Umlaut

帰郷 - The place and her grace - 02

 そのまま無言で村のはずれまで歩き、その先にある立派な木造建築の家のドアをリューグが開け放つ。……懐かしい。私の記憶のものよりも増築されているけれど、ここは確かに恩人の家だった。
 中を覗くように戸口に立つと、ふわ、と木の香りが鼻をくすぐった。先ほどまで存分に森という匂いを満喫しきっていたと思ったけれど、木を切ることでまた違った表情を見せるそれを逃すまいと、私はつい深呼吸を。
 何やってんだ、とリューグは理解し難そうな顔をしたけれど、久しぶりだからと適当な理由をつけてごまかしておいた。ここまで綺麗に香るのは珍しいのだ。今まで滞在していた場所の大体は木造ではなかったし。……昔いた頃には気付かなかった。
 一歩足を踏み入れると、私の重みで床が軋んだ。
 耳を澄ましても家の中に私とリューグ以外の気配は感じられない。
「アメルのことは、ここ一年の間のことだからな。テメエが知らねえってのは、多分テメエが寄越した最後の手紙と時期が前後するからだろうぜ」
「あ、だから……。……アメルに何かあったの?」
 村について尋ねたのにアメルのこと、とリューグは限定してきた。大体変わりはないようだけれど、彼女に関しては違うようだ。けれど、それがさっき見た村の様子にも関係しているということか。ここまで人がいるからには、まさか彼女の身によからぬことがあったのではないだろう。
 まだ今一話題に上るアメルとこの人だかりの接点が分からないけれど、どうもリューグにとって『アメルのこと』は面白くないことのようだ。
 居間の椅子に座るようにすすめられて腰を下ろす。リューグも私の真向かいに座った。ただし、斜めに椅子を引いた状態で私からやや外れた形で。私はそれを改まり、畏まることではないのだと受け止めて荷物を床に下ろした。ふう、と息をつく。目の前に出されたお茶に、ありがたく口をつけた。
「アメルが、聖女になった」
 丁度いいタイミングだとばかりに呟かれたその言葉を、私はふうんと流しながら頭の中で反芻する。
 聖女。……せいじょ?
「つまり?」
「アイツ、前から人の良さそうなところがあったろ。疑うことを知らねえっつーか……ああ、そうだな、人を惹き付けちまうというかよ」
 言われて、私は即座に頷いた。恩人の孫である彼女は私にも明るく、優しく接してくれた。私を姉と慕ってくれて、私も彼女を妹のように可愛がっていた。私がここを離れたくなかったのも、彼女と暮らすことで随分と心を救われたような気持ちになったからという部分も少なからずある。
「そのアイツが、一年前にな……なんでかは分からねえが、傷を癒せるようになったんだ」
 一年前。丁度私がサイジェントへ行った頃と時期が前後する。そしてそこで一騒動あったことは記憶に新しい。
 物事にはタイミングというものがあるけれど、妙に時期の一致する話だと私は眉を寄せた。それをリューグはどう受け止めたのかは分からないけれど、彼はそのまま続きを話しだす。その口からは、私の頭では到底信じられないような言葉があふれ出た。
「切り傷、打撲、捻挫……果ては失明、難聴、難病の類まで……流石に失った身体の一部までは治せねえみてえだが、そういうモンを治せるようになっちまったんだよ」
 ……少なくとも彼がそれを喜んでいるように見えないのは、私でなくても分かることだろう。
「……どうして」
 浮かんだ疑問をそのまま舌乗せると、知るかよ、と仏頂面に据わった声で彼が答える。
「そういうことがあってから、村のやつらはアメルを聖女にして、村興しをしようって話になった」
 私はその単語に、ようやっとこの村に起きた変化を知った。
 レルムの村は立地条件も相まってどうしたって街ほど栄える要素はない。なのに、あの人の数。てんでばらばらで接点のなさそうな人だかり。聖女になったというアメル。リューグの言った『村興し』の打診。
「アメルは、それを断らなかったんだ……」
「そういうヤツだからな。……アイツが自分でそう決めたんだ。俺にはそれを止める権利はねえ」
 彼女の意思を最大限尊重するつもりだけれど、気持ちとしては納得してない。リューグの態度はそれをありありと示していた。
「それじゃ、アメルは忙しいだろうね」
「……集会所があったろ。あそこが今は治療所になってんだがな……あそこに泊まり込みなんざしょっちゅうだ。俺たちですらろくに顔も見れねえ」
 顔をしかめた彼に、私も良い気持ちはしなかった。だって、アメルはただの女の子だ。どんな突拍子のないことが出来るようになったって、それは変わらない。そのことはリューグが不満そうにしていることが何よりの証拠だ。
 村興しという名目なら、この先ずっとこの村はこんな感じなのだろう。入れ替わり立ち替わり部外者がひしめき合い、アメルは彼らの為にリューグの言う治癒の力を使い続ける。それに、終わりなんてない。彼女が聖女である限り。
 リューグの言い方もあってあまりいい気分とはいえないけれど……取り敢えず、知りたいことの辻褄はついた。みんなは元気かという質問に対するリューグの答え方、うごめく人の群れ、ここ一年の村の様子。
 改めて整理して自分なりに想像してみると、リューグのそれは苛立っているというよりも、寂しいのではないかと思えた。アメルは、随分と遠い人になってしまったようだ。両親を亡くして以来ずっと一緒だったのだから、その寂しさはこの村に身を寄せてそう長くないうちに出ていくことになった私とは比べ物にならないだろう。
「えっと、……今からアメルに会いに行くのも、無理そうね?」
「ああ」
「ロッカ達は? 確か、自警団やってるんだよね?」
 送られてきた手紙は何度も読み返した。自警団は私が居た頃からあったけれど、彼らの両親がはぐれ召喚獣に襲われて以降は、彼らもその中に入ったと。
「バカ兄貴なら表で面倒事が起きねえようにって見周りでもしてるだろうさ。ジジイには木こりの仕事がある」
 なるほど。みんな手が放せないということか。……それはリューグも同じなのだろうけど、この際、もう少し時間をもらおう。
「じゃあ、リューグのお父さんとお母さんに、先に挨拶したいな」
 行商人だった彼ら一家はレルムの村出身で、帰ってくる度によくしてもらった。彼らを死に追いやったというはぐれ召喚獣と同じ立場という負い目だけで死後挨拶もしないのは、それこそ一番やっちゃいけないことだ。
 私の提案にリューグは頷いて立ちあがった。この家の裏手に墓があるぜ、と彼は言って、私は荷物もそのままにリューグの後を歩いた。
 玄関を出て、ぐるりと家の周りをまわる。玄関口とは反対に当たる家の裏手に、それはあった。
 控え目に石を積み、木で作った十字架を立てたものが、二つ。私はその前に立つと、片膝をついた。頭を下げ、来るのがこんなにも遅くなってしまったことを心の中で詫びた。

 リューグ達の両親の訃報を聞いたとき、私は蒼の派閥にいた。召喚術の習得と保護対象という意味もあったけれど、まあとにかくそこで身柄を拘束されていたと言っていい。そこから、抜け出した。もちろんすぐに捕まってしまって連れ戻されたけれど、後にも先にも、そんなことをしたのはあれ一回きりだ。
 泣きわめいてレルムへ行こうとした私を一瞬で黙らせた声を、私は一生忘れないだろう。
「君が行ってもなんの力にもなれない。むしろ手紙にある通りなら、彼らの心を更に傷つけてしまうかもしれないよ。――君だって、はぐれ召喚獣なんだから」
 厳しい言葉だった。もとよりそれを告げた人は甘くはなかったけれど、あそこまで私の心を深く刺したことはなかった。
 私がどんなに駆けつけたいと思っても、側にいたいと願っても、私がいるというただだそれだけで彼らをより一層悲しませてしまう。傷付けてしまう。
「手紙の主だって、きっと気持ちが落ち着いたから書いたんだろう。彼らを思うなら、今は行ってはいけない」
 私はその時、その声に抗う力を失って、ただ込み上がる嗚咽を耐えていた。
 自分があの優しい人たちを傷つけることよりも、嫌われ恨まれるかもしれないことが何よりも怖くて。そんな風に相手への思いやりよりも独善的で最低な自分の気持ちに、吐き気がした。
 力がほしいと思ったのはそのころからだ。一人で生きていけるようになるのは勿論、誰かを守れる力がなければだめだと。
 今思えばあんな風に引きとめられたのは、私がレルムまで行けるほどの力がないということよりも、私の心があまりにも弱かったからなんだろう。自分がどんな立場なのか、どんな目で見られているのか、それを知った上でなお行くと言っていたのなら、あの人もあんな言葉は出さずに黙って見送ってくれたのかもしれない。
 あの人は私とリューグ達双方を傷つけまいと考えてくれていたのだ。

 私が弱いばっかりに、こうしてお墓参りもろくに出来ずに、すみません。
 よくしてくださって、本当にありがとうございました。

 ふつりふつりと言葉が湧いてくる。それを声に出すことはないけれど、優しかった二人のことを思い出して、私はお墓をじっと見つめた。
 ――憎いですか
 ふとよぎった言葉に耐えられなくなり、立ちあがってひざの汚れを落とす。相手はすでにこの世にいないのだ。返答を必要とするような問いかけに意味なんてない。
 気持ちに合わせて、視線も僅かに下がった。
 今まで、はぐれ召喚獣というだけで受けてきた扱いは私の心の中に深く根付いている。彼らも同じだとは思いたくないけれど、残念なからはぐれ召喚獣に対する一般の人々の目は冷たいのが現実だ。無理矢理に服従させられたり、高値で取引されたりするのを何度か見てきた。
 嫌なことを思い出し、僅かに重くなった気分を払拭したのは、背後からの攻撃だった。
「わっ」
「変わったのは見てくれだけかよ、泣き虫」
「泣いてない!」
 後頭部を小突かれ、慌ててうしろを振り向くと、リューグが呆れた様子で私を見ていた。

 ――聞いてしまおうか。

 自分の胸のつかえを取るためだけに発する言葉は、彼の表情を曇らせることになるかもしれない。
 同じ時を共有した彼にはもっとちゃんと向き合うべきだ。そのためにここに来たのだから。
 もしこれからもここで暮らして行きたいのなら、自分が感じているこの引け目は早いうちに取り払うべきではないか?
 では、返ってきたのが拒絶だったら?
 それはずっと考えてきたじゃないか。出て行くしかない。
 ぐるぐると廻る思考を処理できない。
 どうしよう、と迷った果てに見たリューグの目は優しかったと思う。

「はぐれ召喚獣のこと、憎い?」

 気付けばそんな言葉を漏らしていた。どうせ逃げられはしないのだからと、それは諦めにも近かったように思う。漏れ出た声はそんな私の気持ちを端的に表すように、捨て鉢になっているようにも聞こえた。
 リューグは最初会った時のように目を丸くした後、思い切り遠慮のかけらもなく顔をしかめて。
「テメエ、また余計なこと考えてやがったのかよ」
「……だって」
「ハッ、テメエが俺に何したってんだ?」
 ばかばかしい、とでも続きそうな声に落ちていた目線を上げると、リューグの横顔が見えた。そして目だけで私を見やる。
「ガキじゃねえんだ。俺も、兄貴もな」
 刺すようなそれに身体がすくんだ。怒っている。でも、その怒り方は私が予想していたのとは違っていた。彼の怒りは、『はぐれ召喚獣である私』ではなくて、『余計なことを考えている私』に対して向けられていた。
「……私の方がガキみたいね」
「じゃねえってんなら堂々としてろ」
「……ありがとう」
 リューグの言うことはもっともだ。彼ももう子供ではない。けれど、私にとっては『もし、彼らが私を拒絶したら』というわずかな可能性さえ大きく感じられて、だからこそここまで帰ってくるのが遅くなったのだ。蒼の派閥から解放される条件はもうとっくに達成していたはずなのに。
 ずっと呪縛のようにまとわりついていることから解放された安堵だろうか、ため息がこぼれた。
 私の背中を押してくれた人の顔がよぎる。――一番気がかりだったことは、思いのほかすぐに消えてしまった。

 家の中に戻って気分が浮ついた私は、気分のままに早く皆に会いたいなあと漏らした。するとリューグは私の考えていることでも分かったのか、すぐに欲しい返事をくれた。
「アメルならテメエが帰ってきたって分かったら、すっとんでくるだろうよ。テメエの話はその時聞く」
「長くなるよ」
「ハッ、今更だろうが」
 私がここを出ていってからの時間に比べれば。
 そんな声を聞いた気がして、私は確かな喜びに口元を緩めた。そこで、あることに気付く。
「……私、どこで寝たらいい?」
「なに言ってんだテメエ」
 ここ以外にどこがあると言うのか、とリューグは顔をしかめてから、ふと思い当たったように部屋のことかと呟いた。そう、そこです。
「あるぜ。ジジイがテメエのためにっておいてある部屋がな」
「へっ」
 予想外の言葉に、今度は私が目を丸くさせる番だった。……家が大きくなっていたのはリューグとロッカを引き取ったからだと思っていた。
「ジジイもアメルも、ずっとテメエを待ってたんだ。テメエこそ昔出て行きたくねえってびーびー泣きわめいてただろうが。手紙でも何回帰りてえって書いてたか、忘れたのかよ?」
 後に続いたリューグの言葉は、ほとんど耳に残らなかった。
 待ってた。私を。私が帰るのを。
 私は血が繋がってないのに、はぐれ召喚獣で、いや、拾ってもらった時はそれは分かってなかったけれど、村を出る前も、出たあとだって、面倒見る義務も責任もないのに。
 ……ずっと、待っててくれていた。
「ほん、と?」
「同じことを繰り返させんな。……こっちだ」
 くい、とリューグが顎で私を促す。動揺していると、自分で床に下ろしていた荷物に蹴躓いた。
「なにやってんだ、馬鹿」
 四つん這いになってひざに受けた痛みをこらえていると、リューグの笑いを含んだ、そしてそれを圧倒的に上回る呆れ返った声が降ってきた。そして、手のひらも。
「そんなんでよく帰ってこれたな」
 その手を取り、立ち上がる。口を尖らせていると、荷物を持たれてしまった。
「あ、いいよ、自分で」
「また転けられちゃかなわねえからな」
 ぐぬっ!
 完全にからかわれ、私は膨れっ面ではやく案内してよとリューグの脛付近めがけて足をふりあげた。
「なにしやがる」
 ……あっさりかわされてしまった。面白くない。
 ふてくされて睨むように彼を見ると、片眉を上げて挑発的に笑われる。それをかっこよくなったなあ、と思うのは贔屓目か。
「リューグの意地悪」
「ハッ、足癖の悪いテメエに言われたくはねえぜ」
 ごもっともで。
「ねえ、私も自警団の仕事手伝える?」
「さあな、バカ兄貴にでも聞いてみな。今の自警団のリーダーはあいつだからよ」
「へえ!出世したんだ」
 私の言葉に、リューグは冷めたように肩をすくめるだけだ。……気になってはいたのだけど、どうもロッカとリューグの仲はあまりいいとはいえないようだ。昔は、そんなことなかったのに。何かあったんだろうか。
 訊ねようか迷っているうちに、リューグがそらよ、とドアを開けてくれた。中を覗くと、最低限ながらベッドと机が置いてあった。窓にはカーテンもかかっていて、私がそれを引くと、綺麗な光が差し込んできた。
 窓を開けて、荷物とともにベッドに腰掛ける。
「シーツ、かえてくれたんだ。掃除も」
「ここ一年はこの有り様で、入れ替わり外のやつらに貸すこともあったからな……テメエからの手紙が来てからは空けてある」
 どうりで埃っぽくない訳だ。
 嬉しさのあまりだらしなく笑っていると、リューグは俺はもう行くぜ、と言って部屋を出ようとした。
「え、ちょっと、私は?」
「好きにしてろよ。自警団の話は明日以降にでもできんだろ」
 暗に今日は疲れただろうからゆっくりすればいいという風にとってもいいものかどうか迷いつつ、私は自警団の仕事に戻るというリューグの背中を見送った。
 一人になり、上半身をベッドに横たえる。ここからだとあの村の喧騒はあまり気にならない。
 アメルも、聖女としての務めを終え身体を休めるときはこの静寂に安堵するのだろうか。人のために行動することが何より好きだった彼女を思うと、それは違うような気もするのだけど。
 すぅ、と自分の吐息が部屋に響く。なんだか一人ここでのんびりとするには居心地が悪くて、私は貴重品だけを持って、軽装のまま居間に戻った。さっきリューグが淹れてくれたお茶がテーブルの上にまだ残っている。それを飲み干すと、再び外に出た。
 昔は、この家でたくさん遊んだ。リューグ達の両親は行商人だったから、村に居ないことの方が多くて。二人を村に残して行商に出ることも度々あったから、そんなときは必ずと言っていいほど四人で辺りを走り回ったものだ。木登りもしたし、木彫りのおもちゃで遊んだりもした。そう言えば、リューグは投げ輪が好きだったっけ。自警団では飛び道具でも使っているんだろうか? 気が強かったロッカは、剣かな。
 想像をめぐらせながら、彼らが育った十年を思う。森や村の姿は変わっていないように思えるけれど、それでも確かな時間の流れがそこにはあった。昔は広々と感じた村が今ではこじんまりとした規模に思えるのは、私がそれだけ広く大きなものを見てきたからだと言っても良いのだろう。
 足は自然と人だかりのある村の中心部ではなく、森の方へ向いていた。私はあまり賑やかなのは好きではない。いろんな人の気配が混じる今の村の状態では気疲れもするだろうから。


「……誰じゃ?」
 散策を初めてしばらく。道なき道を行くには好奇心もなく、誘われるがままけもの道を下ると、不意に声をかけられた。足を止め、声のした方を伺う。敵意も感じられないし口ぶりからして村の人だろう。
 じっと声のした方をみて待っていると、その先の茂みから赤い髪と屈強な身体が現れた。
 忘れるはずもない、大切な、大切な唯一の人。
 ――……私の、恩人だった。
「……ご無沙汰しております、アグラバインさん」

2011/03/27 : UP

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