運命という名の、絶望

 「……どうやら、気がついたようだね」
 雪焼け、だろうか。焼けた肌を持つ精悍な顔つきの青年が、一つのベットに横たわる少女に声を掛けた。
 少女の髪は黒く、薄く開かれた瞳は髪同様、深い。
 「…ここ、は………?」
 瞼を持ち上げるのも億劫なのか、少女は目を閉じて問うた。
 「ファンダリアのはずれにある、弓の名手、アルバ・トーンの家だ」
 青年は穏やかに答えた。
 少女は聞き覚えがないのか、少し眉をひそめた。
 「……君の名前は?」
 「…
 少女は、力無く答えた。気怠そうで、青年の声に耳を傾けているのが、やっとの様だった。
 「というのか。わたしの名は、ウッドロウ・ケルヴィンと言う」
 瞬間、と呼ばれた少女の目が見開かれた。驚いているようでもあり、愕然としているようにも見えた。
 「―――――――っ!!!!!」
 は唐突に頭を抱え込み、身体を丸めた。
 「!?どうした!」
 ウッドロウと名乗った青年の呼びかけに、は声を出すこともままならないまま、気を失った。



Event No.1 巡り合わせ



 は、記憶喪失だった。
 ウッドロウが、いつものようにアルバの元へ向かおうと森を歩いていた時、倒れているを発見した。
 の格好は奇妙だった。
 上は袖のない、胴だけを包むような服。しかも、薄い。下は固い生地でできた、いかにも動きやすそうなズボン。
 このままでは凍死させると思い、ウッドロウはアルバの山小屋まで、必死で運んだ。見たところ死んでいるようにも思えたが、微かに、息はしていたから。
 それから意識を取り戻したはウッドロウから、雪の降りしきるこの地域、ファンダリアに相応の服と、丸腰だったのでレイピアを受け取った。
 は、戦闘など経験したこと、ましてや、戦闘という単語すら分からないのではとウッドロウは心配した。しかし、それには及ばなかった。
 ウッドロウですら気を抜けば負けてしまうほど、の戦闘能力は素晴らしかった。しかし、彼女には記憶が、無かったのだ。
 は自分があの森で何をしていたのか、まったく分からないと言った。
 自分の名と、歳が16という事以外は、まったくもって何も知らなかった。
 ただ、言葉が通じるのが幸いだった。
 アルバの家に身を寄せるのもとへ、ウッドロウは足繁く通った。彼女の戦闘能力を監視下に置くという目的も、兼ねていた。
 類い希なる戦闘センス。この世界にも、一人、そんな少年が居る。
 ウッドロウは、天才剣士と謡われている各員剣士の少年の事を、朧気ながらに思い浮かべた。勿論面識など無かった。それでも、風の噂でそう言う事は自然と伝わるものだ。立場によっては。

 雪が、降っていた。それは毎日のように降りしきり、特に面白味のない風景でもあった。
 だが、それでも灰色のような、空を仰げばくすんで見える雪は、にとって妙な感覚を覚え込ませた。
 「さーん!!!!」
 の元に、長い髪を後ろで束ねた、まだ幼い少女が元気良く駆けてきた。
 はその呼びかけに、微かに笑顔を浮かべた。
 「何?チェルシー」
 チェルシーと呼ばれた少女はの側まで走ってくると、一度可愛らしく笑って、少し間をおいて、息を整えた。
 「弓のお稽古、付き合ってくださいませんか?」
 ウッドロウを慕うチェルシーは、アルバの家に身を寄せていた。寒い地方の小さな小屋で、チェルシーは今までずっと、アルバと共に暮らしてきたのだ。
 チェルシーにとってはもう既に、大事な家族になっていた。
 は軽く頷くと、以前にウッドロウから渡されたレイピアを取りに、部屋へと入って行った。
 雪は、静かに降り積もる。
 はチェルシーと共同のその部屋に入ると、ふと、空を見つめた。
 の中には、いくつか疑問があった。ウッドロウという名を聞いたその瞬間に、彼女の頭に襲った激痛。は目が覚めてから、しきりに空を見つめている。それが彼女には、何故なのかがまったく分からなかった。
 分からなかったが、それでも何かやきもきするような、焦げるような衝動が、胸に燻るのを感じていた。それだけは、の中で確かに膨らんできていた。
 「待たせてゴメンね?じゃぁ裏山に行こうか」
 「はい!」
 が戻ると、チェルシーは顔を輝かせた。彼女にとって、という存在は、姉と同様の意味を持つ。の様な歳の同性と触れ合う機会が、チェルシーにはなかったから。
 「今日は実際にモンスターと闘ってみようか?」
 「は、はいっ!!頑張ります!」
 の台詞を聞いた途端、緊張し始めるチェルシーに、はふ、と穏やかに微笑んだ。
 「そんなに張りつめなくてもいいんだよ?一人じゃ、ないんだから」
 そして、
「まぁ、でも、ウッドロウさんがいればもっと楽なんだけど」
 意地悪く言うと、少し声を漏らして、笑った。



 暫く経っていた。どのくらいだろうか。少なくとも、の空を見る癖が、酷くなっていた頃だった。
 「!チェルシー!!」
 「あ、ウッドロウさん、どうしたんですか?そんなにあわ、て、て………」
 は勢いよく扉を開けたウッドロウに、微笑みかけようとした。しかし、彼の担いでいる人物を見た瞬間に、激しい頭痛が襲った。
 がその場にうずくまった時、チェルシーが、小屋の奥から駆けつけてきた。
 「ウッドロウ様!お久しぶりです!……え、さん!?」
 がうずくまっている姿に、チェルシーは動揺する。しかしそうも言ってはいられない状況だった。
 ウッドロウは、金髪の少年をその背に負ぶっていた。酷く濡れている。
 「チェルシーはを見ていてくれ。私はこの少年をベットまで運ぼう。が落ち着いてきたら、ありったけの暖房器具を持ってきてくれ」
 「はい!」
 急いでウッドロウの指示に従うチェルシー。の背を撫でて、必死に呼び掛ける。  やれやれ、まるでがここに来た日のようだな。
 ウッドロウは小屋の奥に空いているベットがあったのを思い出しながら、金髪の少年を担ぎ直した。
 ベットに寝かせてやる。少年の顔は、酷く悪かった。の時のように、少年を見た瞬間、ウッドロウは死んでいるのではないかと思った。
 少年の名は、スタン・エルロン。ウッドロウでしか知り得ない名前。少年の持つ剣。ウッドロウはその剣の柄を持って、一度部屋を後にした。
 入れ違うように、様子を見に来たが、ウッドロウを見た。その手には、湯たんぽが包まれていた。
 ウッドロウは体さえ温めれば大丈夫だろうとに言うと、彼を見ていてやってくれとを部屋に押した。心配するように部屋に入ったは、布団をめくって、少年の足元に湯たんぽを置いた。少年は安らかに寝息を立てている。
 は暫く少年の様子を見ていた。ストーブも焚いている。
 部屋から見える雪は、止まない。
 は少年を気遣いながら、ずっと窓の外の空を見ていた。
 何かが、起こる。否、もう起こり始めていた。
 「?入るぞ」
 「どうぞ」
 「彼はまだ意識を取り戻さないようだな…」
 ウッドロウはため息をついた。それでもその表情は確かに安堵していた。
 はスタンの方に向き直り、彼の表情を伺う。
 相変わらず、安らかに眠り続ける彼につられるように、もその瞼を閉じた。
 「………彼の名は、スタン・エルロンと言うんだ」
 びく、と、の肩が揺れた。知らない。この少年とは、初対面だ。
 はウッドロウの時と同じく、鈍りだした頭を少し、抑えた。
 「……?」
 ふと、少年が息を吐く気配がした。
 「……起きた?」
 戸惑う少年に、は軽く説明をした。
 「此処はファンダリアのはずれにある山小屋だよ。大丈夫?身体、起こせる?」
 優しく問うに、スタンは心持ち緊張しながらうんと短く呟いた。
 「あ……ディムロス………俺の、剣は?」
 「?剣のこと?それならウッドロウさんが………」
 「ああ。私が預かっている。向こうの居間に置いてあるから、取ってこよう」
 ウッドロウがふと笑んで、部屋を出て行く。
 「あの人がウッドロウさん。ウッドロウさんが貴方をここまで運んできてくれたの。私の名前は、ね」
 クスクスと優しく笑うに、スタンも少し笑みを零した。
 有り難うと礼を言う。
 どういたしまして、と笑みがこぼれる。
 「……貴方の名前は?」
 彼等は、知らない。
 既に悲劇が始まっている事も。
 その果てに、深い悲しみが待っている事も。

 自分達が、その悲劇の舞台で踊る、役者である事も。

200-/--/-- : UP

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