ひみつ

 カゼをひいてしまいました。
 いつものようにクダリといっしょに、げんきにスクールにいって、おなじことをしてましたのに、わたくしだけ。
 きのうのよるは、おとうさまもおかあさまもいたのですが、きょうはだれもいません。おやすみがとれなくてごめんね、となんどもあやまりながら、おしごとにいくおふたりをベッドからおみおくりしたのがついさっきです。

 おいしゃさまには、きのうのうちにかかりました。おかあさまがつくってくれたおかゆをすこしたべて、おくすりをのみました。おくすりはきらいなのですが、よいこにしてないと、おとうさまたちがもっとしんぱいしてしまいますし、わたくしだけカゼをひいたからといって、クダリにまでうつしてしまいたくはありません。なにより、はやくげんきになりたかったのです。
 けれど、いちどおきてからはベッドにはもどらず、リビングのこたつにもぐりこみました。
 だれもいないおうちは、なんだかさむいようなきがして、こころぼそくて、とてもベッドでじっとしていられませんでした。

 さみしくてテレビをつけたのですが、わらうこえがきこえるものは、なんだかよけいにさみしくなってきたので、しずかなニュースにかえました。

 そのときです。
 ぴんぽんと、いえのチャイムがなりました。
 わたくしはがんばって、げんかんまでいきました。

「……どちらさま、ですか?」

 げんかんから、ドアをあけずにおうかがいすると、むこうがわから、おんなのひとのこえがしました。

「ノボリくん起きてるの? メグルだよー」
メグルさま?」
「おばさんたちからできれば看病してって鍵は預かってるんだけど、一応ね」

 そのことばどおり、かちゃん、とかぎがあくおとがしました。ドアがあいて、はいってきたのは、ちゃんと、メグルさまでした。
 メグルさまは、ごきんじょさまで、だいがくせいなのです。むずかしいべんきょうをするところだと、おかあさまがいってました。クダリは、なつやすみや、はるやすみがながいということをきいて、ものすごくうらやましそうにしてました。
 わたくしは、やさしくて、いつもにこにこして、あたまをなでてくれるメグルさまがだいすきです。おねえさんなのです。

「チャイム押してすぐ声が聞こえたけど、いいこにしてたかな?」
「……おかゆをたべて、おくすり、のみました」
「一人で? ノボリくんすごいねえ」

 メグルさまはわたくしのいったことに、めをまるくして、それからおじゃまするね、といってくつをぬいで、そろえて、せんめんじょまでいくと、せっけんでていねいにてをあらって、タオルでふいて、それをずっとみていたわたくしのあたまをなでてくださいました。

「熱は計った?」
「あさに、おかあさまが。ちゃんとねなさいって、おでかけまえに」
「よし、じゃあ今日は一日たくさん寝ようね」
「……ねむたくないです」
「ふふ、起きたばっかりかな?」

 でも、ちゃんとあったかくしてねてないとダメなんだよ、とメグルさまはいいます。

「今、ノボリくんの身体は一生懸命風邪をやっつけてくれてるからね、ノボリくんは、邪魔しないように、じっとしてるのがいいんだよ。起きてるより、寝てる方がもっとやっつけやすいからね」
「……」

 わたくしをひょいとかかえて、メグルさまはわたくしのベッドのあるおへやまであるきだします。わたくしはメグルさまのやさしいこえと、あったかいからだがきもちよくて、じぶんからもぴっとりくっつきました。

メグルさま」
「なあに?」
「いっしょがいいです」
「うん、今日はお勉強ないからね、おばさん達帰ってくるまで一緒だよ」

 ぽんぽんと、やさしくわたくしのせなかをたたくてがやさしいです。

「……もうおわったのですか?」
「今日はねえ、お勉強ない日なんだ。だから一日お休み」

 だいがくはふしぎなばしょです。きっと、クダリがきいたらよろこびそうです。……でも、わたくしも、メグルさまといちにちあそべるなら、うれしいですけど。

 ゆっくりベッドにおろされて、メグルさまがおふとんをかけてくれます。

「お昼ご飯はなにが良いかなあ」
「……ハンバーグがいいです」
「そういうのは元気になってから。おうどんはどう? 卵入れて」
「あい……」

 メグルさまのこえがとおくなります。ねむくないとおもっていたのに、なんだかめがうまくひらきません……。
 かわりに、きゅう、とメグルさまのてをにぎると、おやすみ、とおでこにあたたかいものがあたりました。



******



 ――近所に住むノボリくんとクダリくんと言えばこの辺りでは有名だ。そっくりなのもあるけど、中身がまるで違う。いや、どっちも年相応なんだけど、主にノボリくんが、その口調や語彙が、大人びているのだ。
 まあ私も行儀のいいノボリくんが好きで(クダリくんは非常にやんちゃである)、会えばよくお話ししたり、遊んだりする。おばさん達とも面識があるし、私の両親のこともよく知られていて、私が小さい頃はおばさん達に面倒見てもらったりと、まあ所謂家族ぐるみでの付き合いなのだ。
 そんなわけで、風邪を引いたノボリくんのお見舞いと看病にお邪魔したわけだけど、眠たくないと言ってた割りにあっさり寝入ってしまったノボリくんは、しっかりと私の手と言うか指を握りしめている。
 私も若干眠気が帰ってきているだけに頬が緩むどころの騒ぎではない。
 おばさんから予めお昼にはおうどんでも作ってやってと言われているし、私がいただく分も合わせて材料についても心配要らないのだけど、今真剣に考えねばならないのは、この小さな手を外すか否かである。
 甘え下手と言うか、多分クダリくんが積極的すぎるせいだろう、ノボリくんがこうしてはっきり甘えてくるのは珍しいから出来ればこのままでいたい。看病といってもおばさん達が帰ってくるまでノボリくんを看ていればいいわけで、やることもそう多くないし。
 ただ、だから、眠いのだ。お昼まではあと三時間ほどある。

 ノボリくんの静かな寝息だけが耳に入ってくる。
 辛そうではないけど、柔らかそうな頬っぺたは赤くなっていて、私はそうっと指を引き抜いた。

 まずはリビングの空調を整えて、それから冷たいタオルでも持ってこよう。

 思い立った私は、出来るだけ音を立てないようにしてノボリくんの部屋を出た。聞こえてきたテレビの音に、ノボリくん渋いなあ、なんて驚きと感心でいっぱいになった。……ニュースでなにか好きなものでも取り上げてたのかな?


******


 おとがして、めをあけると、メグルさまがいました。

「あ、起こしちゃったかな?」

 メグルさまのてには、タオルがあって、ちょんちょんとわたくしのおかおにあててきます。つめたくって、きもちがいいです。

「もうすぐお昼だからねえ。おうどん、作ったよ。お腹は空いてるかな?」
「ん、と、すこし、」

 わたくしをのぞきこむようにして、メグルさまは、やさしく、やさしくいいます。

「食べられそう?」
「はい」
「ん。じゃあ、あっちいこうね」

 そうっとおふとんをめくっておきると、ひざをついてすわったメグルさまが、わたくしのあたまとくびを、つめたいタオルでふきました。

「寒いといけないから、タオルケットごとにしようね」

 メグルさまは、いつのまにかわたくしのおふとんのうえにあったタオルケットをひろげて、わたくしはすっぽりくるまっていました。
 メグルさまは、そのままわたくしを、ねるまえみたいにだっこして、へやからでます。
 おちないように、ぎゅっとしがみつくと、メグルさまは、ほっぺたをすりすりしました。

「ふふ、ノボリくんはほっぺたやわらかいねえ」
「カゼが、うつります、よ」
「大丈夫」

 なにがだいじょうぶなのでしょうか。

「おおきくなったら、カゼをひかないのですか?」
「カゼは大きくなってもひいちゃうよ~。でもね、ちゃんと手洗いうがいをして、身体にいいことしてれば大丈夫。夜は早くにベッドに入って、いーっぱい寝て、朝早くに起きる。好き嫌いしない。好き嫌いがなくても、好きなものばっかり食べない。他にも色々あるけどね」
「わたくし、よいこにしてたのにカゼになりました……」
「それはね、ノボリくんがまだ小さいからだよ。それに、ノボリくんのお友達にもかけっこが上手な子やポケモンバトルが上手な子、いろんな子がいると思うけど、風邪もひきにくい子っているからねえ」
「はい、まだいっかいもおやすみしてないひとがいますし、おやすみのおおいひともいます」

 おうちにかえってから、どんなふうなのかはしらないので、わたくしにはそうぞうもつきませんでしたが、きっと、ひとそれぞれというものなのでしょう。

 メグルさまは、わたくしをいすにすわらせると、つくえに『なべしき』をおきました。それからおなべをそこにおいて、わたくしのおちゃわんにおうどんをよそって、フォークといっしょにわたくしのまえにおきました。

「……あの、メグルさま、おはし……」
「お箸? お箸の方がいい?」
「はい。くろいのがわたくしのです」

 まだめがねむたいかんじですが、おうどんのおつゆのにおいに、だんだんぱっちりしてきます。

「はい。どうぞ」
「ありがとうございます」

 メグルさまからおはしをもらって、わたくしはメグルさまが、ごじぶんのぶんをよそうのをまっていましたが、なぜかメグルさまがわたくしをじっとみるので、くびをよこにたおしました。

メグルさまは、たべないのですか?」
「食べるよ~。ノボリくんが食べてくれたらね」

 にこにこしたおかおで、メグルさまがそういうので、わたくしはてをあわせて、いただきますをしました。

 おわんをおさえて、おはしをもって、つるつるすべるうどんをいっぽん、はさみます。
 ちゅるん、とすうと、おうどんがはねて、おつゆがかおにかかりました。

 おもわずめをきゅっとつむると、メグルさまがタオルでふいてくださいました。
 おれいをいって、おつゆをすこしのみます。おかあさまがつくるのとは、ちがうあじがしました。
 タマゴは、えっと、とろとろのめだまやきみたいなのではなくて、タマゴスープみたいにしてあって、ふわふわで、

「とってもおいしい、です!」

 からだがぽかぽかとあったかくなって、わたくしはすこしだけ、からだがおもいのをわすれました。

「ん! よかったよかった」

 メグルさまはにっこり笑って、あったかいおちゃをくれました。それからごじぶんのおうどんをよそって、おなじようにいただきますをしてたべはじめました。

「おいし」
「おいしいです」
「ね」

 しっかりとよくかんで、おつゆもちょっとだけのんで、おなかいっぱいになりました。

「ごちそうさまでした」
「おそまつさまでした。ちゃんと食べられたね。安心した」

 おちゃをのんでいると、メグルさまは、すばやくおなべとおちゃわんと、おはしをかたづけました。

 ……おてつだいできませんでした……。

 もっていたコップをメグルさまのところまでもっていくと、メグルさまはありがとう、っていってくださいました。

「じゃあ、おくすり飲もうか」
「……はい」

 おくすりはにがいです。あまいのものみますが、とってもきらいです。

「お薬苦い?」

 メグルさまがわらってそういうので、わたくしははい、とあたまをさげてへんじをしました。
 それから、メグルさまが、おいしゃさまからどんなおくすりもらったの? といわれたので、わたくしは、おくすりいれからしろいかみのふくろと、あまいのがはいったいれものを、メグルさまにおみせしました。

「ふんふん……シロップは甘いやつだね。こっちの袋のは咳止めか……粉は飲みにくいねえ」
「おみずにとかしてのんでもいいって、おいしゃさまがいってました。でも、にがいと、のみこむのがむずかしいです……」
「うーん、だろうね……がんばれるかな?」
「はい」

 メグルさまといっしょなのは、とってもうれしいです。でも、からだがおもくて、くるしいのはいやです。

 げんきになって、クダリとあそびたいです。メグルさまに、いっぱいぎゅってしてほしいです。メグルさまはわたくしをぎゅっとして、ころんとねころぶのがすきです。わたくしも、とってもはずかしいですが、それがだいすきです。メグルさまのやさしくて、たのしそうなわらいごえが、みみのすぐちかくできこえるのです。

「じゃあお水ね」

 メグルさまからおみずのはいったコップをもらって、わたくしはさきに、こなのおくすりからのむことにしました。
 おかあさまが、わけてのむと、しっぱいしやすいから、といっていたので、おくすりをコップにいれます。
 メグルさまが、まぜるようの、えっと、『まどらー』で、くるくる、おくすりがとけるように、まぜてくださいました。

 ゆっくり、コップにくちをつけて、ぐび、とのみます。……やっぱり、とってもにがいです……。
 でも、これをのめば、こんどはあまいおくすりがのめます。
 なんかいもコップからくちをはなしましたが、ぜんぶのむことができました。

「一旦お水飲む?」

 メグルさまと、おみずのはいったコップと、わたくしがのんだ、おくすりがはいっていたコップをこうかんします。ただのお水なのに、にがくないだけで、こんなにのみやすいなんて!

 メグルさまからも、えらいねって、ほめてもらいました! うれしいです。

 のこりのあまいのものんで、メグルさまに、まただっこされました。

「寒くない?」
「だいじょうぶです」
「……眠くなさそうね?」
「ねむくないです」

 こんどこそ、ねるわけにはいきません! だって、せっかくメグルさまといっしょにいるのに。
でも、ねないとカゼははやくなおりません……。どうしましょう、とすこしだけもじもじしていると、メグルさまは、ソファにわたくしをはこびました。

「眠くなるまでここで暖かくしてようか。テレビつける?」

 ソファでごろんとするようにいわれて、そのとおりにすると、すこしだけ、からだがらくになったかんじがしました。きっと、これが、ねていたほうがいいりゆうなのだとおもいました。
 ソファよりもベッドのほうが、もっとらくだとおもいます。でも、ねむたくないので、だまっていました。
 メグルさまは、カーペットの上にざぶとんをしいて、そこにすわりました。おかおがすぐちかくにあって、なんだかどきどきしました。

 じっとしてるのは、とってもたいくつです。
 いつもはクダリがいて、いっしょにあそんだりするのです。でも、きょうはひとりです。おやつもげんきになったらねって、いわれました。
 そとでかけっこすることもできません。ポケモンバトルのマネも、おもちゃであそぶのも、ぜんぶできません。

 でも、メグルさまがやさしくわらいながら、わたくしのほうをみているのは、はずかしくって、でもけっしていやではなくって、もちろん、メグルさまといるのが、いやなわけでもないのです。

メグルさま……」
「ん?」
「つまらなく、ないですか?」

 わたくしは、うれしいです。でも、メグルさまは、もしかしたら、わたくしよりももっと、もっと、たいくつで、めんどうだとおもっているのではないかと、おもうと、こわくて、

「そうだなあ、私は割とお家にいる方が好きだから、全然。ノボリくんと一緒にいるしね」
「でも、わたくし、カゼをひいてます……」
「居てくれるだけでいいんだよ」

メグルさまはわらって、そんなこときにしなくていいんだよ、って、いいました。

「どうしても気にしちゃうなら、……うーん、私が風邪ひいたら、お世話してもらおっかな」
「! はい、かならずっ」

 あっ つい、こえがおおきくなってしまいました……メグルさまもすこしびっくりしてます。
 でも、すぐににっこりわらって、

「ふふ、じゃあ約束ね」

 それから、ゆびきりげんまん、したのです。
 カゼでぐあいがわるいのもわすれて、わたくしもにっこりしました。


******


 そろそろクダリくんが帰ってくる時間だ。ノボリくんは静かに眠っている。
 ソファで寝るのはいかがなものかと思って、そうっとベッドまで運んだけど重かった……。意識がないと、子どもでもすごい重たいんだな……。
 幸い起こすこともなく、私も眠気に勝てずに傍でひと眠りしてしまったのだけど、特に容体が悪化することもなくて安心した。

「ただいまあ!」

 鍵は起きてから開けておいたから、玄関のドアが開くと同時に、声を押さえた、けれど元気なクダリくんが帰ってきた。お迎えをして、私も声を押さえておかえり、と返す。

「おててあらうの! あと、がーぐー」

 内緒話のようにクダリくんはそう言うと、洗面所の方へ向かった。彼のために踏み台を置くと、満面の笑みでお礼を言ってくれた。かわいい。

 手洗いうがいを終えて、クダリくんは少しもじもじし始めた。私の服の裾を引っ張るから、目線を合わせる。

「あんね、ノボリ、まだぐあいわるい?」

 おばさんからも静かにしてるように言われたんだろう、ノボリくんに配慮して耳打ちしたクダリくんの顔は少し不安そうにも見えた。

「今はベッドでぐっすりお休みしてるよ。今日はいい子にしてたから」
「ぼくもいいこにしてたら、ノボリ、はやくげんきになる?」
「そうだなあ、クダリくんが静かにしてたら、ノボリくんはゆっくり眠れるから、そういうことになるかな」
「……メグルのいうことむつかしい」
「ふふ、ごめんね」
「……どっち?」
「そうだね、クダリくんがいい子にしてたら、きっとノボリくんもはやく良くなるよ」
「ほんと?」

 顔を輝かせてそう訊ねてくるクダリくんに頷いてやると、クダリくんは顔いっぱいに笑みを浮かべた。見てるこっちまで頬が緩みそうな、かわいい笑顔だ。

「あんね、きょうね、ひとりじゃつまんなかった。だから、ノボリ、はやくげんきになってほしい」

 クダリくんははにかむと、本棚から絵本を一冊取り出した。

「ねー、メグル、ごほんよんで」
「いいよ。ソファに座ろっか」

 促せば、クダリくんは素直にソファによじ登る。いつになく大人しいのは、ノボリくんが居ない所為なのかもしれない。
 クダリくんから強請られた絵本を手に取ると、私はゆっくりそれを読み上げた。



 時間にして五分か、あるいは十分くらい経っていたかもしれない。その短い間に、クダリくんは見事に寝入ってしまっていた。
 途中から船をこぎ始めた頭は絵本を読みきる最後まで一応は動いていたけれど、おしまいの言葉とほとんど同じタイミングで、クダリくんは静かに目を閉じて、私に寄りかかるようにして夢の中へ旅立っていった。重くなったから寝ているのは間違いない。
 そうっと身体をずらして、タオルケットを小さな身体にかける。
 おやすみ、と小さく声をかけて、一度ノボリくんの様子を見に行こうと立ち上がると、リビングの入り口でノボリくんが、壁から覗くようにしてじっとこちらをみていた。

「あ、ノボリくんおはよう、そんなとこにいたら――」

 近寄って、部屋へ戻すか暖かい格好をさせるかしようと思っていると、ノボリくんは目一杯に涙を溜めていた。

「ノボリくんどうした? 辛い?」
「……」

 黙ってなにかを耐えようとしているノボリくんに膝をついて頭を抱き込もうとすると、その振動でポロリと涙がこぼれ落ちて、ノボリくんが抱きついてきた。

「……ぃ…す…」
「うん?」
「クダリはずるいです……」

 小さな涙声で必死に言うノボリくんの背中を擦りながら、なにがずるいの、と先を促す。

「だって、……げんきなのに、メグルさまにごほんをよんで、あそんでもらってました……っ」

 時折ひっひっ、としゃくりあげながらもはっきりとそう言うノボリくんに、珍しさを感じた。いつもならもっと聞き分けがいいのだけど、もしかすると普段から我慢してたのかもしれない。

「今日は、メグルさまは、わたくしのなのにっ」

 ぎゅっと私にしがみつくようにして、私の服を握りしめるノボリくんに、漸く合点がいった。
 なんて可愛い嫉妬をしてくれるんだろう!
 懐いてくれてるとは思っていたけど、こう好かれているのを実感できると嬉しさもひとしおと言うか。
 ノボリくんの頭を撫でて、落ち着くまで私も彼を抱き締める。

「ごめんねえ。クダリくんはね、ノボリくんにはやく元気になってほしいんだって。だから、静かにしてるから、ご本を読んでってお願いされたんだよ」
「……そうなのですか……?」
「うん。一人だとつまんないんだって」
「……ごめんなさい」

 私の肩口に顔を押し付けるようにしていたノボリくんは、少し身体を離すと俯いてしまった。
 それを今度は私が引き寄せて、優しく背中を叩く。

「どうしてごめんなさいなの?」
「わがまま、いいました……」

 気にしなくてもいいのに。というか、嬉しかったのに。っていってもノボリくんは首をかしげるんだろうけど。

「私、ノボリくんにもっとわがまま言って欲しいな」

 服の袖口でノボリくんの涙を吸い取ると、ノボリくんは目を瞬かせた。それから恥ずかしそうに視線をさ迷わせると、

「あの、……ぎゅってしてほしいです」

 可愛らしいお願いをしてきてくれた。これがノボリくんなりのわがままだと言うのなら、私は甘やかす以外の選択肢がない。

「ん」

 望まれた通り、小さい身体を出来るだけくっつくようにして抱き締める。

「身体、辛くない?」
「すこしだけ……でも! メグルさまにこうしていてほしいです」

 ノボリくんからもぎゅうぎゅうと抱きつかれて、くっついているところがとてもあたたかい。受け答えははっきりしているし、顔もそこまで赤くなってないから、熱は多分あるにしても、子ども体温と言うのも大きいのかもしれない。

「もうすぐおばさん、帰ってくるからね」
「はい……メグルさまは、おかあさまがかえってきたら、かえってしまうのですか?」
「そうだね」
「さみしいです……」
「ふふ、会えなくなる訳じゃないよ」

 また遊びに来るから、と言うと、指切りげんまんを要求され、応える。元気になったらノボリくんも遊びに来てね、と言えば、ノボリくんはとっても良い笑顔ではい、と返事をくれた。



******


 おかあさまがかえってきて、クダリがおきて、メグルさまはかえってしまいました。
 いつもなら、おゆうはんをたべていって、というおかあさまに、メグルさまがはい、とおへんじをするのですが、きょうはわたくしがカゼなので、わたくしがおさそいしても、ダメよっていわれてしまいました。やっぱりカゼは、はやくなおってほしいです……。
 でも、

メグルさま」
「ん?」

 かえるとき、メグルさまにひそひそばなしをするときみたいにして、こっそり

「やくそく、わすれないでくださいまし」

 そういうと、メグルさまは、もちろん、といって、とってもにっこりわらってくれて、カゼをひいてよかったと、すこしだけ、ほんとうにすこしだけ、そうおもいました。

2012/08/02 UP