おいでませ地下鉄中央駅へ
ライモンシティ、ギアステーション。
廃人列車、動く闘技場、廃人の墓場……このポケモンバトル施設には数多くの呼び名があって、バトルサブウェイという名称や『ノッテ タタカウ』というキャッチフレーズからもわかる通り、走る電車の中でバトルをすることで有名だ。
またそこを利用するトレーナーやポケモンもイッシュに限らず、いろんな地方から集ってくると言う。それも、皆腕に覚えがある百戦錬磨ばかり。
ただの一度も利用したことのない私の耳にまでそんなあれやこれやが入ってくるのだからその存在感たるや、である。
まあ、私が世話になることはないだろう。トレーナー稼業だけで生活を賄える程度の腕はあると自負しているけれど、話に聞く『バトル狂』ほど、バトルに飢えているわけではない。
バトルサブウェイと普通の地下鉄駅とを統括するいわゆる中央駅『ギアステーション』で、バトルサブウェイの案内が掲げられた掲示板を眺めていると、もにゃ、と私の右肩に乗った、相棒ともいうべきメタモンが鳴いた。
「なあに? 普通の地下鉄ならともかく、バトルサブウェイには……」
「ねえキミ!」
急に騒がしくなった相棒に気をとられて、私は背後からかけられた声に殊更に身体を震わせてしまった。
振り返ると、少し気まずそうに眉を下げる男性が一人。
「あ、ごめんなさい。驚かせてしまいましたね」
「いえいえ、だいじょうぶです。あの、なにか?」
見たところ悪い人ではなさそうだ。身なりはいいし、顔立ちも悪くなく、品が良さそうとでも言えばいいのか。なによりへにゃりとはにかんだ表情が『隙』を伺わせて、好青年そうな印象を出すことに成功していた。
声をかけてきた彼は、自分のことをジャッジだと名乗ると、
「ぼく、ポケモンを見るのが大好きなんです。も、もしよかったらキミのポケモン……いや、その肩に乗せてるメタモン、もっとしっかり見てもいいですか?」
きらきらと輝く瞳でじっと私の肩にいるメタモンに熱い視線を注いでいた。
ナンパにしては明らかに私はおまけだとでも言わんばかりである。
時間はとらせませんからというジャッジさんに負けて、私はメタモンを彼に手渡した。
場所を移動したりするつもりもないようで、彼は本当にメタモンを手のなかで愛でる。
「すばらしい」
「はあ」
「……キミはポケモンの個体値とか気にしたことは?」
「特には、ありませんが」
私のノリが悪いのをみて、ジャッジさんは首をかしげた後、大仰に驚いてみせた。
「えええええ!? こんな素晴らしいメタモンがいるのに!?」
……彼の言うことはわからないでもない。私達人間もそうだけれど、ポケモンも一体一体能力や特性、性格が異なっていて、個体値とは生まれ持った素質と言うべきものだ。同じ努力をしたポケモンをぶつければ、基本的には個体値が優れている方が勝つと言うことで、いわゆる廃人と呼ばれるトレーナーたちはこれに気を配っているのだ。素質は遺伝するというから、ポケモンの交配に勤しむ人も少なくない。その際、メタモンがいれば手間が減る。このメタモンというポケモンは、大体どんなポケモン相手でも交配が可能だからだ。
「うーん、そうですね。まあ、今のところは……やっぱり、ゲットしてから一緒にいる子には情も移りますし、なかなか、その、」
「なるほど、まあそれが普通ですね」
ジャッジさんは失言でしたと謝ってくれたけれど、きっとここにおいては私の方が異質だろう。ここはそういうところなのだから。
「談笑中失礼いたします、お客さま」
なんとも言えない空気が流れたけれど、それをさらに押し流してくれたのは第三者の声だった。
穏やかでいて、落ち着いていて、柔らかいとも、堅いともとれる、成人男性のそれ。
「あ、ノボリさん」
ジャッジさんは私越しにその人を見ると、目元から顔をほころばせた。
その視線につられるようにして、私もそちらへ向き直る。視界に、黒いシルエットが飛び込んできた。
……駅員さん、だろう。
黒い制帽、黒いコート。右腕には青い腕章があって、同じ色のネクタイはきっちり締められ、白いYシャツは皺一つなく、黒いスラックスもまた同様綺麗にアイロンがけされていた。黒い革靴は履き慣らされた感じはするけれど新品同様ぴかぴかだ。
多分、無作法にじろじろと見ていたはずだけれど、背の高いその人は私達のところまでやって来ると、帽子の鍔を触って軽く会釈を。倣うように頭を下げると、未だ目が点になっているであろう私を見かねてか、その人は僅かに目を細めた。――それを『あ、笑った』と思ったのはどうしてだったのだろう。
引き結んだ口元はそのままに、アッシュの瞳はじいと私をまっすぐに見つめてくる。
「わたくし、サブウェイマスターのノボリと申します。先ほど通路内でトレーナーカードの落とし物を発見したものですから。こちらは、あなたさまのお持ちものではございませんか?」
「えっ!? あっ、やだ、うそ!」
見慣れたパスケースを差し出され、最近更新したばかりの私の顔写真が載ったそれに、私はバタバタと慌ただしく鞄やポケットの中を確認した。……ない。さっきポケモンセンターに行ったときは確かに入ってたのに。
「すみません、どうもそうみたいです……」
顔写真があるお陰で助かった。きっと確認の時に見て、同じ顔を見つけたから声をかけてくださったんだろう。気づかないままだったら、今晩ポケモンセンターのお世話になれなくなるところだった。危なかった。
ノボリさんと名乗ったその人から恐縮しつつ両手でカードを受けとると、彼はまた口を開いた。
「念のためなのですが、あちらに見えます管理室で、いくつか書いていただかねばならない書類がございます。お客さまご本人で間違いはないと思いますが、どうかご理解くださいまし」
「あ、はい、それは勿論。大丈夫です」
ノボリさんはお手数をお掛け致しますとまた軽く頭を下げるけれど、こちらこそ大切なものを善意で届けてもらったのだ。前に違う荷物を電車の中に忘れたときは、自分で落とし物を管理する窓口まで行って全部自分で確認しなければならなかった。本来駅員さんの仕事は、落とし物があればその管理室まで運ぶことであって、落とし主を見つけることではない。まあノボリさんだって落とし物が写真のないカードだったりしたらこうはなってないだろう。声をかけてくれたのは、正真正銘彼の善意以外のなにものでもなくて、むしろ仕事内容からはやや逸脱しているはずだ。だからこそとても嬉しかった。別に前回の駅員さんの対応が冷たく感じられたからではない。断じて。
それに書類を書くにしたって、別にやましいこともない。ライモンシティは人が多いから、特に落とし物も絶えないだろう。もし持ち主と違う人の手に渡ってしまえばクレームどころの騒ぎではなくなってしまう。
私が書類を書くだけで事が恙無く事が運ぶならそれに越したことはないというものだ。
ジャッジさんとお別れをして、ノボリさんの後をてろてろと歩く。
聞きしに勝るサブウェイマスターを前に、この人意外と暇なのかと思ってしまったのは致し方ないことだと思う。なんていうか、丁寧すぎるというか。まあそりゃたらい回しにされるよりは遥かにいいに決まってるけど、この人の仕事の邪魔をしてないかは気になった。真面目そうだし。
イライラしてる感じじゃないのが救いだなあと思いながら、受付のような窓口で、ノボリさんが駅員さんに何事か伝えている。愛想のいい駅員さんは、ではこちらの書類にご記入をお願いしますとペンと書類を渡してくれた。
さらさらと指定された枠内の項目を埋めていく。それが終わると、ノボリさん直々にありがとうございましたと頭を下げられた。
「お礼をいうのはこっちです! 本当にありがとうございました。丁寧に案内もしていただいて」
「お気になさらず。それがわたくしどもの仕事でございますから」
ノボリさんは制帽を指でさわり、目を細める。口元は全く緩まなかったけれど、やっぱりそれは確かに微笑みだった。
出来ればなにかお礼の品でも、という気持ちだけれど、たぶん迷惑だろう。なにか品物を持っていくよりは、バトルサブウェイに乗った方が喜ばれそうだ。
そんなことを考えていたら、
「お客さまは、本日はどのトレインをご利用ですか? よろしければご案内いたします」
とノボリさんに言われ、私は言葉につまった。
「え、い、いいんですか? サブウェイマスターなんですよね?」
「そちらは通信で駅員と連絡を取っておりますから、所定のダイヤの時間までは比較的融通が利きます」
お嫌でなければという言葉に私は断るのもしのびなくなり、
「いえ、カナワタウンに行こうかと思っていたんですけど、バトルサブウェイにも興味があったりなかったり……でも、敷居が高そうで」
気づけば、そんなリップサービスをしていたのだった。肩のメタモンが騒がしい。ええい、からかわないでよ。別に素敵な人だから下心がでたわけじゃないったら!
そんなことを胸中で考えていると、ノボリさんの顔が輝いた。……えっと、穏やかな人かとおもったら、随分熱い人のようだ。
「当バトルサブウェイにおいては、各トレーナーに貴賤や優劣など存在いたしません! ただバトルがあり、勝利があり、敗北がある。それだけでございます! よろしければお客さまも是非、おたのしみくださいまし!」
急にテンションを上げ、高らかに声を張り上げたノボリさんに気圧されながらも、彼の高揚からくる頬の赤みに気づくと、私は自然と笑みをこぼしていた。
「あ、はい。じゃあ一度くらいは挑戦してみます」
「ブラボー! それは大変素晴らしいお言葉です! バトルサブウェイの仕組みはご存じですか?」
「一応、さっき掲示板で」
「そうですか、では私の説明など不要でございますね」
弾んだ声に、素直に羨ましいなと思った。やりたいことをやっている充足感というのは、滲み出るものだ。
ほんとに一回くらいは挑戦してみてもいいか、何て思ってしまうくらいには。
ノボリさんはそのあとすぐ連絡を受け、申し訳ありませんがこれで失礼いたしますと深々とお辞儀をして颯爽と去っていった。多分バトルサブウェイからの呼び出しだろう。その方向へ。
なびくコートが格好いいなあんて思いながら、私はメタモンが背中に入り込んでくるまで、暫くそこで棒立ちになっていたのだった。
あ、そういえば私、ちゃんと名乗ってなかった。
2011/11/16 UP