FUCK YOU GOD!

おはよう
15TH STAGE: Good morning my dear.

Ave Maria gratia plena, Dominus tecum,
benedicta tu in mulieribus, et benedictus fructus ventris tui, Jesus.
Sancta Maria, Mater Dei, ora pro nobis peccatoribus, nunc et in hora mortis nostrae,
Amen.

 朝の空気は寒かった。けれどあの夜の指す様な痛みに似たその冷たさに思考は一気に回転を始める。徐々に済んでいく空気の様に、重たかった瞼は軽くなり息を吸い込めば体内を浄化出来た。
 上着は肩に掛けるだけにして、私は何度も深呼吸を。肺に空気が満たされ酸素が脳へとたどり着き身震いを一つ。

 さて、ラビを伴ってコムイさんにイノセンスについての考察を述べ上げたのは暫く前のこと。実質的にお役後免になった私は前にもしていた様に絵を描く道具を持ち森へ散策に来た。以前にユウと出会した場所は避けようと決めて、殆ど何も考えずに中を歩く。
 静まりかえっているのに風に吹かれて木々が葉を揺らし、定期的に鳥の鳴く声が聞こえていた。
 沈黙の筈なのに酷く心地良い。
 誰もいない。
 けれど私は一人ではなかった。
 森の中で私は人間ではなく生き物の一つになる。
 言葉は、必要なかった。
 ただ息を吸い前を見て、広がる景色に眼を細め耳から入ってくる穏やかな音に一切の余計な思考は篩(ふるい)に掛けられて落ちていく様な気がした。

 何にも縛られない。

 手頃な虚のある木を見つけて、私はそこへ腰を下ろした。木にもたれかかり目を閉じる。
 起きているのが勿体なく感じた。
 目を閉じれば一層耳につくさざ波に似た音とそして身体を撫でていく風。
 澄み切った空気を肺一杯ため込んで、どうしてこんなに私は汚いのだろうと思った。

 人間は汚い。
 愚かで浅ましく、傲慢でしかし私も人間だった。
 何故よりにもよって人間なのだろう。
 徐々に汚くなっていく私。
 逃げることを、力を抜くことを知った大人に変化していく。
 なりたくなかった卑劣な人間に気付けば引き込まれている自分を見た。
 これ以上汚くなっていく私を、私は許すことが出来ない。

 何故私は人間なのだろう。

 空気はこんなにも澄み切ってそうまるで切る様に澄んでいるのに。
 木漏れ日は暖かく木々が揺れる音は耳障りの良い自然の音だ。
 自然という自然は意志がないのに、こうも人の心に訴えかけるものもない。
 けれど所詮自然にはそんな人の心など意味があるはずもなく
 というのは結局自然に意志はないのだから人間の持つ感情や思考など入る余地もないのだ。


 ただ存在するからこうも美しいのか
 人間はそれ以上を望むから醜いのか?
 思考することをやめられたらどんなに良いだろう。人間を、やめることができたならどれだけ良いだろう。
 しかしそれは果たされることはないのだろう。私は人間以外にはなれない。私以外には、なれないから。





鞠夜!」
 空腹を覚えて食堂に向かうと、食堂の入り口でリナリーが立っていた。その顔が酷く険しく感じられ、笑顔が見えない彼女に何があったのか尋ねた。
「聞いたわ。……任務に入れてくれって、頼みに行ったって」
「ああ、そのこと」
 酷く不安定そうなリナリーの表情に、何かあるのかと更に尋ねた。けれどリナリーは口を噤む。ひとまず腹に何か入れようと、その肩を叩いて食堂へ向かわせた。
 食事の間リナリーは浮かない表情でただ機械的にジェリーさんの絶品料理を食べた。勿論食堂で話し込む様な話題では無さそうだったから、私は手早く大量の食料を胃に詰め込む。元々余り噛む回数が多くないのは幸いだった。

「で、リナリー、私が任務に行って何か問題が?」
「……」
 談話室。リナリーは少しの間沈黙で、そして口を開いた。
「私なの」
 細い声は震えていた。いつもは笑顔で私を呼ぶ声。女らしい声の中に何処かまだ幼さの残る様な。でも確かに張りのある声だったのに。
 私はただ、その先を待つしかなかった。
「私が……私がね、兄さんに頼んで、鞠夜を任務に出さないで欲しいって頼んだの。まだ鞠夜が目も覚まさないうちから」
「……。どういうこと?」
 その時まだ私とリナリーは面識があるはずもなく、リナリーが以前から私を知るはずもない。なぜならば私はこの世界に母親の卵子も父親の精子も存在しないことを知っている。そしてあの世界から逃げた先が偶々この世界だったことも知っている。前に一度でも顔を見たなどと言うことは有り得ない。
「元帥からの手紙には鞠夜がエクソシストだって、迷いの無い文章で書かれていたわ。勿論能力のことも。でもまだ鞠夜は目を覚ましては居なかったし、エクソシストとして任務に出るまでにはいろいろ調べなければいけないことも分かってた。それでも、それらのことが全部終わっても、私は鞠夜のことを任務に出さないでって頼み込んだの」
 彼女の言葉は到底、私には理解不能だとなんとなく勘付いた。
「だって鞠夜の能力は悪魔のウイルスを無効化して、怪我を癒すものでしょう。まず間違いなく、そんな力をみんなは欲しくなるでしょう。そうなれば直ぐに任務に就くことになって、そうして、何度も死ぬ思いをしなくちゃ行けなくなるわ。死ぬかも知れない。いいえ、死ぬことすら、できないかも知れない。それがどれだけ辛いか想像したわ。できなかったんだけどね」
 彼女の言葉は、私にはよく分からなかった。
「リナリーはもう何度も任務に出て立派に戦ってる。なんで私には?」
「……私のことは良いの。でも、他の誰かがそんな風にされるのは嫌なの。今も、本当は嫌なんだけど」
「生憎、リナリーにそんな気を使われる程いい人じゃないんだけど」
 なんとなく口をついて出た言葉に、リナリーは何も言わなかった。
「教団で何度か耳にしたことがあるの……。鞠夜のこと、エクソシストの癖に、力があるのに使わないって」
「そりゃ、そう言われても仕方ないと思うけど」
「……ねえ、鞠夜は力があれば使わなくちゃいけないと思ってる?望んだ力じゃなくても?本当は望んでないのに、死ぬかも知れない場所に行かなくちゃいけないの?」
 リナリーの声は涙声に近かった。だからそれ以上何も言えなかった。
 ただ、何かリナリーにはそうさせる何かがあったのだとは思った。でもそれだけだった。私はそれに興味はないし知ろうも思わないし、またそれを知ったとして何もならないことを知っている。
「今は、少なからず私は私の意志でこの力を使いたいと思ってる。望んだ力ではなくても、それが私にとって有意義に使えるのなら私は使う。例えば、リナリーのそんな顔を見なくて済むなら」
 そうだ。
 興味はないけれどリナリーがこんな風に泣きそうになっているのは見たくない。出来れば笑っているところが見たかった。私なんかのことでこんな顔をさせるのは心苦しくて、だからこんな顔をさせる原因の私が少しでも力をつけてリナリーを心配させずに済むなら、笑ってくれるなら私はとっとと力をつける。
 ねえリナリー、私にはリナリーに心配して貰える様な部分なんて微塵もないんだ。
 だから私に構わずにリナリーはいつもの様に笑って欲しい。
 リナリーと私は余りにも違いすぎて、羨む気持ちすら出てこないほどだから余計に私は自分が惨めになるから私のためにリナリーは笑っていて欲しい。
 私が、私らしく居られる様に。
 私はリナリーの心配をして居るんじゃないんだ。
 ただ私が何も気にしないで居たいからなんだ。


 リナリーは私の言葉に少し笑ってくれた。大きな瞳が私を捕らえて、その瞳の中にいる自分は酷くしっかりとした眼をしていた。


「ごめんね」
 暫くしてリナリーは私に言う。ソファに腰掛けたまま私は言う。
「何が?」
「……任務のこと。私の勝手で」
「あーそんなこと。私こそ相当自分勝手にリナリー慰めたからおあいこ。具体的に言うと私の株が下がるから言わないけど」
 言うとリナリーはまたくすりと息を。
「さて、それじゃ甘いものでも食べて、もう少し顔の筋肉緩めますかね」
「うん。あ、それならミランダも誘いましょ?」
 私の稚拙な言葉でその顔が和らぐなら、考えつく限りの言葉の羅列を声に出すとそれこそ神にでも誓ってみせる。
 だからもう、私なんかに構うな、リナリー。





 ミランダもまたイノセンスとのシンクロ率と技を磨くために修練していると聞いて練習場へ足を運ぶ。そこには確かに団服に身を包んだミランダがイノセンスらしきものを発動し、ラビがそれを攻撃していた。
 イノセンス同士でも戦えるのか……。
 なんとなくイノセンスというのはイノセンスに対しては効果を発揮しないものだと思っていた。だってそうだろう、イノセンスはAKUMAの為、千年伯爵の為に存在するのだから。
 結局は、イノセンスも単なる武器に他ならないのだろうか。だとすればそれほど私にとって都合のいいものはない。
 戦争において、正義をかざして、そこにあるものは殺戮と憎悪と癒えない傷だ。
 正義は悪を裁くしかできない。そしてそれはある意味多数決の落とし穴にも似ていた。そうだ、勝った方が正義なのだ。けれどそれを判断するのは当事者であるはずもない。
 所詮は自己満足と自分の身の安全を保証するだけの正義が悪にも転ぶ。
 イノセンスはその可能性を秘めている。だってエクソシストは神の使徒などではないただの人間なのだ。
 人間は絶対的な存在ではない。聖書になぞらえて見せたならアダムとイブがエデンから追放されたのがそれだ。人間は、堕ちる生き物だ。神などと言う虚像を超えた理想(イデア)と同等であるはずもない。こんなにも地上にはびこっている時点で、一人ひとりが神と同じだとすればそれは何と恐ろしいことだろうか。
「あ」
 声が出た。ミランダのイノセンスが消えた。くずおれるミランダを支えたのはラビだった。
「大丈夫さ?」
「ええ……ごめんなさい……もう限界みたい」
 目眩がするのか、焦点が合わない目でミランダがそう言うのが聞こえた。リナリーと共に歩み寄り、その状態を気遣う。
「こう言う時は有り難うって言うんさ、ミランダ」
 笑ったラビに、ミランダは確かにラビを見て。
「……そうね、有り難う、ラビ」
 言って、はにかんで笑った。その顔に何故か心が震えた。
「……ミランダ、大丈夫?」
「今、みんなで甘いもの食べようって話してたんだ。……ラビも来るか?」
「お、行く行く」
 ミランダを囲うように練習場の真ん中で会話を行う。私は膝をついてミランダに触れた。
「顔色結構悪いな……」
「ギリギリまで発動してたしなあ。手加減したら意味無くなるし」
「立てそうか?」
 声を掛けるとミランダは笑む。
「大丈夫……楽になったわ」
 その言葉に、一瞬何のことか分からず反応が遅れた。
「有り難う。もう大丈夫」
「……鞠夜、癒したんか?」
 ラビが驚いて目を丸くするのに、私は首を振った。
「癒そうと思ったわけじゃない」
「でも、もう大丈夫なのよね、ミランダ?」
「ええ」
 言って立ち上がったミランダと共に私も身体を上げた。ラビも立ち上がり、誰とはなしにそれぞれの顔を見る。
 ……取り敢えず、ラビの仮定がまた一つ事実に近づいた気がした。





 明朝。私は朝日が山の縁から見え始めた頃に体を起こした。目惚け眼で食堂に行き朝食を平らげて地下の水路へ。
 そこにはコムイさんの他に団服を着た人間が既に立っていた。
「お早う、鞠夜君。準備はいいね?」
「全く急ですね」
「君とラビ君が言ったんだよ。僕は二人の希望通りにしたんだけどな?」
 コムイさんは苦笑気味に笑う。そして私に一冊の冊子を。
「これにはちゃんと目を通しておいてね。急ぐから説明は殆ど省くけど、今回のペアは彼だ。くれぐれも気をつけて」
「どうも」
 コムイさんに礼をして直ぐに水路に浮かぶ船に乗り込む。言ってくると彼には告げて、そして探索部隊が舵を取る船の上で欠伸を一つ。
「全く、任務が終わって即次の任務なんてツイてないな」
「はっ、何かに憑かれてるんじゃね?」
 溜め息混じりで嫌味にも聞こえる言葉に、私は欠伸を噛み殺してそう言った。それから同時に笑って、言う。
「おはよう、アル。お帰り」
「お早う御座います。……ただいま、鞠夜

幸せな方マリア 貴方は祝せられています
あなたの体内にいる子ども、イエズスもまた祝せられています
聖マリア 神の母 今も死ぬ時も罪人である私達のために祈って下さい
そのようになりますように

FIRST STAGE fin.
2006/11/05 : UP

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