縁結び
烏にね、導かれたんです。……おかしいと思うでしょう? 私だってそう思います。
でも、山菜を採りに山に入ったはいいものの、欲の皮を張った末に迷ってしまった私は、一羽の烏と目が合ったのです。
光の具合でしょうか、綺麗な紫色の目をしていました。艶々として綺麗な、ああいうのを「烏の濡れ羽色」って言うんでしょうね。そんな、美しい黒色でした。私はその烏がちょんちょんと私の方を見ながら距離を取っていくので、藁にも縋る思いでその後を着いていったのです。
果たして、その場所は不気味でした。鳥居をくぐった覚えはなかったのですが、神社のようでした。寂れた境内にはやたらとカラスがたむろしており、御神体もない朽ちた本殿と、完全に崩れ落ちてしまった拝殿があるばかりで。ただご神木のように立派な気が一本、そこにはそびえる様にして生えていました。
……幹には、何も。
人が立ち入らなくなって随分と長い月日が経っていることを、分からずにはいられませんでした。
この時になって私は漸く、あの烏はなにか良からぬものの化身だったのではないかと思い始めました。
とは言え、もう後には引けぬとも感じました。何せ、烏とは言え何対もの眼がこちらを見ていたのです。私の一挙手一投足全てを、注意深く観察されているような気がしました。
不気味でありながら、一応は神社であることが窺えたからでしょうか。気味の悪さの中にも、悪さを働けば良からぬことが身に降りかかるのではないかという畏怖がありました。
既に山菜のことで欲張った身ですから、何かお叱りがあるのではないか、と。
私が後にも先にも動けずにいると、雨が降ってきました。小雨のままならば良かったのですが、雨は直ぐに勢いを増しました。
私は仕方がなく、恐る恐る、本殿の軒先に身を寄せました。かやぶきの重厚な屋根が崩れ落ちてこないことが不思議なほど古びた木造の本殿はところどころ腐ってしまっていて、中が一目で覗けてしまう程、既に扉は朽ち破られていました。
降りしきる雨に気を取られている間に、烏はどこかへ行ってしまったようでした。
気付けば私は一人になっていました。
雨は降り止む気配はなく、寧ろ酷くなるばかりでした。
それはそれで、薄ら寒い状況でした。
実際に肌寒さを感じていたこともありますが、それよりも。
この雨は天の助けなのか、それとも全く逆のものなのか。どちらにせよ、人の身には負えない何かによるもののように思えたのです。
ぶるりと身震いをしました。
畏れ多く、そして何よりも怖くなり、私はお堂に背を向けるのを止め、身体を脇へずらしました。破られた扉から中を覗くなんてとんでもないことでした。例え中にご神体の無いようなお堂でもです。
一目見るだけでももぬけの殻だと分かる程です。けれど、その場所に神仏がおわしたのだと思うと、私はもうそれだけで身が竦む思いだったのです。
私を引き留めているかのように降りやまない雨をまんじりともせず見つめていると、不意にお堂の中から物音がしました。
それはもう驚きましたよ。きっとイタチかネズミでもいるのだろうと思いました。だから、悪さをしないよう追い払おうと思ったのです。
ええ。扉を開けるまでもなく壊れた場所から、私はお堂の中をそっと窺いました。あれだけ怯えていたことが嘘のように、その時は必死でした。畜生の行いで私自身にまで厄など降りかかっては困ると、そればかり考えていました。
中は薄暗く、お堂の隅が見えるほど目が慣れるのに少しかかりました。
けれどそんなことよりも、誰かが一人、倒れていることははっきりと分かりました。
肌が白かったんです。とても。すぐ、どこか貴いお生まれの方だと思いました。
身体は小さくいらっしゃって、思わず息を飲んでしまう程、細いおみ足が投げ出されていました。少なくとも畑仕事をする女でないことは明らかでした。
もしやどこかの狼藉者に無体を働かれてしまったか、まさにその最中で、私はその方のあわやの間に迷い込んでしまったのかと思いました。
とっさに辺りを見渡し、人の気配がないことを確認すると、私は直ぐに中へと入り、その方に駆け寄りました。……重ね重ね恥ずかしい限りなのですが、実際のところ、一人逃げおおせたい気持ちでいっぱいでした。けれど勢いのある雨の中を走り出すということもできず。神様のおわした……いいえ、おわすかもしれないまさにその場所で、そのように自分本位に振舞うことこそ恐ろしかったのです。
「もし、もし」
私は声を掛けました。
中に入って気付いたのですが、その方は変わった着物をお召になっておいででした。奇妙には思いましたが、その方は直ぐに気がつかれた様子でしたから、私は少し間をあけてその方を待ちました。みだりに触ることも躊躇われるほど美しい肌をしていらっしゃいましたから。
少しの呻き声を上げ、その方は目を開けられました。ぼう、とした風に少し頭を振られていましたが、私に気がつくとじっとこちらを見つめられました。
息を、飲みました。
その方は、お美しいお顔立ちをしておいででした。それだけではなく、霞んだ朝焼けのような、美しい藤色の目をお持ちでした。御髪は暗い中にも艶めいて、烏よりも美しく黒々としていました。
薄い墨汁で描いた様に細い眉や、薄くもふっくらとした唇、顎までの滑らかな輪郭。その麗しさは、ぞっとするほどでした。とても人ではないように思われたのです。
金銀も目ではないほどの高貴な瞳をお持ちのその方は、実際、人ではなかったのでしょう。
そんなものに、じっと見つめられてご覧なさい。
私はもう兎に角取り乱して、その場でひれ伏しました。
「あ、む、無断で立ち入ったご、ご無礼を、お許しください」
頭を上げることは出来ませんでした。
平にお許しを請う寸前のお顔は私がどのような人間かを見定めようとしているように思われて、ただ私は縮こまり、無体を働くつもりの無いことをお分かりいただくしかありませんでした。
だって、そうでしょう?
人でないというのなら、そのお方は、古くに祀られた神様(もの)だったに違いありませんもの。そしていつからか人に忘れられ、荒ぶり、お怒りになっておられてもおかしくはありませんでしょう?
「ああ、悪い。そう畏まらないでくれ」
「……は」
震える私に低い男の声がかかりました。
ぴしり、私は震えていたのも忘れて、息を詰めました。
誰ぞいつの間にか男がいたのかと慌てて、けれど声は確かにその御方から聞こえたのです。取り乱さなかったことを褒められてもよいと思う程、私の心は混迷を極めていました。
「頭を上げてくれ。頼む」
ただ、その声は極めて穏やかで、優しげでした。
嫌な感じは一切しませんでした。ですから、私はゆっくりと顔を上げました。
私が顔を上げると、そのお方はほっと息をつかれました。表情もどこか柔らかく見えて、私はそのままゆっくりと居住まいを正しました。
「あんたが俺を呼んだんだな」
「……申し訳ございません。心当たりがございません」
「そんなわけはない。現に、俺が今こうしているんだ」
線の細い、儚げなそのお方からは、低く明朗な男の声が飛び出すばかりでした。ですから、私は声の男とその御方が同一であることを認めぬわけには行きませんでした。
そしてそれとは別に、私はその御方の仰ることがまるで理解できませんでした。混乱していたことは脇に置いておくとしても、本当に意味が分からなかったのです。
「そうか……なら、ウマが合ったのかもな」
「は……」
「いや、いいんだ。気にしないでくれ」
はあ、と気の抜けた声が出てしまいました。ですが、その御方は気を悪くされることもなく、私に微笑みかけられたのです。私は、まるで魅入ってしまって……。
その間にもその御方のやんごとない御目は私から逸れ、どうしようもないお堂の状態を確認するように動いていました。そして外に雨が降っていることを認められると、再び、言葉を下さいました。
「この雨……引き留めちまったか」
さあさあと、雨が屋根を、地べたを、山を、見渡す限りすべてを打つ音が静かに響いていました。
どうしてでしょう。
私はその時になって初めて、恐ろしさを感じなくなっていました。
家に帰れない怖さ。一人である怖さ。不気味な場所にいる怖さ。貴い……いいえ、まず人ではないだろう御方への怖さ。
不思議な心地でした。その御方が微笑まれるだけで、何故だかとてもほっとしたのです。
その御方は、私が気づいたときには胡坐をかいておられました。そして、私に目を向けられました。
「お前さんさえよければ、拝んでくれないか」
「それは……どういう、」
「言葉の通りさ。やり方は何でもいいが、もうちょい力が欲しいんでな」
「は、あ」
「そうしたらお前さんも安全に送って行ってやれる。受けた恩は返さないとな」
相変わらずその御方の仰ることは分かりませんでしたが、私は送って行く、というその言葉に酷く心揺さぶられました。そして、軽率に山へと分け入った末に道を失い、迷いついた先が廃神社で、その御方の御前を失礼したのだと正直に申し上げました。
「なんだ、贄じゃねえのか」
にんまりと、口の両端を吊り上げて、その御方は笑まれました。
私が平に伏してお許しを願い出ると、呵々と声をお上げになって。
「悪い悪い、俺なりの冗談だったんだがな。さあ、頭下げるよりも拝んでくれや。ちゃあんと、お前さんを帰してやる」
そう、はっきりとおっしゃいました。私は、今度は感謝を述べるために頭を下げました。
「……どうやら、お前さんは俺の大将にゃなれないようだからな。口惜しいが、仕方ない」
「はい? 申し訳ございません、今なんと……」
「ああ、いい、いい。なんでもない。
……お前さん、出身は?」
「は……山の麓にございます、一本の立派な杉のある村の者にございます」
「分かった」
会話は、そこで途切れました。
私は手を合わせて、その御方に向けて拝みました。神社でしたから、流石にお経を拝むことはしませんでした。
……そうですね。その頃には私はすっかりその御方を神様だと思っていましたから、まずご挨拶から。
名乗りをし、私のような者を受け入れてくださり、あまつさえ快く接してくださる古き御方の徳の高さに感謝をしました。
勿論、心の中でですよ。流石にお話になる御方の前でそのようなことを口にすることは憚られましたので。
ですが、心の中さえも、その御方には筒抜けであったようです。
私が目を開け、頭を上げると、その御方は眉尻を下げ、酷く困った様なお顔をされていました。
「……あんまり、そう気軽に名前を言うもんじゃないぜ」
そのように仰って、頭を掻かれて。
「お前さんも気づいているだろうが、俺はこんな形をしちゃいるが、人間じゃないんでな。悪さをされたくないんなら、自分の名前は教えちゃいけねえ。今後は気をつけろ」
「……はい。ですが、あなたさまはそのようなことはなされないように思います」
「そう言われるとちょっとは意地悪したくなるってもんだがなあ? ……ま、さっきからかっちまったからもうやらん。信用されるのも悪くないしな」
「ふふ」
「やっと笑った。女は笑ってるのが一番いい」
「まあ、お上手なのですね」
「正直者って言ってくれ」
私は口元に手を当てたままぱちくりと目を瞬きました。まだ子どものような幼さの残る男の姿で、私よりもずっと歳のいったようなことをおっしゃるのです。人ではないのですから当然なのですが、その時はそれはもう、おかしくて。
その御方は、私がくすくす笑うのを微笑ましそうにご覧になっておられました。私もその頃にはすっかり気持ちも解れていまして。ですから、その御方が腰を上げられたとき、再びじっと見上げられて、何の気なしに見つめ返したのです。
とても不思議な心地でした。胸がとくとくとするのが分かりました。
……。そこで、恐らく私は記憶を失っているのだと思います。
ええ。そう時間が経っているものとは思わなかったものですから。途切れているとすればその辺りでしょう。
不自然なほど、私はその御方に心を預けていました。
何があったのかは覚えてないのです。ですが、私とその御方はすっかり好い仲になっていました。少なくとも、私はそのように感じました。
私はもう一度、名を申し上げていました。
「皐月、と申します」
「皐月」
その御方に名を呼ばれた時、私は胸がきゅう、となって、甘いような、痛むような、そんな心地になりました。
「なあ、皐月。お前さんは俺が責任を持って一本杉まで送って行く。
でもなあ……俺はどうやら、お前さんが欲しいらしくてな。正直、帰すのが惜しい気になった」
「それは……困りましたね」
「ああ。困った。困ってる」
おかしな問答でした。
正直者と言ってくれ、と、そう仰った通りの正直なお言葉でした。
「そこで一つ提案がある。この先お前さんが天寿を全うしたその後は……お前さんを攫っていいか?」
「まあ」
「誰とも縁(えにし)を結ぶなとは言わん。なあ、子どもたちを見守ることは勿論、どこにも行けなくなってもいいなら、俺の嫁御になってくれ」
ふふ、それはそれは熱烈な求婚でした。
今となってはその御方がどうして私にそのようなことをおっしゃられたのか、知る由もありません。
ですが私はうっとりするほど真剣なその御方の眼差しに、頬を火照らせながら頷きました。
……。ええ。頷きました。はい。私はすっかりとその御方に参っていましたから。
どうしてと言われましても、お答えできません。心の移ろいがあったのだろう日々のことは、覚えていませんので。
「そうか!」
その御方は私が頷いた後、喜色満面で私をひしと抱きしめられました。
背丈は私の方が高かったので、見た目には弟か子どもに懐かれたようなものでしたが、しっとりと身を寄せられて、私にはとても微笑ましいようには思えませんでした。
気付けば、私は一人一本杉に立っていました。採った山菜をしっかりと抱えて。
はい。はい。……いいえ、覚えはあります。夢心地のようでしたが、確かに私はその御方に手を引かれて、雨の引いた夕焼け空の下、山を下って一本杉までを歩きました。
はい。後は村の方に見つけて貰って……はい。それで終わりです。
山菜は採れたての様子でしたから、私はすっかり一日のことだと思っていました。まさかひと月も経っていたなんて……狐につままれた心地でしたよ。
え? ああ……ふふ、終始優しい御方でしたよ。一番最後のお言葉を覚えています。
その御方は最後に、
「俺を参ろうとか、祀ろうとかは言わなくていいからな?」
って。
私に釘を刺すように言われました。言われた通り、暴かずにそっとしておくのがよいのでしょうね。
またあの場所に行けるとも思いませんけれど。
「――以上です」
政府の役員を名乗る人が家に来た。何でも神隠しにまつわる話を知りたいということで、大婆ちゃん……曾祖母の話が聞きたかったようだ。どうしてそんなことを聞きたいのかと言えば、時の政府が打ち出した、『さにわ』がどうとかいうプロジェクトに必要になるらしい。
既に大婆ちゃんは三年ほど前に115歳で亡くなっていたから、父は遺品として大切に置いていた音声記録と、その音声を書き起こした書類を見せていた。私はお茶を出したりするのを手伝っただけで、よく分からないけど。
長生きした大婆ちゃんは昔、一ヶ月間行方不明になっていたことがあるらしい。神隠しだと当時話題になったようだ。
当時は霊的な事象は皆眉唾であるという風潮があったようで、大婆ちゃんの話は念のため記録はされたけれど、精神鑑定が行われた程には信じられなかったそうな。
大婆ちゃんと大爺ちゃんは仲が良かったけど、大婆ちゃんにそんな話があったことは初耳だ。
そう父に言うと、父はこっそりと教えてくれた。
「昔爺さんに教えてもらったことがある。結婚式があった日の夜中、爺さんの枕元に一人の美少年が出てきて、婆さんを幸せにしてやれよって言われたんだと。
爺さんも婆さんが行方不明だったことは知ってたらしくてな、婆さんの言ったとおりの姿だったもんだからそりゃあ吃驚したって」
「神様、怒ってなかったの?」
「いいや。それが……同じ墓には入れても、魂は全部貰っていくとか何とか言われたらしくてな。爺さんはそっちこそ大切にしないと化けて出てやる、とか、呪ってやるみたいなことを言ったらしい」
「……それ、大丈夫だったの?!」
「まあ、爺さんは寝ぼけてたんだとか言ってたからなあ……。でも、啖呵切ったのは逆に気に入られたらしい。その美少年は気持ちいいくらい晴れ晴れとした顔で消えてったってさ」
「大爺ちゃん、大婆ちゃんのことそれだけ好きだったんだねえ」
「爺さんは責任感強かったからなあ……。婆さんのそう言う話があっても受け入れたわけだし、いろいろと覚悟の上ではあっただろうな」
結局、政府の人が資料をコピーさせてほしいと言うので、父はその場で許可をして、コピーを持って帰ってもらった。
その後と言えば何もなく、ただ十八歳になったら『さにわ』にならないかとかいう勧誘? めいたものがあっただけ。父が保留にしているようだけど、公務員と言う扱いになるらしいし、少し興味はある。
大婆ちゃんと神様は、元気にしているのかな。
そうだったらいい。
******
「よお、皐月。迎えに来たぜ」
「あら」
家族に看取られ、未だ啜り泣きの聞こえる病院の一室を感慨深げに眺めてた女性は、名を呼ばれて空を仰いだ。そこにはいつか約束を交わした美しい少年の姿が軽い調子で片手を上げ、宙に浮いてた。
「ご無沙汰しております」
「おう」
深々と頭を下げる女性に応え、その横へ並び立つ。
「大往生じゃねえか」
「ふふ、おかげさまで」
二人は長らく寄り添いあった夫婦のように穏やかなまなざしで、彼女のために涙を流す人々を見遣る。
「孫にも恵まれました。
あそこで一番に泣いている若い女の子がいるでしょう? あの子が最初の孫なんですよ」
「お前さんに似て別嬪になりそうだな」
「あら、私が貴方様にお目見えした時と同じ頃の年ですよ」
「そうだったか? 俺にはお前さんがいっとう好く見えるからなあ」
「まあ、相変わらずお上手ですこと」
「正直者だって言ってくれ」
いつかの会話をなぞり、少年が彼女の腰に手を回した。
そのまま、ゆっくりとふわり、空に溶けるように姿が薄らいでいく。
「どうだった? 人生ってのは」
「とても良いものでしたよ。旦那様にもそれはそれは良くしてもらって」
「そうかい。そりゃ良かった」
「はい。ようございました」
「……。
旦那様には、お会いになられました?」
「ああ、お前さんとの式の日に少しな。中々いい男だった」
「ふふふ。
それでは、お互いにお説教はなさそうですね」
「さあ、俺はこれからだからなあ。
ま、お前さんに不自由をさせるつもりはないぜ」
少年の見かけにそぐわない老獪さの垣間見える笑みに、女性がころころと肩を揺らして笑った。
「でしたら、まずは私の記憶を取り上げたことを謝って下さいな」
「……。悪かった」
「はい」
「あの時はああでもしねえと、お前さんの方が離れてくれそうになくてな」
「はい。ちゃんと今、思い出しましたよ」
「そうか」
「私の方が貴方様にすっかりと舞い上がってしまって。
貴方様は最後まで困った様子で、でも、私を受け入れてくださいました。なのに、別れる時に私の心を預かるだなんておっしゃって」
「俺もただ待つなんてことは出来そうになくてな……ってことで、許してくれるか?」
「こんな皺くちゃのお婆さんでもよいとおっしゃるなら」
「当たり前さ。……そんだけ若い声して何言ってる」
「あら? そうですか?」
「姿だって俺がお前さんの名前を握った頃に戻ってるぜ」
「まあまあ、あらあら」
「ったく、ちょっと見ないうちに随分と強かになったじゃないか」
「お嫌いですか?」
「いいや、全く。初めて見た時よりもずっと好い女だ」
「うふふ……。
もし、私の嫁ぐ御方のお名前をお聞かせくださいな」
「ああ、俺は――」
二人の姿が、溶ける。
2015.06.17