恋は苔むし、愛となりぬる
水を得た魚、という表現があるけれど、彼にとってそれは風だったのだろう。
だから私の気持ちは伝えることなく、この胸に抱えて生きて行くしかないんだと思った。
一、
稲妻の鎖国が解除された。目狩り令は廃止。神の目を徴収された人達の手に再び『願い』は舞い戻った。
――反乱軍側に立ち、雷電将軍と相見えたという幼馴染みは、指名手配されたときと同様、すぐに行方を眩ませた。
騒動の渦中に身を置くことが好きじゃない性分だから、きっと落ち着くまでは姿を見せないだろう。
結局、私が彼のためにできたことは何一つない。
幼い頃、家のこともなにも知らないうちは良かった。彼について回って、恋の萌芽を、そうと知らず育てていた。
彼が生まれた頃、既に楓原家は没落していた。その介錯は、万葉自身が自らの手で行った。最後の侍従を解雇したことも、目狩り令の件で犯罪者として指名手配されて、財産を没収されたことも。
苦境に立たされていると、そう思っていた。
私は、彼のことを何一つ理解していなかったのだろう。
口角を優しく上げて、柔らかくほどける眼差しが好きだった。柊、と、名前を呼んでもらうことも。
海祇島で反乱軍の支援をしていた際に再会した彼は、少し凜々しくなったように見えた。
けれど昔と変わらない――いいえ、昔よりもずっとはっきりと、なんの柵もなくただ自分の意志で私の前に立って、そして、私に向けて微笑んだ。
「久しいな、柊。息災であったか?」
その声が、目が、私の恋心を育む。
そして、彼が今の流浪の生活を愛していることを直視した私は、家を飛び出したのだった。
二、
遅きに失していたことは否めない。
今更ながら、私は一体誰に恋していたのだろうと思って、彼の愛する旅というものをしようと思った。それ以外なかった。
没収されていた財産は再び万葉の手に戻るはずだった。けれど、帰る家も既に持たないからと、彼は寄付することにしたらしい。
私はその場にいなかったけれど、異国の旅人が教えてくれた。
万葉らしいな、と思った。けれど、それも直ぐに怪しくなる。
私が知ってる万葉らしさって一体何だろう。博愛の心?
そう思って、私に対する優しさも、きっと他の誰かに対するものとそう変わらないのだと気づいて、璃月に向かう船の上でまた泣いた。
酷い船酔いに寝込んだことは幸いだった。万葉のことでうじうじと自分を傷つけずにすんだから。
璃月港は素晴らしい活気に満ちていた。鎖国中、目狩り令の執行中だった稲妻の空気は不穏で、重苦しかったからその所為もあるだろう。
契約を重んじる岩神の国。けれど、岩神は死に、国は人の統治に変わったのだという。
そんなことがあるのかという驚きと共に、話に聞いていた万民堂という食事処へ足を運んだ。
港からほど近い下町のような風情の通りを行くと、すぐに美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐった。こういった賑わいはどこの国も同じなのだろうか。稲妻の城下町も、ここまでではないけれど立派な店構えと屋台が並んでいた。
「いらっしゃーい! お客さん、稲妻の服装だけど璃月は初めて?」
「はい」
「そっかそっか! 何にする? うちは美味しいものしかないよ!」
「辛いものがおすすめだと聞いたんですが、3000モラ予算でおすすめのメニューを出していただいてもいいですか?」
「そんなに食べるの?!」
明るい女の子の名前は香菱というらしい。稲妻の鎖国が終わった話は既に知られているらしくて、一度食材を探しに行ってみたいと話していた。
彼女は料理人でもあるらしく、モラを渡して饗された食事はどれも素晴らしく辛く、美味しいものだった。稲妻は素朴で、素材の味をとにかく重視する傾向にある。香辛料の強い料理はそれだけで刺激的だった。
辛すぎたらすすいでね、とボウルにたっぷりとお湯をもらったけれど、なんだかそれは彼女に失礼な気がして、意地だけで全部を食べきった。
前菜から甘味まで。全てを食べ終えると、舌の痺れもだいぶ収まっていた。
「お客さんはこれから璃月観光?」
「ええ。少し滞在したあとは、モンドに向かう予定です」
「そうなんだ! 定期的に商隊が行き来しているから、混ざるのもいい手だと思うよ」
「ありがとう。璃月は飛雲商会が有名でしたね」
「そうそう」
たらふく食べて、身体が重い。けれど、船酔いから解放された所為もあるのか、ひどく心地いい感覚だった。
香菱と別れ、宿を目指す。と、例の旅人と出くわした。彼の横でふわふわと浮いているパイモンが真っ先に私に気づく。
「柊じゃないか! さっそく稲妻を出てきたのか?」
「うん。自由の国がどんなものか……見てみたくなって」
「ちゃんと別れの挨拶はした? いつか帰るかも知れないけど、大事なことだよ」
旅人が私に釘を刺す。私は言葉に詰まった。
彼らが稲妻に密入国してきた時のことはトーマ、ひいては神里家から聞いていた。そこから璃月で万葉と打ち合った話を聞いて、即行動を共にしようと決めた私は、彼らにとっていわば前科持ちなのだ。後でこっぴどく家族に叱られたのは記憶に新しい。
「家族には、ちゃんと言ってきたよ。万葉は……どこに行ったか知らないから、できなかったけど」
「はあ?! お前、万葉に黙って出てきたのか?!」
「えっと、パイモン? 万葉は私の幼馴染みではあるけど、保護者じゃないからね……?」
「海祇島で合流したとき、あんなに万葉がべったりだったのにかよ」
「それは……まあ、多分、小さい頃はよく遊んでもらったから、そのせいだと思うけど……」
二人の視線がどこか刺さる。嘘は言ってないし、私が咎められる理由はないように思うのだけど。
「そもそも、お別れをするって言うなら万葉のほうから何か一言ある方が普通じゃないかな。多分、私が国を出たときにはもうあそこにはいなかったと思うし」
「む……それもそうだな」
パイモンが納得する。そうでしょう、そうでしょう。私は何も悪くないでしょう。
何故か私を責める目が収まったところで、気持ちを切り替えた旅人が話を振ってきた。
「柊、宿は取ってる?」
「これからだよ」
「俺もモンドに行くつもりなんだ。君さえよければ同じタイミングで璃月を出ようかと」
「本当? 助かる! 英雄と一緒なら道中の安全は約束されてるね」
「君も刀は振れる人でしょ……」
「綾華お嬢様や万葉にはとてもじゃないけど、かなわないもの」
「それは比べる方が間違ってるぞ!」
あはは、と笑いながら通りを歩く。日は既に傾きかけていて、宿の空き部屋を押さえた後は、旅人とパイモンに道案内をして貰いつつ観光を楽しんだ。
三、
モンド城に入ってすぐ、旅人とは別れた、はずだった。
「あ」
「あ」
そりゃあ、同じ国に滞在しているのだから会うこともあるだろう。そうは言っても、再開は早すぎた。
無事に宿を取れた後、有名な酒場『エンジェルズシェア』に足を運ぶと、そこには非常によく知った顔――旅人とパイモン、そして……機嫌良く眠っている万葉だった――と、多分モンドの吟遊詩人然とした、ハープを持った人。そして、華やかな化粧をした快活そうな女性が同じテーブルの席に着いていた。
鮮やかな青緑の帽子を被った黒髪の……多分、少年が私に柔らかな眼差しを向ける。
「こんにちは。旅人の知り合い?」
「うん。こっちに来るとき一緒にね」
ちら、と旅人と目配せをした彼に頭を下げる。
「初めまして、柊です。稲妻から来たのだけど……まさか別れて早々かち合うなんて」
ふふ、と笑うと、旅人も笑顔を見せた。
「ようこそモンドへ。僕はウェンティ。見ての通りの吟遊詩人さ――モンドで一番のね」
ウインクを一つして、ウェンティと名乗った彼はハープを軽く奏でて見せた。その指先には何の迷いもない。自分で一番を名乗るだけはあると感心していると、奥の席に座っていた彼女が軽く手を振った。
「あたしは辛炎。璃月のロックミュージシャンだ。今回はモンドでイリデッセンツアーが開催されるって聞いてこっちに来たんだ」
「お二人ともよろしくお願いします。……璃月ではロックというのが流行っているんですか? すみません、稲妻から出たのは初めてで、外国の流行には疎くて」
「いや、いいさ。フォンテーヌ発祥の音楽なんだけど、璃月ではまだまだウケが悪いんだ」
さらりとフォローされて、彼女が席を詰めた。一番奥に座ってた万葉はそれでも起きなかった。
そうしてできたスペースに、座らないという選択肢はない。一言お礼を言ってちょこんと腰掛けると、目の前のウェンティと旅人がたたみかけてきた。
「柊、食事は済ませた? ここ、ご飯メニューはないけど」
「君は何を飲む? お酒はいけるクチかな?」
ウェンティがキラキラした目で私を見る。
「夜にご飯はあまり入れないようにしてるんだ。おつまみがあれば充分。
お酒は……蒲公英酒は少し嗜みたいと思っているけど……結構癖が強いって聞いたし、ひとまずモンドのノンアルコールドリンクを頼もうかな」
「ならググプラムジュースか、ヴァルベリーのスパークリングベリージュースがいいかもね。モンドはお酒造りが盛んだから、材料になるフルーツもすごく美味しいものが揃ってて、どのドリンクもおすすめできる」
「ググプラムかぁ。そういえば旅人が前に作ってくれたバケーションサイダーも美味しかった。あれにもググプラムが入っていたよね」
「よく覚えてるね」
「えーっ 『午後の死』なら独特の苦みも中和されてて飲みやすいよ?」
「おい! そいつは飲みやすいだけで度数が高いだろ!」
パイモンの言葉で、蒲公英酒は飲むのを気をつけようと心に決める。
「辛炎さんは何を飲んでるの?」
「堅苦しいのはよそう。あたしのことは辛炎でいい」
「そう? じゃあ私も柊って呼び捨てでいいから」
「わかった。柊、あたしが飲んでるのはアップルサイダーだ。さっきまではお酒も飲んでたんだけど、酒飲みの〆に、今これが流行ってるらしくてさ。モンドのリンゴはどれも質が良くて、旅人の言うとおり美味いぜ!」
「ちなみに万葉は間違えてお酒を飲んですぐ寝ちゃった。お酒そんなに強くないみたい」
「そうなんだ……」
「ここの顔ぶれだとみんなお酒を飲まないんだよね。そりゃあ僕だって無理にとは言わないけどさ」
万葉がお酒に弱いのは知らなかった。というか、あの頃の私たちはお酒を嗜む年齢に達してなかったし、一緒に食事と言えば外でおにぎりを食べるくらいのものだった。
知らない万葉の姿が増えるのは当然なのに、寂しいと思うのはきっと私が強欲なんだろう。
本人が機嫌良さそうに眠っているのをいいことに、気持ちを切り替える。
ウェンティはどうやらお酒を愛しているらしい。モンド人の多くはそうだと聞いたから、深く納得した。稲妻や璃月では酒場よりも茶屋の方が主流だからかも知れない。
「じゃあ、度数の低いものから少しずつ楽しむことにするね」
「ほんと? じゃあピッチャーで水も頼んでおくことをおすすめするよ」
ご機嫌なウェンティにモンドでのお酒の飲み方についてレクチャーを受けながら、夜は更けていった――幼馴染みと言うことで万葉を任されたこと以外は、楽しかったと言って良いだろう。
「万葉。そろそろ起きて。ここで夜を明かすことになっちゃう」
「……ん、柊?」
万葉の頭が私の肩にすり寄り、すん、と彼の鼻が鳴る。
「柊の匂いがするでござる……」
「ちょっと、匂い嗅がないでよ」
「甘い……果実……混ざって……?」
「美味しいジュースを飲んだからね。ほら、万葉。起きて」
結局距離が近いじゃない!
叫びたくても叫べないまま、ドキドキと脈打つ胸がどうか彼に伝わりませんようにと祈る。
万葉が倒れないように優しく肩を擦りながら、何度も声をかけていく。酔っているだけで完全に眠っているわけではないのだということは、会話がちゃんと成立していることからも明らかだった。
既に酒場の空気は緩やかで、退店する人の姿も見られる。どのタイミングかは知らないけれど、店だって一度閉めたいだろうし、いつまでも居残るのは迷惑だろう。
「ほら、お水。ゆっくり飲んで」
まるで犬猫がするように頭を押しつけてくる万葉に複雑な気持ちになりつつ、冷たいお水の入ったコップを彼の口元に近づけた。私の手の上から彼の手が重なり、彼の頭と共にコップが傾く。
上を向いた万葉が、ぼんやりとした目のまま私を見遣った。
胸が跳ねる。重なった手が熱かった。
「……柊でござる」
ぼう、としたままで万葉が呟く。そこにどんな感情があるのかは読めなかった。
万葉の手が離れないから、彼の手ごとコップをテーブルに戻す。多分、自分で手を放すってことを忘れているか、意識できないんだろう。
だから、……もう。ドキドキしたくないのに。
「はいはい、そうです。柊ですよ。万葉、歩ける? あなたの宿まで送っていくから」
「む……ならば、拙者がお主を送っていくべき、で、あろう」
「もう。そんなべろべろなのに言ってる場合じゃないでしょ」
「むぅ……」
未だもごもごとした言葉に苦笑する。酔っ払いであることは自覚があるらしい。
「さあ、立って。宿はどこ?」
どうにか万葉を立たせて、彼の口元へ耳を寄せれば、もごもごと宿の名前が紡がれる。その吐息に酒気を感じつつ、同じ宿だったことに少し安堵した。流石に異国の夜中に一人でうろつくのは不安だ。
途中で巡回中の西風騎士さんに声をかけられたけど、心配されただけで本当に良かった。
四、
不可抗力とは言え役得で身体が触れ合ったせいで、その日は中々眠れなかった。必然、叩き起こす同伴者がいない一人旅では朝も遅くなると言うもので。
旅人達が朝からとある島に冒険に出ると言ってモンドを発ったと聞いたのは、昼食を済ませた後のことだった。『エンジェルズシェア』のライバル店、猫ちゃん達が店内にいて、カードゲーム・七星召喚のバトルスペースも設けてある『キャッツテール』の前で、ウェンティが教えてくれた。
旅人は私にも一緒に行くかと声をかけたかったそうだけど、こういうのはタイミングも大切だ。私にとってその時じゃなかったんだろう。残念な気持ちはあるけれども。
その代わり、『キャッツテール』の売り上げが良ければウェンティが助かるということで、私はしばらくの間そこに通うことになった。なんでも一時的にでも『エンジェルズシェア』より売り上げが良ければ、彼に一ヶ月分のお酒がプレゼントされるらしい。
明るいうちの大部分を近くの散策に費やし、日が暮れたらお客さん達が七星召喚に興じるのを観戦したり、ディオナというバーテンダーが作る美味しいお酒を飲んだりしながら過ごす。
勿論『キャッツテール』でばかり飲むわけではなかったけれど、人気なだけあって『エンジェルズシェア』と『キャッツテール』の店の空気感は素晴らしく良かった。治安が良いというか。
気づけば、二週間以上をそこで過ごしていた。というのも、モンドの人は皆お酒が大好きで、酒場に居ると色んな人が小気味よく声をかけてくれたからだ。しつこくされることもなく、皆陽気で、吟遊詩人の歌を静かに聞くこともあれば、皆で知っている定番の曲を歌うこともあった。
教会のシスター・ロサリアさんに、西風騎士団に籍を置いているという眼帯のガイアさん。何人か知り合いもできた。二人とも酒気の強いお酒を楽しんでいて、私はそこまでのお酒は飲めなかったものの、優しく飲み方を教えてくれた。お陰で『午後の死』を一杯くらいなら楽しめたのだから。
「ははっ、柊。よく飲めるようになってきたじゃないか」
「そうですか? モンドの方々はよく飲まれるので、自分ではそんなに慣れた感覚は無いんですが……」
「あなた、気をつけなさいよ。その人、あなたが隙を見せたら酔い潰す気満々だから」
「ネタばらしされちまったか」
二人に挟まれて世話を焼かれながら、モンドの風土や習慣を聞くのは楽しい一時だった。
これが旅の醍醐味だというなら、確かにあちこちと足を運ぶのは吝かではない。
勿論この二人がたまたまいい人だった、ということを加味しても、モンドが特にいい場所だったとしても。
「このままモンドに居着きそうで怖いです。旅に出たはずだったのにな」
「旅人のペースなんて人それぞれさ。一年過ごすヤツもいれば、一週間程度のやつも、三日と決めているやつだっている」
「時期を見て判断する人も多いでしょう。季節的なこととか、盗賊や魔物の活動期かどうかとか……」
「なるほど……」
「……あなた、よくそれで稲妻からここまで来られたわね」
「一応剣の心得はありますけど、歴戦の旅人と璃月で再会したもので……実質護衛でしたね」
「ほう。誰だろうな」
あいつか、それともあいつかな、なんていいながら一切個人名を出さないガイアさんにクスクスと笑う。テーブルの上でカクテルグラスを指先で押さえ、中身を少し揺らせばキラキラと歪んで、誘われるがまま唇を濡らした。
案外、私も旅人に向いているのかも知れない。
けれど、私には家族があり、先祖代々の家系というものがある。力がある家でこそないものの、神里家、ひいては社奉行の配下として長く勤めてきた。兄は政略なんて家柄でもあるまいしと言ってはいるものの、家のため、社奉行のために結婚することも可能性としては残っている。
何をするにしたって万葉への気持ちを残したままなのだから、この先どうなっても同じことだ。そう思って「家に帰ったら家のために結婚でもなんでもする」と啖呵を切ったことを思い出した。我ながら向こう見ずだったな、と思う。
でもまあ、万葉に恋をした時点で私が周りを見れてないのは当たり前だったんだし、今更だろう。
「故郷の酒が恋しいって顔してるぜ」
「え?」
「思い詰めるのはほどほどにしておけよ。案外、行動してみると上手く行ったりするもんだ」
ガイアさんの言葉を肯定するように、からん、とロサリアさんのグラスが傾く。
「行動、ですか……。でも、そうしないことが相手のためになるんだって、もう思っちゃったんですよね」
「思っちゃった、か。なにか確信があったのか?」
「はい。今が充分幸せなんだって、生き生きしている姿を見たんです。辛いときがあったことは知っていて、私はなにもしてあげられなかったし……。昔なじみの私越しに、その過去を思い出したりしないでほしいって」
「過去を思うことは、必ずしも悪いことではないと思うがな。それに、それで苦しんでいるのは案外お前のほうかも知れないぜ?」
「そう、ですか?」
「俺にはそう見える」
ガイアさんの眼差しは優しい。けれど、一方で彼がかけてくる言葉は逃げるなと言っているようだった。
「懺悔があれば教会に行きなさいな。罪悪感なんて、そこに置いてくれば風に飛ばされるでしょう。軽くなった身体で動けばいいわ」
「ロサリアさんは聞いてくれないんですか?」
「あら。刺して欲しいのだったら聞いてあげるわよ。一晩の酒代で請け負うわ」
冗談なのだろうけど、あまりにも高い出費になりそうで頬が引きつる。
そんな私の顔を見て、ロサリアさんは珍しくふふ、と笑った。
五、
旧都だという風流廃墟を一週間ほどかけて散策し、そろそろ次の目的地でも決めようかと考えたいた頃、旅人達が『キャッツテール』の前で盛り上がっているのを見かけた。……どうやら、ウェンティが一ヶ月分のお酒をもらえることになったらしい。
楽しげな声を聞きながら良かった良かったとその場を後にしようと思った瞬間、万葉がこちらを見て、目が合ってしまった。
「柊、久しいな」
手を振り、名前まで呼ばれてしまっては無視はできない。
心の中で苦笑いをして、彼らの方へ足を向けた。既に解散した後なのか、そこにいるのはウェンティと旅人にパイモン、そして万葉だけだった。
「おかえりなさい。ウェンティから話は聞いてたよ。海島は楽しかった? 辛炎はもう行っちゃったの?」
「ああ、というより、拙者がお主に一目会いたくて残ったと言った方が正しいやもしれぬ」
「へ……」
「柊、すまぬ。ここを発つ直前に酷く世話になったというのに、礼の一言も言えぬままになってしまったことがずっと心残りだったのだ」
「……あ、ああ、そういう……。いいよ、別に。気にしないで」
万葉から出るはずのない言葉が出て動揺したものの、その次に出てきた真面目な言葉に深い納得と安堵が声に滲み出てしまった。
ウェンティと旅人が私の方を見て意味深長な笑みを浮かべているのが物凄く気になるけれど、何を考えているんだろう、いい予感はしない。
けれど、万葉の話を切ってまで追求するにはどうにも弱くて、私は曖昧に笑った。こんな時ばかり、いつの間にか姿を消してもらっていた方が気が楽だと思うなんて、本当にどうしようもない。
「万葉はこの後すぐに発つの?」
「いや、今日はもう日も傾いておる。これまで通り、拙者は急ぐ用事も無い。風の行くままにさすらうのみでござるよ」
微笑まれて、どう返そうか迷う。どう返すのが正しい幼馴染みの姿なのか、私にはもう分からなかった。
だから、
「先日はすっかり酔ってしまって無様を晒してしまい誠に面目なく……柊さえよければ、改めてモンドの美酒と果実を楽しもうではないか」
「……うん、そうだね」
万葉の言葉を断る方法も、全く分からないのだった。
六、
私と万葉と、旅人・パイモン、そしてウェンティ。『キャッツテール』でひとしきり飲んで遊んで、語り明かした後は、明らかに解散のタイミングがあった。
けれど意識のある万葉が隣の席で、ウェンティ達が殊更に私たちの昔話までねだったおかげで私はハイペースでお酒を飲み続けてしまって、すっかりとできあがってしまっていた。
「……して、柊。そろそろ水に切り替えてはどうだ?」
「やだ! まだ飲む」
「はは、そうしていると昔を思い出すな。お主は活発な方であったが、それでもよくご家族が妙齢の女子(おなご)の出国を許したものだ」
しみじみと呟く万葉に、私は黙り込んだ。
ガイアさんの言うとおりだ。私は、私が、いつまでも昔を引きずって――否、昔に縋っている。
「柊? よもや黙って出てきたわけではないであろう?」
「うん。ちゃんと言ってきたよ。帰ったら結婚でも何でもするからっていって、飛び出してきたの」
「……それは……黙ってはいないが、殆ど同じだろう」
呆れとも、窘めともつかない声色に、彼の目は見られなかった。じっとグラスに目を落とす。
隣に座っているのに、あんなにも近いと思ったのに、今は物凄く遠く感じる。
「万葉が」
「うん?」
グラスを手の中で弄び、氷がかろかろと鳴る。指先に少しずつ冷気が染みこんでいくのに、身体は物凄く熱い。
「万葉が、楽しそうにしている『旅』が、気になったの。一体どんなものかしらって」
万葉は元々家を離れた後は稲妻を渡り歩いていた。そこで親しくなった友人が雷電将軍に御前試合で敗北し、その人の神の目をもって逃走したことから彼の逃亡生活は始まっている。
けれど指名手配された彼は身の危険を冒してまで戻ってきた。そして旅人と共に雷電将軍に直談判した。神の目を皆の手に返して欲しいと。
それは旅を、自由を愛する彼の、自分のための戦いだったのだろう。風元素の神の目を携えた彼にはぴったりだと思ったことは記憶に新しい。
神の目を授かるほどに、相応しいのだ。風のような自由が。
「……お主には長い間心配をかけたな。先の騒動でも、ろくに挨拶もできなかった」
「ううん」
その風を、私も感じた。だからこんなに置いて行かれたような心地になる。
「幼馴染みだからじゃない。万葉、あなたが好きだから……ずっとあなたを想っていたの」
言葉は自然にこぼれ落ちた。
「万葉が今笑っていてくれて嬉しい。だから、もういいの。後のことはどうでもいい」
心はスッキリしているのに、身体は重くて、思うように動かなかった。
手元のグラスから目が離せない。
「私の気持ちなんて気にしないで欲しいの。あなたを引き留めたくない。
今の言葉も、なかったことにして。それができないなら振ってくれていいから」
ぽろぽろと零れていく言葉を、もうどうしてもなかったことにはできなかった。
「ごめんね。あなたが辛かったとき、苦しかったとき、私は何もできなかった。それどころか、あなたが本当に辛くて苦しかったかどうかさえ知らない。
なのに、あなたを好きな気持ちを、いつまでも手放したくないだけなの」
謝罪は誰のためのものだっただろう。
許されたいと、思ったからこんなことを言ってしまったのだろうか。
だったら、ロサリアさんの言うように、教会で懺悔をしてくればよかった。
彼に何かを背負わせたいわけはない。そうじゃないのに、出てしまった言葉は跡形もなく消えて、彼の耳の中に入りこんで、取り戻せない。
「なかったことになどできぬよ。それはお主もよく知っているであろう?」
万葉の言葉がどういうものか理解した瞬間、私はグラスに残ったお酒を飲み干した。
七、
万葉の手が私の手に重なっている。彼の手は硬いけれどどこかしなやかだった。刀鍛冶の職人ではない、侍の手。
その手が、私の手首に添えられていた。
「稲妻で少し話をしたときから、お主はなにを抱えているのだろうと思ったものだが……もうそのような重荷を背負ってくれるな」
声は柔らかく、労りに満ちていた。
「拙者の身に起こったことを、我がことのように受け止める必要はないでござるよ。お主だけが至らなかったように言うのは止めにしよう。誰よりも……拙者が未熟だったのだ。
しかし、それも昔の話だ。拙者も、お主には笑っていて欲しいでござる」
どこまでも優しくて、だから辛い。
そう、辛いのは私なのだ。
「これが重荷と言われても、私は喜んで抱いていたい。そう思ってた。
けれどあなたが心置きなく笑って歩いて行くために、一人愛でることも許されないのなら。そう思って、本当は言うつもりじゃなかったのに」
そうだ。酔ってしまって、口が軽くなったのは私の過失だ。
これを言うために酔ったわけではないのに。
どくどくとお酒が身体の中を回っている。熱い身体は瞼を重くして、このまま目を閉じれば眠ってしまいそうだった。
「万葉。あなたの幸せを願う自分でいたいんだ。あなたの幸福の前に、私の気持ちなんて些事にあまりある。だから、……どのみち優しいあなたに酷なことを強いてしまう自分にはがっかりしたから。だから、私を置いていって」
「それはできぬ」
「どうして」
「拙者は、過去と決別したつもりはない。むしろ、自分のものとして大切に抱えていきたいと、気持ちを新たにしたところであったのだ。柊、お主の願いは叶えられぬ」
静かな声は、万葉にしては珍しいものだった。
だから、一生懸命に身体を動かして、彼を見る。
「どうすればお主は自分のことをもっと大切にしてくれるのでござるか……」
悲しげな表情に胸を締め付けられた。
そんな顔をさせたいわけじゃないのに。そうさせているのが自分だと思うと苦い気持ちになる。
「柊、一度稲妻に戻るといい」
「……」
「お主が自分で自分を大切にできぬというならば、旅などすべきではない。お主のことを想う者達の側にいるのがよかろう。お主の家族は皆心配しているはずだ」
ぼんやりと万葉の言葉を咀嚼する。
……これはつまり、振られた、のだろう。
家に帰ったら結婚の話をすることになっているのだから。
だから、私は稲妻で万葉以外の人から想われているようにと。
ぎゅっと目を閉じる。
息が上がって、目を閉じているのに頭を強く揺さぶられているような感覚に、意識が遠のいた。
2025/12/31 UP
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