Umlaut

帰郷 - The place and her grace - 01

 くあ。
 これっぽっちもはばかることなく、大口を開けてあくびを一つ。それについて眉をひそめるような人もいないそこで、私は年頃の女であることを放棄する風にだらしなく伸びをした。

 聖王都ゼラムの宿屋。朝と呼ぶには既に日は高く、あたりは活気付いている。滞在期間は今日で三日。
 ここはただの通過点なのだけれど、私が目指す場所はゼラムから遠くないし、既にあちらへ手紙は出してあるから少々のずれが出たところで支障はない。それに、一人旅をしている以上、休息というものは可能な限り取っておくべきだ。幸い、急ぐ旅でもない。目的地も辺鄙すぎて荷物整理には全く不向きで、ゼラムから近いにもかかわらず直接そこへ向かわないのは、その辺りの事情もあった。
 勿論、だらだらと過ごしていたわけでもない。一日目はゼラムに着くまでに確保した物品の換金作業と新しい物資の調達に街を歩きまわったし、二日目である昨日は美味しい料理とふかふかのベッドを堪能することに終始していた。あと、ここで店を出している知り合いへの顔見せを、手土産を持って行ってみたりもした。
 そして三日目の今日。私は荷物をまとめ、宿屋をチェックアウトし正門前で街を一瞥すると、そのままゼラムを後にした。

 私はこれから、恩人に会いに行く。



 本当を言うとゼラムにも世話になった人達がいて、顔だし程度の挨拶くらいはしておきたかったけれど……会いに行くためにはどんなに迂回しようとも、蒼の派閥という、召喚師が属する組織の本部に近づくことになってしまう。というのは、世話になった人が住んでいる高級住宅街と蒼の派閥本部は目と鼻の先の距離にあるためだ。
 どちらも思い入れのある場所ではあるのだけれど、今本部で顔見知りにでも捕まってしまうと最悪の場合私の旅が終わってしまう可能性がある。念には念を入れておいて損はないし、何も今この機会に是が非でも会わねばならないこともない。恩人に会った後、なんの気兼ねもない状態で来ればいい。優しい人たちだから、きっと温かく迎えてくれるだろう。
 私にこの世界で生き抜く知識と力を与え、導いてくれた。そして自由に生きろと言ってくれた。彼らの気持ちを汲むのなら時折手紙を出す程度でも良いのだろうけれど、でも、会えない距離ではないのにそんな薄情なことはできないし。
 とにもかくにも、私は街道沿いに歩きだした。風は心地よく、私の身体を撫でていく。もうすぐ会えるのだと思うと自然と身体がはねた。何せ、恩人に会うのは約十年ぶりになる。どうしてこんなに時間がかかってしまったのかと疑問を呈してみても、なるべくしてなったのだと返すしかない。この月日を無為に過ごしてきたとは思わないし、いいか悪いかを問われれば、はっきりといいと言える時間と経験を得たと、自分でも思う。

 私は、はぐれ召喚獣というものの立ち場にいる。
 今から十三年ほど前に『名もなき世界』という、私が住んでいた世界から召喚された。その当時のことは……主であるはずの召喚師がいたはずだけれど、名も、顔ももう覚えちゃいない。ただ怖くて仕方なくて、逃げたことだけはなんとなく覚えていた。その程度だ。
 路頭に迷い、右も左も分からぬまま途方に暮れていた私を拾ってくれたその人は、今も変わらず森の中で静かに暮らしている。
 訳あって村を出ることになってからは手紙でやり取りをしていたのだけれど……最後に出し合ったのはいつだっただろう。およそ一年前にサイジェントという工業都市に行くことになる前に、しばらく手紙は出せないから返事は要らないという旨を出して、以来相手からはきていないからそれからということになるか。
 それからサイジェントを出る前にも村へ帰るとしたためた。出してすぐに発つつもりでいたということもあって、同じように返事は要らない、と書いたのを思い出す。何事もなければ手紙の方が先についているはずだ。仮に遅れていても私が無事でいれば何も問題はない。
 さて。
 先程から感じる気配を振り切るべく、私は街道を離れ、森目掛けて草原を駆け出した。いくら旅慣れをしているように見えても襲われるときは襲われるものだ。
 平原ではお互い視界が利く。あちらは多数いるから一人旅をしている私は原則不利な立場だ。勿論私だってそれを意識してないわけはなく、私を追ってきた気配が背後で散り散りになるのを感じながら森の中に飛び込んだ。
 相手が複数でも視界が悪い場所ではうまく立ち回ればなんとか勝機を見出だせる。あちらの方が地理を熟知しているだろうから不利になることもあるかもしれないが、平野で丸見えになっているよりはいい。武器もゼラムで手入れしたばかりだし、と私は俄然やる気が出た。
 ゼラムで耳にした話では、つい先日騎士団がこの辺り一帯の野盗狩りをしたらしいけれど。まあ、今のこの状況ではそれが気休めでしかないことは明白だ。数は五。うまくいけば直ぐに片をつけられる。
 森まで何とか速度を下ろさずにたどり着くと、息を殺し、気配を絶った。あちらもできる限りそうしているけれど、私の方が上手のようだ。私を探しながら五つの気配が辺りをさ迷う。囲まれないように気をつけながら私も動く。そのまま隙を伺っていると、それらは直ぐに私から遠ざかり、森を脱してしまった。
 ……?
 わずかの間訝るも、野盗にはグループごとに縄張りが存在することを思い出した。他の縄張りを荒らすのは御法度らしい。野盗として生きるには不可侵が暗黙のルールなのだと。……どうやら、私はあの五人の縄張りから出ていたようだ。
 こちらとしても体力は消耗したくないし、戦闘は回避するに越したことはない。私は細く息を吐いて、道なき道を歩くことにした。

 森の中に住んでいる、と言っても恩人は村で暮らしていて、その村には行商人も行き交っている。レルムの村と言って、決して豊かな暮らしが出来るわけではないけれど、静かでのんびりとしたいいところ。特産物の芋もゼラムで見掛けたから、本来なら人が普段行き来しているような申し訳程度の道くらいはできているはずなのだけど、なにせ何も考えずに森に入り込んだため探すのは大変そうだ。それより人の気配を探りながら奥へ進んだ方が早いかも知れない。幸い方向感覚は良いほうだという自負もあって、私は自分を信じて進むことにした。

 森のなかは僅かな動物の声や風が木々をくすぐる音こそするものの、非常に静かだ。まるで人が立ち入ってはいけないような清廉さを称えている。その場にじっとしていると威圧感にも似た空気に屈しそうですらあった。
 出ていく時は別れを惜しんでくれていたように見える景色が、今は部外者の存在に眉をひそめているように感じられる。
 村にいた頃にはそんなこと全く思わない、優しい場所だと思ったのだけれど。そう思うのはきっと、私自身が最早レルムの村の者ではないと感じているから来るものなのだろう。
 一抹の後ろめたさえ感じながら、私は黙って足を動かした。



 森の中を歩いて、しばらく。ふと前方から人の気配を感じた。数は一つ。殺気こそないものの幾分か苛立ったような気の乱れを読み取った。……誰だろう。
「アメル?」
 男の声だった。不機嫌そうな、けれど確実に和らいだその気におや、と思う。呼ばれた名には覚えもあった。懐かしい名前。恩人の孫の名だ。
 がさ、と音をたて、茂みの向こうから声の主が現れた。気の強そうな顔立ちに、それを印象づけるかのような赤い前髪。後ろへいくにつれ茶色になっている。……見たことがある。知っている。村にいた頃によく遊んだ。見開かれた茶の瞳に、私も驚いた顔をしているのが見えた。
 あの人からの手紙の一枚には、最近はすっかり昔と性格が変わったと書かれていた。つまり、
「リューグ?」
 古い記憶と共にやはり懐かしい名を声にのせると、彼はより一層目を丸くした。私が誰かを思い起こそうとしているのだろう。視線が私の全身に注がれる。それを不快だとは思わなかった。
「……キョウコ、か?」
 消去法だろうか、小さな村から出ていった人間の少なさからか、彼は漸く私が誰か見当をつけたらしい。そして、それは私しかあり得ないが、信じられない、という感情がにじみでた声色だった。
「当たり。でも酷いな、そんなしかめっ面」
「ハッ、随分野性味のある面になったじゃねえか」
「……それ、どういう意味よ? まあ、確かに女に見えないようにって気を使ってるけど」
 女に見えるだけで旅の危険度は馬鹿みたいにはねあがる。しかも、一人旅だ。女だてらにそんなことを慣行できる人間などそういない。逆に怪しまれ警戒心を植え付けるかも知れないが、それでもまず野盗に狙い撃ちにされる恐れがある。というか、間違いなくそうなる。それを少しでも回避するためにと考えたのだけれど、振り返ると、男よりはるかに貧弱そうな身体ではたいした効果はなかったのかもしれない。
 私はくしゃくしゃになった髪をよりいっそう乱すように頭をかくと、目の前の彼を見た。
「……みんな、元気にしてる?」
「手紙で大抵のことは書いてあっただろ」
「ここ一年ほどは手紙のやり取りだってできなかったじゃない。病気が流行ったりしてない? 誰か、大きな怪我とか」
「……ねえよ」
 少し間を開けて紡がれた彼の返答と表情のなかに、なにか複雑そうな色を読み取った。一見不機嫌さを増した風に見えるが、今の場合はなにか心のうちに湧いたものを押し留めるときの顔だ。約十年ぶりの再会とはいえ、昔よりも随分人の機微には敏感になったと自分でも苦笑を禁じ得ない。
 ただリューグのそんな顔に、それ以上突っ込んでしまってもいいものかと私は思考を巡らせて、結果、流してしまった妙な空白に息をつまらせた。

 彼の両親はすでに他界している。理由は、はぐれ召喚獣に襲われたからだ。私が出ていってからそう後のことではないらしい。恩人からの手紙にはそのように書いてあった。以来、共に暮らしているのだ、とも。
 そのリューグが、はぐれ召喚獣、という存在について考える時間なんて嫌になるほどあっただろうことは想像に難くない。
 私がはぐれ召喚獣だということは村を出て行ってから分かったことで、しかも彼の両親の訃報と入れ違いで出した手紙に、既に書いた記憶がある。今回帰ってきたのは恩人に会うほかにも、そんな風に両親を亡くしてしまった彼ら――リューグには一卵性の双子の兄がいる――と向き合う意味合いもあった。
 ただでさえはぐれ召喚獣という言葉や立場は先入観や偏見を植え付けるし、彼らがそうだったように人間を襲うものもいるのは紛れもない事実だ。私はそんなことをするつもりは毛頭ないけれど、もし彼らが私と距離を置きたいと言うのなら、私は村に帰りこそすれ、そこで暮らして行くことは出来ないのだろう。その覚悟もしてきた。恩人に会ったら、礼を尽くし出ていくしかない。森に入った時に感じたように、既に私は外部の人間になったのだろうから。
 けれど、今のリューグの表情はそれだけを理由にするにはあまりにも激しい熱を持っているように思えた。勿論彼ら両親の死が、今尚彼の中に強く根付いているからなのかもしれないけれど。
「あのさ、村まで連れてってもらっていい? ……お墓参りも、したいし」
「……ああ」
 切り出すと、私たちの間に漂った濁りのような空気は流れていった。安心して息を吸い込む。しめやかな森の臭いがした。
 リューグの後ろを歩きながら、ふとその背中を見つめる。……成長期の、男の背中だ。今まで出会った人のなかにもたくましい体を持った人は少なくなかったけれど、幼かった頃の記憶もあり、かつての面影のないことに違和感……いや、戸惑っている自分がいた。恐らくリューグの双子の兄であるロッカに会えたら同じことを思うのだろう。私たちの間には等しく時間が流れていたはずなのに、なにかに阻まれているような寂しさを覚えた。それが壁なのか溝なのかはよくわからないけれど。
 その寂しさも、歩を重ねるにつれ薄まった。自分の心の機微以上に気にすべきことが現れたのだ。
「……ね、」
 特に気にした風もなく先をいくリューグの服をつかむと、リューグは足を止めて私を振り返った。
「人の気配がたくさんするんだけど……もしかして、私が知らないだけでレルム村って町とかになった?」
 ありえないと思うけれど、心なしか人が起こすざわめきが聞こえてくる気がする。私の問いかけに、リューグは今度こそはっきりと不機嫌になった。
「ジジイからなにも聞いてねえのか」
「村については……書いてなかった、気がする」
 僅かに記憶を掘り起こすべく視線を巡らせてみるものの、思い当たる節はない。リューグたちの両親の訃報以外では、取り立てて印象の強い話はなかったはずだ。
 リューグは私の顔をみた後、行けばわかるぜ、とだけ。私は少なくとも活気づいているような空気とリューグの不機嫌さ示す解に皆目見当がつかず、ただそれ以上の追及を飲み込んでしまったため手を離すしかなかった。


 私の疑問はまず目に飛び込んできた光景により、一度私の思考の網から抜け落ちた。
 見渡す限りの、人。家々や田畑は私がかつて見た頃と変わりはないようだ。だからこそ、この村に不釣り合いなほどいる人の数の異様さが際立っていた。観光関係でないことは容易に分かる。群衆の一部に目を走らせるだけでも、人々の生活ぶりが伺えた。
 親子連れ、夫婦か恋人、冒険者に貴族風の恰幅のいい紳士。どれもてんでばらばら。けれど特に感じたのが単独でこの村にやって来た人間はほぼいないだろうこと。永住するつもりだとか亡命、移民の類いではない。けれど分かったのはそこまでで、何が人々をこんな辺鄙な村に向かわせたのかと私は目を瞬かせた。
 何があったのか、何故なのか、何なのか。
 なにをどういう風に聞けばいいかもわからず、私は途方にくれて隣に立つリューグを見た。先程よりも輪をかけて不機嫌になっている。ぴりぴりした雰囲気にあてられ、私は気が重くなった。……こう言う空気は苦手だ。
「……こっちだ。来いよ」
「え?」
「聞きてえことがあんだろ? まあなにかは大体わかるけどな」
 私は全くわからないよ。
 さっさと歩いていくリューグを慌てて追いかけながら、私はひしめき合う人々を横目にため息をついた。

2011/03/27 : UP

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