茄子恋
諸君、私は野菜が好きだ。大好きだ。寮の近くに小さな野菜庭園を造る程度には愛している。あ、先生から許可はもらっているからその辺は安心してほしい。授業もちゃんと出席しているし、成績だって悪くないのだ。
年中暖かく、時に暑いこの島では本島で言う夏野菜が特に育ちがいい。トマトやキュウリ、ナスビなんかの艶はぴか一だ。とれたてをそのままさっと水で洗って食べても良いし、キッチンで料理してもいい。
とかくそんな楽しみに精を出す私の、新しい日課がつい最近出来た。
「万丈目先輩!」
「!」
この学園で唯一改造どころか他校の制服を愛用している人。真っ黒な姿は暑苦しいことこの上ないけど、いっそすがすがしさまで感じてしまうほど黒に執着する先輩はなんだか一生懸命でちょっと可愛いと思う。友達に漏らしたら『アンタマジ頭大丈夫?』って言われたからそれ以来誰にも言ってない。
「今日こそ食べてくださいっ」
「貴様、いい加減嫌がらせはやめろ」
「野菜食べないと強くなれませんよ?」
「肉こそ力だ。そんなモノ要らん」
一度……いや、私は何度もレッド寮で夕飯を食べているのだけど、その食事内容には今も慣れることはない。あまりにも酷い……んん、ダイエットにはぴったりなそれに、私がとれたての野菜を料理して持っていくようになったのは少し前。そして野菜嫌いな万丈目先輩に野菜を勧め始めたのはつい最近のことで、これこそまさに私の楽しみにしている日課だった。
初めてここで食べたきっかけは、たしかティラノ先輩や丸藤先輩に誘われたのが最初だった気がする。二人とも遊城先輩が大好きだからたまにそうするんだそうだ。その席で万丈目先輩から野菜と言う野菜を押しつけられて、私も私で喜んで食べた。カッコイイのに子どもみたいな人だというのが正直な感想で、私はそれからちょくちょく料理を持ってお邪魔しては先輩から野菜をもらうことが続いたのだけど、これでは先輩がダメになる気がして、私は何かにつけて先輩に野菜を食べてもらおうと彼の周りをうろつくようになったのだ。私の頭を心配してくれた友達から『逆ハイエナ』というあまり嬉しくない呼び名までもらった以上、後には引けない。
今のところミッションを達成したことはないのだけど、万丈目先輩も逃げたり避けたりしないところを見ると、私が嫌われているわけではなさそうだ。単に敵前逃亡なんてプライドが許さないだけかもしれないけど。そんなところもカッコイイ。だからこそ先輩が野菜を食べてくれるのを期待するのだけど、それだけはどうしても嫌らしい。
「毎日のように飽きもせずよくやるな」
「先輩のおかげで料理のレパートリーが増えましたよ」
ありがとうございます、とお礼を言うと、先輩はものすごく苦々しそうに顔をゆがめた。別に、皮肉のつもりではなかったのに。
万丈目先輩の強情さは折り紙つきで、意地っ張りだから私が勧めたのを一度断った以上もう絶対口には出来ないとでも思っているのかも。そう考えて天上院……明日香先輩にもお願いして手伝ってもらったことがあったのだけど、やっぱり万丈目先輩が野菜を食べることはなかったから、本当に、単に野菜が嫌いなのだ。
「私は先輩のおかげで日々成長してるのに、どうして先輩はちっとも伸びないんですかっ」
「どう言う理屈だ!」
「いいです。私は、先輩はやればできる子だって信じてますから」
きらきらっと音が出そうなテンションで先輩を見つめても、返ってくるのはため息だけだった。まさに勝手にしろ、とでも言うかのような。もともと勝手にやってるけど。どうもヨイショの仕方を間違えたようだ。
私は今日も先輩が食べなかった分を自分で食べる。だって勿体ないし、他の誰かにそっくりそのままあげちゃうのは嫌なのだ。先輩の為に持ってきたのだから。
「こんなにおいしいのに」
呟いても何の反応もない。まあいつものことだから全く気にしてない。明日の朝にはトマトがとれるから、トマトソースをつくってオムライスでも作ろうか、と考える。トマトと言えば、
「……遊城先輩はトマトかなあ」
艶やかで張りのあるトマト。その美しさと赤さは例えるなら――いや、遊城先輩を例えるならトマトだ、と思っていたら口から出てしまった。そういや友達が頭を心配してくれた時もうっかり思ってたことを口に出してしまったんだった。
「……貴様、まさか十代を食おうなどと……」
「違います」
案の定、汚物でも見るかのような目で見られてしまった。さすがに人を食べたいと思ったことはない。
「とれたてピチピチのままも美味しいけど、煮込むと深みが出て、独特の酸味と上手く混じって大人の味になるんです。そこがトマトみたいだなぁと」
「そうか、明日はトマトなんだな」
「あ、分かりました?」
「分からいでか」
何処かぐったりしながらも付き合ってくれる万丈目先輩は優しいと思う。野菜を食べる、と言うことこそしてくれないけど、私との会話は面倒くさがらずにしてくれるのだ。私は先輩の野菜嫌いのおかげでここまで仲良くなれたと思っている。自分でも当初の目的が大切なわけではなくて、本当は先輩に構って欲しくてこんなことを続けている気はしていた。もはや日常風景として溶け込んでしまっているのがいい証明だと思う。だって、こういう時間が楽しいのだ。そして食事は楽しくするものだから、周りが嫌な気分になるまでしつこくは万丈目先輩に入れ込まないようにしてきた。それを置いても、先輩は特別なのだ。
「ちなみに万丈目先輩はナスです」
「今色で決めただろう」
ほら、こうやって乗ってきてくれる。こういうところが、お兄ちゃんみたいで好きだ。私は一人っ子だから憧れている。
「まあ、色のコントラストもそうですけど……ナスはどんな食べ方でもおいしいんです。煮ても揚げても焼いても……ナスをめんつゆと醤油で炒めるともう最高ですね!とれたてをそのまま食べたりはしませんけど、あの黒々として艶やかでセクシーな姿!!太くて大きくて……思わず触りたくなっちゃう……」
話しているうちに『私が考えたすごく美味しいナス』が頭の中に浮かんで、私はお箸を置いてナスを触るジェスチャーをした。万丈目先輩に手を掴まれてほとんど出来なかったけど。先輩が掴んでくる力がものすごく強くて驚いてしまう。でも、表情は俯いているのと、空いてるほうの手で顔を覆っていて全く見えない。
「……万丈目先輩?もしかして、野菜の話すらダメなんですかッ」
最早アレルギーの域に達してしまっている。さすがに心配になるけど、先輩は首を横に振った。
「違う。違うが……もう分かったから、その話はやめろ」
「?」
よく分からないが病気ではなさそうだ。
「先輩」
「なんだ」
「私、ナスビ大好きなんです。今度こっちで七輪持ってきて焼きますから、その時は一度食べてみてください。どうしても無理なら、醤油の匂いだけでも良いから」
「……覚えておく」
先輩は手を放すと、控えめにそう言った。決してナスを食べることに対してイエスと言ってはくれなかったけど、きっと見たら食べたくなると思う。
私はひそかにガッツポーズをした。
さて、日曜日。七輪を用意していると、丸藤先輩たちと鉢合わせした。ナスビを焼くのだと伝えると、折角だから魚でも釣ってくる、と言って遊城先輩を引っ張って行ってしまった。ついでにファラオも。
「このクソ暑い日に御苦労な事だ」
「万丈目先輩」
先輩たちが歩いて行った方向を見ながら、万丈目先輩は団扇を忙しなく動かして自分を仰いでいた。それ、七輪用のなんだけどな。
「で、貴様その格好はなんだ」
「制服のことですか?醤油と煙くさくなるのが嫌なんで、今日はやめときました」
今日着てるのはノースリーブと半パンだ。何も文句を言われるような出で立ちじゃないと思うんだけど『このクソ暑い日に』黒い制服をかっちり着込む先輩的にはアウトなのかもしれない。
「じゃあ焼きますよ」
「勝手にしろ」
つれない言い方だけど、ちゃんと外に出て側にいてくれる。それが妙に嬉しくて、私は弾んだ声で間延びした返事をした。もしかしたら危ないから、と監督してくれてるのかな。そこまで小さい子じゃないんだけど、先輩からすると大して変わらないのかな。
二人、七輪を囲むように座り込んでナスを焼く。白ナスもいいけど生憎育ててないので、普通のナスだ。
「これ、今朝とったものの中で一番美味しそうだったんです」
「良かったな」
「はい」
手に取った瞬間の重みと艶と張りは素晴らしかった。食べるのが楽しみ過ぎる。
特に話もなくナスの世話をしていると、万丈目先輩が制服の袖で汗をふくのが見えた。暑いのによく我慢できるなあ。でも、ただでさえ汗がしみ込んでいるだろうに、これ以上汗をしみ込ませてどうするんだろうか。
そう思ってハンドタオルで先輩の汗をぬぐうと、驚いた顔をされた。
「……万丈目先輩、今私がタオル持ってるのが意外って顔しましたね」
ハンカチやタオルを常備している女子は結構多い。特に汗をかくことの多いこの学校ではボディシートや制汗スプレー並みに欠かせないアイテムだ。加えて暇さえあれば土いじりをしている私が持ってないはずがないのに、失礼しちゃう。
「いや、」
「私、すっごい傷つきました」
「う」
「これは先輩にナスビ食べてもらわないと癒せそうにないなあ」
「くっ……卑怯だぞ」
そりゃ、義理堅い先輩に比べればそうかもしれないけど。
ちら、と先輩を見ると、七輪の上のナスビをものすごい形相でにらみつけていた。食べるかどうか迷ってるんだろうか。え?こんなことで?そりゃ真面目すぎるっていうかやっぱり可愛い人だなあ。
「……あの、無理しないで良いですよ?」
「責任は取らねばならん」
いや、なんの?
結果オーライと言えばそうなのだけど、あれだけ嫌がっていたのにこんなので腹くくっちゃうのか。でもまあこれを機に野菜を食べてもらえるなら、そして万が一悪くないと思ってもらえたなら儲けものだ。野菜スティックでアハハウフフが出来る日が来るかもしれない。別にやりたいわけじゃないけど。
いい感じに焼けてきたナスに醤油をたらしていく。濃過ぎるといけないから控えめに。これを氷で薄めためんつゆで食べたらさぞや美味しいだろう。勿論刻みネギと大根おろしもセットだ。こんなこともあろうかと用意している。
「先輩、刻みネギと大根おろしは外した方がいいですか?」
「……何でもいい」
今にも唸り声を上げそうな先輩の前で、焼きナスを冷たいめんつゆの中に放り込む。それにネギと大根おろしをトッピングすると、なんとも食欲をそそられる一品の完成だ。
先に食え、と言われて、私は遠慮なく一口食べた。
ナスビの食感と熱さ、そして麺つゆと大根おろしの冷たさ、辛さにネギが混ざって絶妙である。噛みしめるように打ちふるえていると、先輩から声がかかった。
「おい、大丈夫か?」
「――~~っ!すっごくおいしいっ!ねね、先輩も一口、お願いします!!ぜひ!」
一口サイズに割いて、お箸と器を先輩の口に向ける。そしてまごつきつつも先輩が薄く口を開けた時、
「あ、焼きナス出来たの?美味しそうだね」
「万丈目、食わねーならくれよ!」
「あーッ!先輩ずるいドン!俺も食べたいザウルス!!」
「なッ、貴様ら!これは俺が……!」
「きゃッ!」
突如として勃発したナスビ争奪戦に慌てて手を引いた瞬間、哀れにもナスビの入った器は、他の先輩たちを制止しようとした万丈目先輩の手とぶつかって、べしゃり、と惨めな音を立てて地面へと散った。
「あ……」
「あー……」
万丈目先輩と遊城先輩の声が重なる。
「花菜ちゃん、大丈夫?」
「私は大丈夫ですけど、ナスビが……」
丸藤先輩が心配してくれたけど、私はナスビしか見えなかった。
さっきまであれほど食べてほしそうにしていたナスビは、今はボロボロになって、萎れているように見えた。
「十代、貴様……」
「なんだよ、お前いつも野菜くわねーじゃんか。今日に限ってどうしたんだよ」
先輩たちが何事か言っているのが聞こえてくるけど、全く頭で理解するまで行かない。右から入って左へ抜けていく。
かわいそうなナスビ。折角、せっかく万丈目先輩に食べてもらえたかもしれないのに。いや、あれは絶対に食べようとしてくれていた。
朝一番に取ってきて、一番輝いていたナスビ。
「あの、すみません、勿体無いけど片づけますね」
地面に落ちてしまって誰にも食べられることのなくなってしまったナスビの姿は、私みたいだと思った。どんなに付き合いよくしてもらっていても、最後にはこんな風に無残にも腐るのを待つしかなくなってしまうのだ。
「おい、花菜……」
「……泣いてるドン?」
おろおろとしたティラノ先輩の声が降ってくる。
「すみませ……でも、……一番いいナスビだったから……」
誰が悪いわけでもない。寧ろ美味しそうだと言って、食べたいと言ってくれたから起こった悲劇だったのだ。悲しいけれど、粗末に扱われたわけでは決してない。やっぱり先輩の口には入らなかったけど、今までのことを思えば進歩した方だ。例え卑怯と言われようと自分でもよくやったと思う。『逆ハイエナ』らしく。
「……ッ、泣くな」
「はい、すみません……」
さっき渡した私のハンドタオルで、今度は先輩が私の涙を拭いてくれる。こそばゆい位に優しい手つきで、私はされるがまま目を閉じた。
「折角あとちょっとで食べてもらえると思ったのに」
「……」
ぐ、と先輩が息を詰まらせたのが分かった。同時に手も止まる。
「悪かったな、花菜。代わりになんねーかもしれないけど、釣ってきた魚で一番いいヤツ食わせてやるから」
「ありがとうございます、遊城先輩」
既に丸藤先輩が手際よく魚をさばいているのが見えて、魚も好きな私は嘘偽りなく笑うことが出来た。遊城先輩とティラノ先輩が騒ぎながら準備するのを、何となく目で追う。
ふと、そういえば動きを止めていた万丈目先輩を見上げた。ら、急に頭をわしわしと撫でられた。
「……万丈目先輩?」
「今日の夕食に、お前が一番いいと思う野菜料理を持ってこい。食ってやる」
詫びにもならんだろうが、と先輩は私の頭から手を放し、腕組みをして言う。私はぐちゃぐちゃになった髪を手櫛で整えながら、先輩の横顔を見ていた。気まずそうだ。
「先輩。私嫌がらせで先輩のところへ野菜持ってきてたわけじゃないんです。だから、あの、無理に食べないでください。もう、いいですから」
もし先輩が野菜を食べるようになって、ましてや野菜を好きになってくれたら嬉しいと思う。でも、健康のためならまだしも……本当は罰ゲームだとか、嫌々だとか……責任とか詫びとかで無理やり食べてほしくないのだ。
「あ……」
先輩に伝わったかどうかは分からないけど、なんだかはっとした顔をされた。
「いや、その、だな、今のは言葉の、文だ」
「……?」
「……なんとなく、今日は食える気がしただけだっ」
先輩は顔をそらしてしまう。……詫びだ、と言うのが言葉の文だと言いたかったんだろうか。
くすりと笑い声がして、見ると、ティラノ先輩がにやにやと笑っていた。
「いっつも花菜が持ってくる野菜と料理を食べないのは、それを花菜が食べるからだドン。万丈目先輩は花菜が野菜食べてるところを見るのが好きザウルス」
「え?」
「剣山ッ!!!貴様、ふざけたことをぬかすな!」
「そんなに怒らなくてもホントのことでしょ?花菜ちゃんが来るの、いつも楽しみにしてたじゃない」
丸藤先輩が呆れたようにそう付け足す。美味しそうに食べるから見てる方も癒されるもんね、と言葉を添えて。嫌われてないとは思っていたけど、万丈目先輩は楽しみにしててくれたのか。
「そういや、なんだかんだで花菜が食ってる時、いつも笑ってるもんな」
極めつけに遊城先輩からそう言われて、万丈目先輩は言葉をなくしたようにまた私から顔をそらした。うん。間違いなく可愛い人だ。
「万丈目先輩、ホントですか?」
「……」
「さっきも、慰めようとしてくれましたよね?」
「……知らん」
知らない訳ない。自分のことなんだから。
私はなんだかムズムズしてきて、こっちを向いてくれない先輩の腰に抱きついた。あ、意外に細い。
「万丈目先輩、大好き!」
「!?なん、……ッ!?」
優しくて、子どもみたいで、意地悪だけど可愛くて、私の憧れの人。
「先輩、あの、私前からずっと」
いても経ってもいられなくなりそうなくらい、想いが膨らんで行く。きっと、私は野菜を食べてもらうことなんか二の次だったんだ。
本当は、ずっと先輩を――
「……お兄ちゃんって呼んでみたかったんです。いいですか?」
たまらなくなってそうお願いすると、顔を真っ赤にした先輩の目が丸くなった。心なしか他の先輩たちも固まったような気がする。
「……なに?」
「だからっ、お兄ちゃんって呼びたいんですっ」
駄目ですか、と可愛く小首をかしげても、万丈目先輩の反応は薄い。これは脈ナシかなあと思っていると、ティラノ先輩の笑い声が聞こえた。
「万丈目先輩もこれから苦労するドン!」
意味が分からない。
でも遊城先輩と丸藤先輩も苦笑気味の顔でこっちを見ているから、意味が分かってないのは私だけなんだろう。私はひとまずその反応について聞くのを先送りにして、抱きついたまま万丈目先輩を見上げた。
「?あの、先輩、それでお返事を」
「――~~ッ!!!俺様に!そんな趣味はないッ!!!!!早く離れんかこのばかもの!」
「ええーっ!?」
「ええい、やっぱり野菜なんぞ食わんッ!」
そんなあ、と口に出した声は自分でも笑ってしまうくらい悲痛そうだった。万丈目先輩、酷い。
2010/08/07 : UP