柄まで通された

 薬研が私の胸の上で寛いでいる。
 改めて状況を整理するととてつもないが、生憎相手はあの薬研藤四郎だ。どうにかなるはずもない。

 事の初めは私が薬研を労おうとしたことからだ。隊長職だけでなく、近侍、内番など文句も言わず……いや、内番に関しては少々疑問が残るところではあるが兎に角日々精力的に仕事をこなし、私のサポートまでしてくれる薬研には、やはり何か他の刀剣達よりも一つ違った褒美が必要ではないかと思った。
「ねえ薬研、たまには甘えてくれてもいいのよ? 一期一振にそうしてくれてもいいのだけど、私もあなたを甘やかしたいわ」
「そりゃ嬉しいね。労いってことだな?」
「ええ」
 戦場育ちを公言するだけあって視野も広い薬研には、私の意図するところは大体において丸見えだ。それを恥とは思わない。持って回った言い方をしても、率直に訊ねても同じことではあるから、私は薬研に物を言うときはあまり頭を働かせていない。この短刀は人が甘やかそうと画策したところで、それを分かった上でこちらの甘やかしに乗ってくれるので、正確にはどうあがいても薬研を甘やかすことは不可能だ。それでも此方の意図に乗ってくれる以上彼を休ませることは出来るから、躍起にならずにゆったり構えるように心掛けている。
 案の定薬研は必要ないと首を振ろうとしたのを止めて、考える素振りをして見せた。今は私も仕事を終えたところで区切りがよいし、大抵のことには付き合える。薬研のことだから物や小判をねだってきたりすることはないはずだ。もっと戦に、という願いは、改めて口に出されなくとも重々承知しているので却下。そもそも、今の時点で薬研の出陣回数は相当多いのだ。これ以上の調整をするつもりはない。疲労が溜まったところに検非違使と遭遇なんて洒落にならない。
「そうだな……じゃあ、大将の胸、借りていいか?」
 少しわくわくして待っていると、薬研の薄く小さな唇から洩れた言葉にぎょっとした。
「えっ……多分何の成果も得られないと思うわよ……? 怪我しない程度には善処したいと思うけれど」
「ああ、違う違う。言葉が悪かったか」
 厚樫山にまで送り出せる強さを誇る薬研に、訓練や手合わせで私がしてやれることなど皆無だ。一気に挙動不審になった私だったが、幸いにも薬研は苦笑交じりに否定してくれた。まあ当然の流れではあるけれど、驚いたのは確かだ。
「言葉のままさ。胸、貸してくれ」
「はあ……? どうぞ、私ので良ければ」
「大将でないと意味がないんでな」
 薬研はどこか嬉々とした様子で座布団の上に正座をする私の前に胡坐をかくと、一度私と目を合わせてにこりと笑った。

 そして徐に私の胸に頭を……というか、顔を乗せた、というわけである。感覚的には顔をうずめられているというよりは額が胸元に乗っている風だからか、まあ虚は突かれたものの、どうということはない。
 静かに薬研が呼吸する音が聞こえる。私も、自分の心音がよく分かった。どうせ甘えるなら抱擁の一つでもありそうなものだけれど、薬研の両手は肩からだらりと胡坐をかいた足の上に垂れ下っているばかりで動く気配はない。
「薬研?」
 ここから何かをするのかと思うが、薬研の言葉をそのまま受け止めていいのであればこれで終わりだ。本当にこれでよいのかと尋ねる意味で名を呼ぶと、小さな返事が視線の先で零れた。
「……大将の鼓動を一番近くで聞くってのはいいもんだな。もう刀には戻れないから、これが代わりだ」
 しみじみとした声にそういう物かと首を傾げる。けれどまあ、薬研たち短刀は守り刀として、そして自刃用として、殆ど肌身離さず人の近くにいたのだろうから、人の温度と言うものは落ち着くものなのかもしれない。だったら、これはもう抱擁のようなものなのだろう。
 薬研の細く綺麗な黒髪が胸元でたわみ、美しく乱れる様を見下ろす。つむじが見えるが、本当に綺麗な髪だ。
「ここは頭の一つでも撫でるべきかしら?」
 私の両手は暇を持て余している。けれど、薬研が珍しくまったりとしているというのに意に沿わないことをしてしまうのは憚られた。
「はは、それも悪くないな」
 薬研的にはどちらでも構わないようだ。そっと頭に触れると、見た目通り繊細な髪が指をすり抜けた。
「……薬研は戦に出たがるけれど、こういうことも嫌いではないのね」
「大将の腹掻っ捌くなんざ御免被る。敵の腹ならいくらでも裂いてやるし、組み討ちも何度もやっては来たが……大将は生きててくれないとな。大将の音をこうして聞くのは好きだぜ」
 ――。
「そう。出来る限り長生きできるように努めるわ」
「ああ。そうしてくれ」
 どうしよう、私の鼓動は早くなってはいないかしら。まさか直球で好きと言われるとは思っていなかった。
 俄かに胸が熱くなり、静かに深呼吸をする。面映ゆいとはこういうことかしら。
 薬研藤四郎。鮮烈な逸話により縁起物としても愛された一振り。
「大将、心の臓が騒がしくなったぜ」
「そこは黙っておくものよ……」
 素直に可愛らしいと愛でることを許さない、勇ましく老獪な私の懐刀。私は大将と呼ばれるに相応しい主になれているかしら?
 薬研ならきっと私が『大将』である限り笑って肯定してくれるような気がして、私は薬研を胸に乗せたままくつりと笑ってしまった。

2015.06.06 pixiv掲載