この話には性描写が含まれるため、18歳未満の方や高校生の閲覧を固くお断り致します。

手折る花のかぐわしさは増し

 久しぶりにゆっくりと過ごす時間を与えられた私は、夕食にはまだ随分と早い時間にマイルームを後にした。長らくご無沙汰であった湯船に浸かりたいと思ったからである。
 カルデアには、個室に併設されたシャワールームの他に、大浴場がある。シャワールームは本当にシャワーを浴びるためだけのスペースでしかなく、浴槽さえないのだ。ゆっくりと身体を温めてあの幸せな溜息をつきたいと心を踊らせながら、大浴場への一角へ歩を進める。後ろには、以蔵さんが静かについてきていた。
 彼が護衛しちゃるき、と言って催し物に参加して以降、私の直ぐ側には彼がいることが殆どだ。こういう時、以前からどこへ行くのかと聞いてこない人――サーヴァントではあったけれど、最近は召喚直後よりも随分と当たりも丸くなって、当初感じていた『マスターがどこへ行こうとも自分には関係が無い。求められたように、自分の仕事をするだけだ』と言わんばかりの冷めた風な距離感はなく、今は私がどこへ行こうとも護衛としてついてきてくれるし、『マスターと一緒にいる』と言ってくれているような感じがしてくすぐったい。
「なんじゃあマスター。えろう機嫌がえいのう」
「なんてったってお風呂だからね。以蔵さんもお湯に浸かったら?」
「そりゃあえいお誘いやにゃあ……」
 ほいたら、そうするか。
 そんな風に口元に笑みを浮かべながら小さく漏らす以蔵さんに、随分と心を開いてくれるようになったのだなあとしみじみした。

 大浴場へつくと、男女別になる。男女のくくりで扱うのが難しいサーヴァントもいるので、彼ら用の脱衣スペースや水着着用必須の混浴エリアもあるけれど……まあ、私には関係が無い。
 以蔵さんと別れて女湯と書かれた暖簾をくぐり、服を脱ぐ。マシュも誘ってはみたけれど、どうやら私は自分が思っているよりもずっと疲れた顔をしていたらしくて、逆に人払いをしておきますからとこの時間を勧められた次第だ。なんだかんだ私もそれに甘えてしまうくらいには、このところのレイシフトで気が張りつめていたのかもしれない。
 服を畳んでロッカーに入れて、手ぬぐいと諸々のお風呂セットを持てば準備完了。湯船に身を浸す前に身体と髪を全て洗って、手ぬぐいで髪をくるんだ。天井の僅かな隙間からは、隣から恐らく以蔵さんが出しているのであろう人の気配がした。桶を床に置いたときの、かぽーんという間の抜けたような、ほっとするような温かい音が湯気の中に滲むように響く。次いで、
「ああ~……っ」
 野太い声で大きな幸せのため息が聞こえてきて、思わずくすりと笑ってしまった。極楽じゃあ、なんて声も聞こえる。以蔵さんに続くように私も掛け湯をして、お湯の中へ身を沈めた。
 以蔵さんほどではないけれど、大きく息を吸って、長く吐く。身体が弛緩する。熱いくらいのお湯が身体を包んで、凄く気持ちがいい。息が出来るのであれば顔も沈めてしまいたいほど。
 浴槽の縁に頭を預けて、深く息を吸って、吐く。それだけなのに、たまらなく幸せだと思う。
「おうおう、マスターも気持ちえいがかー?」
 間延びした以蔵さんの声に、そうだねと返す。カルデアで過ごす中で、こんな風に近くに誰も居ないのは久しぶりだった。いつだって誰かの眼が届く所にいたし、そうしなければ安全は確保されない。けれど私は本来、一人の時間も好きだったはずなのだ。怒涛の日々の前に、そんな些細な好みなど飛んでしまっていたけれど。
 誰に憚るでもなく、身体をお湯へ浮かせる。行儀が悪いけれど、手をついて、軽く足を交互に上下する。むくりと湧き上がった悪戯心は、気づけば一人貸し切り状態の大浴場で私を童心へかえらせた。
 ちゃぷ、とも、ざぷ、ともつかない音を纏って、広い浴槽の中を泳ぐ。勿論、人目が無くても頭から潜ったりはしないし、極端に足をばたつかせてうるさくすることもない。一度底を蹴って、短い距離を流れるようにして移動する程度。――それでも。
 ああ、プールもいいけれど、暖かいお湯を掻き分けて、揺蕩うように身体を預けることの、なんと幸福な事だろう。子どもじゃあるまいしとは言いつつ、それでもどうしようもなく気持ちがいい。身体と心が、開放的な空気に癒されて、喜んでいるのを感じる。
 ひとしきり楽しんだ後、ふと以蔵さんの事が気になった。あれから男湯の方は静かなものだ。私に配慮して男性サーヴァントまで人払いの余波を食らっているのだろう、以蔵さんも貸し切り状態のこの贅沢を楽しんでくれていればいいのだけれど、それにしても普段声の大きい彼が静かなだけでこうも存在感があやふやになるものなのだろうか。相対的にそう感じるだけだろうか。
 普段『人斬り』を自称するけれど、彼のクラスは紛う方なきアサシンで、気配を消すのはお手の物だ。なんなら、それがデフォルトだと言っても良い。だから、こうも静かなことに違和感を覚えることの方がおかしいのかもしれない。
 あるいは。
 今ではすっかり彼がそばにいることが当たり前になって、彼の存在を肌で感じることが多いから、こんなに違和感が強く湧きあがるのだろうか。側にいないと落ち着かないほどに。
 気づいてしまうと、もう、どうにもそわそわとしてしまっていけない。
 早くお風呂から離脱して、合流しようか。きっと私の気配で彼も合わせて動いてくれるはず。
 そう思い至ったところで、私の中に一つ、悪魔の囁きともいうべき発想が心の中に芽生えてしまった。
「――……」
 思いついたそれは、きっと、わざとやってはいけないことだ。でも、思いついてしまった。知りたいと思ってしまった。――ここで私の身に危険が迫った場合、彼は来てくれるのだろうか、などという、酷く子ども染みたアイデアの答えを。
 以蔵さんだけではなく、おおよそのサーヴァントに説教されるであろうその疑問を試したい、なんて思ってしまったのは、きっと以蔵さんに向ける淡い思いの所為だろうことは明白だった。だって、普通なら絶対にしない。こんなくだらないことで人理修復に協力してくれているサーヴァントを試そうだなんて、私がどんなに魔術師として優秀であったとしてもしてはいけないことだ。勿論、許してくれるサーヴァントは皆無ではないかもしれないけれど、そうなったとしてもそれは結果論でしかないし、何より私の心の問題で。なのに。
 傅かれたいわけじゃない。でも、以蔵さんが私のために駆けつけてくれる、そのシチュエーションに対して、夢を見たい気持ちが急速に膨らむ。そのこと自体は否定できなかった。
 とはいっても、ここで私の身に降りかかる危険だなんて、滑って転ぶ程度しかない。
 ふつりと湧いた悪い心は、沸騰し始めたお湯のように次々と浮かび上がって、私は頭を振った。
 だめだ。そもそも裸だし。来てもらえなかったら虚しさがすさまじいことになる。否、大体、転んだ程度で助けに来てくれるわけがない。そんなことのためにサーヴァントと契約したんじゃない。
 もっともらしい言葉を頭の中で並べ立てる。気持ちに嘘はつけない分、私は湯船から勢いよく立ち上がった。
 じっとしているから考えてしまうのだ。だったら、もうこの場所から離れた方がいい――そう思ってのことだった。
 だから、わざとじゃない。けっして、やってみたいなと思ったことを実行したわけでは、断じてない。
 勢いよく立ち上がった所為で、温泉を模した大浴場のお湯の成分のためにややぬるついた底で足を滑らせるなんて。
 頭の位置が急に変わった所為で、立ちくらみを起こして踏ん張ることもままならないなんて。
 私は、予測できたのであればきっと回避していた。
「ぁ――」
 自分の声が遠い。ふわ、とした感覚が、本来であれば警鐘を鳴らすありとあらゆる感覚を侵食してただ理性だけで危機を認識する。なのに頭のほとんどは頭の中と身体のぐるりとした感覚に反応できず、その場で身体が不安定に倒れていくのを、視覚情報だけで感じる。
 これ、頭打つかもしれない。
 頭の片隅でそんな風に言葉が思い浮かぶけれど、それが危機感と結びつかない。酷くゆっくりと、眩暈のためか舞うように歪む視界に、制御出来ない身体が作り出したお湯の飛沫が踊るのを見た。

 ――。

「……?」
 黒い影が、あった。
「……っ、無事か、マスター?」
 心配そうな顔が近い。慌てたように強張っていて、でも声はまだどこか遠くて、遠のいた五感が戻ってくるまで多分、十数秒は掛かったと思う。
「いぞう、さん」
 どうにか名を呼ぶと、ほっとしたような吐息が顔にかかった。何度か瞬きをして、自分で自分の身体の制御が出来ることを確かめる。
 結い上げた髪に、インバネスコートとマフラー、刀まで佩いた彼の姿は、どう見ても一度霊体化をしたのであろうことが分かる。……駆けつけてくれたのだ。悲鳴らしい悲鳴もなかったにもかかわらず。
 そのことに思い至ると、――どうしようもない喜びが胸に溢れ出した。
「ごめ、ん。きもの、」
「えい。気にしな」
 どくどくと、今更危なかった、怖かったと身体が反応する。それを落ち着かせるために目を閉じて息を整えた。彼のコートの端を少し掴ませてもらうと、安堵が心から滲み出るようだった。濡れてしまうと分かっているものの、彼の言葉に甘えて頭を寄せる。それに呼応するように私の身体を抱く手の力が強くなった。
 何度か深呼吸を終えて漸く身体が落ち着いてくると、今度は頭が回り出す。
 お風呂に浸かっていたということは、私は裸なわけで。だから、
「……ありがと、以蔵さん。あの、……」
 顔に熱が集まるのを止められないのは、仕方がない。
「……すまざった、」
 私の言わんとするところを察して、以蔵さんがふいと顔を逸らし、目を伏せる。耳が赤く染まっているのを見て、こっちまでもっと気恥ずかしくなってしまう。私が感じる限り、身体をじろじろと見るような視線はなかったから、彼にそう言う意図がないことはよくよく身に染みてわかったのだけれど。
「あやまらないで。本当にありがとう、よく分かったね……」
 以蔵さんの腕の中に収まった状態から、自分の足で立ち、頭の髪を纏めていた手拭いが浴槽の縁に引っかかっているのを見つけて引き寄せ、前を隠す。と、以蔵さんの顔が気まずげに歪んだ。取り繕うようにマフラーを引き上げて口元を隠す。
「……マスターが急に静かになったき、ちっくと気になっての……こじゃんと疲れちょったのも知っちょったき……溺れちょらんか思うて……」
 言いにくそうにするその態度に、言葉の先は簡単に予想できた。
「……み、見てたの? 霊体化して?」
 はくはくと、自分の唇が震える。さっきの比じゃないほど顔が、身体が燃え上がるように熱くなる。
 恥ずかしさが尋常じゃなくて、助けてもらったことも忘れて喉から絹を引き裂く様な声を発する直前、
「わ、阿呆、ほたえなや!」
「んっ」
 わなわなと震える私を見て、以蔵さんは正確にその先を把握したらしい。慌てた様子で私の身体をもう一度その胸に引き寄せた。――だけでは、終わらなかった。
「あっ、……は、む、」
 柔らかなものが唇へ被さる。以蔵さんが近い。その伏せた目が近い。私でもマシュでもない、男の人の匂いが今更鼻へくる。ざりざりとした髭と、その度に変わる唇の角度と、柔らかさと、あと、湿った彼の唾液と舌。口の周りで感じる情報量の多さに、頭がパンクしそうだった。というか、実際身体は硬直して、それらを受け止めることしかできなかったのだからパンクしていたと思う。
 深く抱き込まれて、ぐいぐいと唇を寄せられて、鼻で息をするも少し苦しくて頭を引けば、更に彼が追いかけてくる。そうして彼の支え無しでは立っていられなくなった頃、やっと以蔵さんの唇が私から離れて行った。
「ん、は……はぁ……」
 心臓が五月蠅い。以蔵さんの唇の柔らかさが消えなくて、唇がじんと痺れていた。
「静かにしとうせ……」
 囁く声の低さに更に心臓が跳ねる。これ以上私の心臓を虐めてどうしようというのだろう。
 ずるりと座り込みそうになって、以蔵さんに優しく湯船の縁へ降ろされる。その紳士的な振る舞いと、先ほど奪われた唇への出来事がぐちゃぐちゃに混ざって、彼の意図が何であるかさっぱり分からなかった。それでも、片手で腰を抱かれたまま、以蔵さんが濡れた袴もそのままに、お湯から片膝を突き出して半分私の膝上に乗り上げるようにして逃げ場を塞ぐ。
「マスター、」
 至近距離で見るその顔が、どこか……心を掻き乱す。いつもならば決して見ることが無い類のものであることは間違いなくて。
 近づいてきた顔に、今度は目をつぶる。何をされるのか分からなくて、少し顔を背けるも、彼はお構いなしに再び私の唇へ、そのふっくらとしたものを重ねてきた。
「んっ」
 鼻にかかる自分の声が、自分のものとは思えないほどに『女の子らしく』て、人理修復を始めてからこっち、極力性別というものを意識しないようにしてきた頭と心が震えるようだった。
 眩暈にも似たそれに、自分でもよく分からないまま涙が零れた。
 角度を変えて唇に触れてくる以蔵さんの手が、ぎこちなく私の顔に張り付いた髪を除ける。その指先が、そっと私の瞼をなぞった後、涙の痕を辿る様にして拭き取った。
「……嫌かえ」
 濡れた指先の涙が彼の唇へ吸い込まれ、湿らせるのを見ながら、その問いには首を振った。……横に、だ。
 返事は出来るけれど、私から以蔵さんへかける言葉が見つからない。普段なら何でもないようなことも投げかけられるのに、今は何を言っても正しくないような気がして、大体、何をどう言えばいいのか、何から言えばいいのか分からなかった。
 私が今感じていることが余りにも多くて、そこからまとまった思考をつむぐことが難しい。
「わしが言うのもおかしな話かもしれんけんど、急に頭振りなや。能が悪うなるき」
 労わるような声に心が乱される。心臓がきゅっと縮こまって、痛い。痛いのに、どこか解けるような感覚があって、そこがとろりと溶けているような気がして、変だ。全然鋭くない痛みが、心臓の鼓動よりも遅く、断続的に響いている。
「……綺麗やにゃあ」
 どうしていいか分からず、耐え切れずに以蔵さんから視線を下へと落とした時に掛けられた言葉に、弾かれたように顔を上げてしまった。
 彼の視線は私とは合わなくて、その目は私の顔よりも下へ向けられている。手拭いを広げているとはいえ隠せていない場所の方が多い、恐らく彼が視界へ入れているであろう様を思って、恥ずかしくて消えてしまいたくなる。普段一緒にいる以蔵さんは、戦いになると荒々しくて冷たくて、そうでない時は感情の起伏がはっきりしていて、だからこんな、穏やかな――否、静かに、身体にこもった熱をそっと吐きだす様な囁きなんて、私を見る金色の眼が柔らかく蕩けて、下がったまなじりが酷く熱されているだなんて、知らなかった。知ってしまった。
「逆上せちょらんか」
 まるで父か兄かのように思えるほどの気遣いに、ぎこちなく首を縦に動かす。
 でも、父か兄であるはずもない。唇に唇で触れるようなことをしておいて、私の身体を見て、綺麗だなんて言う男性が、そんなものであるはずがない。
「顔、真っ赤にしちゅう。……身体も火照ってこじゃんと血色がえい……げにまっこと、綺麗ぜよ」
 ――逆上せているのは、以蔵さんの方じゃないだろうか。
 そう思ってしまう程、どこかうっとりとした彼の視線に冷静さを取り戻す。
「わしは他にどう言うてえいか知らん……にゃあ、マスターは知っちゅうがか」
 血色がいいというなら彼だってそうだ。お風呂に浸かっていたのだし、未だって熱気の籠る場所にいて、しかもその上コートとマフラーまで着込んでいる。暑いだろう。
 分からない、と呟いた声は掠れていた。けれど、声を出せたことで次に言うべき言葉は決まった。
「い、以蔵さん。流石に恥ずかしいから、そろそろ……あの、男湯か大浴場の外へ戻って――」
「――は、そいつは聞けん」
 ようやっと見出したその方向は、以蔵さんによってぴしゃりと跳ねのけられた。どうして、と考えるより早く、反射のように疑問が口を突いて出る。
「……まだ足りん」
 逡巡するような間の後、以蔵さんは一言そう呟いた。それで、彼の顔がまた近くなって、唇が重なって、その感触にびくりと身体が跳ねる。私の唇を食べるようにして、何度も彼の口が私の唇を覆って、ちゅう、と味わわれる。
 甘い猛攻に成す術がない。……のを、どうにか手を差し込んで、彼の顎に手を添える。隙をついて唇の前に掌をかざせば、少しむっとした顔で手を取られ、思い切り舐められて吸い付かれた。
「ひゃっ」
 短く悲鳴を上げたものの、背を逸らして彼の顔から逃げる。
「嫌やない言うたやか。どういて逃げる」
「……まっ、魔力ならカルデアの電力で十分まかなえてると思うっ」
 足りないというなら、それは異常だ。直ぐにダ・ヴィンチちゃんやDr. ロマンに相談した方がいい。
 恥ずかしさ8割、逃げたい気持ちが1割、心配が1割くらいではあったものの、どうにかそう伝えると、以蔵さんはぎゅっと眉間にしわを寄せた。
「はあ? 何を……マスター、この期に及んでわしが魔力欲しさに居座っちゅうらあて思いゆうがか?」
「……ちがうの?」
 尋ねれば、以蔵さんはこれみよがしに大きく息をついた。
「おおの……くそ、おまん自分の魔力は大したことない言うちょったろうが……そがな奴から魔力せがんでどうするんじゃ。無い袖は振れん言うろう」
 では、なんだろう。……アクシデントとは言え、いわゆるえっちな気分になった……とかだろうか。でも――
「おい。適当に発散する相手におまんを選ぶような奴じゃち思いゆうがやったら……」
「お、おもってない! おもってないよ」
 慌てて否定すると、以蔵さんは納得いかなさそうにしていたけれど、続く言葉は飲み込んでくれた。
 まあ、一瞬だけでも思ったけれど、そう、以蔵さんがもしそうだったとして、マスターたる私を選ぶような人ではないことは、もう私は十分知っている。
 だったら、
「……なら、後はもう分かるろう」
「えっと、……」
「おまんがえい。……おまんに触れたい」
 抱かせとうせ。
 それがハグの意味ではないことくらい、分かる。
 以蔵さんの顔が近い。金色の眼が私を射貫いて、動けない。
 魔力供給でもなく、欲を発散するわけでもない。でも、私を……私が欲しい。その指し示すところなんてもう、私は一つしか知らない。
「にゃあ、立香
「!」
 名前を呼ばれて、また胸がぎゅうと締め付けられる。……彼が、私と同じ気持ちだというのなら。私は、この気持ちを抱いたままでいいどころか、報われるのだろうか。
 それはなんて――……なんて、甘美で、怖いほどの快感なのだろう。
 ふるりと身体が震えた。報われることが多くないことは知っている。それでも報われたいと思ってしまうことも。でも、いざそれが自分に与えられるのではないかと期待が湧き上がると、こんなにも怖くて、なのに、抗えないほどに惹かれてしまう。
 でも、この場の勢いで身体を許してもいいのだろうか。
「だっ、だめ」
「どういてじゃ」
 むっつりと不機嫌さをあらわにする以蔵さんに、私はどうしたものかと逡巡する。
「こ、ここでするの?」
「わしは、今、おまんが欲しいち言っちゅう」
「……逆上せちゃうし」
「こん外に露天風呂もどきがあるろう。……おお、そうじゃ、あそこなら混浴じゃったの。丁度えい」
 いいことを思いつきました! と顔を輝かせる以蔵さんにくらくらしつつ、ぼうっとしていれば抱きかかえられて連れて行かれそうな気配を感じ、彼の胸をそっと押す。
「は……初めてがこんな場所なのは、イヤ」
 もっとムードを大事にして欲しい。なんて贅沢だろうか。というか、初めてがお風呂場なんて……もっと、ベッドの上でこう、明かりを消して……――
「ほお。さっきから聞いちょったら、わしが触るがはえいがか。ほにほに、嫌やのうて、駄目っちゅうんもそういうことかの」
「あっ」
 にんまりと口角を釣り上げたその顔に、反射的にしまった、と感じてしまう。
「やっ、それは、」
「のう立香、正直にわしに言え。ほいたら、最後まではせんき」
 我が意を得たりとばかりに機嫌のよくなった彼の甘言に――そう、甘言だと分かるほど柔らかな声色は明らかに猫なで声だったのに――、私は、それは本当かとばかりに以蔵さんを見て、
「……ほんとう?」
「おまんに嘘はつきとうないにゃあ」
 彼の眼が愉快そうに歪んでいるのを認めると、視線を落として、小さく頷いた。
 この気持ちが報われるかもしれないことへの誘惑に抗えなかった。抗えるわけがなかった。叶ってほしい願いは沢山あった。報われたものもあれば、報われなかったものだってある。聖杯に願う程のことではないけれど。そんなの、きっと生きていれば皆が経験することだけれど……だって、叶うなら、叶ってほしい。叶えてほしいと思ってしまうのは止められるものではないはずだ。例えそれを我儘だと、強欲だと呼ぶのだとしても。
「……い、以蔵さんとするのは、いやじゃ、ないよ」
 私情でしかないこの気持ちは、意識しないようにしてきた。そうすれば強くなることもない。だって、私にはやらなければならないことと、成さねばならないことがあったから。
 でも、でも、逆に言えばそれは、意識さえしてしまえば急激に膨れ上がってしまう危険を孕んでいた。それを、こんなに胸が甘く痛む段階になってしまうまで考えなかったのは結局、私の甘さなのだろう。
「嘘でもないが、正直に言っちゅうわけでもないにゃあ」
「……」
 そんな私の心なんて知らないはずの以蔵さんは、自分ははっきりとは言わない癖に、私を追い詰めてくる。逃げられないところまで。言い逃れができないところまで。
 嘘はつきたくない。別に彼じゃなくたって。そういう私の気質を理解した上で、言えと、彼はそう言っているのだ。
 それはつまり、私の気持ちの成就を、きっと、意味していた。
「……なの」
「聞こえん」
「い、以蔵さんが、すき……なの」
 だから、触られるのは嫌じゃないけど、ここで抱かれるのは嫌なの。
 と、続く言葉に私の言いたいことはほぼ正確に伝わっただろう。顔を見るなんてとてもじゃないけれど出来そうになくて、着物を着たままの彼の袴が濃い色に濡れて重そうだなんて関係の無いことを考える。
「顔上げえ」
 以蔵さんの指先が私のこめかみに張り付いた髪の毛をそっと払う。びくりと反応すると、くつくつと彼の喉元から笑いが零れてきた。
「人斬りの姿にゃあ怯えんくせに、今はおじりゆう。なにがそがに怖いんじゃ」
 俯く私に、以蔵さんの顔が、唇が、近づいてくる。覗き込まれるようにして唇同士が触れて、おとがいに優しく指が添えられた。かと言って上を向かされるわけでもなく、本当に添えるだけ。
「……げに、まっこと、こがな所で盛っても、おまんは持ちそうにないにゃあ」
 やれやれと、しょうがない奴だと言わんばかりの声色で、以蔵さんが笑う。優しいような、小馬鹿にするようなそれは柔らかくて、そっと視線だけを上げると、その目が細められる瞬間を見た。
「けんど、わしも据え膳を食い逃す趣味はないぜよ。立香、折衷案じゃ。今は最後まではせん。代わりに……わしが落ち着くまで相手になっとうせ」
 言うや否や、私の手を取って、以蔵さんが袴の間に――彼の股間に私の掌を押し付けた。咄嗟の事にびくりと指先がもがくように動く。その先で、彼の熱がぐっと動くのを感じた。
 男の人が、興奮すると後戻りできないという話は聞いたことがある。
「ほれじゃったらえいろう?」
 ここ最近はすっかり見ることのなくなった、どろりとした妖しい笑みが私の目線を拘束する。絡め取られるようにして、私はその提案に頷いた。――ああ、これってつまり、そういうことでいいんだよね?



 露天風呂もどきというのは、一部サーヴァントによって魔改造された、空調の利いた混浴風呂エリアの事だ。混浴というか、何でもありというか……兎に角。恥ずかしがる私のために以蔵さんは着物姿のまま私の手をしっかり掴んでここまでやってきた。涼しい空気にふるりと身体が震える。寒くはないけれど、手拭いで隠しているものの、濡れたそれは直ぐに冷たくなってしまう。
「こっちじゃ。えいもんがある」
 以蔵さんは湯船を通り過ぎ、混浴エリアの端へ私を伴った。そうして着いたのは、いわゆる岩盤浴の出来る場所。綺麗に整えられたその石の上は暖かくて、素肌が傷つくことはなさそうだった。逆上せることも、湯冷めして風邪をひくこともないような、本当に丁度いいおあつらえの場所。そこへ着くなり、以蔵さんは手早く着物を脱ぎ始めた。
 しゅるしゅるという衣擦れの音がこれから何をするのか考えさせてきて、恥ずかしくなる。
 身の置き場に困っていると、褌だけになった以蔵さんが私を手招いた。そろりと岩の板の上に身を置くと、胡坐をかいて直ぐ側に座った以蔵さんがなにやら取り出した。とろりとしていて、透明だけれど、薄らと黄色い。
「わ、いい匂い」
 鼻腔をくすぐったのは、花の匂いだった。金木犀……だろうか。どこか果実めいた、甘い匂いがする。
 以蔵さんは手に取ったそれを掌に馴染ませるようにして両掌を擦り合わせると、ちらと私を見遣って、
「ほれ」
「っ?!」
 にやりと笑みを浮かべたかと思うと、私の胸の上にぺたりと付けてきた。そうして、それを広げるように私の肌の上を彼の手が滑っていく。熱い掌は私のものとは違って肉刺ができているからか固く、そうでなくとも分厚い皮膚で覆われているのが分かる。通り過ぎて行った先から肌の表面が不思議と熱を持っていることに気づいた。多分、暖かくなるような成分が含まれているのだろう。
 以蔵さんは何度かそうやって――多分、マッサージオイルみたいなものだと思うけれど――とろみのある液体を私の腕や指先まで塗り込むと、手ぬぐいの上から私の両胸を軽く揉んだ。
 びく、と身体が跳ねる。怯えではなくて、驚きから。
「……こん下にも触るぜよ」
 伺いを立てるようでありながら、それはただの宣言でしかなかった。私の答えを、既に彼は知っているから。
 暖かく、ぬるりとした感覚が手拭いの下に潜り込む。まるで愛撫するように胸を揉まれて息を詰めると、すぐさま息を吐くように促された。
 手拭いが以蔵さんによってずらされて、徐々に露わになっていくのを見ているしかできない。お腹を撫で、脇腹を掴むように両手が滑って、そのまま下半身へ。足の指の一本一本まで丁寧に塗りたくられて、それが終わる頃には、私は緊張が持続せずにすっかり気疲れしてしまっていた。身体中がぽかぽかして、寝てしまいそうだ。
 ぐったりと横になり、最初の羞恥も以蔵さんによって溶かされたおかげで、もう然程恥ずかしくはない。肌を見られるより恥ずかしい目にあっては、私の感覚が狂ってしまうのもおかしくはないと言えた。以蔵さんは私の下生えをさりさりと指で梳いていたけれど、今は満足そうに私の腰のラインを指でなぞっていた。
立香、まだなんも終わっちょらんぜよ」
「ええ……」
 まだするのか、とは思うものの、以蔵さんの『相手』らしいことなんてまだ何もしていないのだから当然か。
 思ううちに、腰を掴まれてうつ伏せになる様にころんと転がされた。
「ん、」
 とろりと、温められたオイルが背中へ落ちて、それを以蔵さんが掌で丹念に伸ばす。肩を擦られ、背中を丁寧に撫でられ、お尻を……ここぞとばかりに、お尻を揉みしだかれる。
「やっ」
「そがな甘ったるい声で何を言いゆう」
 以蔵さんの両手には余るほどの大きさのそれを、両手でたっぷりと触って、お尻の割れ目を擦り合わせるようにして揉まれて、まだ誰にも許したことのない場所が疼く。お尻を触られてこんな風に感じるなんて、知らない。
 戸惑っている内に、するりと彼の指が内腿の間に割り込んで、自分しか触れたことのない場所をなぞった。
 流石に看過できずに身体を強張らせると、まるで宥めるかのように頭を撫でられる。
「こればあ、なんちゃあないろう? 安心せえ、おまんの許可なく指一本入れやせん」
「んっ」
 ぬるぬると、以蔵さんの指がそこを行き来する。本当にそのまま入れられるようなことはなくて、でも初めて他の人に触られているという事実と、それが他でもない以蔵さんであることで胸の奥がむずむずとしてきた。身体がぽかぽかしていたのが、心の、身体の奥が熱くなるような。
 しばらくそうしてお尻と割れ目を弄られていたけれど、少し胸の先がじんじんしだしたところで、以蔵さんが私の身体を起こした。
「きゃあっ」
 いつのまにか褌を脱いでいた以蔵さんはつまり全裸で、だから、むくむくとした彼のペニスがおへそから薄らと毛が生えはじめ、下へ行くほど濃くなる下生えから突き出した、初めて見るモザイクなしのそれが、露わになって私の目に飛び込んでくるわけで、えっと、
「生娘みたいな声だしなや……いや、おまんは生娘じゃったの」
 慌てて視線を彷徨わせていると、どこか呆れたような以蔵さんの声が聞こえた。きむすめ、というその言葉にもまたどこか恥ずかしくなる。初めてなのにこんなことしてて、以蔵さんに幻滅されないだろうか。いやでももとはと言えば以蔵さんが持ちかけてきた話だった。
「男の魔羅を見るがは初めてかえ?」
 見せつけるように笑みながら、自分の勃起したそれに手を添えて以蔵さんが聞いてくる。
「おっ、お父さんを入れたら初めてではないけどっ」
 最早キャパは軽く超えていた。普通父親はカウント外だろうと冷静であったなら思ったことも、言われた言葉そのままの解釈しかできずに言わなくても良い言葉で返してしまう。
 案の定以蔵さんは目を丸くして、一拍置いた後、豪快に笑った。
「はっはっはっはっは! ほいたらお初にお目にかかりますのう」
 以蔵さんは愉快そうで、まあ、興が削がれたなんて言われるよりはよっぽどいいけれど、だからといって下ネタで返してくるのはどうなんだろうかと思考が忙しい。
「くっく、これがわしじゃ、色も形も……味も、はよう覚えとうせ」
 茹だるような熱の霧散は一瞬だった。
 以蔵さんは直ぐに声を潜めるように声量を抑えると、私の手を取って、そのまま彼のペニスへ触らせた。オイルである程度は滑るけれど、関係ないほど表面の柔らかな皮が伸びて、私の手と皮は摩擦が起こっていないのに、ぬるぬると動く。皮の内側の固さにおっかなびっくりしながらもされるがままになっていると、私を見つめている以蔵さんに気づいた。
「な、なに?」
「よう動くカオじゃ思うただけじゃ」
 ちゅ、と唇に吸い付かれて、なぜか「やられた」と感じた。どきどきして、手の中にある熱が大きくて、……これが、今は兎も角、いつか私の中に入る日が来るのだと思うと、本当に入るのだろうかと疑問が浮かぶ。だって、太くて大きい。今まで自分でするにしても指だけで、中に入れると言っても一本が限界だったし、中で気持ちよくなれたためしもないのだ。
 それで、そんな私が相手で、今すぐにでも私を抱きたいという以蔵さんに満足してもらえるだろうか。
「おまんはほんになんでも顔に出るのう」
 くつりと以蔵さんの喉仏が上下する。そのまま目線を上げていくと、彼の眉尻が下がって、見たこともないような柔らかで、優しげな表情であることを知った。……甘い顔、と、言えばいいのか。そんな表情を以蔵さんが私にするなんて、初めてのことだった。
 胸が、痛い。甘くて、きゅっとした感覚が胸と、下腹部で起こる。じんじんと胸の先が痺れるように疼く。
 呆けたように固まっていると、また唇が重なった。以蔵さんの手が、私の手を覆う。覆ったまま、上下に動き出した。それが止まって手が離れると、ちょんちょんと指先で手を突かれて続きを促される。恐る恐るぎゅっと掴んで彼のペニスを扱くと、顔に熱い息が掛かった。乱れた息のまま、唇に吸い付かれ、舐められて、以蔵さんの舌が唇を割って少しだけ入ってくる。
「ふあ、」
 ぺろりと舐めるだけで終わったものの、ぞわりとした感覚に唇を開けて声をもらせば、その明けた唇を覆う程の大口を開けて、まるでむしゃぶりつくかのようにして強く、強く吸い上げられた。
「んんん、っ」
 腰のあたりにぞわぞわとした感覚が這う。下腹部が、以蔵さんの指が撫でていた場所がじんと熱くなる。何度も唇を貪られながら、胸を鷲掴みにされて、乳首をきゅっと優しく摘まれた。
「ふ、ンッ」
 食べられちゃう。
 直観的にそう思うのに、嫌でも、怖くもない。それどころか、きゅんと胸が高鳴るのが分かる。
 丁寧に歯列を舌でなぞられて、こちらからも舌を差し出せば柔らかなその舌先が私の同じ場所に触れて、ちろちろと舐めて、唇で挟まれて、かと思えばまた唇に吸い付かれて。最早私の手は以蔵さんのペニスから離れて、逞しい太ももに縋りつくように乗っているだけだ。
胸を愛撫されながら延々と行われるキスに、もうどうにでもして、と彼の身体にもたれかかった頃。
「っ、ああっ!」
 彼の唇が顎を伝って首筋に落ちて、首を反らすと舌先で軽くなぞられた後にちゅう、と吸い付かれ、初めての感覚に肌が粟立った。壊れた機械のようにがくんと大きく腰が跳ねて、自分でも吃驚する。宥めるようにそこを以蔵さんの掌が撫でるけれど、決して小さな子にするような慈しみからのものではなかった。円を描くように緩やかに撫でてくる速度は一定で、妙にぞわぞわとする。
「熟れてきたにゃあ……」
 唇を首に当てたまま喋られて、以蔵さんの声が喉の中へ直接響いて、腰まで届く。乳首を優しく捏ねられて、ちりちりするような快感に足の付け根に不規則に力が籠って、太ももが揺れる。以蔵さんの上半身が迫るから、逃げるようにして私も上半身を下げる。そのまま押し倒されるようにして仰向けに身体を横たえる形になると、彼の手は胸から徐々に下へ降りて内腿を撫でた。際どい所まで指が這い、ひだに近い下生えが彼の指に当たって、根元から皮膚へ感触が伝わる。どきどきとぞくぞくがない交ぜになって、つい腕で顔を隠してしまう。
「どういて隠す」
「……だって……恥ずかしい……」
 身体が隠せないなら、顔を隠すしかない。
「心配しな、綺麗やき」
 どういうつもりなのか、歯の浮く様な言葉に余計に恥ずかしくなってくる。普段、そんな言葉を受けることがないから余計に、どうしていいかわからない。素直にありがとうといえばいいのか、恥じらっているのはそういう理由じゃないとやんわりと否定すればいいのか。
 大体、そんなこと言いそうにない以蔵さんが、その声に小さく笑みを乗せながら囁いてくるのもいけない。どきどきしてしまう。
「身体もそうやけんど……おまんの今しゆう顔は一等えいがじゃ……」
 そうこうしている内に、以蔵さんの愛撫の手と唇は徐々に繊細な触れ方から、大胆に、明け透けなものへと変わってきた。顔を隠しているのに見透かされているような言葉も手伝って、逃げ場のなさを感じてしまう。無理に腕を外されることはないものの、乳房を手全部を使って揉まれたかと思うと、脇腹へ滑り、腰を掴むように下へ降りて、太ももへ落ち着いたように見せかけて、親指でVラインをなぞられる。
 視界を遮ってしまっている所為で彼の動きの予測がつかず、大仰に反応してしまう。加えて、腕で顔を隠していると腋を締めることが出来なくて、刺激に耐えることが難しいと気付いたのは彼の吐息が私の下生えをくすぐったときだった。
 両膝を擦り合わせるようにして身じろぎをすると、以蔵さんの小さな声が耳に入ってきた。
「たまらんちや……眼福じゃの、誘われちゅう」
 そんなことない、と小さく返すも、割り開くでもなく以蔵さんの手が私の両足の境界をなぞり、茂みの上から恥丘を指で揉まれる。人差し指と中指でそれぞれ柔らかさを確かめるように触れられて、快感は無い筈なのに、奥まった場所がむずむずして、そのことが酷く羞恥心を煽った。
「おまんにそん気がなかろうが、わしにゃあ誘われちょるようにしか見えんちや」
 覚えちょき、と続く以蔵さんの言葉の前後。その長い指がぬるりと私の股座へ潜り込んだ。
「っ?!」
 慌ててそれ以上奥へ行かせないように足に力を籠める。もう顔を隠している場合じゃなかった。慌てて彼の手を押しやるようにして掴む。
「やっ、入れないって……!」
「やき、入れちょらんぜよ。触りゆうだけじゃ」
 とは言え、以蔵さんの力は生身の男性以上ある。なんの苦労もなく彼の指がひだを擦り、弄ぶようにして中指が愛液を絡め取り、次第にぬめりを帯びるその感触に胸が張り裂けそうだ。
 これで入ってないなんて。確かに彼の指が私の肉に埋もれているような感覚があるのに。外側を触られるだけでこんなに……こんなに、気持ちいいだなんて。
 滑りがよくなった指が、飽くまでも優しく、まるでくすぐるように私のひだを擦る。気持ちよくて、どうしようもない。抵抗のため掴んでいたはずの手は、最早添え物だった。
 時折ひだの奥、つるりとした私の秘めた入口に指が当たって、そのまま入れられてしまうんじゃないかと身体が震える。けれど以蔵さんの指先は湿り気を帯び、とろりと濡れるその感覚を楽しむように愛撫を続けるだけだった。
 もどかしささえ感じ始めた頃、随分とはしたなくぬめる二本の指が恥丘の谷へ入り込み、敏感な芽に触れた。
「あっ!」
 瞬間に走った甘い感覚に力が緩む。じん、と重く響いたそれに、私は、私の身体は――心も――彼の手に、陥落した。後は、もう彼のなすがままだった。
「よう育っちゅう」
「あ、あっ」
 時折恥丘ごと捏ねまわされて、断続的に股関節に力が入って太ももの肉が震える。
 ぴたぴたと水音まで聞こえ出して、本当に入っているのか入ってないのか、もう分からない。
「まだ入れもせんうちから、わしが欲しゅうて濡れゆうがよ」
 意地悪な声に返す言葉さえなかった。快感を受け止めることで精一杯なのに、以蔵さんの掠れた声と言葉の内容に頭まで愛撫されているようだ。
 だからだろうか、そろそろかの、と呟いた声の内容を頭の中で処理するのが遅れた。
 両足を一つにまとめられて、以蔵さんの肩に担ぐように持ち上げられる。今指で散々弄ばれた場所に熱く太い切っ先を感じて、きゅ、と奥まったところが切なくなった気がした。
 膝立ちになる以蔵さんの太ももが、私の足の付け根をぎゅっとはさみ込んで、強制的に足を強く閉じることになる。一つにまとめられた両足を、彼の太い両腕が抱きしめるようにして抱え込む。
 彼の身体の熱さを感じてしまって、止める間もなく、クリトリスを擦りながら、以蔵さんのペニスが内腿から顔を出した。
「やっ、なに、」
「ほやえなや、入れん言うたやか。流石に指も入れちょらんのにいきなり突っ込むわけないろう」
 心外だと言外に含みつつも、以蔵さんはゆるゆると腰を動かし始めた。オイルの所為か、粘度のある水音が時折小さく響くのがたまらなく淫靡で、以蔵さんの暖かくて柔らかいものが秘所に当たって、でもどこか物足りなささえ感じる。なのに、クリトリスは彼の熱いペニスで何度も擦られて、性感だけは高まってしまう。
 捕まるものが無い所為で揺れる視界の中、仄かに赤黒いペニスのぷりっとした先端が、私の白い肌から何度も顔を出すのを見る。
 ……こんな風にナカに入って、擦られてしまったら。どんなに気持ちいいんだろう。
 女性が中で感じるには経験やトレーニングが必要だと聞いたこともある。そんなに気持ちよくなかったなんて、誰かが話していたのを聞いたことも。
 でも、今、さっきまで以蔵さんの指で気持ちよくなっていた場所がこんなにも切なく疼くのなら。ペニスを受け入れることは怖いけれど、彼の指なら。もしかするととんでもなく気持ちいいのかもしれない。そんな風に思ってしまう。……少し、入れて欲しい気がするなんて、そんな風に考えてしまう。
 これが『欲しい』という感覚なのかと自分の気持ちに一人煽られていると、私の足を抱えた以蔵さんが切なげに息を漏らした。膝の横に軽く歯を当てられる。
「あっ」
 痛みはないけれど、指とは違う鋭い刺激に、びりびりと痺れにも似た快感が奔って、秘所へ至った。その所為で足の付け根に力が入って、彼を締め付ける。
「う、っ、あ、」
 以蔵さんは呻きながら、切なげな顔で私の足を太ももから一層強く抱きしめると、二、三度強く腰を打ち付けて動きを止めた。先端だけ顔を覗かせるペニスの小さな口から、勢いよく飛沫が私のお腹にかかる。
 以蔵さんの荒い息が舐めるように足へかかるのを感じながら、その瞬間、妙に犯されたような、合意のはずなのに、多分、好きあっているはずなのに、汚されたような気がして、そのくらくらするほど甘い感覚に思考が侵される。セックスをするよりもずっといけないことをしたような。されたような。でも、だからといって嫌とか、気持ち悪いとかそういうことはないのだけど。
 ああ、この男の人に落ちたのだ。誰のものでもなかった私は、マスターであることが性別よりも重要だった私は、この人の手で、たった一人のただの女だという指向性を持たされたのだ。
 そのことに対する仄かな喜びにも似た気分に、感情が高ぶってくる。そこに深く息をする以蔵さんが私の足をべろりと舐めたことで、気持ちがより一層大きくなった。
「……ん、なんじゃ、物欲しそうな顔しよってからに」
 気怠げな顔と声に意地悪な笑みが乗って、身体が感じている不満が溢れ出しそうだ。
「わしが欲しゅうなったがか? それか……ほうじゃの、おまんもいっぺん気ぃ遣っちょかんと不公平やにゃあ」
 とろりと、彼の目が歪む。嗜虐的でさえあるその表情に、竦むどころか飛び込んでしまいそうなほど心が望んでいる。目の前の、他でもない彼の手によって、喜びがもたらされることを。
 以蔵さんは私のお腹に散った自分のものを見下ろして満足そうに口元をゆがめると、私を抱きかかえて、緩く胡坐をかいたそこへ収めた。背中から抱き込まれる形だ。マッサージチェアに腰掛けたような姿勢と言えばいいだろうか。以蔵さんの身体を背中に感じながら、彼の右手が私の下腹部へ伸び、そのまま恥丘の下生えを掻き分けるのを見つめる。自分で思うよりもずっと柔らかな肉で覆われているそこを、彼の長く、筋張った手が沈むようにして潜っていく。奥まった入り口を中指の腹で擦られて、ひくんとそこが疼いた。
「……早うここで、わしを覚えとうせ」
 耳に唇をくっつけながら囁かれて、身体が小さく跳ねる。微かに彼が笑ったような気配がしたけれど、直ぐにクリトリスに触れられてそれどころではなくなってしまった。
 中指と人差し指がひだと入口を擦って、親指の腹がクリトリスを優しく押してくる。
「あ、……ん、いぞう、さん」
 腕の中に納まって、小さく声を出す。手持無沙汰な彼の左手は私の乳房の上にあって、悪戯をするように乳首を摘まれ、身をよじって。もう、快感から逃げたいのか、それとも求めたいのか分からない。
「ゆび……入れて……?」
 小さなおねだりは、しっかりと以蔵さんに聞こえていたようだ。直ぐに返事のあと、中指が愛液の助けを借りながら、入り口から私のそこへ少しだけ入り込む。痛みと言い切れない微細な感覚と、興奮と、求めていた行為に嬌声が漏れた。
 少しだけ入った指は、それ以上進むこともなく、ただ少しだけ小刻みにナカへ振動を与えてくる。その感覚と、振動に合わせて擦れる入口の快感が混じる。宥めるように動く親指が生みだすクリトリスでの快感にも引きずられて、それは間違いなく気持ちが良かった。
 妙な満足感にも似た気持ちが心に湧きあがる。これで漸く、以蔵さんに手を出してもらえたような。誰にも許したことのない場所に彼が触れて、あまつさえ私の中へ指を埋めていることへの喜び。
「どうじゃ、痛うないがか」
「ん……」
 私の声から、以蔵さんは何かを察したらしい。
 次第に指は奥へ向かい、けれど激しくされるようなこともなく、じっくりと私の中を指一本分拓けていく。その間にも他の指はひだを擦り、恥丘を包むような彼の手が、その中に秘められた快感の芽をゆっくりと揉むように刺激してきて、どちらかというとそちらの快感で彼の指をぎゅっと包み込んでしまうのを感じる。
「ん、……ん、ん」
 息の合間に声を漏らす。背中に感じる彼の逞しい身体の凹凸。私とは違う、浅黒い肌。金木犀の甘いとは違う、後ろから漂う自分じゃない人の匂い。耳元にやってくる息遣い。それから、私を抱きたいという、強い意志を感じる彼の両手。
「おまんがここでわしの魔羅を喜ぶようになるまで、どればあかかるかの……楽しみやにゃあ、立香?」
「あっ」
 以蔵さんの声が耳から身体の中に入って、まるで彼の持つ茹だる程の熱を注がれるようだった。彼の言葉が私の頭と心を掻き乱し、身体を熱くする。
 彼の唇が私の耳介を辿り、耳たぶを挟む。軽く歯を立てられて、その鋭さに得も言われぬぞくぞくとした感覚が背中を這い、背を反らしてしまう。
「ん、あっ」
 その際に、ぷるん、と彼の歯から耳たぶが外れ、揺れる。それだけなのに、妙にその感覚が大きくて、以蔵さんの指の腹が当たっている場所が切なく疼いた気がした。
「ほお……耳が弱いが」
「やっ、んっ!」
 以蔵さんの足が私の足を絡め取って、強制的に彼に凭れるような体勢にされる。彼の中指が私の中で探るようにゆっくりと動く。そして彼の舌が、そっと私の耳の形を確かめるように外側を辿り、這う。
 息が近い。近すぎる。熱い息が、舌先が、喘ぎともつかない彼の声が、全て鼓膜を震わせて、快感へ変えていく。身体が勝手に、びくびくと痙攣する。
「やぁ……みみ、やだ……」
「そがに可愛い声で言われても、もっとして欲しい言うちょるようにしか聞こえんぜよ。……ほに、やめてえいがか?」
 耳の裏側にキスをしながら、以蔵さんが低く囁く。その声は、私が今一度止めてほしいと告げれば本当に止めるのだろうと思わせるには十分だった。だって、以蔵さんはここではしないという約束をまだ破っていないし、指を入れることだって、私から言わなければしなかったのだから。
「……う」
立香、教えとうせ」
 唇が耳を擦る。彼の無精髭がさりさりと当たって、痛いのに、痛いからこそ、そこを意識してしまって、だから、
「……やだって言ったけど、止めてなんて言ってない……よ」
「――は、こりゃ一本取られたの」
 恥ずかしくて少しばかりひねくれた返事をすると、以蔵さんの声が愉快そうに上擦った。……それが、決して普段の楽しそうにしている声ではないことは、見なくても十分に分かる。
 ぢゅう、と耳たぶを吸い付かれたかと思うと、そのまま引っ張られて、ぢゅば、と大きな音を立てて離れる。引っ張られて、耳の中で快感が生じたことに驚く間もなく、大きく淫靡な音に頭の中が揺さぶられた。かと思うと、以蔵さんの舌が湿った音を立てながら私の耳穴を蹂躙してくる。
「ああっやっ、だめ、きたな、いっ」
 中に入った指が、ぐいぐいと奥を突こうと動く。その動きの所為で、クリトリスが強く圧迫されて快感が強くなる。
「はあっ、ん、止めんでえいがじゃろ? なら、今更つべこべ言いなや」
 内側が終わると、耳の後ろをきつく吸い上げられる。何度も場所をずらして行われるそれは、まるで口付の音で私の耳を犯そうとしているようでさえある。結果として彼に身体を拘束されていることもあって、それを受け止めるしか許されない。せめてと首を反らしてもがくけれど、逃げられないのは明らかだった。
 耳を攻めたてられながら、胸への愛撫も、中への刺激も止まらない。
 腰がびくびくと跳ねる。背中がしなる。中が擦れてるのが、だんだんそこ自体が気持ちいいような気がしてくる。でも、本当に気持ちいいのはもっと奥のような気もして、そこへ来てほしいとねだるようにいやらしく身体が動く。
 それを彼が見たかどうかは分からないけれど、耳たぶの後ろを舐めた後、以蔵さんはそこから首筋を辿るように舌を這わせた。後ろからだから限界はあるものの、彼に凭れ、首を反らしていた私は、彼にそこを差し出しているも同然だった。
「ひああっ!」
 無防備にさらされた場所。つつ、と舌が下がっていくその刺激でじわりと目に涙が浮かんだ。耳と同じように、何度も位置をずらして吸い付かれて、彼の手が円を描くような動きに変わって、クリトリスの気持ちよさとは別に、じんじんするような、変な感覚が下腹部の内側で起こり始める。入口がひくついて、ひだの気持ちよさが増していくような気がする。思わず足を閉じようと力が籠る。勿論それは出来ないのだけれど、だからこそ安心できるような気がして、以蔵さんの腕に自分の手を絡めた。
「あ、へん、へんなのっ」
 涙声に近い自分の声は酷く上擦っていて、甘えたようでいて恥ずかしい。
「こじゃんと変になってえいがよ、わしによう見せえ」
 なのに、以蔵さんが全部肯定するから。さも優しげな声で、全部許してしまうから。
 毒にも似た甘いそれが、耳から私を侵す。
「あ、あ、あっあっ」
 身体の奥が、きゅんきゅんと疼いている。まるでもう一つ、小さな心臓がそこにあるみたいに。以蔵さんの指の奥で、快感の中に混じって尿意のような、切なさのようなものが息づいているのを確かに感じる。――同時に、イキそうな感覚も。
「んっ、……っあ、あ、~~っ」
「息、止めなや。声も聞かせとうせ……全部聞いちゃるき」
「あ、やだ、だめっ、ほんとにっ」
 息を止めて快感を追いかけるのに集中しようとすると、以蔵さんが耳を舐めて息と一緒に声を吹き込んできて、それを乱される。乱されるのに、快感の度合いは増して、水音が大きく響いて、以蔵さんの手が、息が、快楽の泉をこじ開けた。
「――はあっ、っ、あ……!」
 びくん、と足が大きく戦慄いた。身体が、鞭のようにしなる。以蔵さんによって開かれた絶頂への扉は、ダムの放水のように身体の外へ迸るようで。
 快感の放出によって今まで身体の中で溜まっていた熱が落ち着いてくる。私の身体から力が抜けると、以蔵さんはゆっくりと指を引き抜いた。擦れて、少しだけ快感が走る。甘いそれに少しだけ呼吸が乱れた。
「名残惜しいけんど、今はここまでじゃ」
「……ん……」
「おまんを独占するにゃあ、まだ日も高いき。マシュが心配して探しに来たら……おまんは困るろう?」
 優しい声に、意地悪い色が乗る。まだ疼く様な気がする秘所に気もそぞろになりつつ頷くと、髪を梳かれた。そのまま頭を引き寄せられ、以蔵さんの胸に押し付けられる。
「今晩、続きをしてもえいがじゃったら、部屋の灯り消した後……わしを中に入れとうせ」
 甘い匂いに包まれながら、一つ頷きを返す。仕切り直しを――否、それが彼の本懐なのだ。その為の布石で、前戯だった。
 彼の手練手管に絡め取られている。そう感じるのに、抗う気も湧いてこない。それどころか、もっと聞き分けなく求められたいなんて、実際にされたら困りそうなことまで考えてしまう。そんなことをされなくたって、ひとまず今、この同じ匂いであることを誰かに指摘されるであろう近い未来を思うと、気恥ずかしくて、胸がくすぐったいような気持ちになるのだから、どうしようもない。
 ああ、もう。だいぶやられてしまっている。
 最早私には金木犀の香りよりも以蔵さんの乾いた草のような匂いが強くて、それを深く吸い込めば、過ぎ去った熱が身体の奥でまだ燻るような気がした。
 まだ、夜にさえなっていないなんて。今夜は、どれほど長いものになるのだろう。

2018/09/23 UP

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