おぼこい上司はいかが?

「きゃっ」

 なんでもない、よくあるといえばよくある光景だ。
 クダリさんに言われて倉庫まで足を運び、棚の上に積まれた段ボールを取ろうと、脚立にのっていたところバランスを崩した。
 高さはそうないとはいえ、落ち着かない浮遊感に本能的な危険を感じて目を瞑る。それが途中、確かな力で受け止められたのを感じたのは床に落ちてからだった。

「ん……いた、た」

 たぶん誰かが助けに入ってくれたのだろうことは分かったから、確認しようと目を開けると、そこにあったのは制帽を被ってない、ノボリさんの顔。が、私の胸元に。
 制帽は私を助ける際飛んでいったみたいで、彼のすぐ脇に落ちていた。
 どうしてここにと思わないでもなかったけれど、そりゃあここは職場なんだからたまたま通りかかることくらいあるだろう。

「すみません、ノボリさん。大丈夫で……え?」

 少し身体をずらして彼を伺うと、ノボリさんは顔を首や耳まで真っ赤にして震えていた。

「あ、あの、ノボリさん?」
「も、もうしわ、っけ、わた、わたくし、」

 初めて見た慌てぶりに、普段の様子もあいまって壊れた機械のようだと思う。

「意図した、わけ、ではなくっ」

 きょどきょどと視線の定まらないノボリさんは、視線を少し下げる。その先にあるのはつい先程まで彼の顔があった私の胸で、それに気づいた瞬間、私の頬は緩んでいた。

「ノボリさん、かわいい」

 くすっと笑うとただでさえ真っ赤なノボリさんの顔が、ぽぽぽぽん! と勢いよく赤みを増して、なんだかお酒に酔ったような色になった。

「あああああのあの、あの、メグル、さまっ!?」
「すみません、つい本音が」
「ほ、ほんっ……!? あの、怒ってらっしゃるのです、か、わ、わた、わたくし、ご無礼を」
「いえ、助けてくださってありがとうございました」

 存外上司は初らしい。
 まるで少年みたいな様子に、私はもう少し可愛がりたくなって彼の胸板に胸をぴったりと寄せてそのまましなだれかかった。
 ひ、と彼の身体が強張って、いつもなら絶対に見ることのできないノボリさんに高揚感を隠せない。

「お礼がしたいんですけど、私でもいいですか?」
「は、な、え? なにを」
「……嫌ですか?」
「いっ、嫌かどうかと、言う、問題ではっ、」
「……じゃあ、責任取ってください」
「え」
「いくら事故とはいえこんな……こんな風に胸をさわられるなんて、もうお嫁に行けません!」
「あ、そ、れは」

 ノリだけで口にした言葉にも、ノボリさんはおろおろと声をつまらせるばかりで気づく様子もない。この人見た目通り堅物らしい。

「……ノボリさん」
「は、はい」
「最後まで、責任取ってください……」
「それは、つまり、あの」
「女の口から言わせないで」

 じっと見つめると、ノボリさんもじいっと私を見返してくる。唇は震えていたけど、ごくりと上下した喉仏は色っぽくて、私はここらで引き上げるかと息を吸い込んだ。
 そのとき。

メグル! 職場でそれはよくない!」

 ずばっと割り込んできたのはクダリさんだった。ノボリさんがひい! と叫んで身体をビクつかせる。

「遅いから来てみた! なにしてるの」
「くっ、クダリ、いえ、これは」
「ノボリ真面目! からかうのだめ!」
「え」

 めっ、と怒られて、私ははあい、と返事をした。というかその口ぶりは暫く見てたな。

 ノボリさんだけが何がなんだかわからずにクダリさんと私を交互に見やる。
 混乱する彼に、私はこっそりと耳打ちを。

「私、今日仕事が終われば此処で待ってますから。あとはノボリさん次第です」

 待ってる、なんていえばノボリさんは取り敢えず来ることは来るに違いない。たぶらかしてるようだけど、これを楽しんでるんだからそういわれても仕方ないなと思う。
 落ちていた制帽を拾って埃を落とし、惚けたように私を見るノボリさんに被せる。
 そして何食わぬ顔でもう一度助けてくださってありがとうございましたとお礼を言うと、私は目的の段ボールを抱えて倉庫をあとにした。





「……で、ノボリ、告白できたの」

 呆れたようにクダリさんがノボリさんにそう言っていたのは、知らない。

2011/12/06 UP