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歌仙兼定と女審神者
「やあ主、庭の木蓮、この雨でついに散ってしまったよ」「あらら。折角綺麗に咲いてたと思ったけど。雨が降り出すと春になったとは思うけど、花の見ごろが短いのは惜しいわね」
「まあ、それも四季の移ろいには欠かせないものさ」
「風流?」
「しかり」
「桜はまだ咲いているわね。というか、今が丁度見ごろくらいかしら?」
「そうだね。雨の桜も実に趣深い」
「晴れたら花見でもしましょうか」
「こうして主と屋敷の中から見るだけでもなかなかだと思うけれどね」
「ふふ、花見の宴を楽しむのもいいものよ」
「お酒さえなければ僕もやぶさかではないさ」
「ああ……酔っ払いの相手は骨が折れるから……まあそこまで羽目を外すことも……あるのかしら」
「料理も味わって食べてもらえるなら作りがいがあるというものだが、さて」
「……」
「……」
「そ、そうそう、桜が終われば直ぐに梅雨に入るわよね! 五月の新緑はとても美しいけれど、紫陽花は綺麗に咲くかしら?」
「その前に藤が見ごろを迎えるよ」
「藤! いいわね。藤棚はこの辺りにはないだろうけれど」
「ああ、あれは良いね……けれど、山野に咲く藤も良いものさ」
「へえ、見たことないわ」
「なら、今年は見られると思うよ。なにせ、見渡す限りのこの景色だからね」
「ふふ、楽しみね。時期が来ればこっそり山まで行きましょうか」
「その時は是非お供に僕を呼んでくれ」
「もちろん。お願いするわ」
2015.04.10
薬研藤四郎と女審神者
待って、置いていかないで。
そんな言葉が心から滲み出た。
私の手から今まさに零れ落ちようとする霊力、彼を彼たらしめていた神気が空へ消えていく。指の間からするりと抜け落ちていく感覚に寒気がする。
既に現世にその身の無い彼は、この本丸からさえも消えてしまったらもう私の手には届かない。名前だけ、逸話だけ残して、私の心に思い出だけ残して物質世界からさえも失せてしまう。
現れてからずっと力強かった彼の姿は今まさにその見かけどおりに儚くて、なのに彼自身は穏やかに微笑んでいた。悠然と構え続けたその姿に、その姿を見るだけでいつだって支えられてきた。だからもう、あなたがか弱いだなんて思うはずがないのだから、そんな風に『似合う』ことはしなくてもいいのにと叫んでしまいそうだった。
薬研の霞んだ手が、私の肩をすり抜ける。
「そりゃ違うぜ。俺が大将の手をすり抜けるんじゃない。大将が俺の手には掴めなくなるんだ」
ゆらゆらと揺れる優しい藤色は、それでもどこか満足そうに笑っていた。
いいえ、いいえ、やっぱりあなたが遠い所へ行ってしまうのだ。だって私はこんなにも縋っているのに。
悔しくてたまらなくなって、私は叫んでいた。何度も自分の名前を繰り返して、薬研が慌てた様子で私の口を塞ごうとするのも構わずに、その手がすり抜けて叶わないことに一層焦燥を募らせた顔を見て、少しだけ溜飲が下がるのを感じていた。
「たぁいしょぉう……」
あなたが悪いのよ。恨めしそうな、それでいて叱りつける寸前のような薬研の声に、私は拗ね切った声で答えた。ああ、もうあなたの声が霞んでほとんど聞こえない。まだ、まだ足りてない。満ちることなんてないと思うほど足りないのに。
「私の名前、せめて、それだけでも連れて行って」
そう告げると、薬研はくしゃりと頭を掻いた。綺麗な黒髪が乱れる。
「……参った。最後の最後で宝が出来ちまったな。名前(これ)、貰ったからにはあんたに会いに行くよ」
「ほんとう?」
「大将に嘘つくと後が怖いからなあ」
くるくると、『いつもの』ように薬研が笑う。それを見て私は不思議と安心してしまった。きっと、薬研は来てくれる。夢の中かも知れないし、違う何某かの手段かもしれない。分からないけれど、例え私が薬研のことを覚えていなくても。死ぬまで思い出すことがなかったとしても。
「待ってる」
「ん」
霞む薬研が何かを言ったように見えたけれど、もう私にその声は聞こえなかった。声を追いかけるようにして、彼の姿も消える。
やっぱり、彼は連れて行ってはくれなかった。
胸の内だけで呟いた言葉は、胸の中にいる彼の苦笑を引き出して、けれどそれだけだった。
2015.05.29(2015.06.10 加筆)