Trick or Treat!
たたた、とギアステーション構内を駆ける音がして、ノボリは歩みを止めた。そして駅構内では安全のため、できる限り走ることのないようにと口頭注意をしようとしたところで、流れるようなその動作がひたり、止まった。
「……あなたさまは」
「ノボリさん! こんにちは」
真っ直ぐ駆けてきたのは他でもない、よく知ったメグルという女性で、その肩にはやはりというべきか、メタモンが乗っていた。ノボリとの距離が近づくほど彼女はそのスピードをゆるめ、ついに手が届けば触れる距離まで来ると、立ち止まって微笑んだ。
「こんにちは、ようこそお越しくださいました」
丁寧に腰を曲げ、一礼をする。そしてすぐ、当初の予定であったその言葉を口にした。
「メグルさま、駅構内では、できるだけ走らないようお願い致します。あなたさまの安全にもかかわりますので」
クダリにはちょっと口うるさいよと言われても、やはり彼にとってギアステーション内の秩序は大切である。そして、彼女もまたそれを重々承知しているのだろう、素直に謝罪を口にした。けれど、すぐに申し訳なさそうな表情から一転、期待に満ちた目をノボリに向けると、
「ね、ね、ノボリさん」
「? どうかされましたか?」
「Trick or treat! です!」
これ以上ないまでにはつらつとした笑顔を浮かべる彼女は、嗚呼クダリのようだと思いながら、彼はしばらく逡巡したのち、一つ咳払いをして切り出した。
「失礼ですが、メグルさまは成人していらっしゃいますでしょう。カントーのハロウィンの習わしはわたくし、詳しく存じ上げませんが、こちら、イッシュではハロウィンでお菓子を強請るのは15歳未満の子供に限っております。勿論、当ギアステーションでも同じことです」
「ええっ!?」
できるだけからかいもせず、馬鹿にもせず、勿論そんなことなど露程にも思ってないのだから当然だが、ノボリはできるだけ淡々とした声色で彼女にそう教えてやった。そして見せた彼女の反応から、彼女がそれを知らなかった明白で。
メグルは少し頬を赤らめて、「15歳未満、ですか」と呟くと、恥ずかしそうに視線を下げてしまった。それを見て、ノボリは帽子のつばを指先で押さえると、
「ちなみに」
「?」
「それ以上は大体、催されるパーティに参加いたします。勿論、そのパーティにも子供たちは足を運ぶわけですが」
と、そう続けた。彼女はノボリを見上げて、彼を伺うように首をかしげた。
「ノボリさんは、そのパーティには?」
「生憎このバトルサブウェイ……いいえ、ギアステーションにおいては、年中行事など関係ありませんので。むしろハロウィンは夜の行事ですし、通常の一般地下鉄のダイヤはいつもより遅い時間まで運行することが決まっております」
「……ですよね」
はあ、と彼女は肩を落とす。クダリはどうにかしてイベントを楽しもうと画策していたようだが、勿論それは口にしない。そのかわり、ノボリはふと思い浮かんだアイデアに、礼をするときのように腰を曲げた。必然的に、二人の顔が近くなる。
「……メグルさまさえよろしければ、今夜、二人だけのパーティというのはいかがでしょう」
こっそりとささやかれたそれに、彼女は真ん丸と目を見開いて。
「そそ、そ、それって、」
「先ほど申し上げました通り、今日の業務が終わるのは、いつもよりも遅くなってしまいますが」
「い、いえ! そんなのは全然! だいじょぶ、です! の、ノボリさんこそ、お疲れじゃ」
「体調管理には自信がありますので。……では、ワインの一本でも携えて参ります」
「は、はい、じゃあ私、も、準備を、あっ! もしよかったらノボリさんの好きなものでもっ」
顔を真っ赤にするメグルに、ノボリは自分の目元が緩むのを感じていたが、まあまず傍からは気づかれないだろうとくすり、彼なりの笑みをこぼした。
「好き嫌い等ございませんので、あなたさまのお好きなものを、どうぞ」
「……えっと、でも、いいんですか?」
「はい。ああ、ですが一つだけ」
「?」
ぐ、とさらに彼の唇が、彼女の耳元へと近づく。
「メグルさまを、いただけるのであれば」
その先は続かなかった。彼女は顔を赤らめたまま、元来た方へ、ギアステーションから地上へ抜ける階段を駆け上がってしまっていた。
「……ですから、走るのはおやめくださいと」
彼の呟きは口元に浮かんだ笑みとともに構内の雑踏の中に消えた。
2011/10/30 UP 2011/11/09 加筆