争奪イニシアチブ!
一日目・昼 事故で魔法薬を被った監督生♀くんがハイエナの獣人になり自信満々に5万マドルを握りしめてオレのケツを掘りに来た件について
ラギー・ブッチはハイエナの獣人だ。群れを形成する核となるのが雌だということもあって、群れの中において雄は雌にかなわないことが多い。雌が団結するからだ。それはラギーとて例外ではない。多少他の雄よりも立ち回りには自信があるが、雌が集まればかなわないことはよく知っている。
しかしここはナイトレイブンカレッジ。男子校である。獣の耳と尻尾を持たねば入れないとまで言われるほど獣人の割合の多いサバナクロー寮生の中でも、ハイエナのそれを有する者はラギー以外にはいない。そして何より獣人と言うこともあって、雄としてのプライドだの自尊心だのと言うモノはその辺の男よりも持ち合わせていると自負していた。
そんな彼が果たして、草食動物の中でも一等か弱い存在であるところの異端児――異世界からやってきた魔法力を一切持たない特例中の特例の、それも女――たるオンボロ寮の監督生に壁ドンを受けたとあって、黙っていられるだろうか。答えは否であった。
彼女は、言い換えればお情けでこの学校に在籍しているズルい存在である。たとえ闇の鏡によって迎えが来て連れてこられたと言っても、彼女を疎ましく思っている生徒はまだまだ多い。その上、あれやこれやと雑用を言い渡されるご身分だ。そんな彼女に絡まれるというのは厄介ごとの匂いがぷんぷんする。
ラギーはさてこの牙のない柔らかそうな唇からどんなとんでもない話が飛び出るのやらとため息を抑えられなかった。
そもそもラギーは彼女が嬉しそうに駆けてくる様子を十分な距離で察知できていた。嫌な予感こそしなかったが、彼女の手にマドル紙幣が握られているのを見て取ると、途端に逃げ出したい衝動に駆られた。腹が膨れる、金を儲けることができれば大抵のことは請け負う己の身を彼女が知る故に、何らかの形でなにかに巻き込まれるような気がしたからだ。
ただ、その金額がどう見ても数万マドルあるところを見てしまっては、足は鈍り、その躊躇いのために彼はいつもならば絶対に補足されないであろう彼女に掴まってしまったのだった。
錬金術の授業でも欲張って失敗することがあるが、今回はその典型である。挙句の壁ドン。ラギーは不覚を取った己に歯噛みした。しかしもしかすると彼女の握りしめている高額紙幣は自分への報酬の可能性がある上、そうでなかったとしても常に経済的に困窮している彼女の金銭感覚狂ってはいない。
で、あれば、何らかのおこぼれに預かれることが予想できた。できてしまったのだ。なにせ、ラギーにとって彼女は驚異ではないどころか結構なカモなので。基本的に人がいい彼女は変に斜に構えたり、ひねたところがない。
「ブッチ先輩!」
ラギーの雄としてのプライドを刺激した当の本人は屈託のない顔で、やけに嬉しそうな顔をしている。
(表情は屈託なくて別に悪くないんスけどねえ)
ラギーは思わず口を突いて出そうになった言葉を飲み込んだ。とかく面倒事に巻き込まれた挙句火中の栗を拾わんと突っ込んでいく性質の彼女を知るだけに、反射として知らんふりをしたくなる。
もっとも、素直でカモりやすい相手として悪い印象はない。寮対抗マジフト大会で暗躍していたことを突き止め、事件が収束して尚ラギーに近づいてこようとするメンタルは理解はできないが一目置いている。
「はいはい、なんでしょーか」
高額のマドル紙幣に完全に目を奪われていたが、ラギーは気づいていた。先ほどから彼女の頭に何かぴるぴると動くものが生えているのを。多くの生徒がイソギンチャクを頭から生やした光景は記憶に新しいが、彼女の表情が明るい所を見るに危ないものではないのだろう。
しかし、とラギーは目を瞬いた。
彼女の頭に生えているそれは間違えるはずもない、見慣れるというにはあまりにも馴染みのある、ハイエナの耳に違いなかった。
「ラギー先輩! 訳あってハイエナ獣人になったんですけど一回五万マドルで先輩のこと抱いて良いですか?!」
「情報量が多すぎる」
訳あって、のくだりはどうせ授業中の事故か何かだろう。今は今日最後の授業が終わるタイミングだと言うこともそうだし、授業中の事故なんてオンボロ寮の監督生でなくとも充分あり得る話だ。だからラギーが聞き捨てならなかったのは彼女の発言の後半だった。そもそも何をどうしてその話を持ちかけようとしてきたのかも理解に苦しむ故に聞きたいところだ。どうせろくでもないことだろうから知らない方が良いのかもしれないが。
「多すぎるも何も言葉の通りなんですが!」
「良い子だからちょーっと待ってくださいッス! 普段漫画だかなんだかの展開が情報量多くて一つずつ順番にとか言ってるの君の方ッスよねえ?! もう一回最初から一つずつ言ってみ?」
どうどう、と両手の平を見せるようにして監督生の勢いを抑えるようジェスチャーをしながら、ラギーはもう一度説明を求めた。
「事故で魔法薬を被ってしまって」
「うん」
「その効果でハイエナ獣人になってしまって」
「はいはい」
「おちんちん生えたんでヤらせてください!」
「はいステイ」
どうしてそうなったのか。イボイノシシでももうちょっと頭がありそうなものだ。ハイエナ獣人だと断定しているのはどうにかして調べたか、ジャック辺りが教えたか――
(いや、この様子だと教師陣ッスかね。特にビビってるところもない……となると、解決策は既に出てるな。中和剤か解毒剤の類いを作って貰ってるか、時間経過で治まるか……ってとこかな)
それにしても、明け透けな物言いもぎょっとするが、いくつか言いたいことがある。
待ったをかけると、監督生は何を思ったのか眉尻を下げた。
「ええ……どうして……一回五万マドルは安すぎます?」
「そういうことじゃねんスよ。つか何から突っ込めば良いッスか? 内容? 金額?」
「えっ先輩が突っ込む側……?」
「話が進まねえんだよなあ」
普段彼女の相棒であるグリムの手綱をどうにか握ろうと奮闘する姿を見ているからかもしれないが、なかなかどうして彼女自身も結構な問題児だとラギーは思う。度胸があるのは結構だが、それに周りを巻き込まないで欲しいものだ。
というか監督生が暴走している時には是非グリムに彼女の手綱を握ってもらいたい。無理な話だろうがなんだろうが、ニコイチならそうあって欲しい。ラギーは心底思った。今監督生が一人でいるところを見ると、普段一緒にいる一年生たちや相棒を置き去りにしてきたか、話を付けてから来たのだろう。
監督生も持ちかけた話の内容を鑑みてか、周囲に人の気配はないと言って良い。遠くに喧噪は聞こえるが、近づいてくることもなさそうだ。ラギーは授業が終わってから、どこかにいるはずのレオナ・キングスカラーを探して昼寝スポット巡りのため人気のない場所へ向かっていたのだから当然と言えば当然だった。
さてどうしたものかと考えていると、監督生は壁ドンを止めて、胸の前で祈るように手を重ねた。そこからはみ出ているのはどう見ても一万マドル紙幣。学校で見ることがあるとすればレオナの財布の中くらいの貴重品。
その金はどうしたのかと聞く前に、彼女は口を開いていた。
「あっ……先輩! だったら先輩が突っ込む側でも良いんでその時に『サバンナの風……感じさせてやるよ……』って最初に言って貰っても良いですか?! 先輩風に直していただいて良いので!!」
「マジで全然話聞いてねえ~~~~~~~ 監督生くん、これで問題児じゃないつもりでいるの本当に認識を改めた方が良いッスよ」
彼女の頭の中にはオレのケツを掘ることしかないんスかねえ、と考えるが、実際そうなのだろうと直ぐに思い直す。物事には順序というものがあるというのを早く理解して欲しい。知人程度の関係の男に持ちかける話ではない。
――男性器ができたから一発やらせてくれなんて。
(まあ? マブダチとか言ってる連中にゃあ頼めないだろうし? っつかそもそもここは男子校……まず交渉自体が成立しないし、したとしても特殊性癖でもない限りどう見ても監督生くんが犯される側ッスよねえ)
あれこれと考え、可能性を排除していけば、それらを踏まえて自分の置かれている環境も分かった上でラギーを選んだのだろうことが分かる。
だがしかし、だ。
金でヤらせる男だと思われているのは心外だ。無論、それしか方法がないのであればやるだろうが、別に好き好んで野郎に組み敷かれる趣味はない。どころか、まっぴらごめんだ。監督生から見てラギーはどんな男に見えているのか問いただした方が良い案件ではないだろうか。ラギーは真顔になった。
彼女が妙に目を惹くのはなぜなのか、うっすらと自分で理解し始めた矢先のこの発言。健全な青少年の心は少なからず荒んでいた。
彼女の手の中の金に目が釘付けになったのは否定しないが、その他大勢よりも一歩近い位置に置いている存在からの依頼の内容として酷いのではないか。否、酷い。彼女の持ちかけた話は、まるで獲物だと思っていた相手から獲物扱いされていたような、据わりの悪いものだった。
しかしラギーは強かな男だった。この状況、ピンチではないが絶好のチャンスと言い換えることもできる。ある意味では飛んで火に入る夏の虫――いや、カモがネギを背負ってきたとしか思えない。
本人の意図がどうであれ、はっきりと『お誘い』を受けたのだから。
「つか普通に腹立つッスね……どーせその妙な台詞、どっかの野郎が吐いたヤツなんでしょ? なんでしたっけ、アンタの世界のアニメのキャラ?」
以前、性懲りもなく近づいてくる彼女を警戒して、訊ねたことがあった。どうしてあんなことに巻き込まれながらも朗らかに話かけてくるのか。
彼女は答えた。
『獣人って私の世界にはいなくて、架空のお話の中だけの存在なんですよ。だから純粋に今この目の前に存在してるってだけで感動ものですし、……なんというか、憧れ? みたいなものがあるんですよね。まあ、端的に言うとそれだけで好感度高いっていうか』
『アンタの好感度ガバガバすぎないッスか』
そんなやりとりをしたのをまだ覚えていた。その後つらつらと語り出した内容は漫画やアニメがどうのとかいう話で、ハイエナの獣人の話もあったことも。ちなみに、誰にも通じない監督生による異世界のアニメ談義は昼寝を邪魔されたレオナのひと睨みによって強制終了された。
「え」
分かりやすく身体を強張らせた監督生に、ラギーはたたみかける。
「別にアンタ自身に手垢がついてようがお古だろうが気にしねえけどさあ、やる事やろうって時に、他の野郎のツラ思い出されんのは普通に考えて気分悪いッスよねえ?」
「せ、せんぱい? あの、この台詞は、」
監督生の弁明を待たず、ラギーはさらに五万マドルを握りしめたままの彼女の手を掴む。獣人の中では小柄な彼でさえ覆ってしまえるようなサイズ。はっきりと感じる雌の匂い。監督生は男性器が生えたなどと言っていたが、異性化したわけではないだろうとラギーは確信した。
で、あれば、後は獲物を食らうだけ。
「五万マドルでオレのこと一晩買うんでしたっけ? じゃあた~っぷりサービスさせてもらいましょうか。ねえ?」
「せんぱ」
「んじゃ、この手の中にある五万マドル、確かに頂戴しましたよ。いいッスよね? 先払いで」
「ハイ……」
「シシシッ。毎度あり~」
ラギーを呼び止めたときはあれほど喜びを露わにしていた彼女の耳は、今や力なく伏せられ、彼女の感情を素直に表現してくる。仄かに香る雌の匂いに気づいているのは、まだラギーだけだろう。しかしそれも時間の問題だ。特に獣人は嗅覚が優れている者が多い。
「心配しなくてもちゃあんと行くッスから。オンボロ寮でいい?」
「……はい……」
なら、彼女の提示した条件をしれっと変えて頷かせた以上、味わい尽くして他の連中を牽制するしかない。この雌はオレの手つきだと。
「んじゃ、レオナさんのお世話が終わり次第向かうッス。アンタはまあ、課題でもしながら待ってて」
おっぱじめたら課題どころではなくなるのは間違いない。ラギーは前払いで高額な報酬を貰った以上、監督生に後から文句を言わせるつもりはなかった。哀れな獲物は何も気づいてはいないけれど。でも、それでいいのだ。警戒している獲物を狩るのも楽しいが、今は駆け引きを楽しむよりも早さが問われている。
「そういやグリムくんはどうするんスか?」
「なんか匂いがイヤとか言われちゃって……ハイエナ獣人化してる間は部屋を分けることになったんです。まあ、一度寝ると滅多な事じゃ起きないんで大丈夫だと思います」
「なるほどねえ……ま、聞かれてもオレは問題ないッスけど」
「そういう趣味はないんで」
いつになくキリッとした顔で答える彼女に、そうじゃねえんだよなあとラギーは思うが、口には出さない。
気が済んだのか、それじゃあと言って去って行く監督生を見送りながらラギーは笑った。
(……いつ監督生くんに生えたのはちんこじゃなくてクリチンポだってバラしてやろうかな)
ハイエナ獣人のこと知ってます! などと嘯いていた彼女の姿を思い出す。一体何を知っているというのだろう。無知な獲物は狩られるしかない。
精々よがって喘いで、あられもない姿を晒すといい。オレの前だけで。
2020/11/09 pixiv掲載 2020/11/10 加筆 2020/11/23 UP