学園祭の王子様?

(1)

 ――この扉の先にいる人間が誰かだなんてそんなことは当に分かりきっている。
 夏休みも中程を迎えたこの時期。運動部の夏はことごとく終わりを見せ、私はその間を家の中で悠々と過ごす。
 それが今何故学校の会議室の前にいて制服を着ているかだなんて、全くもうそんな理由笑われたっておかしくない。というか実際友だちには笑われた。
 今年、どうやら関東のテニス部主催の『合同学園祭』なる物が開催されるらしい。それは某金持ち集団のカリスマキングが言い出した事みたいだけど、各学校で『実行委員』を決める時に限って私はジャンケンに負けた。しかもまさかのストレート負け。
 こんな事なら内申点あげるためになんて不純な理由で生徒会に入るんじゃなかった!
 会長としての地位はそれなりに有効活用していたし、生徒会活動も嫌ではないけれど、それにしたってこの時期制服を着なきゃいけないのは本当に辛い。
 それでも、そう、まさに不幸中の幸い。
 この山吹中でテニス部で、同じく厄介ごとを押しつけられてそうな人間、そいつは部長をやっているけど、そいつと今から打ち合わせがある。
 すでに実行委員としての合同会議には出席してある程度の説明は受けているし、大まかに言って私がすべきなのはその部長に対する学園祭の説明だ。
 そう、その、テニス部部長。名前は、南健太郎。テニス部の間ではジミーズだなんて呼ばれてるけど実力は確かだし、地味に見えるのは千石などと言うオレンジ頭がうるさい所為だと私は強く思う。あと、阿久津とか後輩に癖がありすぎる気がする。
 まあ、今はそんなことはどうでもいい。
 そんな私は現在南と同じクラスなんだけど、今まで接点なんてほとんど無かったわけで、正直顔すら曖昧だ。いや、覚えてるけれど。
 一度く、と息を詰めて、それをゆっくりと吐きながら戸を開けた。
 すでに会議室にいた南がこっちを見る。
「ごめん、待った?」
「いや、そんなには待ってない」
 教室の電気がついていない所為で、窓からの光が少しばかり逆光気味だったけど、正面から見た南はそんなに悪い顔つきじゃないように思える。立ち振る舞いというか性格が地味……もとい、真面目だから地味に見えるだけだろう。よく考えたら身長だって高いし、体躯も良いし、顔も悪くない。寧ろ、普段の穏やかな笑みと違って、笑ってない時の南は目が大きくて、少しツリ目だ、なんて気付いて、それでも全然怖さが感じられないのがたまらなく好印象だった。
「それにしても、お金持ちの考えることは分からないな」
 少し苦笑混じりな、それでも少し浮いた声。私はそうだね、と自然に笑うことが出来た。
「今回の学園祭のこと、少しは聞いてる?」
「いや、それが情報源が大抵千石のやつでさ」
 千石の名前は山吹にいたら知らない人の方が少ない。良い意味でも悪い意味でも目立つヤツだから。南みたいに性格的な華やかさが無いヤツとは正反対の位置にいる男だ。
 けれどその反面、南を知ってる私は少し優越感みたいなものを抱ける。本当は、南だって格好いいし、実力もあるんだって。そんなことに気付いてる私は、きっと、誰も知らない宝物を、隠れた宝石を、みんなが知らないことを知ってるって。きっと、テニス部の奴らは南の良い所なんて、知り尽くしてるんだろうけど、どれでも。
 落ち着いた声色は優しくて、話したことはなくても彼の性分は簡単に伺い知れる。
「そりゃ信用ならないね。ま、でも相当なお金が動くみたいだから結構なお祭りになると思うよ」
 南との接触はこれが初めて。それでも、存外近い距離に胸がドキドキするのは致し方ないと思う。だって、前から見ていたんだもの。学年が上がる、その前から。
「南くんは派手なの好き?」
 質問すると、
「好きと言えば好きだけど、性分的にはそんなに、かな」
「地味ってわけでもなさそうだね?」
「誰の入れ知恵だ?」
 にやり、笑って言えば、南は恐らく千石あたりだろう、って私でも分かるような素振りで私を見た。こうしてると、全然地味じゃない。寧ろ『普通』。南は本当に、普通の男子生徒なんだって思える。
「ふふ、ナイショ。南君はこの企画は乗り気なの?各学校のテニス部部長は問答無用で部員のまとめ役でしょ?」
「あー……まあ、何とかなると思う。いざとなれば支えてくれる奴らだし、それに、俺って祭りそのものよりもその準備とか好きな方でさ」
「あ、なんか分かる。準備って楽しいよね。お祭りが始まるとそれからは終わりに向かうだけだからちょっと寂しい気もするし」
「へえ、意外だな」
 南の言葉に乗っかると、南は意外そうな顔をした。嫌味に見えないのは南の良いところだと思う。
 なんで、と聞けば、三森さんはこういう祭りって好きそうに見えたから、って言葉がかえってくる。
「いつだったっけ、言ってたろ。夏祭りで綿菓子とかかき氷とか買うのが好きだって」
 その言葉に、私の方が目を丸くする。私の反応を見た南が、クスっておかしそうに笑って
「俺その時結構側にいたんだよな。で、覚えてた」
「南君記憶力良いね」
「普通じゃないか?あ、でもその後夏祭りの醍醐味聞いてたら殆ど食い物ばっかでちょっと笑ったのは良く覚えてる」
「うわ!そんなこと覚えなくても良いよ!」
 南が私の言葉を覚えてくれてたのが嬉しい反面後の言葉には顔を赤くするしかない。穏やかと言うかくすくすって笑う南に、もう、なんて拗ねたフリをして。
「じゃ、記憶力の良い南クンにはこんなプリント渡して説明しなくても一回私がこれを読んだら良さそうね?」
 ぴらぴらと、合同文化祭に向けて、と書かれた紙を南の前で揺らしてみせると、途端に焦ったような声。
「わ、それは勘弁」
 南の性分が穏やかで本当に良かったと思う。阿久津や千石みたいな性格ならまずこんなに話は弾まないと思う。……ま、そもそもこんな所になんて彼らの場合は来ないだろうけど。
「うそ。ちゃんと説明するよ」
 少しおかしくて笑ってけど、南はからかうなよ、って、少し困った顔。
「南君が話しやすい人で良かった」
「そうか?」
「うん。もし実は凄く怖い人だったらどうしようって思ってたから」
 言ってみれば、帰ってくるのはなんだか安心したような表情。
「俺も、三森さんが話しやすい人で助かった」
「これからイイ感じで話し合いできそうだね」
「ああ」
 しっかり頷いて南に、私も笑顔で応えて、プリントを渡す。
 合同文化祭が本格的に開始されるのは後一週間くらい先。最初のミーティングは八月二十日の予定だ。土曜日だし今から予定入れないように釘を刺して貰わないと困る。
 私は実行委員を頼まれた手前、テニス部の面々を把握しなくちゃ行けないんだから。
 原則として日曜日は完全に休日だからまあ、都合がつくとは思うんだけど。
「……なんとうか、まあ、申し分ないくらいに派手だな」
「こんな準備段階の配付資料でさえこれが分かるんだから、これからどんどん派手になること間違い無しだね」
 南に手渡したプリントはB5サイズのが二枚とA4サイズが一枚。B5のプリントは概要とか合同学園祭における注意事項とか制限事項だけど、A4の方は会場地図だ。テニス部主催なだけあってテニスコートがあるのには本当、驚かされる。他にも公園とか、ステージなんかもあるし。
 ステージは、テニス部の出し物、出店ともう一つ、パフォーマンスで使われる物だ。あとは開・閉会式で使ったり。他にも屋外出店スペースには合同学園祭終了後にキャンプファイアーでフォークダンス、だなんて唯一中学生らしい催し物も予定されている。
「ま、こんな派手さに比べたら実行委員なんてホント地味な仕事だけど、でも、今こうしてこの暑い中活動してる分、本番は目一杯楽しまなくちゃね?」
 悔しいけど、でもきっとこの学園祭を楽しむには、今この時からしっかり取り組んで、頑張りが報われるように行動しなくちゃ行けない。
「頼り無いかも知れないけど、私は実行委員に出来ることなら全面的に支援するから。何でも言って」
 どきどきしながら言うと南は少し目を丸くして、それから目を細めて笑った。
「助かる。頼もしい実行委員で良かった」
 なんて。
 その後、三森さん格好良すぎ、なんて言うから、勘弁してよ、と、破裂しそうな心臓を抱えたまま、南の肩を軽い調子で叩いた。
 本当、楽しくやらなきゃ、こんな事なんてやってられないんだから。南が部長で本当に良かった。

(2)

 合同学園祭の準備が始まって暫く。何とかテニス部の顔ぶれを覚えだした頃。
 炎天下の中、屋外スペースに配置されてる山吹中のブースに向かう途中。
 通りかかったテニスコートで、ふと、ボールを打つ音が聞こえてきて、私は何の気無しにそこに立ち寄った。関係者なら誰でも立ち入れる場所だから、部活風景を見学するよりは気兼ねしなくて良い。
 と、そこにいたのは一人で壁打ちをする南の姿で。
 テニスをする南を、いや、ラケットを持った南を見るのは初めてで、テニス部員としての南を見るのが初めてで、私は暫くそこでバカみたいに突っ立って、南が壁打ちをしているのを見ていた。
 山吹の、今回の夏は呆気なく終わりを見せた。それはテニス部のことで。
 今まで全国に行ったと表彰されているのも見てきた。だからそれだけ相手が強かったんだと思った。だって、だらけているはずもないのに山吹が負けるだなんてそのくらいしか理由がない。テニスコートからボールの音が絶えたことなんて滅多にない。テニス部員がテニスバックをぶら下げてなかった日なんて無かった。尤もそれは、私が見てきた南の姿だけなのだけど。
 こんな場所で不意に一人で壁打ちだなんて、やっぱり南は三年間、好きでテニスをしていたんだなあ、と思うと、ふと自分と照らし合わせてしまって、不純な動機で生徒会に入った私とじゃ全然違って、南は格好良いんだ、とかしみじみ感じてしまった。
 だから、不意に南がこっちを見てきた時に私はなにもできなくて
「……三森さん?」
 南がこっちを見て私の名前を呼んで、ああ、なにしてるの、そんなことしたらボールが――
「いっ!」
 ――あたるじゃないの。
 と、それは飽くまで私の頭の中だけの声でしかなくて、南は相手にしていたボールを、その左頬で受け止めてしまった。
 私はテニスのことはよく知らないけど、ボールは硬式。しかも三年間テニスをしてきた、全国級のプレイヤーの弾が当たって痛くないわけ、無い。
「った……」
 地味に顔をしかめて頬に手を当てる南に、私はようやっと身体を動かすことが出来た。
「大丈夫!?」
「あ、うん。幸いにも歯が欠けてもいないし」
「もう、そうじゃなくて!早く保健室にいこ!」
 ぐい、と、何か放心しているような南を放って、私はその手を取る。南は私よりも大きいけど、初め両手で引っ張ると、やっとその身体が動き出した。
「へ、あ、三森さん?何か俺に用が」
「ブースに行こうとしてたけど、南君のが先でしょ!なにぼうっとしてるんだか!」
 ついつい、言葉がきつくなってしまう。と言うか、地味に派手な大ポカをされたこっちはもしかして私が立ってたからじゃ、とか言う罪悪感に苛まれて、ああこれじゃただの八つ当たりじゃない。
「いや、だってなんか視線を感じたら三森さんが」
「……分かったごめん。私が悪いのは分かってるからお願い、それ以上何も言わないで」
 南自身に指摘されるだなんて、本当、参った。
 保健室に入っても誰もいなくて、取り敢えず南をベッドの端に座らせる。
 適当にあら探しをしてタオルを取りだし冷凍庫から氷をがしゃがしゃとたらいに突っ込む。キンキン冷えてるそこに水を入れて、タオルを突っ込んで、絞る。
「じっとしててよ」
「あ、うん……っ」
 息を呑んだ南は無視。かなり冷たいけど、早く冷やさなくちゃ酷いことになるだろうし。これが捻挫とか、そう言う怪我じゃなくて良かった。私には手に負えないし。
三森さん、俺、当ててるくらいなら自分で出来るからさ」
 ふと、南がタオルを当てる私の手に、自分の手を重ねて、その暖かさを感じた瞬間、私はその距離を自覚した。
 ――近すぎる。
「っあ、わ、ご、ごめん!」
 頬に当てるのに南の肩にも手を掛けていて、怪我のことでその他のことが頭から飛んでいた。完全に。
 明らかにぎこちなく南から離れて、でも南に隣をポンポン叩かれてそこに座って、それから沸騰しだした顔の熱を隠せもしないで、私は取り繕うように腕時計を見た。
「……ブースに行くの、ちょっとくらい遅れても良いよね……?」
 南をちらっと見て言うと、
「いや、俺は少しここで冷やしていくから、三森さんはブースに行けばいいよ。何か連絡があったんだろ?」
「え?いや、そうじゃなくて……寧ろ何か手伝おうとしたんだけど……。まさか、手伝うどころか邪魔をすることになるなんて最悪って感じで……」
 思い出すと自分の配慮の無さに涙が出る。これで千石とかならまだ何バカやってんの、くらいは言えたに違いないから。
「そんなこと無いって。俺の不注意なんだし」
「や、でも私があそこに立ってたからでしょ。原因は完全に私じゃない」
 溜め息混じりに南の言葉を否定してみせれば、少しの間沈黙があって
「……なんか、三森さんが生徒会入ったの、納得したな」
 とか言うから思わず
「へ?」
 と、間の抜けた声を出すしかなかった。
 南は頬にタオルを当てたまま、微笑んでいて。
「だって三森さん責任感強いじゃないか。生徒会長なのもうなずけるよ」
「う、知ってたの」
「同じクラスメートが立候補したら、そりゃ」
 少しだけ肩を竦めて笑う南は穏やかで、さっきとは違う穏やかなどきどきが私の身体を巡る。
「テキパキしてるし、どっちかって言うと引っ張っていくタイプだよな。しっかりしてるし、与えられた仕事だって嫌がらずに何でもさっさとやっつけていくタイプだろ」
「……否定はしない、けど」
「やっぱりな」
 ズバリと当てて見せた南は、こんな何でもないことでとびっきりの笑顔なんて見せて、完全に南のペース。少し悔しくて、それに美化されるのも嫌だったからさっさと本音を語ってしまう。
「……南君が思ってるほど、いい人じゃないけど。元々内申点が欲しくて立候補したんだし。……だから、私よりもよっぽど、南君の方が面倒見良いと思うけどね」
「へ?」
「癖の強いテニス部の部長なんだし」
 今度は立場が逆転する。目をぱちくりさせる南に私は笑う。
「……そうか?俺、面倒見てるとか、そう言う感じはないけど」
「周りからはそう見えてるよ。千石君とか阿久津君とやってこうなんて並大抵の器量じゃ出来ないもん。少なくとも私は勘弁して欲しいし」
 言えば南は笑う。珍しいな、って言って。
「どうして?」
「だって、大抵の女子なら、嬉しがるだろ?千石が居るんだし」
「冗談止めてよ。あんなの相手にしてたら直ぐに疲れるに決まってる。……ま、阿久津君と千石君抜きなら良いかも知れないけど」
三森さん、千石のこと嫌いなのか?」
「え?あ、ううん、寧ろ」
 南はテニス部の部長で、なんだかんだ言ってもテニス部は仲が良いって評判のクラブで、きっと南は千石とも仲が良いんだろう。合同学園祭の準備が始まって以来、仲が良いのは知っているけれど、きっと私が知る以上には。
「……寧ろ?」
「な、んでもない。千石君のことは好きでも嫌いでもないよ。……タオル、そろそろ外してみて」
「あ、うん」
 思わず、言いかけた言葉は奥に引っ込める。千石のことは嫌いじゃない。相手にしたら疲れるだろうけど友だちになれたらきっと楽しいんだと思う。だけど私が好きなのは南だし、千石は恋愛対象にならないだけ。
 ベッドから降りて南の正面に立つ。タオルを外した南の頬は赤かったし、まだ少したまの赤い跡が残っていた。
「……ちょっと、触るよ?」
 断って、南の頬を包んで、少しそこに触れる。南は少し痛そうにしたけど、冷やしたお陰で麻痺しかかってるのかそこまで酷い反応じゃなかった。
 触ってみた感じ、そこまで酷くは腫れていないようだし、これなら湿布で良いかも知れない。
 私は南からタオルを受け取ると、少し洗って、近くにあった物干し用の器具に干しておいた。またあら探しをするように湿布を探して、南の頬に貼る。
「……あれ?南君顔赤いよ?」
「へ?あ、そうか?」
「うん。あ、そっか、運動してたんだし熱残ってるよね。これ以上此処に居たら身体冷やすし、もう出ようか」
 促すと、南はこくこく頷いて立ち上がった。ラケットも握ったままで。テニスコートに置きっぱなしの鞄を取りにいかないと、と言う南に付き合って歩き出す。
「南君はホント、テニス好きなんだね。……誰か誘えば良かったのに」
「ん……みんなそれなりに練習してるよ。もともと俺らは部活以外だと自主練傾向にあるし。俺の夏は終わったけど、やっぱ好きだったから、さっきは壁打ちしてたんだ」
 少しだけ、南の笑顔か寂しく感じられるのは、南が夏に込めた思いの所為なんだろうか。私は多分、その少しも理解してあげられないけど、テニスが好きだというのだから、夏が終わったことはきっと、悲しかったかも知れないし、悔しかったかも知れない。
「ふぅん……じゃあ、特別『練習!』てワケじゃない?」
「まあな。練習にはなるけど、時間があったし、手持ち無沙汰でさ」
 誤魔化すように頬を掻く南に、私は良いことを思いついた。
「……それじゃ南君、私に今度、テニス教えてよ」
「え?」
「練習には全然ならないかも知れないけど、ちょっとした時間つぶしくらいにならなれるかも知れないし」
 笑って言うと、南は暫く目をぱちくりさせて、
「……ありがとう。ラケットは俺の貸すから、今度付き合ってくれるか?」
「勿論。私に出来ることなら何でもやるって言ったでしょ」
 無論、南限定だけど。
 そんな言葉はちゃっかり奥に仕舞っちゃって、私は満面の笑みで、南に応えた。
 私が教えてって言ったのに、付き合ってくれるか、なんて、本当、南らしいよね。

(3)

 合同学園祭の準備が始まって少し。
 普段はある位置に感じるはずの物が無くて私は少し焦っていた。この期間中は欠かさずに持っていた、ある物。
「――今日の作業はこれで終わりね。これ以上するとロック時間に引っかかりそうだから、片付け始めて」
 少しばかり早口になったけどそれは目を瞑って欲しい。自分でも言ったけど、ロック時間までに見つけられるか不安だから、実のところはさっさと探しに行きたい。落とした場所は分かってる。あらゆる機材や道具を置いておく倉庫の中だから。
「分かった。……三森さんは?」
「ごめん、今日は少しやることがあるんだ、少し急いでるから手伝えないけど、ごめんね」
 南に問われて、私は顔の前で両手を合わせる。すでに足は倉庫がある屋内ブースの方へと向かっていて、幾分か失礼な私の態度にも南は全然気にした様子もなくて、片手をあげてくれた。
「いや、いいよ。今日はお疲れ」
「うん、お疲れ」
 ひらひらと手を振って歩を早めると、南の脇にいたテニス部の後輩、壇君が声を掛けてくれた。
「帰りは気をつけて下さいね、先輩」
「ありがとう」
 中学一年とは思えない気配りに感謝しつつ、きっちりとその行為を受け止められないことが少し残念で。
 それでも時間というのは過ぎ去っていくものだから、私は最終的に駆け足で倉庫へと走った。
 無くしたのは、この期間中いつも胸ポケットにさしていたボールペン。デザインに一目惚れして衝動買いしてしまったものだけど、ボールペンのわりには少し値が張ったから、絶対に見つけたかった。もしかしたら誰かに拾われてるかも知れないし、ボールペンだから気軽に持って行かれているかも知れないけど、倉庫の使用頻度は高くないはずだからまだ何処かに落ちている可能性の方が高いし。
 無くしたのに気付いたのは山吹中の屋外ブースに着いて機材の追加の確認をした時。慌てたけど壇君がシャーペンを貸してくれたお陰でその時は事なきを得た。
 その直前、実行委員合同ミーティングの時は確かにあったし、その後跡部に荷物運びを押しつけられて倉庫に行って、屋外ブースに行って気付いたって経緯だから十中八九倉庫に落ちてるはず。
 祈りにも似た切実な気持ちで倉庫に駆け込み、物が積み上がってる所為で照明の意味を成さない照明をつける。倉庫の中は静かで、落ちているとすれば床なんだろうけど、携帯のライト機能を使えば何とか見つけられると、そう思いたい。
 倉庫の中をウロウロしていたわけではないし、跡部から押しつけられた荷物は入り口から見て右手奥だったから、そこまでで落としていないか探し始める。
 少し埃っぽいのもあるけど、直に人がまばらになってくる時間で、扉は開けっ放しにしてあるけど、外からの雑音ももう少ない。
 嫌にしんとしていて、少しだけ、早くここから出たい気持ちが芽生えた。
 ボールペンはどこに行ったのか、なかなか見つからない。床に落ちてるなら一発で分かるはずなのに。
 もしかしたら簡易棚の床との隙間に入ってしまったのかも、なんて思って、私は床に這い蹲りながら探した。隙間は狭くて、少しばかり見つけにくい。
 それでも何とかその隙間に挟まったボールペンを見つけられて、私は本当に嬉しかった。それは多分誰かが知らずに蹴飛ばしてしまったのかも知れない、少し奥まった場所に転がっていて、何とか棒きれのような物を使って私はボールペンを手にすることが出来た。
 ――よかった。本当に、良かった。
 しみじみ思いながら携帯を見ると、直に六時になる。急いで出ないとロックされてしまう時間だ。
 私は慌てて簡単に制服に付いた埃を払うと、やってきた時のように走って会場を後にした。
 後にしたは、良かった。
「……みな、み、くん」
 会場の門の所に、よく知る一つのシルエット。白い学ランに黒い頭。テニスバッグを肩から提げて立っていたのは、紛れもない南だった。
「あ、三森さ……ん。……どうしたんだ、そのカッコ」
「――……うわっ!」
 南は私に気付くと少し口元に笑みを浮かべながら応えてくれたものの、私を見るなり驚いたように私を指差した。
 自分を振り返ってみれば、さっきは倉庫の中で暗くて気付かなかったものの、制服には払いきれなかった埃がくっついていたり、それどころか汚れていたり、ああこれは間違いなく親に怒られる、なんて思ってたら、南は何処かの掃除でもしてたの、って聞いてきた。
「あ、いや、実は今日ボールペン落としちゃって、って言ってたでしょ。あれを探しに倉庫まで行ってたんだ。一応埃は払ったと思ったんだけど……」
「……そっか、ならもう少し払った方が良いな。流石にそのカッコで家には帰れないだろ」
「まあ、ね」
 言うと、南は公園まで行こう、なんて言い出して。私は目に見える範囲での埃を取りながら、南の後を歩いた。
 どうやら、南は私が思ってるよりもよっぽど優しい人のようで。
 公園に着くなり私をベンチに座らせると、自分はタオルを一枚取りだして、水で濡らして固く絞って、それで顔と制服を拭くように言ってきた。
「や、でも汚れるし……」
「元々タオルは汚すための物だろ。いいから使って。流石に俺が三森さんの埃払うわけにはいかないし」
「……ゴメン、洗って返す」
 申し訳なく思いつつ、それでもタオルを受け取ると同時に
「そう言う時は有り難う、な。別に良いよこのくらい、何でもないことだろ?」
 なんて、南がおかしそうに笑うから、そっか、そうだね、ありがと、って言いながら顔を拭いた。
「うわー凄い生き返る」
 埃っぽかったせいか、顔を拭いたらヤケにスッキリした気がする。タオルが冷たい所為もあるかも知れない。今年の残暑も厳しいし、それは今の時間、夕方でも変わらないから。
三森さんオヤジくさい」
 なんて、そんな私の気持ちを邪魔するように南が言うから、実はショックで一杯になりつつも、私は南を睨んでみた。
「……南君、これだけは言わせて貰うけど、それじゃ女の子にはモテないよ」
「え、ホント」
「ホントホント」
 別に、私は、南以外の男子に言われたって、平気だけど。どうしてよりにもよってその南に言われちゃうかなあ!
「あ、そう言えば南君はどうして門の所に立ってたの?待ち合わせなら不味いんじゃ……」
「あー……それね」
 ふと、浮かんだ疑問を口にすると、南は少し歯切れの悪そうに視線を泳がせた後
三森さん、待ってたんだ」
 なんて、そんなことをいうモノだから。
「……えぇ?」
 と、私は自分でも失礼だろう、と思えるような疑いの声を挙げてしまった。
「え、だって、もし私が帰ってたらどうするつもりだったわけ?」
「どっちにしても、ロック時間までは待ってるつもりだったし……。仮にロック時間過ぎても三森さんが門をくぐらなかった場合は、一人で帰ったよ」
 南の言葉に、私は開いた口が塞がらないのを南のタオルで隠した。少しにやけていたって言うのも、あるんだけど。
 それで嬉しいのに不意に南のタオルから柔軟剤の匂いがして、ああ凄く良い匂いだなーなとか思ってこれ柔軟剤何使ってるの?、だなんて何処かのCMみたいな事を聞きそうになったのをグッと堪えて、
「……南君、それはとっても損な性格だって気付いてる?」
「言うな」
 返ってきた、自覚はしている、と言うような言葉に少し笑ってしまった。
「でも南君が損な性格で良かった」
「え?」
「だって、こうして助けて貰えたし」
 危うくあんな小汚い格好で家に帰って親にこっぴどく叱られるところだったもん、なんて言ってみたら、南は、俺は大したことして無い、とか何とか言っちゃって。
「……有り難う。凄く、嬉しかったよ」
 言おう、って決めたら途端に照れくさくなったけど、しっかりと伝えたい言葉は伝えて南を見ると、南はとんでもなく面食らったような顔をして、それから真っ赤になって、どういたしまして、なんて、小さな声が返ってきた。

(4)

 たまには食堂で食べるのもいいかも。
 私はそう思って、いつもそれなりの賑わいを見せるそこまで足を運んだ。肩に引っ掛けた鞄の中には作ってきたお弁当。
 誰も作ってくれないから――というかまだ夏休みでそもそも誰も起きてこないから――私は一人でお弁当を作るようになってしまった。
 何かと動くから、なんて理由で少し大きめの二段弁当にご飯と、目一杯のおかずを入れて、私はなるべく日よって場所を変えながら食べるようにしていた。
 というのも既に一度、千石に見つかって見事におかずを奪われてしまったからだ。できるだけ人気のない日陰で食べるようにしているけど、たまには食堂で食べてもいいかな、なんて思って、だってよく考えたらどんな場所にでも千石は現れそうだったし、諦めも手伝って私は人気のあるその場所へとこうして向かっている。
 食堂の一角に陣取って、一人でテーブルを占拠するなんて贅沢だな、とか思いながら、包みを開けた。
「あれ、三森さん」
 お箸を取ったところでお膳を持って立っている南が姿を現した。座る?って聞けばありがとうって言いながら南が私が占拠したテーブルにお膳を置く。南が食べようとしているのは冷麺で、けれどその量が明らかにおかしかったから私は思わず指を指してしまった。
「南君、それ」
 私の態度に何が聞きたいのかわかったらしい南は、私の前の椅子に座りながら、あー、なんて、ちょっと苦笑気味の返事をよこして
「さっき千石にちょっとな」
 とか、そんなことを言うものだから、またあいつか、なんてため息が出た。
 南の冷麺はどう考えても少なくて、綺麗にトッピングされていたはずの具材もすっかり麺の上で散らかっていた。
「ホント、損な性格だよね。千石君のごり押しで食べられちゃったんでしょ」
「はは、あいつは放っておくほうが余計厄介なことになるから」
 苦笑の中にも、絶対に千石に対する嫌そうな気持ちは見えない。南はきっと、こういうことは日常茶飯事になっていて、端から受け止めてしまっているんだろう。当然のこと、なんて思っているのかもしれない。でも、冷麺を買ったのは南で、きっと千石はお金も出していないに違いない。見たところ半分くらいは減っているはずだというのに。
「そんな南君に、三森さんからいいお知らせがあります」
 なぜだか私のほうが怒ってしまいそうになったものの、それをこらえて、人差し指を立てた。南は当然ながら不思議そうに首を傾げて私を見る。
「なんでも、見かねた三森さんが、お弁当を分けてくれるそうです」
 どんな反応がくるか少し楽しみにして言うと、南はこれ以上ないまでに素っ頓狂な声を上げて
「いいって、悪いし。……三森さん、食べるからそんなに作ったんだろ」
 なんて返してくる。一度南には自分でお弁当を作っていることについて愚痴をこぼしたことがあったから、それを覚えていたのかもしれない。まったく細かいことばかり覚えている人だ。そこが好きなところでもあるんだけど。
「あのね、確かに食べられないことはないけど、あんまり私が大食いって思われるの、嫌なの。わかる?」
 きっと分かんないだろうなあ、と思いながら言えば、やっぱり分かってなさそうな顔で。なんでもないからとにかく食べて、って促せば南は分かったって返事をした。
「実は私もこの前千石君にお弁当少し食べられちゃってさあ」
「!あいつ三森さんにまで迷惑かけてたのか!?」
 ささっと顔色を悪くした南に、もう済んだことだから別に気にしてないけど、なんてフォロー。
「南君の今の心中お察しします。だから、食べてくれないと南君のこと嫌いになっちゃうから」
「へ!?」
「女の子の善意を無下にしちゃう人は、嫌われて当然です」
 全くそんなことできないって分かりきってる嘘を吐いてみれば、明らかにあせったような南の表情が飛び込んでくる。
「参ったな……」
 本当は私と南の関係ならそんなこと言う筈ないけど、南は優しいからそう言ってくれたんだろう。
「観念した?」
「ああ、完全無条件降伏って感じ」
 笑って、南は冷麺を食べてから私のお弁当に箸をつけた。
 口に運ぶ度に美味い、なんて言うから、昨日の残り物だよと返す。
「この卵焼きも?」
「あ、それは朝私が焼いた。だし巻きなんだよね」
「へぇ、美味いよ。辛くないし」
「だしの中に塩と、それの二倍くらいの砂糖入れてるからかも」
 南はそのダシ巻きをいたく気に入って、結局三分の一くらい食べて、ご馳走様と食事を終えた。
 丁度そのとき壇君がやってきて、作業の方は一区切りついてて今は丁度お昼休みみたいな時間だし、おかずはまだ余っていて、私は壇君に残りを勧めてみた。
「壇君、ちょっとおかず食べない?」
「ええっ!いいんですか?」
 驚いた様子はそれでも嬉しさが見え隠れしていて。育ち盛りで食べ盛りで、その上テニス部なんだしたくさん食べるんだろうなあなんて思った。
「ハイ、お箸。口つけちゃったけど」
「!?」
「……三森さんちょっと待った。壇、俺の箸あるからこっち使え」
 南の思いがけない言葉に、気にしなくていいのにって言えば、だめです、なんて返ってくる。私は本当に気にしなかったけど、壇君も同じとは限らなかったからそこで引き下がった。当の壇君本人も南の使っていた割り箸で私のお弁当をつついた。
「全部食べていいよ、壇君」
「わぁ……有難う御座いますっ!でも……」
 壇君は歯切れ悪く言葉を切って、ちらりと南を見た。どうかしたって聞けば南は片手で顔を覆って
「壇、何も言わなくていいから食わせてもらえ」
「南君とわけっこしたところだから、部活の先輩に気兼ねしなくてもいいよ?」
 私も南の言葉に続いて促した。
 すると南は酷く心外そうな顔をして
三森さん、俺、部活じゃ後輩いびってる怖いヤツに見える?」
 なんて言われて、私はその言葉の意味を理解するのに数秒かかってしまって、ぱくぱくとお弁当の残りを食べてしまう壇君が不思議そうに私を見るのにも構わないで、それからいつもより大きな声を出してしまった。慌てていたんだと思う。
「そんなことないよ!いや、もしそうだったらちょっと南君を見る目変わるけど……」
「まさか。厳しいとは思われても怖いなんて思われてたら俺すげーショックだよ」
 肩を竦める南に、私は少し肩身が狭くて、他意は無かったんだけど、って零した。そんな私を見て、何を思ったのか、壇君が不意に口を開いた。
「先輩先輩、南先輩は優しいです!いつも細かいところに気が付くし、僕なんてホントまだまだですけど、南先輩はいつも励ましてくれるです!僕がまだマネージャーの仕事だけしてた時も、たくさん手伝ってくれたです」
 そう言って、ご馳走様でした、なんて笑顔で言う壇君は本当に良い笑顔で、ああ、こんな子が側にいたら凄く癒されるなあ、とか、そう言う場違いなことを考えた。
「壇君は南君が好きなんだね」
「はいです!テニス部の先輩達はみんな優しいですから」
 思わずこっちまで笑顔になってしまうような元気さで、壇君は答えた。それから、御免なさい、僕少し行くところがあって、失礼しますね、って、お辞儀をしてきたから、私と南はお互い手を振ってそれを見送った。
「あんないい子に好かれてたら幸せ者だね、南君」
三森さん……それ、普通女の子の場合に言う言葉じゃ……」
「そう?南君、思いがけず千石君に毒されてきてるんじゃない?」
「ぐ」
 そんな会話をして、あながち間違いではないのかも、なんて顔で言葉に詰まるから、私は少し笑ってしまった。
「南君は今のままで十分素敵なんだから、千石君みたいにならないでよね?」
 笑いながらそう言うと、南はあからさまに照れたように顔を赤くして、気をつけるよ、と、溜め息混じりに答えた。きっと当の千石は、今頃誰かのお弁当のおかずをくすねているに違いない。まあ、それで私が南と一緒にいられるって言うんなら、悪くはないのかもね。

(5)

 準備が始まって今は夏休みも終わりに近い。
「――連絡事項は以上だ。ちんたら残ってねーでさっさと帰れよ」
 そしてこの合同学園祭主催者でもある某お金持ちカリスマトップ、跡部が言った後、合同ミーティングは解散になった。
 これは全てのテニス部の活動時間が終わってから簡単に行われるものだから、もう会場には誰もいない。オートロック機能が付いているから、会場の中に残って鍵でも掛けられたら翌朝まで此処に居なくちゃ行けないからだろう。みんな跡部に言われなくともさっさと帰っている。
 西日が強くなって、私は少し汗を拭いた。山吹の制服、他校は可愛いって言うけど、下手に白い所為で汚れが目立つのが難点だ。スカートのポケットの中には小学校の頃にはなかったハンカチを入れる習慣が付いてしまった。
 尤も、夏場は専ら、タオルを肩に掛けてるのだけど。オッサン臭いって言ったのは誰だったっけ。
「……あれ、三森さん?」
「ん、南君。何で残ってるの?……あ、テニスか」
 会場入り口付近にある公園を横切っていると、不意に声を掛けられて、最近本当に良く聞く声だったから振り返らなくたって誰だか分かってしまった。
 南の出現を疑問に思って口に出したけど、すぐに南は肩に掛けてたテニスバックを一度あげて見せたから、何で残ってたかなんて直ぐに分かってしまった。
三森さんは今帰り?」
「うん。南君は?」
「俺も。……って言いたいけど、まだ大丈夫そうだから、東方の見舞いに行くつもり」
 まだ、と言うのは多分面接時間のことだろう。南の相方でもある東方は不幸なことにこの学園祭を前にして盲腸で入院してしまったらしい。全く災難な事だ。
「ふぅん……私もついていこうかな」
「え!?」
「……何その反応、やっぱり部外者が居ると不味い?」
「い、や、そうじゃないけど……」
 少し困ったように言う南はホントに少し切羽詰まった感じで困っていて、
「……東方君の容態、もしかして物凄く悪い?」
 少し、嫌なことを聞いてしまった。もしそうなら本当に、私なんて部外者が行くわけにはいかない。個人的に、折角テニス部員の顔と名前を覚えたんだから、残すところは東方君のみで、だから一度会ってみたいと思ったんだけど。この学園祭が終わればこうやってテニス部に関わる日は来ないだろうし。
「へっ!?いや、そうじゃないよ。手術はしなくても良いみたいだし、薬でちらせるって」
「なんだ、良かったね。で、さっきの反応はどう説明してくれるの?」
「ん……」
 ずずい、って感じで迫ると、南は少し言葉を詰まらせる。これは今まで話をしてきた中でも珍しい現象かも知れない。
 暫く間を置いて、南は一つ息を吐いた。
「ホントに何でもないよ。三森さんさえ良かったら、一緒に行こう。帰りは送るから」
「え?別に良いよ」
「駄目だって。最近このイベントの準備で結構色んなヤツがうろついてるらしくて、日が暮れたら危ないって再三聞いてたろ?」
 言葉の強さが、南が意志を曲げることはないと告げているけど、私が勝手に東方の見舞いに行くと言っているのだから南にそれ以上の責任はないと思う。
「大丈夫だって」
「だ・め・だ。言っておくけど、これは譲らないからな。大体、女子一人で帰らせるとか格好悪すぎだろ」
 なんて、珍しくキメちゃう南に、でもそれもそうか、とか思う。
「……そう?」
「そうだよ。俺に華持たせると思って、諦めてくれ。あ、彼氏とかいるならべ」
「いや!そんなの居ないってホント!」
 言葉を遮ってまで力強く否定すると、南はくすって吹き出して
「そこまで否定すること無いのにな」
「や、だってホントだし……。まあ、送ってくれるなら、お言葉に甘えちゃおうかな」
「うん、そうしてくれ」
 なんて。そんな言葉でさえも優しくて、心の奥底があったかいけど、くすぐったい。気を使ってくれているのは南なのに、その配慮がまるで当然だって言わんばかりで、実は南って、本当に器が大きいのかも、だなんてそんな贔屓目に拍車がかかってしまう。
 それで、行こう、と促されて肩を並べる。道を歩く時でさえ、車道側を歩いてくれる南に、ああもう、こんなことにでさえ嬉しく感じてしまうなんて私相当やばいんじゃないなんて、幸せ一杯の癖に自分に問い掛けてしまう。
「南君こそ、彼女は?」
「……いないよ。わざと言ってる?」
「まさか!」
 南に参ってるなんて、学期末に発表される伝達表彰の時から知ってたのに。表彰される姿を見て、ちょっと落ち着かなさそうにして、それでも少し照れたみたいにしてダブルスペアの東方君と嬉しそうにしていたのだって、見てたんだから。
 見てるだけだったのが、同じクラスになって、しかもこんな風にして話せるようになるなんて、思ってもなかった。
「あ、そうだ、三森さん。良かったら、携帯のアドレス教えてくれる?」
「え?」
「その、連絡のこととか、そりゃ、連絡網は持ってるけど、自宅には掛けづらいだろ。メールの方が気軽だし」
 しどろもどろに言う南の顔が赤いのは西日に照らされているからだけじゃない、と思う。そりゃ、南のタイプからしたら、女子から携帯のアドレス聞くなんて何処か違う世界の話かも知れないだろう。
 その、南が。
「……いいよ。何か聞きたいことがあったら、気軽に連絡して」
 南にとっての私の立ち位置は、結構深いって事で良いのかな。そう思いながら、私の方が打つの早いから、って、南から携帯を受け取る。アドレスと電話番号を登録して、直ぐに南のアドレスに向けてメールを送った。
「ぷ」
 そこで、気付いてしまった。
「南君、これ、気付いてないでしょ」
「え?」
「南君のプロフィール、ふりがなが『ジミーズ』になってるよ」
「なっん、」
 私が示して、南がかがみ込むようにそれを見て、千石のヤツ、って呆れたように、少し震えた声で呟いた。直後、私が送ったメールを受信したのか、受信画面に切り替わる。
 南に携帯を返すと、南の大きな溜め息が道に響いた。
「なかなか地味なイタズラだよね」
「……三森さん、それ、わざと地味って言ってるだろ」
「あ、ばれちゃった?」
「とっくに」
 なんて、呆れ顔の南。その後直ぐに、でも千石より悪意がないのは分かる、と言うフォローが入って、本当に南は優しいなあなんて思って笑ってしまった。
「へえ、三森さんの名前、って言うのか」
「うん。南君の名前は健太郎でしょ。格好いいね」
 すこし、少しだけからかうつもりで言ってみたのに。返ってきたのは、少し真面目に、顔を赤くした、南の顔で。
「……じゃ、今度からそっちで呼んでくれる?」
「え」
 一瞬、南の言葉が理解できなかった。そっち、って?
「格好いい名前で呼んで貰った方が、嬉しいし」
「う、うん。えっと、け、健太郎、くん」
 言われるがままに呼ぶと、くんも要らない、とか、あれ、これ、南だよ、ね?
「えと、健太郎」
「……うん、なに?」
 顔は赤いままなのに、少し嬉しそうな、照れたような顔で微笑む南は本当に、なんというか、犯罪じゃないだろうか。
「え、っと、じゃ、私も、名前で、いいから」
 なんだろうこの展開。え、これは、期待しても良いんですか、そうなんですか、とか神様なんてものに問い掛けてみる。
、ちゃん」
「やだ、ちゃん付けなんてしなくて良いって」
「……じゃあ、、な」
 照れたような顔――あ、これが俗に言うハニカミってヤツかも知れない――で名前を呼ばれて、ただでさえ南の声は心地良いのに、思わず、足から溶けて行くかと思ってしまった。
 それでも東方君の居る病院に着く頃にはそれなりに慣れてしまっていて、安心したのも束の間、南は私のことを東方君に言ってたらしく、いろいろ聞いてる、なんて聞いた時には顔から火が吹き出るかと思った。それはまあ、南も同じみたいだったけど。南がお見舞いを渋った理由は、このことだったのかも。

2007/12/12 : UP

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