媚薬を飲ませる・へしさに
へし切長谷部が座っている。姿勢を正し、私の命令をじっと待っている。
「声が」
震える吐息と共に口を開いたその刀は、いつもの強さなど微塵も感じさせない頼りない声で続けた。
「こえ、が……震えてしまう、こと、ご容赦ください」
「はせべ、」
「さあ、次は、なにを致しましょう。なんなりと、この長谷部にご用命、ください」
にこ、と耐え忍びながらもどうにか浮かべたと言ったような笑みで長谷部が私を見る。軽率だったと思ってももう遅い。長谷部は私に危害を加えるつもりはないとでも言うかのように、依り代たる刀を置き、座し、膝の上に握りこぶしを作っている。
だったら、私ができるのはその気持ちに報いることだけだ。
審神者、刀剣男士のどちらでもよいが、配布する媚薬全てを服用せよというよく分からない任務に飛びついたのは私だった。同じ審神者にそれとなく不可解な任務が来たと言えば、どうやら他の審神者もそのようで。
政府から支給された媚薬は目薬ほどの小瓶で五本。
数にばらつきはあるが、なにか意図あってのことなのだろうことは分かる。
任務を行うかどうかは任意だが、こんのすけによれば送られてきた媚薬は本丸の外へ持ち出し厳禁とのことだった。だったら達成した暁には相応の報酬があるという奇妙な任務をやってやろうじゃないかとなるのは自然な流れだったと思う。
媚薬は既に治験を行った上で配布されているという確認も取れ――そうでなくては困る――、それも任務をやってみるかという気にさせた。
私はまず媚薬を服用する者を決めなくてはいけなかった。自分自身でも良かったが、まあ、媚薬と言うことだからその気になってしまうものなのだろう。こんなことで刀剣男士を淫らに誘って淫蕩に耽るというのもいやだし、私自身は正直、正気でいたい。万が一性行為にもつれ込む可能性を考えれば私が服用して刀剣男士に正気を保ってもらったほうがいいのは理解しているが、オーガズムも含めて自分でコントロールできないということは物凄く不安なことだった。
では、誰に飲ませるのがよいか。当然、まずこれに応じてくれる者でなければならない。刀剣男士たちは口でどんなに文句を言おうと私の命令には忠実でいてくれるが、だからといって誰でもよいわけではなかった。
できる限り古株が望ましい。短刀たちは身体が小さく薬の影響が強く出るかも知れないので却下。そこそこの上背でこの手の話を『他意なく』応じてくれそうな者。思案すると、程なく一振りの刀に行き当たった。それが、へし切長谷部だった。
「長谷部、ごめん」
「……なにを謝ることが?」
「お前が、私の見込みの通りの刀剣男士で嬉しいんだ。そんなに苦しそうにしているのに」
媚薬を服用させるにあたって、私は空き部屋の一つに結界を張り、こもることにした。刀剣男士に媚薬を飲ませるのだから、その結果なにかしらの衝動が他に向かうことは避けねばならない。例えば、無謀な戦い方をするだとか。私が主なのだから、自分の指示に従った刀剣男士が他の者に怪我をさせる、あるいは怪我をさせられてしまうような事態を予め予測し、潰しておくことは私の仕事だろう。
あれこれと準備をした上で、長谷部に全て説明し、さして迷うこともなく長谷部は了承した。あまりにもあっさりと応じるものだから、私の方が再三にわたって確認を取ってしまったほどだった。
媚薬を飲んだ後正気を失った場合指示が聞けなくなる可能性があることを懸念して、飲んだ後どうするのかという話のすりあわせをしようと提案すると、長谷部は緩く首を振って。
「俺は主の次の指示があるまで、勝手な真似はしません。耐えろというのなら耐えてみせますし、なにかしろというのであれば従います」
誓いを立てるように強く澄んだまなざしでそう言われては、私から言うことは何もなかった。長谷部は違える刀ではないと知っていたから。
「ただ……媚薬という性質上、お見苦しいところを見せしてしまうかも知れませんが……」
「そんなことはない。長谷部がどんな姿になっても見苦しいなんて想わない。媚薬がどういう作用をするものかは理解している」
「では」
そうして長谷部は媚薬を飲みきった後、こうしてじっと耐えている。頬はあかくなり、耳など唇よりもずっと赤々としている。股間は柔らかな布地を押し上げているのが見えるし、しきりに繰り返す呼吸も僅かに震えているのが分かる。そしてなにより、眉根が寄っているのが、長谷部の状態を知らしめていた。
「この上ない、おことばです」
長谷部が僅かに目元を緩める。上気しているさまは長谷部の見目の良さも相まって酷く官能的で、私はこくりと唾を飲み込んだ。それよりなにより、心を揺さぶるのは長谷部の潔さだったが。
少しずつ審神者というものを理解し始めた頃にやってきた長谷部は、短刀達のように積極的に私を支えてくれた。仕事はないかとこまめに聞いてきたし、私の体調もよく気遣った。従える刀剣男士達の数が増え、彼が修行へ行った後は嫌味なくからりとした態度で、けれど時々宴の席で深酒をしそうになるとやんわりと制してきた。
よい刀だと、思う。この刀は人が愛したぶんだけ、人を愛している。時には執着を見せ、かと思えば時折かつての主を偲び、人間らしい理屈で生きている。けれどそれよりもずっと、彼を愛してきた有象無象の人間を慈しんでいる。そのさまが、酷く愛おしく感じるのだと言えば、この刀はどんな顔をするだろうか。なんと傲慢で、だからこそ愛おしいと、目を細めて笑うだろうか。
「褒美を、」
ただの男では有り得ない、強靱な意志で座り続ける刀。物欲しそうにするわけでもなく、ただじっと私の言葉を待つその一振りに、言葉を与える。
「褒美をやろう、長谷部。何が欲しい? 何でも言うといい」
「……は、主、それは」
「なんでもいいぞ。なんでも、だ。分かるな?」
気持ちよく応じてくれたこの刀に報いたい。私の意をよく汲んで動いてくれる、健気なこの男をいっとう可愛がりたい。刀剣男士達は皆よく動いてくれているのに、私はこの刀を贔屓したくてたまらないのだ。
命令ではない私の言葉に、長谷部の瞳が揺れた。迷子のように不安そうに見える表情は長谷部にしては珍しいもので、考えがまとまらないのか、私の意図を図りかねているのか、口に出す言葉を選んでいる様子だった。
「長谷部、私はこういった任務をお前なら応じてくれるだろう、お前だけが私の期待に応えてくれるだろうというそれだけで指名したわけではないよ。お前でなくとも皆、私の言うことに文句は言っても、よく従ってくれただろうことはお前も分かっているだろう」
刀剣男士達が私を主として慕ってくれているように、私も私の元へ来てくれた彼らを誇りに思っている。一振りたりとも、軽んじるつもりはない。ただ――そう、へし切長谷部へは、より一層気持ちがこもってしまうのだ。
私を見つめる目に、他の男士たちにはないものを見つけてから。私はこの一振りに身を焦がしている。
先走ってしまわないようにと思っているのか、私の言葉を聞き入っている長谷部に、思わず笑いがこみ上げた。真顔でなんて、とてもじゃないけれど言えやしない。
「……お前になら組み敷かれても悔いはないと思ったから、選んだんだよ。どうだ、こんなことでもない限りお前になにを言うこともできない卑怯な主だ。幻滅させたか?」
私の歪な告白に、長谷部は身体を震わせた。堪えていたものがぶわりとあふれ出たように、美しい桜の花弁が舞う。淡く透き通って見えるそれは床に落ちる前に消えていくばかりだけれど、次から次へと絶え間なく長谷部を彩った。彼の目は潤んできらきらとして、まるで少年の屈託のない笑顔のように正直で、私は強張っていた身体を解すように両腕を広げた。
「私を抱きしめたいというのなら、おいで。そして、私にできうるかぎり、お前の望むものを与えよう」
言い終えた瞬間、まるで倒れ込むようにして長谷部が距離を詰めた。初めての抱擁は酷く熱く、震える声で私を呼ぶ長谷部の声に応えるように、私も腕を回した。
2021/06/22 pixiv掲載 2025/12/06 加筆UP
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