学園祭の王子様?
スーツの話
教授の声と共に講義が終わって、私はおざなりに友だちと別れを告げて教室を出た。そのままロッカーで靴を履き替えて外に出ると、キャンパス内で東方が歩いてて声を掛けてくれた。「よ、三森」
「やっほ」
何かと授業の取り方だとかが似てる東方とはもしかしたら普段南よりも話しているかも知れない。
「今帰りか」
「うん。そっちは」
「俺ももう講義終わった」
東方の身長は南よりも高くて、見上げながら寒くなったね、なんて話し出す。
「今日は南と何処か行くのか?」
「ん、何処かって言うか、この後会う約束してるよ」
「そっか、長くなるよな」
東方はそう言って、笑う。
南と付き合ってから五年目の、冬。
お互い進路の関係でなかなか時間を合わせて会うことは難しいけれど、それでも都合がつけば頻繁に付き合いを続けてもう、二十歳になった。
「東方も長いじゃない」
「そっか?」
「うん」
東方に彼女が出来てからももう長いはずだ。それでも東方は少し照れながら首を傾げた。
「だめだよ、ちゃんと捕まえておかなきゃ」
「うわー、耳に痛いな。でも、俺もこの後会う約束あるし」
「あ、そうなんだ」
「ああ。南こそ、ちゃんと捕まえてるのか?」
少し肩を竦めて東方は言う。南の真面目さを指して居るんだろう。人によっては、南の真面目さは堅苦しさとも言えなくもない。
「大丈夫。あんまり積極的じゃないけど」
「ふぅん?なんなら、三森の方から積極的になったらいいのに」
「そうだね……。と言うか、二十歳にもなって一回も家に泊まったりしたこと無いってどうなの」
「あー、まあ、南は真面目だからな」
ほうら、東方だってこういうくらい、南は真面目だ。
大切にされてる自覚なら勿論ある。
人によってリズムはあるかも知れないけど、それでも、こう、期待している気がないワケじゃないし。私達の関係は幸か不幸か清いままだった。お陰で親にも心底信頼されてて、なんだかなあ。
「それだけ、大切にしたいってやつじゃないか?」
「……ん。分かってるつもり、だけど」
「たまには手を出して欲しい、か」
「東方のがその辺分かってるじゃない」
「女心、ってやつ?」
「ふふ、この際ちょっとからかってやろうかな」
弾む会話の中で、おいおい程々にしとけよ、なんて東方が釘を刺す。大丈夫だよ、と私は返して。
「今日はね、健太郎の家にお邪魔することになってるから、頑張ってみる」
お酒も煙草も浮気もしないで今までやってきたんだから、ちょっとくらい、良いよね?
そんな気持ちで言えば、おう、頑張れ、なんて言葉が返ってくる。
「東方もあんまり女の子を不安にさせるようなことしないように、あと、しなさすぎて不安になるのもアウトだからね」
「はは、善処する」
途中で東方と別れて、南の家まで直行する。今日南は授業を早くに終えて、スーツで塾講のバイトに行ってるはずだから、スーツで帰ってくるはず。
いつもスーツ姿を見られるのを嫌がる南の写メでも取ってやろうか、なんて考えるけど、それは悲しいことに出来なくなった。
「……景……」
「あ、健太郎、おつかれ」
「え、ちょ、ゆっくり来いって言わなかったっけ!?」
すぐさま嫌そうな顔をする南は、やっぱりスーツ姿で。
「健太郎、スーツ格好いいね」
言えば、少し顔を赤くした南があんまり見るな、と言ってくる。
兎に角入って、と促されてお邪魔すると、部屋の明かりは消えていて、不思議に思って少し固まっていると、先に靴を脱いだ南に
「今日親遅いんだよ」
言ってなかったっけ、なんて言われて、それこそ聞いてないよ、と思いながらも家に上がらせて貰う。
「先部屋上がってて。暖房ついてるはずだから寒くないと思う」
「……スーツは脱がなくても良いからね?」
「ばか、着替えは部屋じゃないと出来ないだろ」
苦笑と一緒に返されて、そうだ、付き合いだしたばかりじゃ出来なかったそんなやりとりも出来るようになった。今思えば、当時の南は『頑張って』居たんだろう。今の、肩の力を抜いた南の方が勿論好きだけれど、案外南も同じように考えているのかも知れない。
前に南が言ったように私は人がよいとは言えないし、責任感も強い方じゃないし、初めは幻滅されたらどうしようなんて怖がっていたっけ。
東方や山吹中の面々の助力もあって、上手い具合に自然な関係になれていると思う。
南の部屋を開けると、こざっぱりとした綺麗な部屋が視界一杯に広がる。積み上がったテニス雑誌だけは不釣り合いなくらいで。
私は南には黙って、そのテニス雑誌の下の方から、山吹中テニス部を取材した時の記事がある号を探して引っ張り出した。初めて南の部屋に来た時に見つけて以来、私はこれを見るのが習慣になっているような気がする。
「お待たせ……景、何見てんの?」
「山吹中の取材記事」
「またかよ」
スーツ姿のまま、片手に鞄、片手に温かいお茶がのってるお盆を持って南は私の側の机の上にそれらを置いた。それから上着だけを脱いでハンガーに掛け、ネクタイを緩めながら私の横に座って、私は南の肩にもたれて記事を見せる。
「ふふ、健太郎若いよね。半ズボンだよ?」
「今でもテニスする時は半ズボンになるけどな」
少し笑いながら、どうしてもこぼれ落ちる笑みを止められなくて。
「うん、でも、今の南も好き」
「そりゃどうも」
中学時代よりも少し低くなった、でも穏やかなままの声が耳に落ちて心地良い。
そのままどちらともなく黙り込んで、私は雑誌を閉じて、東方元気にしてる?と聞いてきた南に、元気元気と答えて。
南の顔を見上げれば顔が近づいてきて、そのまま触れ合うだけの、ゆっくりしたキス。
「……なんで俺彼女と会ってんのにダチの事聞いてんだろ……」
顔を離しての第一声に、私は少しばかり声をあげて笑った。南もそれに口元に笑みを浮かべて、また、キス。でも触れるだけ。
「健太郎、スーツ着ると変な感じ」
「え?」
「大人っぽくて、吃驚しちゃった」
いつの間にかネクタイの締め方なんて覚えちゃって、と言えば、ぽかんと口を開けたままの南が目に入る。それから、頬を染めて。
「……俺、大人っぽく見えてる?」
「え、うん」
頷けば、盛大な溜め息と後によかったと、声が漏れた。
「どうしたの、健太郎」
「や、うん。なんでもない」
「なんでもないことはないでしょう」
明らかになんでもなさそうにして。
問い詰めれば、いとも簡単に南は白状し始めた。
「や、俺スーツ着慣れてないし、ほら、普段スーツとか着ないだろ」
「うん」
「だからこう、なんつーか、スーツに着られてる感じで、あんま好きじゃなくてさ」
南はそんなことを言って、しどろもどろ、何か言いづらくする時の癖か、頬を掻きながらの言葉に、今度は私がぽかんとする番だった。
「……だからスーツ姿見られるの嫌がってたの?」
「だって俺、景に爆笑されたら本気で立ち直れない自信あるもん」
と、南は可愛いことを、言う。
「大学入学の時に景、スーツ姿で写メ送ってきたろ。あれで、景が凄い大人に見えてさ、かなり焦ったというか」
やっぱ高校の制服なんかとは違うよな、と南は言って、
「でも、景にそう言って貰えて嬉しいよ。安心したし」
最上級に、そう、例えばテニスの試合に勝って、最高に嬉しそうな時みたいな顔をして、笑った。
さっき緩めたネクタイとシャツが最高に格好良くて、なんというか、色気のようなものを感じて、私は顔が赤くなるのが分かってしまった。
「……健太郎!」
「ん、なに?」
何故だか悔しくて悔しくて、全然積極的じゃないのにこんな、笑顔なんかで屈託無く笑ってる南も、とことん南にイカレちゃってる自分もなにか気にくわなくて、
「ボタン留めてネクタイ締めて。あと、スーツの上着も着て」
「……?なんで?」
「写メ、取るから」
顔が赤いのなんてちっとも気にしないで、私は南を睨んで、立ちなさいと壁の近くを指差した。
瞬間、不思議そうな顔から顔を赤くしてやだよ、と言う南になんでと問えば、恥ずかしいだろ、なんて返ってくる。
「だめ。ずるいもん。健太郎だけ私の写メ持ってるの」
「な、景が自主的に送ってきたんだろ?」
「そうだけど、ずるいもん。私も健太郎の写メ欲しい」
暫くそんなことで睨み合って、結局折れたのは南の方。
「普段なにも強請ってこない割に、こんな変なことで意地張るんだからな」
「だって、スーツ姿の健太郎なんて滅多に見られないし。なのに健太郎は何時だって私の写メ見たら見られるじゃない」
「……人が普段頻りに景の写メ見てるような事言うなよ」
ぶつくさ言いながらもきちんと身なりをただしている南に、こっそりと笑いつつ、私は携帯で写真を撮った。
盗撮防止用の派手な音が鳴って、撮れた画像を確認、保存する。
「もういいだろ」
「うん。ありがと」
笑って言えば、どういたしましてと苦笑気味の南の顔。
「ホント、いいね、スーツ。今度スーツで何処か行こうよ」
「なんだそりゃ」
吹き出した南に、私も笑う。でも、良い案だと思うんだけどなあ。
「そんなにスーツスーツいわなくたって、もう少し待てば嫌でも毎日見ることになるってのにな」
ふと呟かれた言葉に、私はえ、と首を傾げて、穏やかに笑ってる南の顔を、暫く呆けたように眺めて、そうして更に数秒後、漸くその言葉の意味を理解した。
「……ホントに?」
「少なくとも俺は結構乗り気なんだけど」
言えば、揺るがない言葉が返ってくる。
「俺、まだまだ景のこと好きだから。まだ付き合ってくれるよな」
手を握られて、少しだけ、照れたような表情。見慣れてるはずの顔なのに、何処か本当に大人っぽい顔に、少し鼓動が早くなる。
「……うん。私も、まだ健太郎と一緒にいたい」
小さかったけれど、その言葉は確かに健太郎の耳に届いていて。
本当、積極的じゃないのに、私の気持ちを掴んで放さないでいるんだから、困ってしまう。
どうしようもなく込み上げてきた笑みで健太郎の笑顔を出迎えると、次の約束は何時にしよう、なんて言葉が自然と口をついて出ていた。
2007/12/16 : UP
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