この話には性描写が含まれるため、18歳未満の方や高校生の閲覧を固くお断り致します。

恋心恋錦

番外・恋い、焦がれ

 長閑な本丸の景色を彩るのは刀剣男士たる付喪神たちの姿である。衣類は勿論、髪や瞳の色さえ鮮やかで、ヒトが生まれ持つ色を纏っていたとしても、美しい面立ちに均整の取れた体つきは眼を楽しませる。尤も、彼らを纏めるとある審神者は少年であったから、いくら女と見紛うほどの美貌であれども彼の心を慰めるには至らなかった。検非違使と交戦した部隊が吉報を持ち帰る日まで、ただ一人、山姥切国広を除いては。



「あれ? 今日は怖い顔してないの?」
 縁側で靴を脱ぎ茶菓子のどら焼きとお茶に舌鼓を打っていた薬研藤四郎に声を掛けたのは、彼の兄弟刀である乱藤四郎だった。鮮やかなピンクゴールドの髪を靡かせ、薬研の隣に腰を下ろす。その手にはやはりお茶と茶菓子――こちらには練り切りで作られた綺麗な菖蒲があり、二人並んで午後の『おやつの時間』を過ごす。
 お茶を一口飲み息をついた乱は、先ほどまでの薬研の目線をなぞった。その先には彼らの主である審神者の少年ともう一人、つい最近やってきた浦島虎徹がいる。聞こえてくる会話から、本丸での生活はどうか、何か不自由はないかと審神者が問うているようだった。現時点でヒトが従えることができる刀剣の付喪神も殆ど揃った上での、久しぶりの新顔である。浦島虎徹は見かけの年も近く気さくな刀だというのもあるだろうが、追われる様に任務をこなして来た今までとは異なり、審神者の方もある程度余裕をもって接することができているようであった。
「生憎、種が分かれば対処はできるんでな」
 同じように二人を見遣りながら、薬研が何の気なしに呟く。乱からは以前にも同じ言葉を掛けられたことがあったのを思い出していた。
 浦島虎徹にころころと笑いかける審神者と、人懐こい笑みを浮かべながら身振り手振りを交えて話す浦島虎徹。微笑ましい光景だが、浦島虎徹の持つ力強い金の髪と、戦の際にはきらりと輝く緑の眼はそれだけで審神者の目を引く色彩だ。同系統の色を持っている山姥切国広とは異なり、浦島虎徹は非常に人当たりも良く、明るい。歳の頃も山姥切国広と比べればはるかに近く、審神者からも懐きやすい一振りであることは確かである。
 加えて、浦島虎徹は検非違使から回収した一振りだが、審神者を少女だと勘違いした経歴の持ち主だ。薬研はその時近侍として本丸に居たのだが、乱も居る部隊とともにやってきた浦島虎徹は明るく溌剌とした様子で目を輝かせ、開口一番「可愛いあるじさんだ!」と叫んだ。すぐさま審神者は少年であると教えれば素直に驚いていたため、彼が審神者を少女だと思っていたことはほぼ確定していると見ていい。その上で好ましいと思っていたことも併せて。
 山姥切国広のことは初期刀として、審神者が特別視することは致し方ないものだと一線を引きつつも目元に感情を宿していた薬研が、勘違いしたとはいえそのような態度を見せた浦島虎徹へは全く何も感じていないはずはない、と乱は読んだのだろう。
「ふうん?」
「なんだ、面白くねえってか」
「ううん。なんていうか、あの子のことに関しても貫禄って言うの? 出てきたんじゃない?」
 乱の言葉を受け、薬研は審神者へ――どうやら一目見て恋と言うものに落ちていたらしい相手へ思いを馳せた。
 以前に乱と意味深長な会話をした時、薬研は自分の心の在処をまだ知らなかった。確かにあるものに気づいていなかったのだ。そして、審神者が抱くものについても。
「……刀としても役目が違うからな」 
 もとより客観視は得意な薬研である。近侍として短刀として、影に日向に審神者を支えてきた理由が性分よりも一段深い所にあると知れば、一歩引いて考えることはさして難しいことではない。
 そもそも浦島虎徹が審神者を少女と見間違えたのも、事は薬研に端を発していると言っても過言ではないのだ。少年の身体がどこかまろみを帯び、しっとりとした色香を纏うようになったのは薬研と審神者が結ばれ、肉体的にも繋がってからのことだ。何度も薬研の猛りを受け止めた審神者の身体は荒々しく硬い熱に対応するためか柔らかくなり、彼の雄の証明部分は初めて見た時よりも幼く、はっきり言ってしまえばやや退化し始めているようにさえ思えるほど。勿論、具体的に知っているのは薬研だけである。
 乱のように以前から察している者は多いだろうが、審神者と何度も肌を重ねていることで、審神者には薬研の霊力が薄らと混じっている。それでも尚今のところ特に薬研が咎められない現状を見るに、応援されているか見守られているか、はたまた興味がないか、分かっていないか、というところなのだろうと薬研は見ている。
 浦島虎徹が薬研と審神者の繋がりについてどこまで把握しており、何を感じているかは分からない。今はどちらかと言えば審神者よりも兄弟刀たる蜂須賀虎徹に構われている様子であるし、人当たりの良い浦島虎徹が審神者へ見せる姿は他の刀剣たちと接する時と変わりはない。勘違いであったとはいえ薬研でさえ意識しない頃から審神者に対しては何くれとなく世話を焼く位の変化はあったのだ、もし何かあれば、余程浦島虎徹の感情制御が上手くない限りは見抜くことも可能だろう。なにより、
「あいつは良い奴だしなあ」
「ふふ、だったらボクの方が目を付けられてたりするの?」
「さてな。大将に敵意がないならそれでいい。俺は誰が相手だろうが守るだけだ」
 薬研から見た物事はいたってシンプルである。それはおそらくこれからも変わらないだろう。
 乱が「ボクだって」と言い募るのを穏やかに受け止めながら、薬研はどら焼きの残りを全て頬張って、お茶で飲み下した。口の中のものがなくなり「ごちそうさん」と勢い良く両手を合わせた後、靴を履き、空けた湯呑みを手に立ち上がる。
「もう行っちゃうの?」
「休憩終わったら箱に入れっぱなしの刀(もん)整理するって言ってたからな。大将! そろそろ時間だぞ!」
 乱に返事をした流れのまま、薬研が低い声を張り上げる。丁度浦島虎徹の髪に触れていた審神者が「はぁい」と同じように声を張って返事を寄越すのを、乱は眼を細めて眺めていた。厳密には返事をする審神者を見て、返事を受け取った薬研を見て。
 しかし一時垣間見えた薬研の揺らぎはなく、平時、彼らはいたって『普通』の刀剣男士と審神者の距離感だ。多少彼らが想い合う者同士睦み合っていたところで、からかったとしても薬研は意に介さないことは明白。審神者も素直な性分であるから、乱が茶化したところで、それに乗っかった薬研が漢気溢れる堂々とした振る舞いで審神者を口説き、それに審神者が照れを見せ、そんな審神者をさらに薬研がリードする、などという光景を見せつけられることは間違いない。それは微笑ましい光景ではあるが、乱としては特に面白くはない。
「頑張ってね」
「おう。お前も今晩出撃あったろ」
「うん。目一杯乱れてきちゃうよ」
「そりゃ構わねえが、あんまり羽目外し過ぎるなよ?」
「薬研こそ」
 乱の出撃先は夜の京都である。短刀や脇差といった小回りの利く編成で組まれた部隊で街中を駆け回るのは存外楽しく、乱は気に入っていた。それは薬研とて同じことである。近侍としての仕事を手伝うため今は外されているが、短刀の中で最も古株であり、それゆえに強さも一段と強いために薬研が隊を率いることも少なくないのだ。
 戦好きの薬研にこそ言われたくない。という気持ちを込めて、そして見えないところで二人が恋仲らしく振舞っている時のことを含ませて返された言葉に、薬研は眼を瞬いて、不敵に唇を曲げるに留めた。既に浦島虎徹と別れた審神者が近づいてきていたからであった。
「ごめん、薬研。もうそんな時間だった?」
「まあな。刀解は時間かかるだろ。大将も疲れるだろうし早めの方がいいかと思ってな」
 本丸では、人の姿を持つことのできる刀剣男士の数は限られている。既に刀剣はある程度揃っている上、連結と呼ばれる霊力を高める儀式にも限界があり、結果、持て余すだけの同じ名の刀剣男士を丁重に神上げすることになる。その仕事は審神者にしか出来ず、交渉を誤れば害されることも十分あり得るし、概ね顕現したばかりで力の弱い刀剣男士は今の審神者にはとても逆らえないだろうが、それでも手順を踏み、双方納得した上での刀解が望ましい。よって依代から送りだすには一振り一振りを相手にせねばならず、時間を食うというわけだ。
 そのような刀剣たちの整理は頻繁に行われているが、手間であることは確かであり、あまりもたもたしていると夕食に間に合わない。
「無理なんてしたら薬研が止めるとは思うけど。君もお疲れ様」
「ふふ、ありがとう乱。今晩はよろしくね」
「うん。任されてよ」
 気安い乱の返事に審神者は頼もしいねと笑って、薬研と共に縁側を離れた。湯呑みは土間続きの炊事場にでも立ち寄って返すのだろう。乱は二人を見送ると、甘い茶菓子と濃いお茶をたっぷりと味わった。





「よかったの? 薬研も乱と何か話してたみたいだけど……」
「ああ、別に大したことじゃないから気にすんな」
 炊事場に立ち寄り薬研が湯呑みを返すのとは入れ違いに残っていた茶菓子を摘んだ審神者は、少しの間その場で甘味を堪能した後蔵へ足を向けていた。箱は蔵の中にある。
 普段はかくれんぼのような遊びで近くに短刀の姿が見られたりするのだが、今日は審神者が蔵の中へ出入りすることもあってか、中は勿論、周囲にも気配はない。薬研はそれをしっかりと確認すると、蔵の中に入り、提灯に式神を仕込み明かりを灯した審神者へ呼びかけた。
「大将」
「ん? なに?」
 戸は開けていても蔵の中はそう明るくはならない。精々開いた戸の幅だけ真っ直ぐに光が入る程度だ。
 薬研はそっと審神者の身体を導いてその光を避けると、そっと唇を掠め取った。驚いたような、しかし甘さを含んだ小さな声が審神者の喉元で発せられる。
「……少しだけ、な」
 間近で声を潜めて微笑みかければ、審神者の目が見開かれた。しかしそれも返事をする代わりとばかりに直ぐに伏せられ、見えなくなる。
 やや緊張した面持ちにも関わらず唇は小さく緩められ、薬研を誘う。己がそう仕向けたとはいえ、抗いがたい光景であった。
(すっかり乱の奴に乗せられた気はするが、まあいいか)
 ここでそうはいくかと意固地になるのも子どものようではないか。寧ろ乱にけしかけられたのをいいことに、乗せられてみるのもそう悪くはない。
 審神者の無言の了承を前に、薬研は躊躇いなく舌を差し込み、審神者の柔らかな唇とその内部を味わうことにした。審神者の持つ提灯をそっと奪って手頃な場所に置き、己よりも僅かに小柄な身体を腕の中に収める。鼻から漏れる甘い声、薬研の胸に置かれた両掌から染み込んでくる温もり。露出した足の滑らかな心地。それらをしっかりと確認するようになぞり、唇を離した。目線の少し下にとろりと眦(まなじり)を下げた深い青色の宝石が光っていることを目視し、仕上げとばかりに濡れた唇に軽く吸い付く。
 審神者が薬研を捕らえ、頬を赤らめる。その様子に胸に満ちるものを感じ、薬研は溜飲を下げた。山姥切国広や浦島虎徹は審神者にとってどうしても心惹かれるものを持っている。しかし薬研もまた審神者の唯一であり、特別なのだと実感できる表情であった。
(いくらでも抑えられるとは言え、全く嫉妬してないわけでもねえんだぜ)
 まるで伝える気のない言葉が過ぎる。審神者の背を優しく叩き、己の手で乱した彼を気遣い、宥めていると、遠慮がちながらも甘えるように額を擦り付けられ、薬研の目元は笑みに綻んだ。

 その後蔵の中から運びだし、然るべき場所と手順を踏む刀解で姿を現した刀剣男子たちからどこか呆れたような目で見られたことは、薬研だけが知っている。

2015.05.16 pixiv掲載