とんでもないレベル差
クダリさんを見ていると無性にイライラしてくる。彼が多くを惹き付け、好かれているからこそこういう人種は確実にいると思う。――例えば私、とか。
クダリさんの笑顔は素敵だ。雰囲気も明るくて、かつ上に立つ者のカリスマとでも言えばいいのか、きびきびと指示を飛ばす様はノボリさんとはまた違う格好よさがある。
それでいてクダリさんは、手を抜くところはしっかり抜く。でもやたらに部下に仕事を押し付けるわけではなく、必要ならフォローにも回るし、なんていうか、そう、要領がいいのだ。
勿論、それをサボっているだとか言うつもりはない。実質このライモンシティの地下鉄運営において、サブウェイマスターは現場の最高責任者だ。部下の失敗はそのまま彼らの失敗に繋がる。その責任という重圧は決して小さいものではないのに、クダリさんはぴりぴりとして部下をいびるでもなく、むしろ一部ではおよそ上司らしからぬ『可愛い』などという扱いを受けているほど、周囲を和ませ、いい意味で気持ちを和らげてくれる。
でも、だからこそ邪推や嫉妬も絶えないのだ。そしてそういう人種は大体嫌なやつであることが多い。例えば私とか。
というか、私は同じ尊敬しているサブウェイマスターでもノボリさんの方が『好き』なのだ。クダリさんは――眩しくて、時々辛い。強い光に照らされて浮き上がる影はその分だけ濃くなる。プラスとマイナスの絶対値。そのコントラストと距離が大きくなればなるほど、惨めな気分になるのだ。
要領の悪い自分の、くだらない嫉妬だということはわかっている。クダリさんが悪くないことも明白だ。それがまた惨めさに拍車をかける。とくに、こんな風に仕事が終わらなくて居残りをしている日には。
ふう、とついたため息は涙を誘うかと思ったけれど、うまくガス抜きで留まってくれたようだ。まあ少々泣いたところで人気のない今は気兼ねもしないけれど。
にらめっこしていたパソコンから目を離して、目頭をマッサージする。それから、目薬。これのためにアイメイクはしてない。裏方だからしなくてもまあ問題はない。今のところは。
何度か深呼吸を繰り返し、手持ち無沙汰になったのでライブキャスターでメールをチェックする。……休憩のためにまたディスプレイに目を落とすのもなんだかおかしな話だ。メール来てないし。
寒さもあって、半分に折って下半身に巻いていた膝掛けを、全部広げて肩からかぶり直す。深呼吸ともため息ともつかない吐息が落ち、さて集中力が霧散しないうちにと椅子に座り直したところで、ぷし、と扉が開く音がした。
「お疲れさま!」
にっこりと笑って労ってくれたのは、クダリさんだった。思わず立ち上がろうとすると、やんわり制止される。
「頑張ってるから、これあげる」
みんなには内緒、とイタズラっぽい笑顔に釘付けになっていると、私の視界に入るように手にしていたものを軽く振った。
それは、確かライモンに新しくオープンした……
「チョコレート、ですか」
いわゆる、お菓子屋さん。ケーキは取り扱ってなくて、飴玉とか、チョコとか、『大人の女性』をターゲットにしたブランド店の、だ。
クダリさんから渡されたのは、そこで売ってる一つ一つ上品に包まれた、可愛いチョコがつまった、手のひらに乗せられるくらいの瓶。
「ありがとうございます。あの、でも、どうして」
「きみってすごく頑張りやさん。前に甘いもの大好きって言ってたの、聞いた」
……それだけ? それだけで、まさか店に行って買ってきたとでも言うのだろうか? だとしたら、これってただの差し入れじゃないんじゃ……
私の胸中はそのまま表情に出ていたようだ。クダリさんはくすくす笑った。それから、持つだけ持ってとコートから暖かな紅茶の缶を手渡され。
「あの、……すみません、お気遣いは嬉しいんですが、困ります」
「きみ、真面目。ノボリみたい」
からかわれているのだろうか、むっとしてしまうのを止められず、眉を寄せてしまった。するとクダリさんは少し慌てて、降参するように両手を軽くあげ、振った。
「きみが貰ってくれないと、ぼくすっごい困る! 自分のために買いに行ったのバレたら、ノボリかんかん。でも、君が受け取ってくれたら、きっと多目に見てくれる」
「……」
それはどういう理屈なのだろうか。
考えていると、じゃあ一つだけぼくにも頂戴と言われ、ようやく合点がいった。
ああ、気を遣わせている。とても。
普通は逆でなければならないのに、と思えばもう穿った見方も消し飛んでいて、私は言われるがままクダリさんから渡された瓶のコルクを開けると数個、出された手のひらに転がした。
「ありがとう」
「いえ、」
お礼をいうのはこちらの方だ。ああ、また後手に回ってしまっている。だから私は駄目なのだ。
食べて、と促されて、私も言われるがまま一つ包みを空けて中身を放り込んだ。
「おいひ、です」
「うん」
ブランド店のそれだと知っているからだろうか、舌にじわりと染み込んできた味は包みにたがわず上品なもののように思えた。
内緒、と響いたクダリさんの言葉を思い出し、紅茶の缶のプルタブを空ける。チョコをいただいた以上、紅茶に手を付けない理由もなかった。口をつけると、暖かさに身体が震えた。
「サブウェイマスターの仕事、すっごい大変」
ぽつりと、クダリさんが呟く。視線を彼に戻すと目が合って、クダリさんははにかんでから帽子の鍔を触って私の視線から逃げた。……珍しい。クダリさんもノボリさんも、真っ直ぐ目を見て話す人なのに。
ぱちくりと瞬きを繰り返している間に、クダリさんはまた口を開いていた。
「きみ、ノボリに似てる。真面目で、頑張りやさん。でも、ノボリは電車大好き。ポケモンバトルもすっごく大好き」
仕事をしている私を知らないわけはないのだから、邪魔をする意図はないだろう。クダリさんのこれは無駄口ではないと思った私は、そのまま黙って耳を傾けた。
「ポケモンバトル、楽しい。集中する。お仕事だけど、でもぼくたちにとっては一番いい息抜き。もやもやもいらいらも、バトルが終わればスッキリ。車両点検もとっても大切だけど、やっぱり楽しい。
でも、きみはたぶん違う。きみの息抜き、ぼく知らない。でも、甘いもの好きなのは知ってる。その時、きみ、すっごく幸せそうな顔してた」
見てたのか、というのは今さらだろう。確かについ最近、同僚とまさしくこのチョコの店の話で盛り上がった。
でも、それだけで?
今度はしっかりと私を見つめてくるクダリさんは、そのままわずかに首をかしげた。その様子を掛け値なく可愛らしいと思ってしまう。ほだされたなあ、と、他人事のように感じていた。
「少しくらい、元気出た?」
「……ええ、大分。すみません、クダリさんもお疲れなのに」
「じゃあもう一回やり直し!」
「え?」
「すみませんだと、ぼく元気でない」
何を言おうとしているのかと首をかしげそうになった寸前、私は、ふと彼が求めているものがなにか思い当たった。
「……ありがとう、ございます」
呟くようにそう言えば、クダリさんはさっき口にしたチョコのように、溶けそうな笑顔を見せてくれた。
「うん! ぼく元気になった!」
「それはなによりです」
「元気になったから、お礼に送ってくね!」
「へ?」
「もう外真っ暗。一人じゃ危ない」
「いえ、大丈夫です。ここから社宅も近いですし、」
「だめ」
「……誰かに見られるかもしれませんし」
予想外の言葉に思わず拒否してしまったけれど、もうクダリさん本人に対するあれやそれやはなくなっていた。ただ、この人に送られたのを同僚に知られたら、きっと暫くは絡まれるだろう。それを思うと少々どころではなく気が重い。だから、
「ぼくのこと、きらい?」
そういって、口元では苦笑を浮かべながら、悲しそうな顔をするのはやめてください。
それをそのまま伝えることなんてできず、ぎゅうぎゅうと胸が苦しくなってしまい、私は視線を落とした。
「……これいただいたの、内緒って仰ったじゃないですか。ばれちゃうかもしれませんよ?」
「それはいや! でも、きみが危ない目に遭うかもしれないのはもっといや」
相変わらずこの人は素直だ。いや、それだけじゃない。思っていた通り、甘え上手というか……自分の希望を通すにはどうすればいいのか心得ている。交渉上手なのだ。
困った。非常に困った。
「あの、まだ仕事、終わらないので」
「待ってる」
「……いつまでかかるか」
「じゃあそれまでぼく、もう一回見回りしてくる! ぼくのライブキャスターの番号、これ。終わったら、絶対連絡ちょうだい!」
「え、あ、ちょっ……クダリさん!」
しびれを切らしてしまったのか、クダリさんはデスクの一角においていたメモ帳にさらさらと自分の番号を書き捨てると、私の返事も待たずに管理室から飛び出していった。
どうしよう、これ。
とにかく仕事は終わらせてしまうとして、これではクダリさんに連絡いれないと、あの人ずっとここで待ってそうだ。まさか帰宅してから連絡するのはあまりにも申し訳ない。
完全に押しきられた形になった私は、温くなり始めた紅茶を流し込むと、先程までとは違う意味で頭を抱えてパソコンのディスプレイと向き合う羽目になった。
結局私はクダリさんと合流して、「いつもノボリとこんなかんじ!」と茶目っ気たっぷりに言われ脱力することになる。
それから、無理矢理私のライブキャスターを奪って番号を『交換』しなかったクダリさんの気遣いに気づくのは翌朝のことだ。やっぱり、絶対値は縮まる気がしない。
2011/11/16 UP