Under the moon?

 こんこん。
 窓をノックする音が、彼と私のいつもの合図。
 それまでに温かい飲み物と、甘いお菓子を用意して待つのがここ最近の日課になってしまった。
 二階の窓には毎度のことと厚手のマットを置いていて、私は窓の鍵を開けて彼を向かい入れる。
 冬空の下、赤いジャケットを開けたままでひょいと私の部屋に軽く降り立つのは、私よりも身長の低い男の子。
「よ」
「……ジェットさ、いい加減、ちゃんとした玄関から入ってきてくれない?」
 軽い調子での挨拶に、私は溜息をつきながら窓を閉める。こんな会話も少し前から当たり前になった。
「んー、いいじゃん?俺こっちのが気楽だし好きなんだけど」
 ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ気まずそうな顔をして、彼は私を見上げる。
 年下らしい表情に安心して、でも直ぐに顔を引き締めた。
「それに、いつも時間が遅いんじゃない?レディの部屋を尋ねるには」
 言うと、少し面食らったような顔の彼がいて。それから少しだけ拗ねたような表情。
「この間絡まれてたのを助けてやったんだし、どっからどーみても俺はジェントルマンだろ」
「ジェントルマンはそんなに恩着せがましくありませーん。ついでに言えばこんな遅い時間にスケボー乗り回したりしませーん」
「そりゃユリアのヘンケンだって!」
 本当のことを言えば、彼には凄く助かってる。
 この街に一人で引っ越して直ぐに肩がぶつかっただの何だのと変な男に絡まれていたところを彼に助けられてから、少し緊張の糸が解けた。勿論彼が年下だったってことも大きな要因だと思うけど、未だによく分からない街のことを、彼はたくさん教えてくれている。美味しいハンバーガーのお店とか、どの家の屋根から見える景色が良いだとか、ちょっと偏ってるけど。
 このタウンはスケボーが当たり前のように街の中にある。と言うのは、スケボーそのものがその辺に転がっているのではなくて、屋根がスケボー対策として舗装されている点にある。夜でも滑れるように、なんて、ちょっとしたネオンや広告板を照らす為の照明でライトアップされた街は夜でも賑やか。
 彼は何時でもスケボーに乗っていて、そのせいなのかどうなのか、玄関から私の所を尋ねに来てくれる様子はまるでない。何時だって一階の屋根を伝って私の部屋の前の窓の前までやってくるし、それは何時だって夕方から夜になる時間帯だけ。流石に深夜には家に帰っているようだけど、と、親でもないのに何で私が心配しなきゃいけないんだか。
 彼とのそもそもの出会いは、助けられた日よりも少し前にスケボーに乗った彼と衝突したのがそれだった。確かにいきなり飛び出したのは悪かったけど、スピードを出してた彼も彼。心配してくれて病院にも連れて行ってくれたけど、ホントに吃驚したったら。
 思えば、心配なのはそれが印象的だったからかも知れない。
「昼間はちゃんと学校行ってるし、別に今日だってまだそんな遅い時間じゃねーし、スケボーならこの街の人間だったらやるのが普通だぜ?」
「それはそれで良いけどね。危ないでしょうが」
「……ユリア、出会ったときの事言ってるなら、アレはホントに偶然。偶々。俺、あんなドジふまねーし」
「おばか。現に私の時は踏んだでしょ」
「いて」
 軽く頭を小突いてやれば、その部分を撫でながら恨めしそうにコッチを見やる。そんな顔してもダメなんだから。
「なー、あン時はマジで悪かったって。この前助けたってことでチャラで頼むって」
「そうじゃなくって、私は別に良いけどね、ジェットだって危ないでしょ?擦り傷で済めばいいけど、屋根の上滑ってるならそう言うわけにもいかないし」
「あー、なんだそっちか。大丈夫大丈夫」
 軽い調子のまま宥めるように言われて、私はいよいよ声を大にして言ってやろうと思って息を吸い込んだ。の、だけれど。
「俺のシンパイしてくれるはうれしーんだけど、俺もユリアのシンパイさせろって」
「は?」
 注意しようと吸い込んだ息は、物凄く大きな、意味のない言葉に取って代わってしまった。
ユリアもベンキョーで忙しいだろ?」
「え、あ、うん、まあね」
ユリアは気付いてないかもしれないけど、俺いっつもこの時間ユリアが居るか見に来るんだよな」
「ええ!?」
「あ、やっぱビックリした?」
 心なしか喜んでいるように見える彼に、どことなく悔しさを感じながら、私はその言葉の先を知ろうと続きを促した。
「大抵明かりついてるかどうかで決めるんだけど。居ないんだったらそのまま家帰るんだけどさ、最近日がくれるの早いし、暗い中歩いて帰ってくるのって危ないじゃん」
 スケボー乗るよりっぽどね。
 なんて、彼は笑う。
「つーことで、ハイ」
「?」
「俺のケーバンとアド。スケボー乗ってる時は完全に出る気ないけど、ユリアは別な」
 紙切れだと思ったそこには、相当な走り書きで彼の携帯番号とメールアドレスと思しき文字が並んでいた。
 暫く彼とその紙切れとを見比べていると、ちょっと照れたようにして、彼が先に視線を外してしまった。
「あー、ユリア、まだこの辺のこと分かってないわけだし、俺で良かったら案内するから。そのついで。迎えに行っても良いだろ?」
「……ジェット、さっきの発言撤回する。凄い紳士っぷり」
「だから、さっき言ったじゃねーか」
 照れた風なまま笑うのはまだ可愛さが残ってるけど、ね。
「じゃ、そこまで紳士なジェットには、やっぱり玄関から入って貰いましょー」
「ッ、それとこれとはべ」
「別じゃないったら。……あのね、いい加減ちゃんとお礼させて頂戴。病院に連れて行って貰ったことも、絡まれてたの助けて貰ったことも、まだ私、お礼もなにもしてないのよ?」
 ま、照れてるって言うのも、ちゃぁんと気付いてるんだけどね。でも、恩人をいつまで経っても持て成さないのは、すっごく失礼な話じゃないの。
 そう心の中で付け加えて、私は彼の表情を見た。
「別にいいって。今更じゃん。俺たいしたことしてないし」
「だぁめ」
「……ちぇ」
 観念したように唇を尖らせる様はいかにも子どもっぽくて、私は口元に笑みが浮かぶのを我慢出来ない。
 誤魔化すように、視線を彼のスケボーに移す。
 使い込まれたスケボーは塗装が所々ではげてしまっていて、特に足を乗せるその位置は素材が丸まる姿を見せるほど。ローラーの部分なんてもうボコボコになってしまっていて、それでも何度も部品を買い換えて使っていると言うことを最近教えて貰ったばかり。
 街の案内ついでにスケボーテクを見せて貰うのも良いのかも、と思いながら、お菓子と少し冷めた飲み物を勧めた。
 意外にもマメ……と言うか、面倒見が良いタイプなんだろう彼の人柄に、またこっそり感謝する。
「あ、そーだ」
「ん?」
ユリア、明日ヒマ?」
「……ああ、明日は一日中ヒマね」
 明日は休みだ。まだアルバイト探してるところだし、部屋で珈琲を飲みながら求人雑誌を読み耽るか、もしくは何かあてもなく買い物をしようかと思っていた。
 私が答えると、彼は酷く嬉しそうに笑って
「じゃぁ、ユリアも一回スケボーしてみようぜ!」
 言って、直ぐに近くにスケボーが出来る良い場所があるんだ怖かったら俺が手ェ繋いでるから、と声が続く。
「そりゃ、興味はあるけど、遠慮しておくわ」
「なんで?」
「見てる方が好きだもの」
 答えれば、少し残念そうな顔。
「……だから、ジェットがやってみせてよ」
 思いがけず出た言葉に、彼の顔が明るくなる。
 約束、と彼は笑って、暫くして私は彼に家に帰るように促した。時間はそろそろ夜に。夕食の時間。
「明日、迎えに来るから!」
「ん」
 手を振って、来た時と同じく窓から帰って行く彼を見送る。ライトに照らされながら器用に屋根を伝って帰っていくその後ろ姿に、自然と溜め息が零れた。
 さぁ、明日のチャイムが物凄く楽しみだ。

2008/02/13 : UP