るのが、やっぱり栄口君はいい人だなあと思う所以だと思う。
 中学校の時の阿部君よりも、今の阿部君の方がもっとずっと好きだよと言うと、栄口君が顔を真っ赤にした。私もちょっと恥ずかしかったりして、二人で変に顔を赤くして座ってた。
 今の好きと比べたら、中学校の時の好きって、そんなに深くなかったんだと思う、と言うと、栄口君はそもそも何で阿部に惚れたんだと尋ねた。私はそれに答えようと思ったけど、チャイムが鳴ってしまって、先生が入ってきたからそれは出来なかった。
 あのね、ちょっとした事で、人を好きになれるのが、人なんだよね。
 一緒に日直をやった時に、例えば身長の低い私に変わって黒板を消してくれたりだとか(しかもわざわざ私から黒板消しを奪った)、たまたま日直で当たった日にノート提出があったりとかして、半分以上持ってくれたりとか。
 そんな単純なことが、すごーく嬉しかったんだって、六時間目が終わってから言うと、栄口君は妙に照れた。渡辺さんの言葉、聞いてる方がちょっと恥ずかしくなるよともじもじして。
 そうかなと言った私に、栄口君はそうだよと答えた。

2

 恥ずかしいよなぁ、と、不意に栄口君がそう漏らした。六時間目が終わって、ガイダンスに入る前の休憩時間に。
 私が阿部君のことを、今でも、今の方が、もっと好きって、その理由を話してから、ちょっとして。
 私がいきなり何なのというと、栄口君は、今時そんな素直に言える奴って少ないじゃんと答えた。私だって恥ずかしくないわけではなかったけど、本人を目の前にして言うよりも、よっぽど言えるよ。なんだか、一人でも多く、私が阿部君を好きだって事を知ってる人を増やせば、阿部君は私のことを意識してくれるかなとか、打算的なことだって考えるんだけど、でも、やっぱり好きだから、好きなものは好きって言いたかったんだよ。そう言うと、栄口君は、やっぱちょっと恥ずかしいヤツ、と言葉を訂正した。せめて今時いない素直な女の子とか言ってよ、って言うと、キャラじゃないだろ、って笑われた。栄口君の笑顔も素敵だった。彼は、とても優しい人で、それが表情全てに現れていると思う。
 二人でちょっと笑っていると、さかえぐちーって、間延びした声。
 見ると、教室の後ろのドアから、阿部君が入ってきた。
 花井はって栄口君が言うと、阿部君はさっきシガポ見つけてさ、軽く今日の練習の打ち合わせしてる、って。だから辞書二つ持ってきた、サンキューって。
 うお、阿部、お前人並みにお礼が言える奴だったんだってあからさまに顔に出しながら、栄口君は、どういたしましてと笑った。
 私は阿部君から辞書を受け取って、練習頑張ってねと声をかけた。阿部君はああと頷いて、教室から出て行く。
「……あんなやつがいいの?」
「知ってる?女子はね、男子の一生懸命なところとか、以外と可愛いところとかにすっごくときめく生き物なんだよ」
 ふふと笑って、栄口君も野球やってる時格好いいよというと、恥ずかしそうに口に出すなよといって照れた。
 栄口君って彼女いてもおかしくなさそうだよね、と言うと、栄口君はちょっと嬉しそうな、でも違うような複雑な顔をして、え、誰か告ってくんねーかなとちょっと切実そうな溜め息をした。
「あ、案外渡辺さんとかいいかもしんない」
「えー、なに、その余り物みたいな言い方!」
「いやいや、性格良いし。愛想もあるしさ。ちっちゃくて可愛いし」
 栄口君が急に素の顔でそんなことを言い出すから、私もすごく赤くなってしまった。可愛いとか正面切って言う栄口君も相当恥ずかしい人だよ、と言うと、栄口君はうわーオレって恥ずかしいヤツだったのかと笑うながら言った。そうだよ恥ずかしい同盟だよというと、なにそれと苦笑気味な反応で。
 よっしゃーガイダンス始めるぞーと言う担任の声で、一度会話は打ち切られたのだけど、やっぱり私達はちょっと笑ってしまった。


 ガイダンスも終わって、渡辺さんはすぐ帰るのかって、栄口君が尋ねてきて、私はもうちょっといるよと答えた。マネジのことよろしくなって声を聞きながら、手を振って栄口君を見送る。案外今日当たりクラブ見学も悪くないかなーと思いながら、また席に着いた。いつもガイダンスが終わる3時35分から、4時くらいまで(日が長い内は6時まで)教室に残って勉強を済ませてしまう習慣が、高校に入ってから出来た。家では集中出来無くって、全部学校でやってしまう。進路だって私はレベルの高いものを目指しているわけでも無くって、まぁやりたいことと言うのはそれなりにあったりするから、大学受験のために勉強するなんて言うのは余り考えていない。授業をそつなくこなして、日々をまったり生きて行くのが至上の幸福だ。そう言ったら親には年寄り臭いと呆れられたけど。人生にスリルは要らないと豪語する私にとっては、それが良いんだ。
 今日出た宿題やら先にやっておけば授業中楽になりそうな英語の本文写しをさっさと済ませてしまうことにした。あと単語の意味調べと日本語訳もついでにやった。片耳にイヤホンをつけて、音楽を聴きながらグラウンドを見る。
 野球部が使っている第二グラウンドは学校の敷地から少し離れているのだけれど、こまこまと動く球児達が変に可愛いと思う。今日は野球部がグラウンド全面を使える日らしく、散り散りになってみんな練習してた。
 空が赤くなってきて、やること全てをやりきってしまうと、私は一度大きく息をついた。それから時計を見て、ああもう4時半かあ、なんて思ったりして、筆記用具を鞄に入れて、音楽を聴いたまま教室を出た。勿論窓を閉めて、電気も消した。
 昇降口まで降りて靴を履き替える。駐輪場まで行って自転車にまたがって第二グラウンドまで行くと、不意に栄口君らしき人と顔があって、手を振った。やっぱり栄口君らしくて、彼も振ってくれた。……あ、誰かにもみくちゃにされてる。
 笑いながら脇を通ると、
「おーい!今から帰るの?」
 栄口君が、声を掛けてくれた。頷くと、練習見に行けばいいのにと言ってくれて、その後ろから花井君までやってきてくれた。練習はと聞くと休憩中と返されて、私はちょっとグラウンドを眺めてから、真剣にマネジをやってみようかなんて考えた。
 丁度今日は体育があったから、体操服ならあるし。
「……じゃ、途中からになったけど、良いかな」
 言って、部室を借りて体操服に着替えると、田島君(四番だ)が誰々ーと元気よく私の所まで来た。なんだかそのままみんなが集まって来ちゃって、監督と先生までやってきてしまって、自己紹介することになった。
 千代ちゃんからの情報で野球部のことは一通り把握している旨も告げて、未経験者だけど千代ちゃんの助力になるように頑張りますというと、千代ちゃんは嬉しそうに笑ってくれた。千代ちゃんは頑張っているから、一緒に頑張りたくなってくるんだよね、不思議と。
 選手一人一人と挨拶をしていると、不意に田島君が、栄口とつきあってんのって聞いてきた。丁度今日それも有りだよなって言ってたんだよねって栄口君が私に笑いかけて、そうだねと私も笑った。じゃぁ付き合ってないのかと花井君が出てきて、うんと答える。
「中学の時に、クラスが一緒だったんだよ。阿部君とも一緒だったけど、阿部君とは余り話さなかったね」
 栄口君は結構話してたんだけどね、と続けて、阿部君がそうだったなと素っ気なく言った。中学一緒なのかって声に頷いて、監督の声が掛かった。
 はいはーい、じゃぁ練習再開しましょうか!
 元気な声に、みんなもすごく良い声ではいって返事をした。……なんか、野球部のみんな、一年生しか居ない所為か、気さくだなあなんて思いながら、私も千代ちゃんにお仕事のことを色々教わった。
 途中からだったけど、マネジの仕事はたくさんあって、苦労した。おにぎりを作ったり牛乳の買い出しに行ったり。でも、千代ちゃんとなら楽しい。
 暗くなってからも野球部が練習しているのを見て、私はわぁまだ練習するんだって思ってた。一生懸命で、でもすごく楽しそうなみんなの顔。必死になって氷り鬼をするのは見ていて童心にかえらされる気がした。和む光景だ、とか思っていると、マネジも参加ね!なんて田島君が急に言うものだから思わず一緒に混ざってしまった。千代ちゃんも一緒になってはしゃいでた。楽しかった。
 帰る頃になって、いつもはマネジ参加しないんだよって言う千代ちゃんの言葉に、ああ親睦会みたいな事をしてくれたのかなんて思った。
 数学の志賀先生(あだ名がシガポ。可愛い)が、いやいや案外みんな女の子に触ったりしたいんじゃない?とか言って笑っていたけど、野球部の人は結構高校生とは思えぬ純情な人が多い気がして、シャイだからですかと聞いたりした。

 当然、今日マネジの手伝いやってるって連絡入れてなかったから、その日は親に酷く怒られた。

3

 さて、親にこっぴどく怒られてしまった私は、翌朝、朝練があるという野球部さんのために早起きをしてみた。多分やっぱり何も出来ないかも知れないけど、また千代ちゃんに色々聞きながらお手伝いをしたいと思う。
 阿部君のことは、正直、思い出したくない。あの瞬間。
 中学の時の阿部君。私は、彼に告白をして、振られた。それも結構酷い振られかたをした。だから阿部君を見て平気でいられるはずもないし、好きって気持ちが膨らんでいる今なんて、もっと心苦しいものを感じる。でも、やっぱり阿部君が好きだと思うから、もう告白なんてしたくないけど、でもせめて普通に会話するくらいは、良いと思う。下手に仲の良い友達という関係でもなかったから、告白して仲が良かったのが壊れるという事態を避けられて、良かったとも思える。そっちのが、きっと辛いもの。
 自転車に乗って家から出る。風は丁度良い気持ちよさで私の肌の上を遊んでいった。それを楽しみながら、まだ学生の姿なんて一人も見当たらない道路をこいでいく。
 あ。と、声を出しかけて慌てて噤む。
 阿部君が、丁度家から出るところだった。私の家は、丁度阿部君の家の前を通る位置にある。高校に入ってからそうなった。(高校に入学すれば別々になると思って、でもひょっとしたら学校へ行く途中に阿部君の姿が見られるかも、なんて未練たらたらな下心があったというのは内密に)
 阿部君は人通りの少ない道を動く私に、目を向けた。ぱちりと目があって、よもや気づかない振りなんて出来る状況のはずが無くて、私はお早うを口にした。思ったよりも声が小さい気がしたけど、勿論、私の小さな声を邪魔するものも、何もなかった。どうせ行き先は同じなのだし、通り過ぎる理由は薄いかと思って、自転車に乗ったままスピードを緩めた。阿部君の前で止まって、その時、阿部君はお早うと言ってくれた。玄関から自転車を出して、私の横に置く。阿部君はすでに練習着を来ていて、制服じゃなかった。
 早いね、と言うと、阿部君はそっちこそといって自転車のペダルに足をかけた。それを見て私もペダルを踏み込む。道の左端を二列で走行しながら、学校までの距離が、酷く遠い気がした。
「……あのさ」
 不意に、阿部君がそう言った。なにーと、間延びした声で答える。ちょっと上擦って、ひっくり返った。喉で調子を整えで、もう一度促し直す。阿部君は、中学ン時に、オレ、渡辺、さんの告白受けたよな、と。
 思わず阿部君を見ると、阿部君は私を見ていた。ただ、自転車をこいでいたから、そんなに凝視はされなかった。正直、助かったと思う。
 阿部君は、あの時は言い方がきつくて、オレ、言葉悪ぃからと、そう言った。気にしてないよ、今も悪いって栄口君が言ってたしって言うと、阿部君は奇妙な顔をした。俗に言うしかめっ面だった。ちょっと可愛いかなあと思った私は、すごく末期だと思う。(恋愛なんてそのへんの麻薬よりも危険な、依存性があると私は確信している)
 阿部君の言葉の悪さは、ちょっと失礼かも知れないけど、今に始まった事じゃない。だから言葉遣いに関して、私は全く気にしていない。これは本当だ。ただ、阿部君は無愛想だから、私の友達なんかにはすごく評判が悪かった。あいつはやめとけって、みんな口を揃えていた。そんなぼろくそに言うなよとか思いつつ、実は私も阿部君の無愛想さにはほとほと困っていた。愛想がないから話し掛辛かったから。(栄口君は綺麗な対比を描くように話し掛けやすい顔をしていた)
 私はフォローでもないけれど、阿部君は人間が丸くなったねって言った。そうか?と阿部君は私を見て、そうだよと笑うと、そうなのかと呟いた。顔がね、優しいんだよって、私は栄口君に説明した時みたいに、喋りまくった。阿部君は目をぱちくりさせていたけど、私が今の阿部君は昔よりずっと格好良いよ!と言うと、顔を真っ赤にさせて変な事言うなよと目を逸らした。
 はらら、と思った時には、もう学校で。阿部遅いぞ~なんてグラウンドでトンボ掛けしている栄口君の声が飛んできた。
「あれ、二人一緒に来たのか」
「うん、阿部君の家の前で、一緒になったんだ」
 笑って言うと、栄口君は、そっかと笑い返してくれた。
 阿部君は自転車を止める時、私の顔を見た。何かついていたかなと思ったけど、阿部君は首を振った。首を傾げてどうしたの、と言うと、阿部君は少し言葉に詰まってから、
「オレは、高校入ってから渡辺の良さに気付いたよ」
 そう言って、理解出来ないままの私を置いて、自分だけ先にグラウンドへ向かってしまった。
 私の、良さ?
 呟いて、阿部君ここまで一緒で急に先に行くなんて殺生な、とか色々思考を飛ばしながら、
「……えええ?」
 自然と、赤くなった頬を抑えるしか、出来なかった。

4

 昼休み、友達と教室の外でお昼ご飯を食べて教室に戻ると、阿部君が私の席に座っていた。よぉ、と言った阿部君は、ちょっと笑っていたりして。どきり、としたのは本当だ。


 私は野球部のみんなに付き合って、夜遅くに帰る習慣が付いた。別に負担にはなっていないし、親も基本的には放任主義なので、帰りが遅くなる時は電話を入れて帰る時間を言っておくことで了承してくれた。
「悪い、ちょっと待ってて」
「ん」
 帰り際は、栄口君たっての希望で、阿部君に送ってもらっている。合理的に物事を考えていると思っていた私は、自分の家を通り越して私の家まで送ってくれる阿部君を、見直していた。
 野球部に入って、私は、阿部君を変えたものを発見した。
 すごく努力家で、挙動不審だけど、ふわふわの髪の毛が可愛い三橋君だ。彼が阿部君を変えたのだと思う。だって、阿部君はずっと三橋君につきっきりと言っても過言ではない状態だったから。
 それは羨ましいと思う反面、絶対に女の子には手に入れられないもののような気がした。
「いいぜ」
「え?」
 ふと、声を掛けられて驚いた。見ると阿部君が不思議そうな顔をして私を見ていた。私の脇には、自転車が置いてあって、阿部君は自分の自転車にまたがって私を見ていた。
「帰るんじゃねェの?なんか用事でもあったか?」
「あ、や、うん。ごめん、ちょっとぼけっとしてて……毎日有り難う。阿部君も疲れてるのに」
「いいって」
 阿部君は照れたように言葉を強めて、そして一人で、今のは怒ってンじゃねェからな、と言い訳臭く付け加えた。知ってる、というと、阿部君は悔しそうと言うか、恥ずかしそうに頭をかいた。
 帰るか。と、阿部君が言って、うんとその後をついていく。自転車に同じようにまたがって、みんなにバイバイって言って、校門を出た。
 お前さ、野球部のメントレとか一緒にやってっけど、野球好きだったわけ、と、阿部君は聞いてきた。ずっと聞きたかったのか、それは随分と、選り抜きされた言葉だったように思う。私は、違うよと否定した。
 野球が好きなんじゃ無くって、阿部君が好きなんだよ。と、そう言うと、阿部君はどう反応して良いか分からないような感じで口を閉じた。
 好きな人が好きなものは興味惹かれるでしょ。それが切っ掛けで変に詳しくなったりとか、好きになったりとか、一緒にやりたいって思ったりとか。とかとか。理由としては不純だろうし、阿部君は怒るかも知れないけど、と言うと、阿部君はそんなことねェよと呟くように言った。
 ある意味結果オーライってやつだろと、阿部君は言って。
渡辺みたいに好き好き言ってきた奴は初めてだよ」
 と、幾分か、柔らかい声で言った。一度振られたから言えるんだよと言うと、阿部君は普通自分を振ったヤツに近づかねぇよと、少し、声を低くして言った。でも、前よりももっと、好きになっちゃったから、仕方ないよ。あ、また振られるのはキツイから、何も言わないでよ?と、私は答えた。は、何それ、と阿部君は怒った風に噛みついてきて。
「まだわかんねェのかよ」
 と、ちょっと苛ついたように、急に自転車を止めた。もうすぐ、私の家だ。つられて自転車を止めて後ろを見ると、阿部君は私を見ていた。家々の明かりが、阿部君の顔色を見せる。真剣な表情に、顔が赤くなっていくのが分かる。
 阿部君は急に、ふいと視線を逸らした。
「……遅いかも知れねェけど、オレは、渡辺が好きだよ」
 そして、ちょっとだけ、私を見て、頭をかいた。好きだからこうやって送ってるんだ、とか、その後で取り繕うようにガラじゃねェと呟いているのが聞こえる。耳が熱い。阿部君に顔赤いぞと指摘され、私は阿部君こそと張り合った。無意味だ。でも、変に気分は高揚していた。
 ホンットに遅いよと笑うと、阿部君はだろうなと溜め息混じりに言った。意識するようになったのは告白されてからだし、と阿部君が言う。遅っ!と改めて顔をしかめると、阿部君はもうどうすればいいのか、恥は一気にさらしてしまえと言わんばかりに分かってるよと投げやりに答えた。
 沈黙を引っ張ってから、私、良い彼女にはなれないかも知れないよと言うと、人に調子合わせンのは慣れてるよと、阿部君がニヤリ、と笑った。やな笑い方しないでよ、ていうか阿部君絶対人に調子合わせない感じだよと言うと、こっちのが俺には合ってるあとさり気なく失礼な事言うなと言葉を返された。
 それを受けて、阿部君って女の子を傷つけることに関しては検定一級を与えられると思うよと話題を逸らす。阿部君は黙ったけど、でも、阿部君がモテない人で良かったって言ったら何それと拗ねたような声で返された。自転車から降りて、歩いて家まで歩き出す。阿部君は道路側を歩いてくれた。
 だって私の友達は、みんなあいつだけは止めとけって必死だったからね。阿部君酷い人だったでしょ。そう言うと、過去形なんだ?と尋ねられた。やあまあ、それでね。阿部君がモテてたら、告白もしなかっただろうし、そもそも好きにもなってなかったかもよと、私は言った。フォローじゃねェよと言われたけど、彼氏がモテてたら気苦労が絶えないでしょというと、阿部君は口を噤んで、そう言うのはやめろとまた頭をかいた。
 あんま、可愛い事言うなよ。と、そして、これからも末永く宜しくと、よく分からない挨拶をされて。
「また明日な」
 と、私の家の前で自転車の向きを変えて、爽やかに去っていった。
 急いでまた明日!って言うと、ちょっと気取った感じで、阿部君はこっちを見ないまま手を挙げた。
 ……阿部君との距離は、ちょっとずつ近づいている模様です。

2006/01/07 : UP