すけべになりそこねたふどさに

 かみさま。
 私は悪い子です。

 私は昨日、本丸を預かる審神者として、並み居る刀剣男士達の主として、人として、抱いてはいけない劣情を催してしまった。それを石切丸に頼んで祈祷して貰ったのが今日。石切丸には「祈祷はそういう意味とは少し違うのだけど……でも、不安は、不浄を呼ぶからね。やってみようか」と優しく受け入れてもらった。ありがたい。
 そして。
「へ~え? 別におかしい話じゃないと思うがねえ」
「……そうかなあ」
 今日の近侍である薬研藤四郎が、にやにやとその話を持ちだしてきて弄られているのが今だ。耳が早すぎる。有能で何より。
 ちなみにまだ今日は仕事を始めておらず、場所も執務室ではなくて薬研に与えた、薬箱で囲まれた――例えば現世で言うなら保健室に近い機能のある――部屋だ。基本板張りで、火鉢をしまうスペースがあったりと色々と優遇されているが、その分きっちりと医者よろしく務めているためか不満の声が上がったことはない。
「ま、撤退する羽目になっての中傷ってんなら分からんでもない、か……?」
「いや、やっぱどっちにしてもダメじゃない? だって……傷ついて帰ってきてるのに、色っぽさを感じちゃうとかさ……」
 うん、やはりアウトでは???
 言いながら、昨日を思い出す。
 ――私は出陣から負傷して帰ってきた刀剣男士を見てドキリとした。それは淡くもはっきりとした肉欲だったのだ。

 昨日、蜂須賀虎徹に任せた部隊が重傷、中傷で帰還した。短刀、脇差、打刀全て修行から帰ってきたメンツで揃えて送り出した出撃先は青野原、信濃の上田城。軽傷で済んだことなどない戦場を安定して制圧できるようになることを目標に、最近力を入れている合戦場だった。
 部隊は六振り。重傷二名で中傷が四名。手入れ部屋は四部屋までしかないため、重傷者を問答無用で先に手入れ部屋に送り、中傷を受けた刀の内、深く傷ついた者から先に入るように指示した。
 依り代の修復は時間が掛かる。手伝い札の備蓄はあったので式神に使用許可を与えて手早く重傷者を直すと、残りの二振りの依り代も預けた。
 できれば中傷を受けた刀剣も札を使ってやりたいが、最初に大盤振る舞いをしたため懐は豊かとは言いがたい。最近は出陣回数を抑えて重傷者のみに札を使用し、遠征で札の充填をしていることもあって、治るまでの間は耐えてもらうよう通達をし、理解を得ていた。
 そして依り代の修理の間、人間の肉体を持つ刀剣男士達は手入れ部屋で身体を休めるか、軽傷であれば好きな場所で好きなように過ごして貰っている。まあ、この辺は以前からそうなのだけど。手入れの間、肉体の手当は薬研藤四郎を筆頭に手先の器用なメンツが行うのだけど、その中には実は私も含まれている。本丸で、大した資材もない中手伝い札も枯渇した時はよく申し訳ない気持ちになりながら手当てをしたものだ。
 だから、傷ついた彼らを見て心配したり、胸が痛くなったりすることはあっても、その他になにかを感じることなんて無かったのだ。早く傷を癒やしてほしかったし、痛みを取り除いてやりたかった。
 いや! それは今だって思っている。思っているけれど……ただ、そう、昨日、修行帰りの不動が……
「……ううう~~っ!」
「大将、ここで頭抱えてないで、そろそろ仕事始めな。不動も心配してたぜ。祈祷の件聞いて、どっか悪いのかってさ。いい加減元気なところ見せないと、誤解すると思うが」
 私があのとき感じた自分の感覚に身もだえていると、薬研はあっさりとした態度でそう促した。
「誤解はされたくないっ。されたくないけど……かといって顔会わせるのも……気まずい……一方的に……」
「好きな女で抜いた後の現世のガキみたいなこと言いなさんな」
「酷い!」
 歯に衣着せぬどころかあまりにもあんまりな言い方に薬研を睨め付けると、私の恨めしい視線なんてなんのその。肩をすくめて朗らかに笑った。
「まあしかし、なんだ。あいつは色々と大将を困らせたりしてたしな。意趣返しのつもりなら構わんが、ほどほどにしといたほうがいいぜ」
「……そんなつもりじゃないって、分かってるくせにぃ……!」
「俺には大将がなんでそんなに思い詰めるか分かりかねるんでなあ。別にいいじゃねえか。聞く限り、大将は嗜虐趣味に目覚めたわけでもなさそうだし。俺の見立てじゃあ、次からはあいつが中傷にならなくても似たようなことが起こるね」
「そんな『頼りにしてくれて良いぜ』みたいな、自信満々に言われたくなかったな!」
 頼りになるのは結構だけど、原則無責任なことを言わないだけにこういうことを言われると余計に意識してしまいそうだ。

 昨日、不動に感じたもの。艶やかな髪が肩にかかり、きっちりと着こなしていた衣服が乱れ、デコルテが露わになって。そして痛みのためか、最近はとんと見なくなった不機嫌にも見える険のある表情と。にもかかわらず、大人びた言葉と、私を気遣うような声色が――どうしようもなく、彼に抱かれることを夢想させたのだった。

 そして薬研はそれをきっちりと見抜いてくれている。だから太鼓判を押した。正直要らなかった。たとえ結局そうなるのだとしても。
「とりあえず仕事しよっか……」
「だな」
 皆思い思いに朝の務めをした後は朝食が始まる。式神が大部分を手伝ってくれるし、本丸の規模が大きくなってきた今でも厨で腕を振るう男士はそう多くないからまだ寝ている者も多い。
 改まった場や宴会でもない限り皆一斉に食事というわけにも行かないので、基本バラバラに摂ることが殆どだ。
 今日は薬研と一緒に執務室でいただくことにしよう……。
 そんなことを考えていると、障子の框(かまち)をノックする音が聞こえた。
「ん、入って良いぜ」
 部屋の主たる薬研の返事に、障子が開く。
「……主、どうかな? 寝てるの?」
 ……入ってきたのは、不動行光だった。私がいることを知っているらしい彼は、障子の直ぐ手前に立てられた衝立の向こうからそっと顔を出した。そして、私が座っているのを認めると、少し息をのんで。
「あっ、と……大丈夫?」
 気遣わしげなその表情は純度の高い心配で占められていて、余計に心苦しさが募る。
「大丈夫だよ、ありがとう。ごめんね、心配かけて」
「ううん。俺がしたくてしてるから気にしないで」
 優しい。薬研の言うように不動は確かに顕現直後から修行に行くまではたいそう態度が悪かった。いや、悪いというか……かなり、扱いが難しい部類に入っていた。斜に構えていたり、自己卑下が物凄くて……そしてなにより、本当に、はらはらするほど酒浸りになっていたからだ。日本号や次郎太刀など酒好きは他にもいるが、不動はまさしく酒に逃げているような状態で……その心の内が、すごく、心配だった。
 だから、修行から帰ってきた後は驚いたし、私が心配していたことを受け止めるばかりか、これまでのことを含めて大事にしてくれてありがとうと言われて、そんな姿勢に胸を打たれたものだ。
 だからこそ……というと語弊があるかもしれないが、余計に彼に対して性的なものを抱いてしまったことで罪悪感というか、背徳感に苛まれる。
「本当に? あ、いや 疑うわけじゃないって言うか……無理してほしくないんだ」
「不動……。ありがとね。本当だよ。ちょっと嫌な夢を見たから、念のために祈祷をお願いしたの。大丈夫だと思うけどなって石切丸さんには言われたけど、それを押し切ってやってもらっただけだから」
「そう。……ならいいんだ」
 不動がはにかむ。うん。健気で……かわいい。
「そうそう。今だって夢見が良くなる薬がねえかって言われてただけだ。今から気に病んだってしょうがないから、とにかく飯にしようって言ったとこさ」
「なるほど」
 合点がいったように不動が頷く。あまりに心配させるのも悪くて、私は薬研の言葉を引き継いだ。
「ということでね。不動、悪いけど今日の朝ご飯は執務室で摂るよ。薬研の分と併せて持ってくるよう伝えてもらえる?」
「分かった」
 不動が頷いてすぐ、薬研が立ち上がる。
「いや、俺が行ってくる。どうせ飯を腹に入れるまでは仕事もままならんしな」
 言うやいなや、真っ先に部屋から出て行こうとする。それを引き留める間もなく、薬研は去り際に私を振り返った。
「ま! 薬に頼るまでもないだろ。夢も見ないくらいよく動いて、疲れちまうのが一番だ。大将、今日は散歩でもするか?」
「悪くないね。でも薬研、」
「じゃ、そういうことで」
「あっ!」
 ひらひらと手を振りながら薬研が障子も閉めずに歩いて行く。直前にしていた話題が話題だけに勘ぐってしまう。いや、薬研だって流石にそこまでは言わないだろう。……言わないよね? いくら何でも性急すぎる。というか、『よく動いて疲れる』が、たくさんえっちして寝落ちする、に聞こえた私がおかしいんだろうか。……うん? おかしいのは私だな?
 まったくもう、とりつくろうように呟きながら、私は妙な緊張がじわじわと胸の内からにじみ出てくるのを感じていた。
「……そんなに寝るのが怖いんだったら、側にいようか?」
 おずおずと、けれど私の身を案じて不動が提案してくれる。彼の名前にもあるように、不動明王、矜羯羅童子、制多迦童子の浮彫を持つ刀たちは魔を払う不動信仰と少なからず関係があるからだろう。――それを、他意無くお願いできるような主でいたかった。
「ん……多分、そこまでしてもらわなくても大丈夫、だと思う……。ありがとう、不動」
 不動に申し訳なさを感じているのは、昨日のことだけじゃない。この劣情を気のせいにするつもりもない。
 どうして不動にだけあんなものを感じたのか。――これが恋なのか、分からないのだ。

******

 恋だ、愛だという暇が無かったのは確かにそうだ。なんだったら自分で自分を慰めるようなこともこのところはなかったし、夜はぐっすり眠っていた。だからと言って、別に、性欲がないわけではなくて。薄いわけでも、多分、なくて。
 簡単に誰かに身を預けることは憚られたから、一人で耽る日は割とあった。そういうことに対する嫌悪も全くない。
 だから、なんというか……どこか持て余したような感覚に戸惑っていた。私のこの感覚は不動にだけ向けられているのは確かなようなのだけど、かと言って恋なのかと言われると怪しい。なにか特別な気持ちや理由が無くては、不動を誘ってはいけないような気がしている。
 だってそれは、他の刀剣男士に欲情すれば、同じようにするということだ。初めに取り決めたわけでもなく、今後どうなるかもわからないような半端な状態で、安易にワンナイトラブに持ち込むには本丸という環境は特殊だ。刀といえど刀剣男士は人間の肉体を持っている。相手の意思を尊重するつもりではあるものの、かと言って皆乗り気だからと誰彼構わず誘うようなことは憚られるし、単純に風紀の乱れが過ぎるので、私が嫌だ。
 私は、不動だけが特別なんだと、だから不動だけなんだと言える理由が欲しいのだ。不動に対してだけではなく、他の刀に対しても。
「……17時! 終わった! 今日はここまで!」
 悶々としながら、それでも仕事は時間までに問題なく終わった。
 どうしようもなく身体を蝕み、耽らずにはいられないような衝動でもない。ただふとしたときに不動の……乱れた髪と、肌を思い出してしまうだけで。
「おつかれさん、大将」
「ううー……ん。薬研こそ、ありがとね」
 夕食の後も少しだけ明日の予定諸々の調整をして切り上げる。後はお風呂に入ったり、寝るまでは個人としての時間を過ごす。近侍もそう。近侍の部屋はある程度ゆったり過ごせるようにしてあるし、うちの場合は近侍特権というものがあって、私の側に侍ることになる代わりに、執務室や私の私室など、審神者個人としてカスタムした部屋の設備を使えるというものだ。勿論私の許可は必要だけれど、小さなキッチンスペースや冷蔵庫なども使って構わないので、大勢とデザートの取り合いをしたりすることはないし、厨と部屋の往復距離は物凄く短いものになる。あとは、同じように私が許せば、私の秘蔵のお菓子をつまむこともできるのだ。
 他所の本丸では単純に支給する給料に手当が発生するだけに留めていたりもするようだけど、うちでは報酬の大半は本丸の運営費にしてお小遣いだけにしているし、職場と家の場所が同じだし、近侍という仕事はどうしても審神者のプライベートに片足を突っ込むことになるので、これでいいかなって。
 だから自然と薬研と共に自室に引き上げるような形になるのだけど、手早く入浴を終えて私室のベッドで寛いでいると、ノックがあった。
「主、夜遅くにごめん。不動行光だよ」
「え、っ ど、どうぞ」
 流石に寝そべったままはどうか、と起き上がって答えると、静かに障子が開かれた。朝そうだったように、遠慮がちに顔をのぞかせる。私室なので緊張しているのかもしれないけれど、そういう態度をされると過剰に反応しそうだから止めてほしい。そんなこと、言うわけにはいかないんだけども。
「どうしたの?」
「薬研に……塗り薬を持って行けって言われてね。一応、眠りにくそうにしてたら塗ってやれって」
「はあ……肝心の薬研は?」
「やることがあるから後は任せたって」
 肩を竦める不動もあまり納得はしていない様子だ。けれど、私を心配してくれていたからか様子を見るために来てくれたようだった。悪いことをした。
 ベッドに腰掛けて薬研から渡されたという塗り薬を見ようと手を伸ばす。けれど、不動は私に渡そうとしてくれた姿勢のまま止まって、少し逡巡するように目線を彷徨わせた。
「不動?」
「……あの、俺が塗ってもいいかな。背中とか腰とか、足とか……冷えやすい所に塗った方がいいらしいんだ」
 理屈は分かる。身体を温めれば眠りの質も上がるだろうし、薬研のことだから効果は確かなのだろうとも。
 でも、背中? 腰?
「嫌かな……? 薬研じゃないと、駄目かい?」
 どこか縋るような視線に困惑する。自分の不動に抱いているものから不動を遠ざけたい気持ちもあるけれど、薬研じゃないと、という言い方になにか引っ掛かりを覚えた。……張り合っている?
「嫌でも、駄目でもないけど……」
 彼らの事は信頼しているし、それは不動もそうだ。鶴丸国永あたりは脇腹をくすぐってきそうな気もするが、人としての尊厳を傷つけられるかも知れない、というような懸念はない。勿論、節度ある関係は大切だと思うので、誰かれ構わず肌に触れるようなことを頼んだりはしないけれど。
 ああでも、そうか。薬研には一応、『保健室の先生』めいた大義名分がある。それに則っているのであれば、私は彼に身を預けるし、肌を晒すし、触れることもいとわないだろう。でもそれは、性的な接触でないことを前提としていて、その前提には信頼があるからで。ある意味今不動に感じている者とは全く逆……対極に位置していることを、もしかしたら不動は既に感じ取っているのかも知れない。
「なにか話したいことでもあるの? 別にこれがなくたって、時間取るよ?」
 流石にそれは察するのが早すぎるから勘弁願いたい。と、私は思考を切り替えることにした。相談ごとがあって、塗り薬を塗ることが私の時間の確保を兼ねているのだとしたら、別に塗って貰わなくたって話を聞くことはやぶさかではない、と。不動はなにか、私に対して言いたいことがあるのではないか。朝もそうだったけれど、多分、不動が一番分かりやすく私の心配をしている。
「……いや、話……か、うん、そうだね……」
 私の言葉に、不動は否定しようとして、直ぐに思い直したように言い淀んだ。
「……。俺に薬を塗らせてほしい、かな」
 そうして、結局彼の口から出てきたのは、そんな希望なのだった。
 流石に背中から、というのは抵抗があって、結局足から塗って貰うことになった。肌に塗った後はそのまま寝て良いらしいので、刺激が強かったりするわけではなさそうだ。
ゆるい部屋着のショートパンツとTシャツに着替えると、私はベッドに腰掛けた。不動が、膝をついて私の足に触れ、自分の膝の上に置く。
「痛くしてしまったら、直ぐに教えてね」
「うん。分かった」
 そんな心配は殆どしてなかったけれど、素直にうなずいておくことにした。
 不動は薬研から預かった小瓶に入った塗り薬を指でひと掬いすると、そっと両手のひらに広げてから、私の足へ塗った。ローションタイプのそれは直ぐに馴染んで、広がって行く。不動の手の温かさが心地良い。少しほっとしていると、塗られたところが熱を持つような感覚があった。なるほど、確かにこれなら冷えには効くだろう。
 不動の手は最初はふくらはぎ辺りを中心にしていたけれど、徐々に下がり、丁寧にくるぶしをなぞったかと思うと、私の足の指一つ一つを何度も揉み解すようにして動き始めた。指先は冷えているのか、少し痛いけれど、決して不動の手の力が強いわけではないので、じっと耐える。
 けれど、そこに足裏へのこそばゆさを感じ始めると、駄目だった。
 ぞぞぞ、とむずむずとしたものが足をのぼって、そして、私の身体の最も物足りなさを感じるところで混ざり合う。静かに息を整え、変に力を入れないようにと努めていたものの、不動が優しく何度も触れる度に走るその感覚に、根を上げてしまった。
「ふ、不動」
「痛かった?」
「ううん、その……むずむずするっていうか、くすぐったくて」
 既に不動によって慈しまれた足先はぽかぽかだ。どちらかというと……その、性感を煽られているような気になって、駄目だった。
 不動に対する申し訳なさも相俟って告げると、彼は眉尻を下げて苦笑した。
「我慢できない?」
「うん」
「それじゃあ仕方ないね。……でも、まだ片足分だから。もう片方もやるね」
「ええ……」
「片方だけは良くないから」
 不動に、年上男性のような包容力を感じる。ああ、薬研に通じるかもしれない。なんというか、不動にしては珍しく『やれやれ』感のある態度がそう思わせるのだろうか。兎に角、今の私にとってはあまりよろしくない。不動に、『男』を感じないようにしたいのに。
 不動が、もう片方の足に触れる。比較対象がある所為で、少し冷えているのが分かった。それを、同じように塗り薬を広げて、揉みながら擦り込んでいく。
 じわ、と温かくなる感覚は独特で、不動の手のような温かさとは異なっていた。まるで内側が熱くなるようなそれは、性欲の高まりにも似ていて。不動の丁寧な手を殊更に意識してしまって、意外とその指先が硬いこと、掌に肉刺があることなんかに気づいてしまう。思ったほど手が小さくないことも。
「……よし、足はこのくらいかな」
「っはああああ~っ……」
 だから、不動が満足する頃には自然と息を詰めていた。
「そんなに疲れるほどくすぐったかったかい?」
「いや……うん……我慢できないほどじゃないんだけどね……」
「……俺が触ってるのが嫌とか、気持ち悪かったとかは……」
「それはない! ないよ。凄く優しく触って貰ったから、逆にくすぐったくなっちゃったの」
 不動が要らぬ気遣いをおこさないように、はっきりと否定する。うん。なんだったら気持ちよかったの。不動もそういう気になってくれたら拒否しないのにな、と思うくらいにはね。
 ……うん? というか、そうだ、そうか。不動がそういう気になってくれれば、私も気が楽になるのでは?
「そっか、……じゃあ、次はどこにしようか」
「う、うん……ええと」
 妙案では? と思う自分を止められない。ま、まあ、私からあからさまに誘うわけじゃないし……不動がその気にならなければ何事もないわけだし……?
「じゃあ、背中……がいい、かな……」
 別に、薬を塗って貰うだけなんだから……おかしくない、よね?

 とは言っても、流石に裸にはなれないしなるつもりもない。不動には後ろを向いて貰って、その間にTシャツを脱いで、思い切ってナイトブラも脱ぐことにした。ベッドに横になって、胸の下に引いておけばいいだろう。
「不動、いいよ」
「わかった」
 内心ドキドキしながら声をかける。不動が返事と共に振り返って、うわあ、とため息のように声を上げるのを聞いた。
「背中、綺麗だね」
「そう、かな」
「うん。……じゃあ、やっていくね。ちょっと遠いから、ベッドの上に乗ってもいいかな」
「どうぞ」
「ありがとう。失礼するね」
 ぎし、と軋む音にまで心臓が跳ねる。最早緊張しているとかではなくて、期待していることを否定できない。まあでも、薬研と違って不動だし、という気持ちもまだまだある。どうにかなるには、余りにも普段そう言う雰囲気を感じさせないのだ。こういうと薬研がそっち方面に凄いように聞こえるかもしれないが、まあ、色々はっきり言うタイプだし、イメージがね。薬研の場合、もっとそのものズバリ口説き落としてくるだろうし。
 流石に私の腰に跨るのは憚られたのか、不動は脇に膝をつくと、足にそうしてくれたように自分の手に薬を広げてくれたようだ。背中に、暖かな不動の掌を感じた。
 足の時はまるで摩擦熱のようにも感じられた温感が背中に生じる。それが肩にくると、妙な緊張も忘れるほどほっとした。自然、身体が弛緩し、目を閉じて不動の手に感じ入った。ゆっくり丁寧に塗りこめられる薬の効果、というよりも、単純にそれがマッサージになっていて物凄くいい気分なのだ。
「うー……」
「どうかな? 主」
「気持ちいいよ……」
 文句なしに。と、言いたいけれど、どうにも不動が気を使ってくれていることが分かって、変な気分がぶり返しそうだ。意識してくれているのが嬉しいような、気恥ずかしいような。
「不動、腰もしてくれる?」
「え」
 少しだけ緊張したもののそう頼むと、不動は分かりやすく声を硬くした。
「あ、やっぱり気を遣うよね、ごめん」
「いやっ、嫌なわけじゃないよ! あの、でも……その、いいの?」
 イイ!
 どぎまぎしている声にぐっとくる。困らせているのに、物凄く気分がいい。というか、嬉しい? 上手く言えない。セクハラの文字が過ぎるものの、審神者と刀剣男士の関係は、命令でもないことを嫌だと思えば断れるくらいのある意味危うい均衡の上に成り立っている。なんなら、命令に背くことさえ可能なのだ。それは刀種に依らないし、だから多分セーフ。の、はず。
「私は大丈夫。不動こそ、本当に嫌じゃない?」
「まさか! 主に……こういうことを許してもらえるのは、本当に光栄で……凄く嬉しいから」
 ひら、と桜の花弁が枕元にまで飛んでくるのが見えた。……うん? そんなに??
 微かに疑問が過ぎる。まあでも、刀剣男士たちにとっての価値観と、私たち審神者の価値観がずれていることはままあることだ。今回の場合、理由はどうあれ間違いなく喜んでくれているのだからいいか。
 多少塗り薬がついても構わないから、気にせず少しショートパンツをずらして腰を出してくれと重ねて頼めば、不動はそっとおろしてくれた。妙に不慣れなのが生々しいというか、なんというか。
 とはいえ、腰を優しく押しながら少しずつ薬を塗る手つきにいやらしさはない。私は素直な心地良さと、その手を伝って感じる『男』の気配に静かに温まっていく官能とでなんともいえない気分だった。始まってすらいない独り相撲というか。……もうすこし、踏み込むべきなんだろうか。いやでもこの辺にしておかないと完全に痴女だ。節度は保たねばならない。もし踏み込むにしても、不動も私を望んでくれていることが分かってない段階でやることじゃない。でも、嫌なことを嫌って言えないような関係を築いてきたつもりはない。この、自分でも整理し切れていない心のもやもやを伝えれば、断られるにしてもなにか、私の心はすっきりするだろうか。
 行くべきか、行かざるべきか。
 迷っている内に、不動が達成感に満ちた息をつくのが聞こえた。
「終わったよ。どう? 気分が悪くなったりはしてないかな?」
「ん、大丈夫。凄くいい気分」
 身体の中に燻る熱を除けば、このまま眠ってしまいたいほどだ。流石というべきなのだろうか、短刀たちは比較的人の身体の扱いが上手いように思う。
 起き上がるような素振りを見せれば、わざわざ不動は声を上げて慌てた。
「うわあっ! ま、まって、後ろ向くからっ」
 思わずくつりと笑ってしまったのは聞こえただろうか。ささっと服を整えて、不動に向き直る。
「不動、ありがとう」
 沢山労わってくれた手を取って素直に礼を告げると、不動は少しだけ照れくさそうにはにかんだ。そうして、なんとなく別れがたい空気ができたのは気のせいじゃない。不動が手を抜こうとしないのだ。勿論、足を動かそうともしない。そう言った動きを、手から感じられない。
「……話、聞くよ?」
 去りがたく感じているのは不動だ。
「私を心配してくれてるのに、関係ある?」
 完全な下心なので心苦しくはあるものの、石切丸による祈祷がどういうものであったかは石切丸本人のフォローもあって、ここまで案じてくれるのは不動だけだ。不動は修行に行く前の事もあって、特に心に引っかかってしまうのかもしれない。
「不安にさせてごめんね」
 謝ると、不動は直ぐに首を横に振った。
「違うんだ。あっ、いや、主が心配なのは本当だけど……」
 言いにくそうな不動に、私は少し迷ったものの、一つ提案をすることにした。
「気になるなら、今日は一緒に寝てもらおうかな」
「え?」
「朝から心配してくれてたでしょう? 別に不動が嫌だから断ったわけではないし。不動が安心してくれるなら、そのほうがいいからさ」
 不動を遠ざけようとしたのは私の下心によるところで、不動に落ち度はない。ちょっと気が気ではないけれど、私の劣情の発露よりも、不動の懸念を解消する方が先決だと思うし、そうあるべきだと思う。
 刀剣男士達を束ねる、よい主でいたいと。
 握りっぱなしだった手に力を込めて不動をじっと見上げる。ベッドの側で立ち尽くす不動は私を見たけれど、その瞳は躊躇いに揺れていた。
「……いいのかな」
「? 私はかまわないけど。……不動、あなた誰に遠慮してるの?」
 独り言のようにこぼれ落ちた言葉に首をかしげると、不動はぎゅっと、私の手を握り返した。
「主。やっぱり、聞いてほしいことがあるんだ」

******

 仕切り直そう。
 不動の様子を見た私は、温かい飲み物を、と思って、インスタントながら葛湯を入れて不動と一緒にのむことにした。
 そうして、ぽつりぽつりと不動が語るには。
 曰く、修行に行くまでは随分と迷惑や心配をかけてしまったこと。修行に行くと決める頃には、私に対しての情もあって、何くれと無く刀剣男士としての不動行光を育ててくれたことに感謝していたこと。修行を経て、心機一転、私への態度を改めるのにも丁度良く、これまでの分も併せて私のために仕えていくつもりだったこと。それを、多少いじられはしたものの他の刀剣男士からも歓迎して貰ったこと。
 そして、同じく修行を終えていた薬研藤四郎と、はっきりと火花をちらしていること。
「悪い意味じゃないんだ。でも元々同じ主に仕えた短刀同士で……逸話のこともそうだけど、俺達は同じように愛されたからね。好敵手って奴かな」
 どちらがより主からの寵愛を得られるか、という単純なことではないらしい。どちらかというと、より多く勝利を捧げられるか、であるとか、主に貢献できるか、という話のようで。
「でも、最近おかしいんだ」
 不動の表情が強ばる。ここからが本題なのだと分からずにはいられなかった。
「勿論、薬研とか、他の刀のことを抜きにしたって、主に愛されたり、役に立ちたいって思うよ。でも……俺、おかしいんだ。今だって十分充実してるし、主から大切にされてるって感じるのに……足りないんだよ、いつまでも」
 そう語る不動は、どこか寂しそうに見えた。
「貴女の一番側に居たい。たくさん居る刀のうちの一振りじゃなくて、もっと……いや、違うよ、今がそういうふうに扱われてるとか言うつもりはなくて、だから、……」
 もどかしげに、言葉に詰まりながらも自分の心の内を吐露する不動の様子は一生懸命で――その姿を、かわいいと形容するのは、不適切なのかも知れない。けれど、それでもそんな彼の姿を酷く愛おしいと思ったし、ただただ腕の中に収めて甘やかしたいという衝動に見舞われた。
 勿論、衝動に任せるには私は自分の下心を突きつけられて、逆に自制心が働いたのだけれど。
 いやだって、この不動の言葉を、「それは恋だよ」なんて、言えるわけない。
 立場もそうだけど、私がそれを口にするのって卑怯だ。誘導になるとかではなくて、だって、『私が』そうであることを期待している以上、その言葉は私の願望だ。それを口にできるのは、私が不動に劣情を催していない時だ。だからもう、茶化すことさえもできない。
「不動、」
「ごめん。主に不満があるわけじゃないんだ……いや、でもこれは、不満、なのかな」
 なんと声を掛けて良いのか分からずに不動を呼ぶと、不動は強く私の言葉に先を遮った。
 謝らせてしまった。謝罪はきっと私の言葉を遮ったことも含んでいる。
「不動はさ、今日、私と一緒に寝たら……なにか、分かりそう?」
 不動の『ごめん』の理由が、私と同じものだったら。私は……嬉しい。きっと。でもどうして嬉しいのか? それは私が彼に欲をぶつけることができる名目ができたことに対する気持ちじゃないか? そうじゃないって、胸を張って言えるほど不動に焦がれているか?
 答えは、否だ。
 だったら、私ができることは一つしか無い。
 はくはくと、一向に声の漏れ出てこない口元を動かしながら、不動が逡巡する。
「私はね、不動、本当は」
 私も知りたいのだ。この欲が一過性のものなのかどうか。
「不動に触れたいの。でも、この気持ちがどういうものなのか分からない。だから、もし一緒に寝るなら、不動とくっついて寝たい。私が不動に感じているものがなんなのか、知りたいから」
 そうすれば、不動を求めていいのかどうかきっと分かる。
 私たちは一蓮托生。だから、私は本丸の風紀や規律は保たれているのが望ましいと思うし、私自身がコントロールしなくてはいけないと思う。だから、私の刀に対してはっきりとした態度でいたいのだ。これは、私の我が儘だ。
「嫌なら、無理強いはしない。できない。でも、それを許してもらえるのなら、」
 不動の喉元が動く。こくりと、喉が鳴った。
「不動も、私に感じているものを知るために、私を調べてくれて良いよ」
 これでいいんだろうか。私は、間違えてないだろうか。
 焦燥感にも似たものが胸の中に去来する。それを押し込めて返事を待っていると、不動は私の目の前でみるみるうちに顔をあかくして、その後、おずおずと頷いた。
「……いいの?」
「私はね。不動は、いいの?」
 訊ねると、不動は目を彷徨わせた後、私の手を握って、小さくもはっきりと答えた。
「悪いものが寄ってこないように、ちゃんと守るから」

2020.06.25. pixiv掲載

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