この話には性描写が含まれるため、18歳未満の方や高校生の閲覧を固くお断り致します。
恋心恋錦
起
それが『目』というものを開けた時、真っ先に飛び込んできたのは絹にも劣らぬ金色の糸束と一対の青い眼(まなこ)だった。本能よりもずっと深くにある、身体の奥底、魂とも呼ぶべき部分でその存在が己を顕現させるに至った『主』というものであることを理解する。その隣に立つ者が己と同じ存在であることも。「よお大将。俺っち、薬研藤四郎だ」
そしてやはり自身が何者であるのかも、遥か昔よりそうであったかのように知っていた。人の理により降ろされた器を、人の言葉を繰ることさえも。
薬研藤四郎の主は幼い。外見で言うならば薬研と同じ程度か、一つ二つは年下であろうかと言ったところだ。同じ少年と言う姿に加えて初めて己の力で降ろしたということもあるのだろうが、審神者は殊更に薬研を侍らせた。薬研もまた苦も無く面倒を見たためだろう、見る見るうちに審神者が心を許していく様を、薬研はつぶさに、そして容易に感じることができた。
付喪神として審神者なる者に目覚めを促され、再び現世の戦いに身を投じて暫し。薬研から見る審神者の姿は一言で言うと『目が離せない』に尽きる。
薬研よりも線が細く、肌は直ぐに紅潮するものの桜のように白く、癖のない白金の髪は額が良く見えるように右側から左へ流されており、柔らかな同色の眉毛や睫毛、二重、そして青い瞳が良く見えた。ほっそりとした手足は頼りなく、その印象を覆さないのがより一層薬研の目を引いた。
薬研は付喪神であり、眠っていたとはいえ長い年月を経ているのに対し、審神者は人であり、外見通りの中身をしている。年相応に幼く、それでも直向きに与えられた命をこなそうと奮起する姿は好ましい。薬研を含む刀剣たちが彼を厭わしいと思うことがないのは、その小さな身に宿る力の前に頭を垂れているからだ。厳密に言えば少年そのものに忠誠を持っているわけではないが、それを告げる者は誰もない。必要がない。長く寝起きを共にし、同じ釜の飯を食らい、言葉を交わせば情も湧く。そのようにして、審神者から少年へ、意識が変わってゆく刀剣の姿もまた薬研には良く見えた。
だからこそ疑問もあった。
審神者という役目を拝命した際に己で選んだはずの一振り、山姥切国広と審神者の間に奇妙な距離感があること。
予てより感じていた違和感は刀剣が増えていくに連れ確信へ変わったが、踏み込むことは憚られた。刀剣たちと審神者の間にはそれぞれが過ごした時間というものが存在する。薬研は頭と仰ぐ主にとって二振り目の刀である。一人と一振りがまだ彼らだけであった頃を知らない。そこに踏み込むほどの差し迫った必要性もなく、強い関心もなかった。ただ、審神者がぎこちなくやり取りをする割にはどこか熱心に山姥切国広を見ている姿が、やけに鮮明に薬研の頭に残った。それだけだ。どのように見ても審神者が山姥切を嫌っているという風ではなかったのも理由の一つだろうか。
聞かぬ代わりに眺めてみるか。
そのように思ったのは、見ているだけで分かることと言うのは意外にも多いということを知ったからであった。
――果たして、余りにも進退の無い有り様につい薬研は『円滑な任務遂行のため』と言う名目で審神者に小言めいた言葉を投げてしまうのだが、まさかそのようなものとは無縁そうに思われた審神者にも劣等感があるということを知ることとなったのである。
「あの、他の皆には内緒にしていてね……?」
そんな風にお決まりの文句で始まった告白は、目覚めの折りにある程度時代の変遷や審神者の時代の知識をも得た薬研と言えども、なかなかに鮮烈なものであった。
審神者を拝命するよりも以前には『パパ』と呼ぶ男の元で暮らしており、そこには他にも金の髪を持つ、見目の麗しい同じ年頃の少年たちが集められていた。大抵は何らかの理由で親を喪い引き取られた子どもたちで、彼らは瞳の色で階級が決められていた。緑の瞳を持つ者が最上とされ、審神者になる以前の少年は瞳が青であるというだけで、緑の目を持つ他の少年よりも下の者として扱われてきた。愛情も、教育も、あらゆることは緑の目が最優先にされ、青い目は言わば予備であり、代えのきく存在であり、そして――薬研の目の前にいる彼は、その果てに審神者として見出され、捨てられたようなものであったと。
仮にも神たる存在を降ろすことの出来る己を下げるような言い回しに思わぬところがないわけではなかったが、そのような環境に身を置けば思想が染まるのは当然である。例えその時間が5年程にも満たなくとも、薬研の目の前にいる審神者はまだ15も生きてはいないのだ。
その価値観のまま、彼は審神者として最初の一振りを与えられた際自らの意思で、美しい金と緑の色に手を伸ばしていた。
「僕の憧れていた、理想だったから」
そう言ってはにかむ姿に、薬研は今まで目にしてきたものを思い起こし、腑に落ちる感覚を知る。
「でも、山姥切国広は……自分の姿は好きじゃなくて……それで、ちょっと、溝がね」
丁寧に最後まで開示された情報。ぎこちないのは互いの劣等感がぶつかり合った所為で、少年が山姥切国広をどこか熱持ったような目で見るのは彼の姿が己の既存の価値観において最上のものであったから。
既にかの場所を離れた今となっては、金の髪も緑の瞳もそれ以上の意味を持たない。しかしそれを自覚したところで、染みついた感性は容易には落ちないものだ。それを捨て置いても山姥切国広の美麗さは目を引く。……尤も、薬研からしてみれば少年の持つ色の方が余程目を引くものがあるのだが。
「日にち薬……にゃ、もう遅いよな」
「あはは」
既に審神者の下へ集まった刀剣は20を超えている。それなりの時間も掛けてきた。それで尚今のような有り様なのだから、さもありなん。
「大将、折角自分で選んだ最初の一振りだ。いっぺん腹据えて話してみたらどうだ? 勿体ないだろ」
「勿体無い?」
「そうさ。俺たちはもう口が利けるんだ。物だって考える。自分で動くこともな。それに……大将はあいつのこと、一番に気に入ってんだろ?」
薬研が促すと、審神者は顔を綻ばせた。整った顔立ちが柔らかく解れ、薬研も口角を上げる。
「うん」
短い返事の中に弾んだ声色が重なり、審神者の心の内を雄弁に語る。薬研は鷹揚に頷き、話を切り上げようとした。
「あ、でも……一番って言うなら、今は薬研かなあ。いつも助けてくれてありがとう」
思考の切り替わる狭間に零れ落ちた、なんのてらいもない無垢な言葉。駆け引きも下心も何もなく、心のまま向けられたそれに薬研の双眸は細くなった。
「面倒見るのも仕事の内……ってな」
「ええ? もしかして僕の事言ってるの?」
「さあ、どうかねえ」
「もー」
腹の探り合いとは無縁な主の様子を眺めながら、薬研は呵々と笑った。
2015.04.14 pixiv掲載