この話には性描写が含まれるため、18歳未満の方や高校生の閲覧を固くお断り致します。

恋心恋錦

 物慣れぬ職。屋敷。人ならざる者との出会い、そして、大勢の年上の男たち。
 どれもそれまでの暮らしとは異なるはずだ。そんなことは審神者の後ろにあるものを知る前から理解していた。他の刀剣もそのように思っているはずだ。だが、改めて少年は人であるのだと思うにつけ、触れれば折れそうな身を守ることも務めだと、薬研はしみじみと感じるのであった。

 近侍と言う役目は、基本的に審神者の世話役である。起床から就寝まで、主の身の回りの雑事を担う。当然、主が出かける際にも侍るもの。
 薬研は古参であり、審神者と見かけの歳も近く、またお互いの気質も相俟って、近侍として本丸に留められることが少なくない。勿論戦うために降ろされた身であるから、遡行軍との終わりの見えぬ争いや、本来たどった歴史が上手くなぞられるか見届けたり、また分からぬよう手を貸す遠征にも出てはいるのだが、少年である審神者は刀剣の酷使を嫌い、本丸にて養生させる期間も長い。薬研の場合、そのような時は特に審神者の側に控えるのが習慣となっていた。
 人の身と同じように人の姿の刀剣を労わる心は時として焦れるほど甘くも感じるが、かと言って心を持つものとして目が覚めた以上は、刀剣たちが人の姿を持った以上は、その心の内を想わずにはおれぬというのが人というものなのだろうと、審神者を目で追いかける度に口元は緩んだ。
 特に、この頃の審神者は一際笑顔で溢れている。唯一ともいうべき懸念であったものが解消されたからだろう。主の憂いが掃われたことは素直に喜ばしいことである。彼が金の髪と青や緑の瞳というものに特別な――郷愁めいたもの、あるいは愛着に似たものを抱いているのは既に理解しているため、薬研とは兄弟刀である乱藤四郎は勿論、特にその目が向きやすい山姥切国広へ好意を隠さぬ姿を頻繁に目にする。山姥切国広の態度は変わることは無いが、審神者の好意がまず彼の外見へ向けられているということへの反発心も見られない。これまでの反動のように山姥切国広へ近寄っていく審神者と、彼を受け入れる山姥切国広の姿は、見た目だけを言えば兄を慕う弟のようにも思われた。

 今も、薬研の視界の先には出陣先からの帰還を果たした第三部隊隊長の山姥切国広と、彼らを迎える審神者の姿がある。隊の中には乱藤四郎もおり、遠目にも怪我は見られず元気そうだ。それでも彼らを案じていた審神者は一振り一振り丁寧に無事を確認している。
 今までは審神者の意向により安全策を取ってきた。薬研としては多少の力押しも許容の範囲だったが、それを許すような審神者ではなく、方針は変わらなかった。それゆえにそこまで案ずるような事態はまず起こりえなかったのだが、近ごろ審神者を統括する『本部』なる組織より通達された『検非違使』という存在は脅威であり、遭遇するか否かに関わらず、刀装が破壊されたり傷を負った場合は直ぐに帰城するよう、審神者はより刀剣の身を第一に考えるようになった。依代が破壊されれば現世に身を留め置くことも叶わず、それまで得た一切の経験を喪うことを考えれば相当の痛手となることもあり、刀剣たちも納得済みである。ただでさえ戦の経験がなく、一つの命を重く受け止める主のことだ。第三勢力の介入により、突発的に死合うようになったことでより一層失うことへの憂慮が増したのだろうことは想像に難くない。刀剣たち付喪神にとってはまた新たな己が審神者の下へやってくるだけの話に過ぎないが、審神者にとっては刀剣が痛みを感じる以上、破壊の危険性は看過できぬことのようだから。
「なあに、薬研。怖い顔だよ」
 含みを持った声に薬研が僅かに視線を動かすと、そこには声色と同じく薄らと笑みを浮かべた乱が薬研を覗き込んでいた。彼は今の今まで確かに薬研の視界の中に居たはずだが、さて、いつの間に出てきたのだろうか。
「そうか?」
 一先ず会話を優先すると、乱は少し唇を尖らせた。
「そうだよ。敵を見つけた時よりこわーい顔だった」
「……そうか……?」
 物まねのつもりか、両目尻を軽く指で押さえる乱をまじまじと見つめ、それから薬研は確かめるように己の頬に触れた。それで分かるはずもないことは百も承知しているが、一先ず間を持たせることは出来る。
 己はただ、普段通り主を見ていただけだったのだが。一体それのどこに『怖い顔』が現れる理由があったのだろうか。
「乱よぉ……まさか俺の普段の顔が怖いって話じゃないよな?」
「やだな、どうしてそうなるのさ。そうじゃなくって、つまり……あ、そっか」
 ふと、乱は何事かに気づいた様に言葉を止め、目を見開て薬研を凝視した。薬研もまた乱の大きく丸い青色の目が瞬き、くるくると表情が変わってゆくのを追う。乱はそっと驚きと閃きに満ちたそれを和らげ、柔らかく微笑んだ。
「薬研もそんな顔するんだね。なんだかちょっと意外……だけど、嬉しいかも。うん」
「……?」
 要領の掴めぬ話に薬研は僅かばかり首を傾げた。しかしそれでも尚乱は意味深長に笑みを濃くするのみである。もとより然程気は長くない薬研は痺れを切らし、訊ねた。
「なんだ?」
「ううん。なんでもない。やっぱり怖い顔じゃなかったのかもね。ボクの気のせいかな?」
「言いかけて止めるなよ」
「ふふ、ごめんね」
 軽く窘めるも、乱はもう言いかけた言葉の先を薬研に教えるつもりはないようだった。ただふっくらとした唇に弧を描き、楽しそうに薬研を見る。
「そうだよね、薬研はあの子を見てただけだもんね、いつも通りに」
「? ああ」
 普段であれば乱の言わんとするところを理解するのは容易いのだが、薬研はこの時ばかりは掴むことが出来なかった。含ませるものがあるようでいて、その実何もないというようなはったりは己も得意とするところではあるから、思考を読むのはさほど難しくない。何もないならないで、「ないだろうな」程度は察することが可能である。しかし今回に限ってはそれさえも判断がつかなかった。そもそも、乱の言わんとするところの方向性も見えないのだ。無理からぬ話だった。
「ねえ、薬研っていつもあの子を見てるよね。どうして?」
 乱に言う心づもりがない以上深追いする意味もないと労いの言葉で部屋へ送ろうとした矢先、先手を打たれて薬研は刹那動きを止めた。
 どうして、とは中々難しいことを聞くものだ。頭の片隅に思いながら、口先はよどみなく返事を紡いでいた。
「近侍――」
「ってわけじゃない。よね?」
「……大将はあれで中々そそっかしいぞ。目を離すとどうなるか分からん」
 先日は何もない場所で足を滑らせていたし、またある時は見えていないわけはないのに柱に肩をぶつけていた。興味を引くものがあれば三歩も歩かぬ内にころりとものを忘れる。「何をしようと思ったんだっけ?」そんな風に苦笑いを向けられたことも少なくない。本丸と言う場所は審神者にとっては穏やかな檻のようなもののはずだが、敵襲などなくても何が原因で彼が心身を損なうか分からない。少なくとも薬研は竹の葉で指を切るようなことはないが、審神者はともすれば己が触れるだけであの柔肌が裂けるのではないかとさえ思う程脆い。ただでさえ彼よりも大きな図体をした屈強な神々がその辺を歩いているのだ。目が離せないのは当然であった。
 もっとも、そのような話を長々と乱に語るつもりもなく、薬研は手短に済ませる。彼の視線は審神者へ向けられており、その先にいる審神者は薬研と目が合うと微笑んだ。直ぐに彼は山姥切国広となにやら話し込み始めてしまったが、本丸内の穏やかな日差しに照らされて金の錦が光を放っているのは変わらない。今まで何度も、そしておそらくは顕現してより最も長く見つめた姿だった。
「ふうん……? 薬研ってそんなに面倒見よかったんだ」
 乱は薬研の視線を追いかけながら、薬研の隣で同じように審神者へ目を遣る。その声色は意外そうにこそしているが、揶揄を含んでいることは明白であった。
「なんだあ? 今日はやけに絡むな」
「そうかなあ?」
 これ以上白々しい会話を続ける理由もなく、薬研は目線だけを乱へ向け、顎をしゃくった。
「おら、疲れてるだろ? 部屋戻って休めよ」
「はぁい。お邪魔虫は退散しまーす」
 しおらしい言葉で肩を竦め、乱は遅れて玄関口へ向かった。それを見送っていると、薬研の直ぐ側を山姥切国広が歩いて行く。頭から被る布の所為で、彼の背中から感じ取れるものは少ない。
 あんなものがなくともあの性格だけで容姿はチャラになってそうなもんだが、と思いつつ、薬研は一人になったであろう審神者を振り返った。殆ど同時に、薬研を引き付ける金色が視界に飛び込んでくる。
「粟田口派は仲がいいね」
 ふふ、と笑う審神者の表情は柔らかだ。白い肌と金の髪は日に照らされることによりより一層眩しく思われて、薬研も僅かに口角を上げ、双眸を細めた。兄弟刀とは言え、皆今は審神者の下に仕える身だ。そこまで付き合いを偏らせているつもりはない。だが、そのように括られているためか、はたまた人の理を知った所為だろうか、確かに『身内』という感覚は存在する。
 この審神者にはそういったものは存在しない。かつてあった兄弟のような存在は、薬研たちよりももっと歪なものだ。しかしそのような繋がりであっても、縁は縁に違いない。それすらも今はなく、一人きり。人の身でそれはどれほどの孤独なのか、薬研には想像もつかなかった。
「俺と大将も仲良いだろ?」
 笑みのままそう告げれば、審神者は先ほどの乱のように目を丸くして、薬研を見つめたまま数度瞬きを繰り返した。挙動は全く同じものであるのに、受ける印象がまるで違うのは普段の行いの所為に違いない。
 さあどんな表情を見せてくれるのか。心待ちにする薬研の前に、そのまま溶けてゆくのではないかと思う程の破顔一笑が現れるのは、もう直ぐのことだった。

2015.04.14 pixiv掲載