落ちたのは
クダリさんは一般的にと言うか、周りからは可愛いとか、子供っぽい人だと思われている。
実際、私もそう思っていた。だって頼りになるだとか、かっこいいだとか、ボスとしての風格を備えているのは表情の所為もあるだろうけれど、そういう要素は大体比較してノボリさんに軍配が上がっていて、クダリさんはというと華やかさであるとか、明るさであるとかいった感じで、やっぱり比較してかわいいと言うのが周囲のほぼ揺るがない評価だったのだ。それを疑問に思うこともまた、今の今まで、なかった。
「……大丈夫? ケガ、してない?」
バトルサブウェイでは頻繁に怪我人が出る。狭い空間でポケモンバトルをするのだから、ポケモンだけでなくトレーナーも優秀でなくてはならないのだけど、なかなかそうはいかないと言うのが現状だ。だからポケモンが技の威力を調節しきれず、電車が大きく揺れたりすることは日常茶飯事だ。そこに勤務している身としてはその程度どうと言うこともないのだけれど、今日はいささか事情が違っていた。なにせギアステーションの中心に三つ備え付けられている大きな時計が落ちてきたのだ。幸いお客様に被害はなかったけれど、すぐ下にいた私を庇うため、クダリさんが飛び散った破片を浴びてしまった。
「私は大丈夫です! それより、ボスが」
「平気。部下を守るのはぼくの仕事」
言いながら、クダリさんはいつもよりどこか柔らかく笑った。それにぎょっとしながらも、硝子破片を浴びたのだからどこかかすり傷でもあっては一大事だと彼を心配する気持ちが先立つ。ましてや、その服の中に入り込んでしまっていたら。
「ボス、念のため服を脱ぎましょう。シャワールームへ」
「うん」
「ネクタイを緩めて、コートは脱いでください。私がお持ちいたします」
「ねえ、ぼくのことよりきみだよ。顔、真っ青。手も震えてる。足も」
私の言葉通りにネクタイを緩めてシャツの第2ボタンまで外しながら、クダリさんは私から目を離さない。
「私はボスのお陰でケガもありませんでしたし」
「きみ、今興奮してる。だから分かってないだけ。ぼくに任せて」
「は、」
クダリさんはコートを脱ぐと、その場でばさばさと叩いて、騒ぎを聞き付けたらしくやってきたノボリさんを見つけると軽く手をあげた。
「クダリ! ご無事ですか」
「うん。ぼくはね」
「ボス、いえ、ノボリさん、クダリさんが私を庇ってくださって、時計の破片を浴びてしまったんです。ですから念のため医務室か、とにかく服を脱いで一度シャワーを」
「かしこまりました。後のことはわたくしが引き受けますので、お二人は早く医務室へ。クダリ」
「うん」
クダリさんはノボリさんと何事か目配せをしたあと、脱いだコートで私をくるむと、いとも容易く横抱きにしてしまった。
「ぼっ、ボス!? なにを」
「きみ、さっきから一歩も動いてない。動けないんだよね? だからぼくが運ぶ」
「あ、歩けますっ 大丈夫ですから!」
「だめ。すっごい説得力ない」
ただでさえ注目を浴びていたのに、これではさっきとは違う意味で人の目を集めてしまう。ざわめきではなく、私とクダリさんの姿に対する明確などよめきとともにひしひしと注がれる視線を肌で感じた私は、どうすることもできず、余計に目立つのを知りながらボスの胸に顔を埋めることでしかそれから逃れられなかった。
「もう大丈夫。怖かったね」
いつもは子供っぽく聞こえるはずのクダリさんの言葉が、とても大人のように思えた。
それから一度破片が入ってないか確認するためにもシャワールームへ行くと言って出て行ったクダリさんの背を見送り、私は医務室のベッドで横になっていた。彼の言った通り私は顔面蒼白で、医務室に常時待機しているお医者さまからは今はとにかくゆっくり休みなさいと勧められた。確かにこんな顔色ではお客様にも心配をおかけしてしまうと思って、私はそこに来てようやく大人しく指示に従うことにしたのだった。
「具合はどう?」
「ボス」
「いいよ、寝てて。あ、でもぼく、ミルクティー作ってきたからやっぱり座って」
カーテンを潜り抜けて現れたクダリさんは、彼の姿とお揃いの白いマグカップを片手に、私のベッドの側へ椅子を引いて座った。私も上半身を起こして、はい、と手渡されたマグカップを両手で受け取る。
「インスタントでごめんね」
「いえ、すみません。御心配も、お手数もおかけしてしまって」
「気にしない。ぼく、そんな特別なこと、してない」
心配するのは当たり前。と言い切るクダリさんを、私はこの時漸くかっこいい、と、思った。
シャワーを浴びてきた後だけれど、クダリさんはすでに診察も終えたのか、先ほどまでと変わらない出で立ちでいる。唯一違うのはまだ手袋をしていないことで、その素手で、優しく頭を撫でられた。
「今は、非常事態。きみの安心・安全が何より大事。ノボリだって絶対そう言う」
そういえば普段からこんなふうに触れられることはなかった。
丁寧に、暖かな掌が私の髪を梳いていく。私がミルクティーに口をつけると、その手は背中に回って、優しく撫でてくれた。
じんわりとミルクティーの温かさと甘みが広がって、ぎゅ、と目に力が入った。クダリさんの作ってくれたミルクティーはインスタントとか言いながらもきっちりロイヤルで、すごく甘かった。
「すみません、」
「ぼく、さっき気にしないって言った」
「……はい」
耐え切れず、ようやく溢れてきた涙を指ですくっていると、クダリさんは真っ白なハンカチを出してくれた。綺麗にアイロン掛けされている。
おずおずと顔色を伺いながら手に取ると、クダリさんは満足そうににっこり笑った。ぐじゅ、と鼻を鳴らして、私は彼のハンカチを目元にあてる。涙はすっとハンカチに飲まれた。
ふう、と吐き出した息は震えていたけれど、クダリさんが背中に当ててくれていた手の温かさが嬉しかった。また、ちびりとミルクティーに口をつける。
「ぼく、もう行かなくちゃ」
クダリさんの言葉に、はじかれたように顔を上げる。私はどんな顔をしていたのだろう、クダリさんはあやすように、また、優しげに笑った。
「きみはまだ、いい子にしてて」
もう一度こっちにくるから、と言って、クダリさんは私の頭をひと撫ですると、サブウェイマスターのコートを翻してカーテンの向こうに消えた。
視線が、手元に落ちる。私の手には、まだ半分以上残るミルクティーと、白いハンカチ。そっとハンカチを頬にあてると、クダリさんのコロンの匂いが微かに鼻をくすぐった。
随分と気が緩み始めたのか、口元が綻ぶ。落ち着いたはずの心臓は、とくとくとどこか早くなっていた。
2011/11/04 UP 2011/11/09 加筆