錯綜バイオレット
最初からクライマックス
アイツをみると、たまらなくなる。中等部の頃からずっとアイツだけを見てきた。人を見下すところは気に入らなかったけれど、アイツは頂点に立つために、立ち続けるために努力を惜しまなかった。デュエルも、勉強も、一番だったのは相応のことをしていたからだと知っていた。だから私はそんなアイツに勝つことで、私と言う存在を認めてほしかった。有象無象の、その他大勢なんかじゃない。見下す対象の中の一人じゃない。……見下されるなんて、冗談じゃない。取り巻きでもなく、私と言う、その存在を、なんでもいい。ただ私と言うことで知ってほしかったのだ。
負けず嫌いというか、負けん気ならもともと強かったから、その決意は上手くエネルギーとして私を動かしてくれたと思う。ちょうど高等部に上がる時、私はレッドに入ることに決めた。アイツは勿論ブルーだったけど、いつかその場所に、同じ所に堂々と立つことを夢見て。そしてアイツの目に留まるために。まあ、レッドに入ったことで目立ってしまって、予定より随分と早く名前を覚えられてしまったのだけど。
そうやって、当初予定していた構想とは随分と変更を余儀なくされたのはむしろ幸いだった。すったもんだの果てにアイツもレッド生になり、関わるどころか、話す機会が抜群に多くなった。……私の性格が災いして、いつも口喧嘩や嫌味、皮肉の応酬ばかりばかりだったけど、その中で見つけたものもたくさんあった。意外と面倒見がいいだとか、人を惹き付ける魅力があるだとか、人の上に立つだけの器があるだとか。悔しいけれど、顔が良いだけの、金持ちのお坊ちゃんではなかったのだ。
そして同時に、アイツに向ける思いは強くなった。高等部に入り、急速に変わっていくアイツに。私はその時、自分の想いが成就する幻想さえ見ることが出来た。そうして過ごした日々は全部、大切なものだと胸を張れる。アイツを近くで見続けてきて、勝手に励まされたことが何度あったか。多くの挫折を繰り返しながら、いつだって復活を遂げ蘇ってきたアイツは最高に恰好いい男だと公言できる。
その、力強い姿が、今は辛い。
この三年間で見る見るうちに成長していったアイツに比べ、私はどうだろう。翔とともにブルーの制服を着るようになってからは、特にそう思う。この三年間、私は努力してきたつもりだ。その結果のこの青の制服だから、まさかそこまで変わってないことはないだろう。これは私が当初目標としてきたそれであり、それは達成されたのだから。でも、アイツの変化は私のそれよりもはるかに顕著で、目に見えた。――結局、色なんて関係ないのだ。それを体現するかのように、アイツは一度ノース校へ行ってからはずっと黒の制服を着用している。どの寮にいようが、どんな色の制服を着ようが、強いやつは強いし、弱いやつは弱い。成長するやつはするし、しないやつはしない。私は、昔と変わってない。変わったのは、学校内のランクだけだ。
そのことに気付いて、私は愕然とした。急にアイツがとても遠く感じられた。中等部、遠巻きに見ていたとき以上に。
「――……歩、貴様、こんなところで何をしている」
声を掛けられて私は顔をあげた。そこには黒い制服を着た、万丈目が立っていた。改めて見ると、いつの間にか背は高くなり、顔はずいぶん大人びている。高等部三年にもなればそれも当然か。色白の肌はそのままに、立派な男になったものだ。意外と太い眉に、強い意志の宿った瞳。その眼に私が映っているのだと思うと、それだけで妙な満足感さえ感じる。胸なんてすぐにいっぱいになって、その内だけに留めておけない想いが、目から口からあふれてしまいそうだ。それは、焦がれて止まない人が遠い場所へ行ってしまう焦燥感と、コイツが一人、私よりもはるか先を歩んで行くことへの悔しさと、自分への情けなさや不甲斐なさと、たくさんのものが同時に入り混じって、上手く説明できない。
中等部時代、見ているだけの時は良かった。コイツを知り、多くのことを近くで見てきたからこそ、今、辛くてたまらないのだ。――見ているだけだった頃の方が良かったと、思うほどに。
私はこんなに弱かっただろうか。……弱かったんだろう。この気持ちをうまくコントロールできないのだから、それは明白だ。
「もうレッドの上着ではないというのに……そんな姿で、風邪でも引くつもりか?」
直球とは言い難いが、こんな言葉をコイツの口から聞けるようになるなんて。数年前は思わなかった。――……多分、コイツの良いところと言うのは、コイツがもともと持っていた気質なんだろう。今までは、家のこともあって抑圧されていただけなのかもしれない。それが高等部でコイツなりに解放されて、表に出るようになっただけだ。コイツには元々、素晴らしいものがあったのだ。それが上手く芽生えて、今のコイツになっている。紆余曲折はあった。でもコイツはそれを乗り越えてきた。デュエルの腕だけじゃない。強い男だ。もう学園の誰もがそれを認めるだろう。もちろん、私も。そんなコイツを目の前にするのが、辛い。
「……ほっといて」
あんなに夢見たのに。コイツに気にかけてもらえることが、今、こんなに苦痛を伴うなんて、昔なら考えもつかなかった。可愛げのかけらもない返事をしたのに、万丈目は気分を害した様子もなく、更に私に近づいた。
「酷い顔だな」
言われなくても分かっている。フン、と鼻を鳴らされても、私は噛みつかなかった。
「失恋でもしたか」
もうすぐ私たちは卒業する。だから好きな人に告白を、なんてことは珍しくもなんともない。そういう発想から出た台詞なんだろう。私がそれくらいの顔をしていたことも、あるかもしれない。
「……そんなものよ」
失恋なら、コイツに惹かれた時点でしている。私にとって失恋とは、ある一点の出来事ではなく、ある程度継続した期間のことだ。コイツが惚れてる相手は、デュエルの実力も申し分ない、美人、スタイルも良い、頭も良い、兄想いで、とても熱い心を持った、やっぱり魅力的な女性だ。私だって彼女は大好きだし、憧れでもある。私とは、正反対の人。一年の頃一度振られたのも知っているけど、諦めるつもりはないと言っていた。
思い出すだけで、コイツに見つめられたときとは全く異なる種類の痛みが走って、私はさらに顔をしかめた。私はコイツの背中ばかり追いかけているのだ。コイツはこっちを振り返ることなどあり得ないのに、よくもまあ、こんな不毛なことを長い間しているものだ。私ってこの上ないバカかもしれない。それでも、よそ見なんてできない位、私はコイツに心を奪われてしまっていた。コイツには、それだけの魅力があったのだ。
「なら、胸くらい貸してやるぞ」
「……ぇ?」
疑問のあまり出た声はかすれてしまっていた。今、コイツはなんといったのだ?思わず下がっていた視線をあげる。いつも通りの万丈目がそこに立っていた。少し両腕を広げている。いつでもいいぞ、と言っているように見えた。私はまずコイツの言葉を理解するのにたっぷり五秒はかかった。そして、ギリギリのところで留めていたものが、決壊してしまったのを感じて、慌てて顔をそらして下を向いた。
「……そんな、醤油臭い胸に、だれが」
声が上ずって震えてしまった。私がそれ以上言い切る前に、万丈目は私を強く抱きよせた。醤油以上に、しっかりとした胸板に驚いた。
「今の貴様には似合いだぞ」
落ち着いた低い声。とげの抜けた、優しい声。――似合わない。私には、勿体無い。そんな声をもらえる関係ではないし、こんな、こんな、しっかりと抱きしめてもらえるなんて。背中にまわされた腕。後頭部を包む大きな掌。たくましい胸。吐息。そのすべてが暖かい。
ゆるんでしまう、と、思った時は既に遅かった。コイツのアンダーウェアが濡れてしまっている。それに気付かないヤツじゃないだろう。
「泣いておけ、楽になれる」
ストレス発散だ。と頭を優しくなでながら、万丈目が言う。原因が何を言うか、と思うけれど、まさか口には出来ない。
「……んで、……りによっ……」
「言いたいことがあるなら泣き終わってからにしろ」
それまで特別に付き合ってやる。
なんて珍しいことだろう。明日は隕石が降ってくるかもしれない。そう思ってみるけれど、私はそのまますがるようにヤツのコートを握りしめ、泣き崩れた。コイツに比べて、私の心はなんて脆弱なことか。こうして抱いてもらえるのが、こんなに心地いいなんて知らなかった。……知らずにいたほうが良かった、のか。
何かがほぐれていく気がする。いや、溶けているのかも。溶けたものが、涙になっているような感じがした。妙な意地も、プライドも、負けん気さえも忘れてしまう。このまま眠ってしまえれば、幸せだろう。
「なんで、アンタなの」
少しマシになった嗚咽の間にそう尋ねると、俺で悪かったな、とため息交じりの声が落ちてきた。別に悪くなんてない。むしろ、嬉しかった。多分。
でも、私が今いるのは灯台のすぐそばだ。今はもう、お互い男子寮、女子寮にいるから、私が出てきたことにコイツが気付くはずがない。
「柚月から連絡があった」
「……柚月から?」
「お節介なやつに囲まれているのは俺も貴様も同じようだな」
くつりと喉で笑うのがすぐ近くで聞こえる。柚月は中等部時代からの友達だ。コイツのことをよく話していた唯一の人でもある。だから、コイツがここへ来たのはたまたまなんかじゃなかったのだ。そもそも、たまたまで来るような場所でもない。
「貴様を振るとは、相手の男はよほど見る目がないのだな。そんな男のことなど忘れてしまえ」
柚月はどういう風にたきつけてコイツをここへ寄越したんだろう。不機嫌そうな声。オマエのことだ、と切なくなるよりも先に、私を励ましてくれているのだと思うと嬉しくて、でも、同時になんだか可笑しくて少しだけ笑ってしまった。苦しい事も辛い事も、悲しい事も全部全部コイツのせいなのに、それを吹き飛ばして満たしてくれるのもコイツだけなのだ。こうして今、万丈目は私と言う、仲間の為に言葉を送ってくれている。私をかばい、鼓舞してくれている。私は、果報者だ。
あるいは今コイツが言ったように、忘れてしまうのも良いかもしれない。結局蓋をあけることなく終わってしまった恋だけれど、こんな風に大事にしてもらえるなら、もうそれでいいと思えた。面と向かってぶつかって、振られることが怖いだけだと分かっていたけれど、それも本心には違いない。
私が噴き出したのが分かったのだろう、万丈目の声が和らいだ。
「貴様も貴様だぞ。くだらん男に引っかかるなど……お前には、もっと似合いの男がいる」
知らないとはいえ、自分を悪く言い続ける万丈目に、私の涙は止まっていた。吐き捨てるような言い方に、どうしようもない優しさと思いやりが込められているのを、嫌でも感じてしまう。やっぱり、コイツは器が大きくて、すごい男だ。とてもじゃないけれど、忘れるのは無理そうだ。
「くだらない男じゃ、ないわ。とんでもなく恰好良くて、優しくて、たくましくて、努力家で……まっすぐ、ひたむきで……女を見る目がある人よ」
少しくらいは気付いてほしいかもしれない。でも、その先にあるものを考えると、絶対に気付いてほしくない。
「私は、中等部時代からそんな人を好きになった自分を誇りに思うわ」
「……内部生にそんな奴がいたか?」
「アンタが知らないだけよ」
きっとコイツは、自分にどれほどの魅力があるか、知りもしないだろう。何度も何度もどん底を味わってきたから。どれほど慕われても、驕ることがなくなったから。だからきっと、私のこの想いにも気付かない。それで良い。まっすぐに前に進み続ける姿を、上を向いて頑張り続ける姿を好きになったのだから。
「さっきアンタに言われて、ちょっとだけ、忘れても良いか、って思った。でも、無理。振られたって、好きなものは好きなんだもの」
私は自分の意思で、万丈目の腕の中から離れた。鼻をすすって、濡れた顔を手の甲で拭った。その手を、取られる。
「貴様、ちゃんと告白はしたんだろうな?」
さっきとは似ても似つかない、険しい顔。私は、何も答えなかった。自然と視線が下がっていく。私の態度はそのまま万丈目に伝わったようだ。舌打ちする音が聞こえた。
「自分の気持ちも言わんで、何が振られただ!はっきり伝えてこんか」
「……あっちには好きな人がいるのよ。端から振られているようなものだわ」
「フン、好きな人、だと?別に恋人がいるわけでもないんだろう、振り向かせる程度のことはやれ」
簡単に言ってくれる。でもコイツの言っていることは正論だ。だから言い返せないし、何よりコイツはそう言えるだけのことをやってきている。私は、黙るしかない。
「負け犬にすらなっとらん腰ぬけの貴様にくれてやる時間はない。俺は帰る」
来て損をした、と万丈目は憤っているのが分かる足取りで寮の方へと戻っていく。私は、その背中をじっと見ていた。
万丈目の言うとおり、アイツに恋人がいるわけじゃない。振り向かせるような努力をしたことはなかったけれど、アイツに認めてほしくて、私と言う存在を見つけてほしくて、そのために頑張ってきた。でも、どうしても自分から言う勇気はない。咽喉がつっかえて、何も言えない。今もそうだ。
もし、もし今言えば、伝わるだろうか。そう思っても、上手く言えるような気がしない。咽喉が詰まって、黙ってしまう自分の姿ばかりが頭に浮かぶ。
小さくなっていくアイツの姿がゆがんだ。私は、息をついて、目を閉じた。同時に、また頬が濡れる。
『受け身になるために積極的になるよりも、そのままアタックしちゃった方が、楽だよ』
いつだったか吹雪さんにもらったアドバイスを思い出した。結局それを実践する日は来なかったのだけど。大事な言葉は、伝えなくちゃいけない言葉は、いつでも飲み込んでしまう。誰に対してもじゃなくて、アイツにだけ。さっきも、結局慰めてくれたことへのお礼を言いそびれた。
打ち寄せる波が風をつくって私の身体を撫でる。海を振り返ると、ほんの少し冷たいと感じる風が顔に当たって気持ちがいい。
一瞬、アイツに軽蔑されるのが怖くて、引き留めようとした。それが出来なかったのは、やっぱり自分が可愛いからだ。傷つくのが分かっているのに、勇気を振り絞るのは難しい。ここで潔く振られて、気持ちに区切りをつけるべきだという思いは、ある。でも天秤にかけると、軽すぎて。軽蔑されるのが妥当だな、とぼんやり考えた。アイツと私じゃ、釣りあわない。や、勿論、付き合えるとは思っていないし、大体いつもケンカばかりして、並んでも似合いのカップルには到底ならないだろう。告白すら、勘違いするのも大概にしろと言われてしまいそうな気がして、多分アイツはもうそんなことは言わないだろうけどそれでも、そんな風に言われそうだと思ってしまうと、そこで立ちすくんでしまう。『腰ぬけ』がアイツに認めてもらおうなんて無理な話だったのだ。それこそ告白でもしない限り。
しゃがみ込んで膝を抱えると、なんだか惨めな気持ちになった。こうして尻ごみしているから、私はいつまでたっても変われないのだ。
「……馬鹿が、どれだけ風邪をひきたいんだ貴様は」
「!」
バサッと何かが降ってきた。視界が一気に黒一色になる。よく見ると、万丈目のコートだった。振り返ると、本当にすぐそこに万丈目が立っていた。去り際と同じ、険しい顔で。
「全く、つくづく世話の焼けるやつだ」
「……誰も焼いてほしいなんて言ってないわ」
もう耐える必要もないか、と涙声のまま返した。声が震えて、やっぱり最後は上ずってしまったけど。鼻をすすって、言葉を続ける。
「大体、なんで戻ってくるのよ」
「そんなもの、貴様が俺を引きとめなかったからに決まってるだろう」
何が言いたいのか分からず、戸惑いを持って万丈目を見上げると、万丈目が私の隣に腰掛けた。私の頭には万丈目のコートがかけられたままで、私は視界が狭くなるのも手伝って、そのまま風で飛ばないように手で押さえた。あんまり、こういう姿は見られたくないし、きっとうまく取り繕った顔は出来ないから、このコートは万丈目の視線から私を守ってくれる気がしたのだ。
「俺に、何か言うことがあるんじゃないのか?……という言い方は違うな。言いたいことがあるんだろう、聞いてやる」
「……」
無言で万丈目を見ると、少しのぞきこむようにしてアイツはこっちを見てた。
「貴様は言いたいことがあるときは必ず口ごもるからな。全く……折角勢いをつけてやろうと御膳立てをしてやったのに、ノってこないとはどういう量見だ」
おかげで無駄に歩く羽目になった、と万丈目は続けた。つまり、あの時私が引き留めることを前提で、コイツはあんなことをしたということだ。随分と回りくどい事を、と思うが、私のことをよく分かっているのだろう。だって、私、あの時引き留めかけたから。引き留めて、そして、言おうと思ったから。
「……叱咤激励をありがとうって、言おうと思ったのよ」
普段、簡単にお礼なんて言えないから、とその言葉はすんなりと言うことが出来た。
「違うだろう。……まあ、それも厳密には一つだろうが、それよりももっと俺に言いたいことがあるはずだ」
「あ……」
指摘され、初めて素直に言えた理由を知る。……私以上に、私のことをよく知っているのか、万丈目は。なんだか不思議な心地がした。
そのまま黙っていると、不意に万丈目が口を開いた。
「貴様が言わないのなら、俺が言う」
「……?」
「歩、お前の想い人がどいつかは知らん。だが、お前が確信を持って勝ち目がないと分かっているなら、早々に玉砕してしまえ」
酷い言いようだ。驚いて万丈目を視界に映すと、思っていた以上に真剣な眼をしたヤツがそこにいた。
「そうしたら、俺のところに来い。俺はそんな男と違って、見る目があるからな」
「え……?」
「歩、俺は、お前を一人の女性として、……いや、こんな回りくどいのは俺たちらしくないな。俺は歩、お前が好きだ」
「 」
まさか。思った言葉も、思考も、すべて奪われた。数秒の空白の後、私の口をついて出たのは、いつも通りの私としか言いようのない言葉だった。
「……同情してくれてるの?いいわよ、そんなもの」
「俺の気持ちは俺のものだ。例え予想していようと、他のヤツに決めつけられるのは不愉快だな」
ムスッと不機嫌を隠さない表情で言われても、私は戸惑うしか出来ない。
「だって、明日香は?」
「何故今俺とお前の間に天上院くんが出てくる」
「……私、明日香みたいに胸おっきくない」
「俺が天上院くんのバストに惚れたように言うのはやめろ。……それに、その、だな、お前こそ以前よりずっと……」
さっきまで確固たる強さを持っていた瞳が泳いだ。その視線の先がちょくちょく私の胸に注がれるのを見て、私は反射的に万丈目のコートを、胸を隠すように前で合わせた。少し万丈目の頬が赤い。私も、きっと赤くなってるだろう。
「……そんなことは今はどうでもいいことだ!お前の告白前に揺さぶるような真似はできるだけしたくなかったが、どうあがいてもしない様子だったから、言うことにしたんだからな」
「わ、わた、私」
「別に、お前の隙につけ入ろうと思ってるわけじゃない。お前の方こそ、同情は要らんぞ」
言わないと。結局自分から言えなかったんだから、ここではっきりと言わないと。傷つくのを怖がらないで、万丈目はそう言ってくれたんだから。告白するのに、こんなに勇気がいるって、言うことが怖いって、知ってるんだから。ちゃんと、答えなきゃ。
ふい、と万丈目が向こうを向いたのは幸いだ。私は少し赤くなってるように見えるその首筋と耳を見ながら、必死になって考えた。もう、ばらばらだ。中等部のころから、一度退学になった時、怖くて、レッド寮に戻ってきたときは、卑怯な手を使った時もあったけど、頑張り屋、知ってるから、プロデュエリスト、契約、おめでとう。
いろんな文節が、句が、ぐるぐる回っては消えていく。
「ま、万丈目、私」
消えていった言葉の数だけ、言葉を紡ぐ間隔が開いてしまう。
「さっき、さっき、私がホントに言いたかったのは……」
万丈目がこっちを見るのが恥ずかしくて、私は万丈目のコートに埋もれるようにして、折っている膝を見つめた。
「私、ずっと、……私が好きだったのは、ううん、今も、好きなのは、ま、まん、……ッ、その、アンタなんだ、から、ね、あ、いや、その、だから、私、も、す」
き。
最後の文字は、万丈目の身体に覆われて、飲み込まれてしまった。それにしてもこんな告白なんてあっていいのだろうか。カッコ悪すぎる。
ずる、と抱きしめられた拍子に頭からコートがずれた。
「それは、本当か」
「う、うん。ずっと、言えなくて」
「……そうか」
ため息とともに、万丈目の身体から力が抜けていく。結果もっとしっかり密着することになって、私はどうすることも出来ずに、ただおとなしく万丈目の腕の中に納まっていた。
「歩」
「あ、な、なに?」
急に腕の力が緩んで、万丈目に見つめられる。桁違いに感情が高ぶって、さっきとは違う意味で泣いてしまいそうな私の頬を、万丈目の掌が撫でた。その眼が細められて、徐々に万丈目の顔が近づいてくる。――それがどういう意味かなんて、分からないはずがない。愛おしげな、妙に色っぽいと言うか艶のある表情に、私は恥ずかしくなって自然と腰が引けてしまった。それを、もう片方の腕で腰を抱かれてそれ以上逃げるのを阻止される。でも、だって、そんな表情で見られたら、私、
「ま、まんじょう、め」
「『準』だ」
訂正の言葉のあと、万丈目の瞳が完全に閉じる。顔をそらそうとしても、完全にホールドされてそれも出来ない。これ以上視界に映すのが耐えきれなくなって、私も目を閉じた。
直後、唇に柔らかい感触があって、そっと吸いつかれた。瞬間、力が吸い取られてしまったかのように抜けてしまって、私は万丈目の胸板にしなだれかかった。結果的に胸を押しつけるようなことをしてしまったけれど、腰に力が入らないから、上半身を支えられなかったのだ。
そうなっても万丈目のキスは終わらなかった。丁寧に、二回、三回と回数を重ねる。それが、頬や鼻先や目蓋に移った。それが止んで目を開けると、黙ったまま、熱の入った瞳で見つめてこられて、私はそこでやっと顔をそらすことが出来た。
「歩」
「……な、に」
「こっちを見ろ」
万丈目の声はひどく楽しそうだ。それでいて穏やかで、私は余計気恥ずかしくなるのを感じた。そうしているうちに、顔をそらしたことで差し出したような形になっている耳に口付けが降ってくる。ひえ、と声を出せば、そのまままた抱きしめられた。
「気付かなかったとはいえ、さっきまでのお前の言葉は、少々妬けたぞ」
「え?」
「とんでもなく恰好良くて、優しくて、たくましくて、努力家で、まっすぐ、ひたむきで、女を見る目がある、か」
「!」
意地の悪い笑みすら恰好よく見えてしまう私は、もう、だめなんだろう。力が抜けてしまった身体が、もう一度強く引き寄せられた。
「もう一度言ってくれ、と強請っても、貴様は口を開かんのだろう?」
「……」
「天岩戸を開くには、何をすればいいんだったか。確か構うのはダメだったな」
笑い交じりの声で言われて、私は天照じゃないわ、と万丈目の胸に額をくっつけた。
「……すき」
「誰をだ」
「万丈目」
「『準』だ」
「……準が、好き、デス」
意地を張っているのが面倒になって、言われるがまま、言葉を紡ぐ。すぐに嬉しそうな声で私の名前を呼ぶ声が落ちてきた。よく出来ました、と言わんばかりの表情で微笑まれる。いや、微笑むなんて優しいものじゃないけれど、私は徐々に柔らかくなって迫りくるアイツの顔にまた目を閉じた。
――もうすこし。あと、少し。
2010/06/29 : UP