華金ブレイズウッド
華の金曜日。仕事終わりに深夜のハイウェイを流す。
向かう先は郊外。ブレイズウッド。
そこに、カリュドーンの子というグループの拠点がある。彼ら――いや、彼女たちのもつドライな温かさが心地よくて、最近の週末は必ずそこで一晩を明かすのが習慣になっていた。
最初の目当てはバーニスの酒だった。
ニトロフューエルを愛飲する彼女ははっきり言って酒豪で、荒っぽい言葉を使えばワクである。私は彼女が酔っているところを終ぞ見たことがない。……正確には、いつも常に明るく元気であり、陽気だ。それを『普段から酔っ払っている』と称する人が居るならば、それもまた否定しきれないのが彼女という人で。
とにかく、そんな彼女の作るドリンクはアルコールか否かにかかわらず全て美味しいのである。押しつけがましくない接客態度も含めて、私はもう彼女がとても気に入ったのだ。ホステスに入れあげる客くらい好きである。
いや、それは言い過ぎか。必ず一杯は彼女の分の酒を奢るくらいには、大好きなのだ。
「ハァイ、バーニス。今週も来ちゃった」
「わぁ~、アカリちゃん、いらっしゃい! 何が飲みたい?」
「いつも通り、ちょっと甘めの軽いヤツからいきたいな。ひとしきり味わったら寝るつもりだから、カフェインはない方が嬉しい。あと、ちょっと今お腹空いてるから空きっ腹にならないような酒のアテがあればぜひそれも」
「かしこま!」
私は、正直酒には疎い。それでも、バーニスはなめらかに手を動かして、飲み心地の良いものを提供してくれる。だから素晴らしい。魔法使いである。
仕事終わりの郊外に来たのだから、街のコンビニで適当に食料を買い込むなんて風情のない真似はしない。
前までは後は寝るだけ、な時間を楽しむにはがっつりジャンキーな食事をドカ食いする……みたいな方法しかなかった。
でも、ここに来ると空腹さえロマンに変わる。郊外の乾いた風を感じながら、夜の音に耳を澄ませる。遠くにはハイウェイを走るバイクと車のエンジン音……その手前には青白い静けさ。私の身体の前には明るいバーの光があって……その板挟みを楽しみながら、バーニスの柔らかな声が心を解していく。
そう。都会ではできない風情がここにはある。
「アカリちゃん、お仕事お疲れ様~! はい、ゆっくり楽しんでね」
「ありがとう。……あれ、これって『チートピア』?」
「そうだよ~。前に『夜にはジャンクなものを食べるのもよかったよ』って話したでしょ? だから、深夜に食べるチートピアはどうかなと思って、お取り置きしておいたの。温め直したからどうぞ」
「わぁ……バーニス、ありがとう……」
「うふふっ、アカリちゃんが目を輝かせて喜んでくれるなら、やった甲斐があったよ~」
「はいこれチップ」
「わあ、相変わらず気前の良さがおじさんだね」
柔らかいバーニスの応対にでへでへと頬が緩む。酒よりも先にやってきたチートピアの看板メニュー『チートピア』……たっぷりのチーズが乗ったピザ、バーガー、手羽先、海老……これを華の金曜日に食べられるなんて。
うっとりしながらゆっくり味わい始めた矢先、まるで気配もなく男が隣に腰掛けた。
「よお。いいモン食ってるな」
「ライトさん。どうも。今、バーニスの優しさに心震わせてるところ」
「お前さんは本当にバーニスが好きだな……」
「うんすき」
むぐむぐとピザを頬張りながら、バーニスがコークハイを出してくれる。このメニューに炭酸は神。最高。
隣の男を尻目にそのまま味わい続けていると、くつくつと、いつの間にか静かに笑っていた。
彼の名はライト。バーニスが所属するカリュドーンの子のチャンピオン。走り屋のグループごとにいる、戦闘要員ということだ。護衛も兼ねていて、腕っ節の強さは一級品。赤いマフラーとサングラスがトレードマークの色男。
彼のお陰で治安が向上したみたいな話を誰かから聞いた気がする。皆には黙ってるけれど、夜な夜な出かけては不穏分子を潰してるとかどうとか……。
(でも未だにこの人、よく分かんないんだよな。顔もかっこよくて体格もいいのに、言動がスカしてると思ったら妙にかわいげがあって……女の子たちとは違う年齢不詳さがある)
「俺の顔に何かついてるか?」
「いや、特には」
ライトさんがジョッキに注がれた酒を掲げながらこっちを見てくる。
お気になさらずと食事を続ける私と、静かにジョッキを傾ける彼。
大男が気配も感じさせずに静かにしているというのは不思議な感じだ。
別に縮こまっているわけでも、横柄にしているわけでもない。まるで風そのもののように、自然にそこに佇んでいる。
郊外のロマンに華を添えるには十分な格がある彼のことは、別に嫌いではない。というか、ある意味ロマンを体現する男だと思うので、好きまである。
けれど彼のことはよく知らない。ぐいぐいと前に出てくるタイプではなく、後方で腕を組み、静かにカリュドーンの子のメンバーを見守っている……そんな印象が強すぎて。
チートピアを黙々と食べ続け、チーズの重さを感じながらもコークハイを空にすると、次に出てきたのはちびちびと舐めるように飲む、スティンガーだった。
「食後にはとっても合うよ」
そう言ってバーニスの笑顔と共にカクテルグラスで提供されるそれに早速唇を濡らす。ミント特有のさっぱりとした感覚が鼻孔を抜けていき、夜風と混ざって胸が軽くなる。
「ありがと。バーニスも飲んで飲んで」
「あは。やったぁ」
ちゃりちゃりとディニーを机に置いて、バーニスがジョッキを掲げる。そしてくいっと飲むと、笑顔が輝いた。
別に私に向けられたものじゃない。でも、彼女のご機嫌な様子を見ていると、なんだか気分がすっきりしていくのだ。
「……荒野の女神……」
「あんた、相変わらずだな」
「事実なので」
仕事が忙しくて頭がおかしくなりそうだったとき、「もうどうにでもな~れ」と次の日も仕事だったにもかかわらずここまで車を走らせた。たまたまカリュドーンの子たちが酒を酌み交わしていたところに混ぜてもらい、寝落ちするまでバーニスによしよしして貰った時のことは忘れられない。
あの時から彼女たちの奔放で力強い姿は、他の人達がアイドルに惹かれ応援するのと同じように、私の心を支えるものになっている。
「私の言葉に、そんな強い影響力があるなんて思ってないし」
作家を目指したこともあったなあ、なんてふと思い出した。語彙が文語に寄っているのはその所為だ。
でも、今の私は別に何者でもない。なれなかった。だから、私の言葉に力なんてない。
ぺろぺろと間を持たすように酒が進む。
「そういや、あんたは作家志望だったことがあるとか言ってたな」
「うわあ、覚えてたんですか」
「私はアカリちゃんの言葉好きだよ~。とっても面白い!」
「へへ、ありがとうね」
ここの人達とは、普段一切の接点がない。だからこそプライベートな話をぽろぽろと零していた。彼らなら陰で笑うこともないだろうという安心感が、私の口を軽くさせていたからだ。
まさかライトさんに拾われるとは思わなかったけど。
「あんたが書く字もとびきり綺麗だった。ありゃいつだったか……初めて来たとき、燃料切れで立ち往生して送ってったときだったか」
「んぶっ」
グラスに口づけた先から咳き込みかけて、危うく口を手で覆った。
彼が言っているのは、送ってもらったときに形だけでも書類があった方が安心するだろうとルーシーが手配してくれた約束書き――私の車の安全を保証してくれるものと、それとは別に飲み明かしたせいで財布がカツカツで、郊外じゃ現金支払いが基本だったのも知らなくて、急ぎ送迎代を、車を担保にして待ってもらうという内容だった――にサインしたときの事だろう。
そんな些細なことを、この人は覚えていたのか。
カッと顔が赤くなっているのが分かる。これは酒のせいじゃない。
私を横目に見ていた彼が、少し驚いたように目を見開くのが、サングラス越しにでも分かってしまった。
「ふぇ、ち、ちが、これは、あの」
「なんだ、何が違う?」
動揺する私と、平坦な温度感のライトさん。どんどんその差が顕著になっていく。
字が綺麗だと言った彼の声が妙に湿っぽくて、どうしてだか、色っぽいと思えて。
おかしい。おかしい、おかしい!
嬉しさや照れとは違う何かが迸って、私はまごつくことしかできなかった。
そんな私を見て、ライトさんは何を思ったのだろう。
赤いマフラーの際でその口角を上げると、機嫌良さそうに酒をあおった。
「……俺の言葉も、捨てたもんじゃなさそうだ」
「へっ」
「あんたをそこまで喜ばせられるとは思わなかった。これからどんどん言って行くことにするか」
「お、おやめください……!」
「アカリちゃん顔真っ赤だよ~? 大丈夫? もう寝ちゃう?」
「ほう、そりゃ心配だ。そんなに酔ったなら送っていこう」
ぐいぐい来るタイプじゃないって言ったの誰?! 私だぁ~~! なんて見る目がない!
前言撤回する! 撤回するから一旦待って欲しい!!
「あ、あの、いや」
「それとも、少し風に当たるか? ほら」
流れるようにライトさんのジャケットを肩に掛けられて、一気に背中が温かくなった。
あれよあれよという間に彼が事を進めていく。あれ? もしかして待っても言わせてもらえてない?
「あのでも、ライトさんが、」
「俺は鍛えてるからな。それより、郊外の夜は冷える。酒が入っていると言っても、折角の週末を風邪で潰すのは本意じゃないだろ」
「それは、そうですが」
ライトさんから手を差し伸べられ、それをいつまでも取らないというのは酷く失礼に思われて、私は恐る恐る手を重ねた。
それを了承の合図として、ライトさんの手が私の肩に回る。
……なんだか、距離が近い。まさか寒いわけないし……。
え? なんか展開が不穏では? これ飲み会で見た気がする。人がお持ち帰りされるのってこんな感じじゃなかったっけ。
「じゃあな、バーニス。俺も休む」
「はーい。アカリちゃん、またね」
「あ、う、うん。バーニス、今日もありがとう……」
かろうじてバーニスに別れを告げ、歩き出す。ブレイズウッドの中心には大きな高低差があり、昇降機を降りた先に宿がある。
ジャケットまで着せてもらって距離を取るのも失礼かとされるがままでライトさんに連れられていると、昇降機の遮断桿(しゃだんかん)が降りた瞬間、私の顔を覗き込むようにしてライトさんの顔が近づいた。
「……あんまりされるがまますぎると、このままあんたの宿に転がり込んで朝まで離してやれんが」
「へぇっ?!」
「どっちがいい? 少し風に当たりにいくか、俺を連れ込むか」
「そ、その二択しかないんですか」
「あとは、俺のねぐらで俺なりのもてなしってのを受けるか」
「それ一緒じゃないですか……!?」
深夜だ。大声は迷惑になる。
かろうじて声を張り上げたい気持ちを抑えると、ライトさんはくつりと喉で笑った。
「どういう意味か分かってくれて何よりだ」
そうしている間にも昇降機が下層につき、遮断桿が上がる。可愛いボンプの鳴声に見送られながらひとまず降りることにして、私は足を止めた。一緒に、ライトさんの足も止まる。
どうせ、飲酒した以上これから車を運転する選択肢はない。少なくとも私には。
「あの……いつから、ですか」
「ん? そうだな……作家志望の話をして、しばらく物書きの何が楽しいのかを一生懸命話してたときの笑顔がよかった。その前、字が綺麗だと分かった時も、こんな風に字を書く奴の頭の中が気になった」
結構前じゃないか?
そもそも、私は週一くらいでしかここに来ない。
そんな、単純接触効果としては弱いくらいの頻度なのに……?
そんなことをぐるぐると考えたままライトさんの顔をじっと見つめていると、サングラスを下げた生の瞳とかち合った。
「女ばかりだと思って無防備な顔ばかり見せてた、あんたが悪い」
……人って、ホントに墓穴掘れるんだ。
2025/10/26 UP
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