運命という名の、絶望
飛行竜から降りた莢は我が目を疑った。見たことのある姿が、その前にはあった。
緩やかな弧を描く長い髪の女性、イレーヌ。
恵まれた体躯にさも豪腕と言わんばかりの強面の男、バルック。
ヒューゴ邸で見た執事。
そしてヒューゴその人。
その腕に抱き寄せられている、マリアン・フュステル。
「マリアンさんっ」
「お前はこっちだ」
勢い、駆け寄ろうとした莢を制して、リオンは下手な真似はするなと釘を刺した。
でも、と莢はリオンを見た。だがリオンは首を横に振っただけだった。
Event No.30 最期の最後
さて、莢にとってリオンは焦がれる人そのものになりつつあった。デジャ・ビュの様な感覚と、それが知らせるリオンの本質。莢はそれに惹かれていた。だが、それを手懐けることが出来なかった。
膨らんだリオンへの想い。そして、そのリオンの想い。莢はそれを想うと身動きが取れなかった。リオンもまた、身動きが取れなかったように。
密かに生きていた工場の仕掛けを順序よく作動させながら、皆は移動していた。
俯き無言で歩く莢は、だがしかし、きっちりと与えられた役目をこなした。現れてくるモンスターを問答無用で切り裂き、レンズが辺りに飛び散っていた。
これでは、後を追ってくれと言っているようなもの。
莢はそう思った。しかし、何も言わなかった。
莢が言葉を交わしたイレーヌ、そしてバルックが何を思っているのか、莢には分からなかった。只莢の気持ちは、一応は、彼らに伝わっていた。
ただそれでも、彼らは彼らなりの意図を持ってヒューゴを支持し、今ここで歩いている。リオンが話したことから、きっともうずっと昔から、ヒューゴについて行くことを決めていたのだろう。とすれば、莢がここで何をやったとしても、全ては意味のないことになる。
リオンのように弱みを握られているわけではない。マリアンさえ助け出せば、リオンは味方に付けることが出来る。莢は思った。
人質あってこその駒であって、それが無くなってしまえばリオンはきっと、ヒューゴと相対するはず。
莢は懸命に考えた。
隙を見計らってマリアンを奪取し、リオンと共に戦う。
明らかにイレーヌは戦闘には不向きだったし、バルックもまた、やり合ったとして接近戦を得意とするタイプ。となるとリオンの昌術で叩くしかない。ヒューゴや執事に至っては、その実力がどうかは分からないものの、莢にはリオンと二人、マリアンを庇いつつ戦ったとして、この四人に負ける気がしなかった。
そしてそれはきっと、過信ではなかったはずだった。
只莢は見落としていたのだ。
リオンがマリアンに懸ける想いが、どれほど追いつめられていたのかを。
歩くうち、工場は直ぐに抜けてしまった。
工場の奥の扉から覗いたのは暗い洞窟。海底洞窟。水の滴り落ちる音を聞きながら、莢はやはり黙ったまま、歩いていた。
暫くして、聞き慣れた足音がした。獣のそれは直ぐに莢達との距離を縮め、立ちふさがった。
「っ……!」
莢は襲いかかってくるモンスターに剣を振るった。呆気ないほどに、モンスターは破片となってレンズを撒き散らす。莢は泣きたくなった。込み上げる思いがそう長く保てないことを感づきながら、それでも莢はリオンのために口を噤んだ。
「…莢、大丈夫か?」
同じようにモンスターを蹴散らしたリオンが、レンズを踏みつけながら莢に歩み寄った。
水音だけが響く洞窟内で、ヒューゴ達が歩き出すのが聞こえる。莢はそれを、疑問に思わなかった。それよりも自らの内の思いに囚われすぎていた。
「莢」
リオンは、莢の直ぐ側までやってきて、名を呼んだ。リオンから見て横を向き、片手剣を握ったまま俯き佇む莢。その莢の肩を引いて、
「こんな所で立ちつくしている場合じゃない」
リオンは言いながら、素早く莢の短剣を抜いて脇腹に突き刺した。
「っ莢!!」
先を歩いていたマリアンの声が響いた。恐らくは様子のおかしい莢を気遣うように、様子を見ていたのだろう。リオンが莢を刺したことにも気付いたに違いなかった。
「莢、莢!!」
マリアンの必死の呼びかけにも、莢は応えない。リオンは、短剣を抜いた。血が、滴る。莢は刺された脇腹を押さえ、そこから溢れる血で染まった手を眺めた。
マリアンの声が、ヒューゴによって遠ざけられて行く。
莢はそれを考えることは出来なかったが、それは莢の中で問題にはならなかった。
「……」
莢の顔が、歪む。それは、苦痛ではなく、歪められた、奇妙な笑みだった。
激痛の中、莢は堪えきれずに剣を落とした。膝を突いた。俯せに、倒れた。
その流れを、長い長い間見ていたリオンは、最後に、莢の短剣を捨てた。
「……なか……」
莢は、脇腹から血を流しながら、声を出した。力を入れることすらもう出来なくなろうとしていた。
「ェ……ミリ………オッ…………」
莢が必死にリオンの名を呼ぶ。それに伴う痛みで莢は硬く冷たい地面で這い回った。莢の荒い息遣いと、呻きと、リオンの名を呼ぶ声と、痛みに悶え打つ音が響く。
「……わわたし……じゃ…………むり……だ、たね……」
「……」
「ェ………オ、あなた、の………ち、から……なれな、か………」
弱くなっていく。莢が、弱くなっていく。
「あま、か、た……ん、だ……や、ぱり……ぃっ……しんじたく、なく、て……えみ、り、おが………わたし、を……こ、ころそ、と……おもいた、くなく、て」
リオンはその最期は見ることが出来なかった。莢は必死に、必死にリオンを見上げていたのだ。泣いて、哀しそうに泣いて、それでも、リオンを安心させるように、リオンの心情を読み切ったかのように、笑っていた。引きつっていた。引きつって、奇妙な笑みだった。だが、確かに笑みと呼べる表情だった。
「かおを……そむ、けて………いた、の………あなたは……だか、らっ……けし、て……そらさ、ない、で……」
大量に流れ出る血は死の証。リオンは歩き出した。痙攣する指を、必死に伸ばした莢から顔を背けて。
リオンの足音は遠ざかる。莢の手は静かに、レンズの飛び散った洞窟内に。
それから、暫く経った。
莢は、もう動かない。
リオンが去ってから、洞窟内はただひたすらに、水の音だけが響いていた。
莢の荒かった息も、のたうち回る音も、必死の叫びも聞こえない。
辺りに散乱したレンズの上に、莢の冷たい身体は置かれていた。その指先に当たっていたレンズが突如、光り出した。
それは徐々に、莢の身体の下にあるレンズにも広がっていった。目映い、明るい光。
莢の身体は一気に、その光に包まれた。
足音は複数。リオンはそれに感づくと、足を止めた。
「リオン……」
スタンが真っ先に、リオンの前に出た。
「エミリオ、やりなさい」
リオンの背後で、ヒューゴが笑う。勿論だ、とリオンは背中を向けたまま応えた。
「リオン、そんな奴の言う事なんて聞くな!!」
スタンの大きな声が何重にも響いて木霊する。ヒューゴはそれを背に受けながら、先に行った神の眼とイレーヌ達の後を追って、洞窟の奥へと姿を消した。
「どうして……あんた、自分が何やってるか分かってんの!?」
「ああ分かってるさ」
リオンの声は淀みなかった。
『シャルティエ、気でも触れたか!』
『神の眼を鎮めるためというあのディスクは……我々を強制的に眠りにつかせる特殊装置だったとはな………迂闊だった』
『我らが志、よもや忘れておるわけでもあるまい?』
ソーディアン達は色めき立った。だが、シャルティエは軽い口調で
『だまされる方が悪いんだよ。それにマスターには逆らえないしね』
言って、けらけら笑った。
「そう言うことだ、残念だったな。僕はヒューゴの捨て駒。マリアンだけが僕の全て。マリアンのために、僕はお前達と戦う」
その声に、ルーティは一瞬ひるんだ。
「リオンさん……あなた………」
フィリアが、皆よりも少し下がった所で声を発した。濁った語尾を拾うように、リオンは笑う。
「僕を認めてくれた、マリアンさえいれば僕は誰でも殺せる」
「……何言ってるのよ。………っ!そうだ、莢は!?あんた達と一緒に居たんじゃなかったの!?」
「彼女は僕がこの手で殺した」
「!」
皆の顔が強張った。
「ここへ来る途中見なかったか?俯せに倒れた彼女の死体を」
「あんた……」
ルーティが、言葉にならない怒りを、リオンにぶつけた。リオンはそれを避けるように、目線を移す。
「莢さんは……誰よりもリオンさんをお慕いしていましたわ。それは……リオンさんも同じではなかったのですか?」
フィリアの声をリオンは受け止めた。一度目を伏せ、その言葉を肯定する。
「だが僕は莢すらこの手にかけて見せた。だから……血の繋がっているだけの奴を殺すことなど造作もない」
「……それは一体どういう意味かな?」
リオンの言葉に訝んだウッドロウが、声を立てた。
「簡単なことさ。……良く聞け、ルーティ・カトレット。僕の本当の名前はエミリオ。エミリオ・カトレット」
「……!……嘘よ」
「嘘じゃない」
驚愕したルーティの表情を見たリオンは、まくし立てた。
「ヒューゴ・ジルクリストとクリス・カトレットの間に生まれたのがお前だ。そしてお前は孤児院に捨てられ、僕が生まれた。正真正銘、僕とお前は血が繋がっているんだよ」
リオンらしくない、言い回し方だった。無理に少年らしさを出そうとしているのだろうか、リオンは笑って見せた。
『あんなのに耳を傾けちゃ駄目よ、ルーティ!!』
「へぇ、良かったじゃないか。気遣ってくれる奴が居て」
「リオン!」
リオンは内心、とても傷ついているのではないだろうか。ウッドロウはそう思った。
相手の動揺を誘う以上に、リオンが傷ついているのだ。リオンには気遣ってくれる人はいなかったのだろうか。いや、マリアンというあの女性のためにこんな行動をするのだから、あの人にはきっと優しく育てられたはず。
リオンにもそんな人間が居るならば、どうしてリオンは『気遣ってくれる奴が居て』等と言ったのだろうか。それではまるで、リオンにそんな人がいないかのように思えてしまう。
「さぁ、姉さん。実の弟を殺せるかい?」
リオンが笑いながらシャルティエを構えたのを見て、スタンは我に返った。
「ルーティ、危ない!!」
一気に詰め寄ったリオンに、ルーティはアトワイトに手をかけた。だが、明らかに間に合いそうもなかった。スタンはディムロスを握りながらそこへ駆けたが、それも間に合いそうにないことを瞬時に理解した。
だが、リオンの振ったシャルティエは、ルーティには届かなかった。
金属を打つ小気味良い音がして、リオンは呻いた。その手が下ろされ、ルーティ達から即座に距離を取る。
見れば、シャルティエを止めたのは短剣だった。リオンはそれを目にとめた瞬間、目を見開く。確かにその短剣は、あの時莢の脇腹に刺したものだった。
「そんな馬鹿な………!?やはりあれを見たんだろう!」
リオンは短剣から目を離して、スタン達を見た。だが、その目は直ぐに、彼らのさらに後ろへと向けられた。
「莢!?」
スタンが驚いて声を上げた。洞窟の中の凹凸に寄りかかった莢が、荒い息で皆の後ろに立っていた。
莢はゆっくりと、歩み寄った。
フィリアの横を抜け、ウッドロウ、スタン、ルーティを過ぎた。
「……」
リオンは後退った。
莢はリオンが後退ったのを見て、そこで立ち止まった。
「ごめんね」
莢の言葉に、リオンを含め、皆が驚いた顔をした。
「力になれなかった」
疲れた声だった。血に染まっている彼女の脇腹からは、未だに微量の出血が続いていた。
「リオンは私を支えてくれた。でも、私はリオンを支えることが出来なかった。リオンを護ることも出来なかったし、協力しきることも出来なかった」
微かに、莢は笑みを作って見せた。やはり疲れた顔をしていた。
「迷ってたの。どうしてもリオンを助けたかった。マリアンさんを助けて、リオンを解放してあげたかった。…………でも、リオンには全部お見通しだった。すごいよ。『僕には僕の選んだ道がある。口出しするな』……。私が口だしどころか、手出しするのすらも、見抜かれちゃってたね」
リオンは莢を見ることが出来なかった。
「あの後、リオンが奥に歩き出したとき、寂しかったよ。ひとりぼっちで死んでいくことも、地面の冷たさも、全部全部、寂しくて仕方なかったよ。だから、そう思ったから、リオンを死なせたくなかった。一人で何でも背負い込んで、そのまま死んでいくつもりだったリオンを置いて、一人で死なせたくなかった」
莢は穏やかだった。
「悔しくて仕方なくて……こんな所で倒れてる場合じゃないって思うのに、体は動かなくて………。でも、急に意識がはっきりしてきて、痛みも随分引いてた。何故かはよく分からないけど、レンズが無くなってたから、きっと、奇跡だね」
莢は笑った。
「一人は淋しいよ。独りは、寂しい」
その顔が、そこだけ少し、切なげに歪んだ。リオンはどの表情も見ていなかった。
「……時間稼ぎは、これで十分だよね」
莢は、リオンに言った。そして、体の向きを変える。
「急いで逃げて。ヒューゴはきっと……」
その言葉は、最後までは紡がれなかった。莢が言葉を言う途中で、地響きが起こり、辺りは騒然とした。
「いけない!奴はこの島ごと我々を消してしまうつもりだ!!」
「リオン、お前まさかっ……!」
「……言っただろう。僕は捨て駒だと。……行け」
リオンは下がった。莢はその場に立ったまま。ルーティは叫んだ。
「何でよ!!あんた、マリアンって人がそんなに好きなの?だったら取り戻すわよ、絶対に!!でもそれはあたし達の役目じゃないでしょ!あんたの役目じゃないの!!!」
それはつまり、リオンの生を願う言葉だった。リオンは微かに笑った。自嘲的な笑みだった。
「初めからこうしておけば良かったのかも知れない。……僕の存在がマリアンにとっての驚異になるなら、僕はここで死を選ぶ。僕の願いはマリアンの幸せだ」
最後の言葉は、ルーティ達には届かなかった。それよりも前に、濁流が押し寄せてこようとする音がはっきりと伝わり、轟音が酷くなっていた。
「急げ!!このままでは皆死んでしまうぞ!!」
「でもっ……リオンが、莢が!!!」
「ルーティ!……くっ………駄目だルーティ!」
スタンはルーティの腕を掴んで、無理矢理に元来た道を引き返そうと身体をひねった。
莢とリオンはそれを見送る。
「何をしている。莢、お前も行け」
「目標はこれで達成でしょ?……リ………エミリオの側にいさせて欲しいの」
『莢……』
莢がリオンに歩み寄った瞬間、二人の居る岩肌の上部から大量の水が押し寄せてきた。直撃を受けるように、スタン達が流されてゆく。
ルーティの声が響いていた。しきりに。だが、それも聞こえなくなった。
「生きろ。お前まで死ぬ必要は全くない」
「嫌。……言ったでしょ?ひとりぼっちは凄く寂しいの。こんな所で独りで死なないで」
縋るように莢は言った。哀願だった。
『酷いなぁ、莢。坊ちゃんには僕が居るから独りじゃないよ』
「シャル……」
シャルティエの言葉を受けて、莢は少しだけ、笑った。
「ねぇ、エミリオ。私疲れたよ。……私を一人にしないで。あなたが死んでしまったら、私、もっと疲れてしまうよ。生きることが、辛くて辛くてたまらなくなってしまう」
莢は、そこまで言うと、泣いた。リオンは莢の名を呼んだ。
「……」
『坊ちゃん』
シャルが後押しするように、リオンは莢の頭を撫でた。
「……記憶よりも何よりも、記憶を失ってから得たものの方が、きっと大きい…。私、エミリオが好きなの……。だからあなたが死ぬと辛いよ。それを、言いたかった」
「莢……」
リオンは微かに目を見開いた。大量の水はもう既に、しゃがみ込んだ二人の胸元にまで達している。
「あなたが誰かを想ったように、あなたも誰かに想われてることを、知って欲しかったよ」
莢は俯いたまま、顔を上げない。
「ああ……。分かったよ、大丈夫だ」
「うん」
二人は暫くして、顔を上げた。水はもう顎まで迫っている。浮力で浮きながら、二人は微かに笑った。
「シャル、悪かったな、最期まで付き合わせてしまって」
『構いませんよ。言ったでしょう?坊ちゃんには僕が居るんです。それは、最期まで変わりません』
「ああ」
その時はもうすぐそこまで来てしまった。楽に立ち上がれるほど水は洞窟内を満たしていく。そろそろ顔を上げているのも辛くなった頃、二人は互いの顔を見た。
そして身体は水の中へ。ただ、手だけは離れないように繋いだまま。
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