錯綜バイオレット
小話1
「……驚くほど俺の琴線に響かんぞ」
「人が恥を忍んでやったのにその言い方は何よ!」
パァン、とヤツの頬を叩くつもりが私の平手打ちはあっさりかわされ、勢いを殺せなかったせいでヤツの胸に飛び込んでしまった。
「そう言われてもな」
しっかりと抱きとめられ、耳元に息がかかる。思わず身をすくめると、少し笑う気配。悔しくて突っぱねると、案外すぐに腕の中から出ることが出来た。……けど、反動でふらついてしまって結局その黒いコートを掴むことになってしまった。
「僕は似合ってると思うけどな」
横から翔くんのフォローが入る。……そうだと良いんだけど。
今私が着ているのは黒と白を基調にした色遣いの、メイド服というには余りにも本職の人に対して失礼な恰好だった。思い切り開いた胸元と、短すぎるぶりぶりのスカート。二ーハイソックスにハイヒール。勿論私の私服ではないし、これをトメさんが持っていたこともこの場合問題じゃない。
そもそもなぜ私がこんな姿をすることになったのか。
思い起こして、その原因は私自身にあることにため息しか出なかった。怒ろうにも怒れない。
きっかけは些細なことだ。レッド寮に所属しておきながら既定の制服を着てない万丈目に対して、私がレッドの制服を着るように難癖をつけたのだ。単に私が見たかっただけというのもあるのだけど、ノースに行ってから黒の暑苦しい制服ばかり着ているからたまには違う姿を目にしたかったのもある。
制服を改造しても全く咎められないし、ましてやクロノス教諭でさえコイツの黒い制服についてとやかく言ったことはないから、学園としてはそう大した問題でないことは確かだ。それは私の純粋な興味であり、そしてちょっとした八つ当たりだった。何に対してかは自分でもよく分からない。けれど勝手に出て行って戻って来て、まるで何事もなかったかのようにレッド寮にいるコイツになにか胸の中によく分からないもやもやとしたものを感じていたことは確かだった。
デュエルアカデミアではデュエルであらゆることを決定する。とは言え簡潔に着るか着ないかを決めるため、ドローパンの中身で勝敗を決することになって購買まで移動した。そこまでは良い。ただ、コイツが条件はフェアに行く、と言い出したのだ。
「オレが負ければオレも男だ。一度くらいレッドの制服でもなんでも着てやろう。ただし貴様が負けた時のことも決めなくてはな」
確かこんなことを言われた気がする。そこで、おもしろそうだと見ていた十代と翔くんがトメさんに何かないか、と聞いたのだ。そうして出てきたのがこのぶりっぶりなメイドさんの服で、万丈目も罰ゲームとしては手ごろだと思ったのか頷いた。引くに引けなくなった私は――
「じゃぁアンタが負けたらレッドの服着てガッチャ!ってポーズ付きでやりなさいよ」
「ならば貴様が負ければあの服を着てしおらしい言葉の一つでも吐いて見せろ」
正直、売り言葉に買い言葉だったと思う。けれど言ってから自分でもいい提案をしたと思ったのだ。
負けることを、あまり考えていなかっただけで。
ドローパン勝負のルールは簡単だ。好きな種類のパンを引いた方が勝ち。例外的に、黄金の卵パンを引けば問答無用でそっちが勝ちになる。アイツの偏食ぶりを見ても私の方が当たりを引く確率は高いはずだった。
それなのに、負けた。結果、私はレッド寮まで戻って自分の部屋で着替え、今の恰好で翔くん指導のもと『ご奉仕させていただきます』だの、万丈目が帰ってきた時に言わなかったからと『おかえりなさいませご主人様』だのと言うはめになったのだ。……にもかかわらず、万丈目が言い放ったのは冒頭の台詞だった。
「おい、いい加減に放せ」
「ッ……!悪かったわねッ!ハイヒールはおろかブーツだって履いたことないんだから!」
出来るはずもないのに叩きつけるようにして手を放す。またふらついたけど、何とかこらえた。
「……はぁ、もうこれ脱いでも良いでしょ」
歩きにくいのはもちろんだけど、何より恥ずかしいことこの上ない。
思って、一応そう切り出す。すると、十代や翔くんはともかくとして万丈目が首を振った。……横に。
「いいわけなかろう」
「は?」
「また貴様のような手合いが出てくるとは微塵も思わんが……これを機に反省と後悔でもするんだな。貴様は今日一日それですごせ」
「はぁ!?」
「幸いにももう授業もない。服のことも……所有者にわざわざ訊かずとも別にかまわんだろう」
まさかの言葉に私は口を開けてかたまってしまった。や、まあ、これで過ごすのは恥ずかしいけれど部屋に引きこもればいい話で、夕飯の時にこれを見られるのは恥ずかしいものの……
「……まさか、アンタそう言っておきながらこんなのが好きとか言い出さないわよね?」
「ふざけるな!頼まれてもお断りだ!」
「なによ、……明日香がこれ着てたら嬉しいくせに」
「なに!」
ぐ、と睨まれるけれど、その顔が少しの間を置いて緩む。それを見逃すはずもない。
「ホラやっぱり!」
「なん、違う!」
「何が違うのよ!ほっぺた赤いわよ!」
指摘すると、万丈目が言葉に詰まった。まあ傷つかないことはないけど今さらと言う気もする。
「お前ら落ち着けって」
「そうッスよ、歩さんも最早当初の目的を見失ってるッス」
痛んだ胸を隠すために更に口を開こうとした矢先、十代と翔くんの尤もな仲裁が入った。
それで虚を突かれたように勢いが死んでいく。
「……あーあ、結局負けちゃったし散々言われるし最悪だわ」
「散々言われるようなことしか言わないほうが悪い」
「可愛げがなくておしとやかとは程遠くて背も高くないし胸もないしアンタの理想とはかけ離れていてすみませんね」
何を言っても負け惜しみにしかならないのが余計に腹が立つ。悔し紛れに、そしてこれ以上コイツに何かを言われる前に自分で言われたくないことを言ってしまうことにした。
「……誰もそんなことまで言っとらんだろうが」
「今は言ってなくてもこれから言うかもしれないじゃない」
不貞腐れると、被害妄想だなと突っ込まれる。その通りだから言い返せなくて、代わりに腕を組んだ。
悔しい。
万丈目にレッドの制服を着せられなかったことじゃなくて、万丈目に少しも――馬子にも衣装とすら言ってもらえなかったことでもなく、ドローパンで負けたことが。翔くんの言った通り、初めの目的なんて吹っ飛んでしまっていた。コイツがエリートだったと言うのは財閥の力でもなんでもなく純粋にコイツの実力だったから勝てないのは当然か。中等部時代だって身を置く世界が違う次元の人間だったのだ。ましてや高校に上がってからまだ一年も経っていないし。
勝負の時期を見誤ったかもしれない。でも、いつ、何度やっても結果は変わらないのかもしれない。それを怖いと思わないことも悔しかった。
私は万丈目に、ずっと上の人間でいて欲しいのだ。私なんかに負ける人間じゃないと、そう証明し続けていて欲しいのだ。――勝負なんてする必要がない。私はコイツに勝つ気が、心の底を覗けば、ないんだから。
勝ちたい。認めて欲しい。デュエリストとして、女として。
でも本当は、そうならないでほしいとも思っている。そう言う正反対へ向かう気持ちのベクトルが終着点を見失って、どうしようもなく苛立つのだ。
万丈目は悪くない。でも捌け口を何処へ向ければいいのか分からない。自分の中に押し込められないのだ。デュエルですら全てを発散することは難しい。だからその原因へ向いてしまう。……関わりの無かった中等部時代なら考えられなかったことだけれど、万丈目がレッドに来たことでそれは変わってしまったし。
本当は申し訳なく思っていることは、絶対にばれちゃいけないしばれないだろう。だってそういう性格なんだと思われていないだろうから。
「おい」
「……何よ」
「もうこんなくだらんことを思いつくんじゃないぞ」
「はいはい」
一睨みして万丈目はそう言うと、私を鼻で笑って自分の部屋に引き揚げて行った。それを十代や翔くんと見送る。
ドアが閉まると同時にこっそりついたため息は、開かれた私の胸元をするりと撫でて落ちて行った。
2010/10/03 : UP