錯綜バイオレット
七夕
プロデュエリストは忙しい。たとえそれが新人だろうがベテランだろうが関係ない。しかもそれが万丈目準ともなると、話題性も相まって、メディアで見かけない日はないとさえ思えるほどだ。プロになる前からエド・フェニックスの付き人を務め、強さも折り紙つき。ルックスも申し分なく、自信に充ち溢れるデュエルスタイルは人気も高い。パワーデッキかと思いきや、エースとして使用するのはおジャマだ。それも必ず入れる。どんなにデッキ調整をしても入れる。
前から人を引き付ける力のあるヤツだったけれど、プロデュエリストとなり露出が増えたことで一気に注目の的になった。
日々高みを目指し闘うアイツの姿を見るのは楽しい。幸せでもある。テレビで、雑誌で、新聞で、ラジオで、インターネットで。至る所で名前や姿を見るたびに胸が熱くなる。デュエルアカデミアにいたころとは違って滅多に会えなくなってしまったけれど、実はあんまり寂しくはない。アイツは私の気持ちを理解してくれているし、私はアイツの気持ちを知っている。それ以上、望むのは難しい。ましてや、私は素直とは言い難い性格をしているし、その自覚もあるから、アイツに何かを強請るなんてしたことがない。どちらかと言えば、デュエルをしたり、インタビューを受けている姿をテレビで見てる方が好きだったりする。アイツを見ている期間が長かった弊害かもしれない。アイツに見つめられると、胸が苦しくなって、緊張して何も考えられなくなってしまうのだ。あの瞳が私を捉えていると思うだけで、アイツが、私を見て、私のことを考えていると、その意識を捉えているのが私だと思うと、もう、頭から布団をかぶってしまいたい衝動に駆られてしまう。名前を呼ばれるとムズムズするし、嬉しいのに恥ずかしいやら照れるやらで、まともにアイツの顔が見られないのだ。
だから今の生活スタイルが何より幸せをかみしめるには丁度いい。と、言ってしまうと変なやつだと思われるんだろう。恋人と言う立場であるのに、おかしいだろうか。アイツに想ってもらえるだけでこんなにも満たされてしまうから、それ以上いろんなことをされると、爆発してしまいそうになる。
勿論、会えないからこそ気がかりなこともある。アイツは努力を惜しまないから、無理するのは良いのだけれど、そのせいで体調を崩してやいないだろうかと。一人の時に苦しい思いをしているのではないだろうかと、心配なのだ。私が願うのはそんなことだ。どうか、身体には気をつけて。今日が七夕だと言うこともあって、短冊にそんなことを書いたら呆れられてしまった。もっと他に何かあったでしょ、と。
しかめっ面を隠しもしない柚月を思い出して、頬が緩む。仲の良かった面子でイベントを楽しむなんてことはしょっちゅうあって、なかなか折り合いのつかないところを何とか工面して楽しむのは学生時代にはなかったことで、新鮮だ。ただ、その中にプロデュエリストになった人の姿はほとんどない。それくらい都合するのが難しい職業なのだ。今日も例によって都合のついた面子で七夕にかこつけてパーティを開いていたのだけれど、あの頃のメンバー全員はそろわなかった。
だと言うのに、どうして目の前には準がいるんだろう。
「……歩?聞こえなかったのか?」
「あ、ああ、うん、えっと……まず、お帰り。あと、久しぶり」
「ああ」
「で、今何て言ったの?」
急なことに理解が追い付かない。つい今しがた私が暮らしているフラットに現れて、大きな旅行用のキャスターを玄関において、靴を脱ぎながら言われた言葉が現実のものとして受け入れられない。
「休みとまではいかないが、しばらくの間スケジュールが空いたんでな。明日からどこか行きたいところがあるなら連れていけるぞ」
「……」
今、なんて言われたんだろうか。休み?いや、休みとまではいかない、っていったんだ。え?
「契約打ち切られたとかじゃないの」
「そんなわけあるか!」
「……そう、なら、いいんだけど。でも、どうして?」
思わず眉間にしわが出来るのは許してほしい。でも、プロデュエリストと言うのは休みなんてそうそうないものだし、日曜日や祝日も関係ない。それが、スケジュールが空いた?そんな馬鹿な。
「そんなにおかしいか?織姫と彦星でさえ一年に一度は会えると言う確約があると言うのに」
大体今までが会えなさすぎたんだ、と準は言う。何処か拗ねたように言う姿が可愛らしくも映って、私は自然と笑んでいた。
「天気が悪いと会えないわよ?それに、七夕ならさっき終わったし」
ソファに沈み込んだ準の隣に腰掛ける。さっきまでソファに身体全てを預けていたのに急に頭だけ持ち上げて私を見るものだから、更に笑みが濃くなってしまう。それでも、疲れているのが十分すぎるほど分かるからそれ以上は言わないけれど。
「……俺と会うのはそんなに嫌か」
「そんなわけないわよ。……お疲れね。折角のお休みなら全部休養に充てればいいのに」
準の顔に手を当てようとすると、その手を取られて、そのまま引き寄せられた。力強くはないけれど、腕をまわされて、暖かい身体に触れる。――懐かしい匂いがした。今も変わらない、準の臭いだ。
懐かしくなって、私も準の身体に腕をまわして、ぴったりとくっついた。頬をすりよせてくん、と鼻をならす。途端、焦ったような声が落ちてきた。
「お、おい」
「?なによ」
「入浴なら毎日している!」
何を勘違いしているのか、慌てる準にいよいよ吹き出してしまった。
「やだ、臭いチェックじゃないったら。……、準の匂いだなと思って」
「焦らすんじゃないぞ……全く」
「心当たりがある方もどうかと思うわ」
コイツの、準の腕の中は安心できる。いつ抱きしめられても、力強くて、凭れかかってもびくともしない。今日こそは疲れているのか、はたまたもう眠たいのか、腕に力は入っていないけど。その分は私が補えばいい。
「で、どこに行きたいんだ?」
「……残念ながら、特に行きたいと思う場所はないわね」
大きな手が私の頭を撫でてくれている。息を吸って、吐くたびに力が抜けていくのが分かる。準がいるのに行きたい場所なんて。いや、遺跡めぐりとか、そういうことはしてみたいけど。でも、せっかくの休みに他のことに気を取られるものもったいない気がしたのだ。今準と一緒に外に出てしまうと準が休めない気がするし、その休みを独占してしまっていいのなら、外に出ないのが一番だ。
「あ、そういえば!私、明日休みなの知ってたの?」
「……柚月から、そろそろどうにかしないと愛想つかされるわよ、と脅されたんでな」
頼み込んで、お前の予定を知らせてもらった、と言う姿はどこか気まずそうだ。
「別に私のことは気にしなくていいのに」
「あー、その、だな。……いいのか、お前は、それで」
声の調子が落ち、低くなる。見上げると、何処か切羽詰まったような、腹をくくったような厳しい表情で見つめられた。久々に見るその顔に、見つめられている、というそのことに胸がいっぱいになるのは、やっぱり、私がそういうことに慣れていないからなのだけど。真剣なまなざしで射抜かれると、まさしく骨抜き、腰が砕けたように力が抜けてしまうのだ。
「……どうしたの?」
「いや、……」
珍しく歯切れの悪い準に、私は首をかしげた。代わりに、さっきの準の問いに答える。
「私、準のデュエルを見るのが好きよ。しっかり対戦相手を見つめて、前を見据えているところを見てるのが。……だから、その、ね、あの、それだけで十分と言うか。あ、あんまり、その、準に甘やかされると、どうしていいか……。そ、それに、どこにも行かずに二人でいるのって、私からするとすごく贅沢と言うか……まだ直接こうして過ごしたりするだけで緊張するの……他に行きたいところも、したい事も、ないわ。準がいるだけでいっぱいいっぱいだもの」
まだ言葉を飲み込んでしまうこともあるけど、直接話が出来る機会が激減して、なるべく伝えられることは伝えようと決めた。そのおかげか、なんとか言葉を重ねることが出来た。それがどれだけ伝わっているのか、私が、準がいるだけで――否、その姿をどういう形であれ見ることが出来る、ただそれだけでどれほど満たされてしまうのか、そういう気持ちをどれだけ分かってもらえたか、分からない。それでも伝えないよりはましだろうと思えるようになったのは柚月のおかげだ。彼女には、今でも頭が上がらない。
それでもやっぱり、顔を見たまま話すのは難しくて視線は下がっていた。頭に準のため息がかかって、どうしたの、と問う前に声が降ってきた。
「サプライズプレゼントをするつもりが、逆になった」
「え?」
「今のは嬉しい不意打ちだな」
もう心にないと言われたらどうしようかと思ったと言われて、あり得ない!と勢い顔をあげると、ほのかに頬を染めて笑う準の顔があった。――ああ、やっぱり、それが私に向けられているというだけで、涙が出そうになってしまう。これ以上、胸の内に収めるのが難しい。
「……そ、それで、明日は……ううん、もう今日ね。ここにいてくれるの?」
「仰せのままに」
微笑みながら準は私の手を取って、手の甲に、厳密には指の付け根に、キスを。気障な仕草さえ似合うのは準だからこそだろう。
「……俺からも一つ良いか」
「なに?」
「このまま寝かせてくれ」
限界だ、と押し倒されて、今度は私の方が焦ってしまった。
「ちょ、ちょっと」
「シャワーは浴びてきた」
「そうじゃなくて!ソファじゃ休まらないわよ?」
「……ベッドはどこだ……」
「こっちよ。コート脱いで」
ほとんど死に体のような状態を何とか支えつつベッドへ乗せると、そのまま私まで引きずり込まれてしまった。
「着替えなくていいの?」
「いい」
「……ものぐさなのは相変わらずね?」
やれやれとため息をつくと、準が何やら言い返してきたけれど、もうほとんど言葉になっていなかった。さて、今までどうやって意識を保っていたのやら。
まさにこれぞ無我夢中と言うべきか、しっかりと抱きしめられて身動きが出来ない。まあ、シングルベッドだからこうでもしないと落ちてしまうんだけれど。
首元に熱い息がかかる。黒い髪を掻き分けて、額にキスをした。
「お疲れさま。……おやすみ、準」
抱きしめ返すと、じんわりと暖かいものが胸の内からあふれて来る。逆らわずに、私はそのまま瞼を閉じた。また、明日。
2010/07/07 : UP