FUCK YOU GOD!
この世界に一人産み落ちる
01ST STAGE: I'm alone in the world.
幸せな方マリア
貴女は祝せられています
飛び出したのは背中からだった。
身体が蝕まれるように吸い込まれていくのが分かる。服の繊維の合間合間から白い流動物が流れ込みまるでこれは石膏が流れてくるような。かといってけしてこれは固まらないのだと、何故だか個人的に考える。
どぷ、と服と身体の間でたまった空気の層が勢い音を出した。流動物のようなのにそれでいてそれだけだった。
背中と腰が完全に埋まるのが分かる。次に首と太股が吸い込まれた。熱さも冷たさもない、ただ滑らかでいていけ好かない感覚だった。首にまとわりつき足にまとわりつき、徐々にそれは耳の裏から顔の正面にまで達する。目はずっと閉じたまま。
10、と数えた頃、自分が今の今まで立っていた場所とは違う、廃墟――に今し方されてしまったらしい街の中――にただ一人立っていた。
成功だと噛みしめたはずの唇は自然と固く結んでいた。
まるで未練たらしく背負っていた鞄が急に自分がどこまで甘ったれているのか揶揄しているような気がしてそれでも、それを手放そうとは思わなかった。
踏みしめると瓦礫と瓦礫が靴の下で擦れ合って嫌な音を立てた。歩を進めていくと所彼処から立ち上っている煙、それも砂埃の中に火薬のような奇妙な匂いのする煙が立ち上っていた。
街があると言うことはそこには文明がある。文明があるならば人が居る。人が居るなら戦争がある。戦争があるならそこには簒奪と虐殺がある。
視界が、否、脳が軋んだ。
まだ逃れることは出来ないのかと心が悲鳴を上げていた。
「――面白い奴が来たな」
声がして思わず顔をそっちに振った。振った先には瓦礫の山があり、その上に一人の男が立っている。
至極愉快そうな顔が何処か喰えないと感じた。
そうやってすぐ頭と両肩と腹と足と兎に角全身に鈍い痛みが走って大量の何かが自分の身体を突き抜けていくのを見た。その勢いで身体が頽れていくのを他人事のように感じる。
その意識も後を追うようにして直ぐに消え失せる。
闇に染まりかけた視界から何か鈍い音がした。
次に意識が戻った時、何処にいるか分からなかった。
「目が覚めたのね!」
耳障りの良くない高い声がして思わず眉間に皺が寄る。そこに女の顔を捉えて起きあがった。
辺りを見渡しても先ほどの廃墟と化した街も煙も奇妙な匂いも……男の影もなかった。
「今兄さんを呼んでくるからちょっと待ってて」
僅かにこちらに微笑みかけてきた女がなにやら忙しそうに何処かへかけていった。
ここは、どこだ。
兎に角何かの部屋だと言うことは辛うじて伺えた。
酷く簡素なけれど癖になりそうなほどには心地良いベッドと机。あとは何か壁に絵が飾ってあった。
誰が描いたのかそれは酷く不思議な色彩だった。
極彩色の艶やかさの中に何処かくすんだ、淀みを感じさせる彩度の低い色が影のように寄り添っていた。
枠斑を少し動かすと裏に何か紙が挟んであった。
題名は
「【人間】……?」
今一この作者のネーミングセンスが把握出来ない。
「今日は、気分は如何?」
男の声がした。見ると女が開けたまま出て行った底の戸口に男が立っていた。
「僕はコムイ・リー。君が目が覚めた時にいたのは妹のリナリー・リーだよ」
笑ってみせる男はまるで何もかも知っているという目を向けてきた。
「ここは黒の教団。君はとある人に拾われて箱詰めでここまで送られてきたんだけどね」
「……?」
今一男の言わんとすることが分からない。
それにただでさえ男や女が話していた言葉は英語だ。
……失敗、だったのか?
いや、それはない。黒のなんとかとか言う組織は知る限り記憶にはないし仮にそんな組織があったとしても……何故私がそこにいる。
「黒の教団というのはヴァチカンの」
「ヴァチカン!?」
ヴァチカンって、あのヴァチカンか?
思わず声を上げてしまったことに内心舌打ちながら心中では自棄に冷め切っている自分自身に笑みさえこぼれてしまう。
空間転移か。ならばそんな施設にいることも頷ける。
しかし男の言葉は全く見当もつかない方向へと走っていた。
「ヴァチカンに認められた秘密裏に存在する組織でね。……僕としても戸惑っているんだけど、何分クロス元帥からの手紙じゃ君がイノセンスを宿してるって事くらいしか書いて無くてさあ」
男はべらべらと喋り続ける。流暢すぎてその意味の半分も汲めない。
余程顔を破綻させていたのか、男はこっちを見て顔の前で手を振った。その手を払う。
「……生憎と、英語聞き取れないんだけど」
「……ん?」
日本語で喋って通じるはずがない。分かって言った。
そこで男も気づいたようだ。暫く何事かを考えて、酷くゆっくりな英語で少しここで待っているようにと言う。
現状が把握出来ない今は下手に動くのは得策ではない。
一つ頷きを返すことで意味は通じていると示し、男はいそいそと出て行った。
ヴァチカン……ここはヴァチカンの中の黒の何とかという組織なのか。勉強で習った範囲にそんなものがあった記憶はない。裏の組織なのか?いやでもそれはそれで身の危険を感じる。記憶が薄れる前に見た男はここの関係者なのか?そうだとしたらマズイ。人体実験なりなんなりとことん調べられそうだ。……!そうだ、鞄!あの中には携帯やらくだらない落書きのあるノートやらi-podやらが入ってる!
携帯は個人情報の固まりだ。生憎とロックもかけてない。
慌てて部屋を見渡しても見知った鞄の姿は何処にも見当たらない。既に押収されていて徹底的に調べ上げられていたらどうする……!
クソ、こんな事ならもう少し慎重に事を運ぶべきだった!!!……。いや、人間がいる限り同じだったかも知れないな。
「お待たせ」
矢張りドアを開け放ったまま出て行った男が帰ってきた。傍らにもう一人の男が立っていた。
髪は長く切れ長の目は威圧的で嫌な印象どころか歓迎されていない気配が嫌でも立ちこめている。
その男はこっちを見た後に一つ鼻を鳴らした。
対照的に白いベレー帽のようなものを被った先ほどの男は穏和そうな笑顔を浮かべたまま。
「良いねカンダ君。きちっと訳して」
「分かってる」
苛々した長髪の男は部屋に備え付けてあった椅子に座った。ガン見される。ガン見仕返したらもっと目つきが据わってきたので止めた。
「取り敢えず僕の分と君の分の自己紹介をお願い」
「こっちの男はコムイ・リー。ここでは【室長】つってかなり地位は高い方。俺は神田ユウ。エクソシストだ」
「……エクソシスト?何かの宗教団体……っつーか、ヴァチカンつったらキリスト教だけど……ヴァチカンにエクソシストって聞いたこと無い取り合わせだな。しかも何で神田さんは日本語喋れるんだよ?日本人?」
非常に驚きを隠せない。と同時に先ほどから引っかかっている何かが確実に姿を見せた気がした。
「……?」
「……?」
「おいコムイ。なんだこいつ、エクソシストなんじゃないのかよ」
神田さんはこっちを指差して疑問系でコムイさんに何か言っている。コムイさんは悪びれもない笑顔で何かを話しているようだが、勿論聞き取れるはずもない。
「いやあそれが、クロス元帥から送られてきた手紙にはそう書いてあるんだけど……彼女は今なんて?」
「ここが何かの宗教団体か、だとさ。そもそもエクソシストの観念が違うんだろ」
「ふむ……じゃぁ一から説明してあげてよ」
「はぁ!?」
急に神田さんがけたたましい声を上げた。こっちを見る。目が据わっていた。半端無く。その横でコムイさんがなにやら言っている。
神田さんは結局腹をくくったように教えてくれた。
いやなんつーかいろいろ説明して貰っておいてなんだがこの人から余り話を聞きたいとは思わなかったが。
神田さんの説明の中には悪魔やらさっき言ってたエクソシストとかヴァチカンとかノアの大洪水の話とかいやいやそれって超旧約聖書の話だろとか言いたいことは山積みだったが、キリスト教関係の話がつらつらつらつらと出てきた。
しかしどれもこれも今までの自分が仕入れてきた知識と若干異なっていた。
悪魔は厳密にはAKUMAで、兵器の名前だとか、エクソシストはそのAKUMAを破壊出来る人間とか、破壊するにはイノセンスとか言うアイテムっぽいのを使わないといけないとか、そのイノセンスは人間を選ぶとか、正味の話勝手にやってろと言いたかった。
神田さんに自分もエクソシストなのだといきなり指を指して言われ、戸惑うのは当然だ。
仮にも神に選ばれているらしいエクソシスト達の仲間入りを果たすって事は、少なからず自分も【神】の名に左右されないといけないってことだ。
つまり、いるかどうかも分からない……いや、そんな存在しない幻想のために行動を縛られ人生を縛られなければならない。
阿呆か。
「勝手にやってろ」
吐き捨てると、神田さんがそれをコムイさんに伝える。始終不機嫌なのは発言の毎に通訳しなければならないからだろう。自分なら絶対に面倒くさがってやらない。
「では、君はこれからどうするつもりかな」
「お前、これからどうするんだ」
問われ、答えようとして、言葉に詰まった。
どうする?
……考えていなかった。兎に角必死で逃げることばかりを考えていたから、逃げることに成功してからのことなどなにも。
しかもどうやらここはあの世界に似て非なるものらしい。つまり日本に帰ってもそこは日本だが記憶にある日本とは非なるものと言うことになる。
完全な孤独だった。
しかし心は満たされていた。開放された気分すら感じる。
それでも現実問題、衣食住はどうするのか、そして今の話を踏まえて一人で生きていく術があるかどうかと問われればそれは否だ。
……曲者だな。
「……ここで暮らすしかないのに敢えてそれをこっちに聞くのか。こっちがどうしようもないって言うことわかってて聞いたのか」
切り方がいやらしい。
「ケッ別に俺はお前みたいな奴がエクソシストになってもどうせ直ぐにおっ死んじまうと思うけどな」
「それ、否定はしない」
そりゃそうだ。今まで平々凡々な暮らしをしてきた奴が、平和ボケしてる奴が、いきなり戦地に行くなんてわざわざ死にに行くようなモンだ。
かといって死ぬのは嫌だ。
痛い思いをするのも嫌だ。
「まあでもまだヘブラスカにも会ってみないと。それに君がイノセンスを宿している限り、例え戦力にならなかったとしても教団にいて貰うことになるよ」
「……ヘブラスカって奴が居る。お前はそいつに会って、イノセンスとのシンクロ率を調べられる。お前がイノセンスを宿してる限り、お前はこの教団内にいて貰うことになる、だとさ」
「部屋はこの部屋を使ってね」
締めのようにコムイさんが笑った。その顔に何処か深みがあったような気がしたのは気のせいなのかどちらにしても腹の奥底で蠢く感情は消えないまま開放されたと感じたあの時の高揚は姿を失っていることに気づいた。
また、鬱蒼とした森の中にいなければならないのか。
「君の名前を教えてくれるかな?」
聖マリア 神の母
今も死ぬ時も罪人である私達のために祈って下さい
アーメン
2006/09/11 : UP