Umlaut
糧と贄 - What was left - R
キョウコが召喚獣を喚ぶと言って家を出て行くのを耳だけで送った後、俺は軽く目を閉じた。身体の疲労はあるが、妙に頭が冴えるって言えば良いのか……時間が経つほどに自分の中の感情が鉄を打つように硬く、鋭くなっていくのを感じる。このまま冷えて固まれば一端の殺意になるだろう。だが、まだ足りないと腹の奥から熱が滾る。いくらでも溢れてくるその熱さは、死んだ奴らを供養するだけじゃ収まらねえのははっきりしていた。
昼間、ジジイと話をするために適当な理由をつけてキョウコを離したが、大した話はできなかった。ジジイがのらりくらりと……いや、アメルがいなけりゃ始まらねえとばかりに話を進める気がなかったのがでかい。その代わりじゃないが、ジジイの口から出てくるのはキョウコのことばかりだった。
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「昔のキョウコがどんな様子だったか……覚えとるか?」
「昔の……」
ジジイに問われ、アメルの話じゃねえのかよって肩透かしを食らいながらも記憶を手繰った。昔は四人でよく遊んだ。俺たちの中でも特にアイツは――
「大人しいっつーか引っ込み思案っつーか、いつも周りを気にしてたな。アメルや兄貴が無茶しようとすんのを、叱られるからやめとけって……」
そうだ、いつでもなにか悪巧みをするあいつらを引き止めるのは俺たちで、だからなんとなく気が合って、いつの間にかアメルと兄貴、俺とキョウコって組み合わせになることが多かった。
「まぁ、お世辞にも明るいとは言えなかったな」
「……そうか、お前にはそう見えたんじゃな」
「悪いかよ」
「いや、それでいい。あの頃からお前たちにまで気遣われておったら、余計につらかったじゃろうからな」
まあ、ガキにそんな器用なことができるとは思わねえが。気遣いより、除け者にしたんじゃねえかと思うものの、どちらにしてもやはり知らねえ方が良かったってのには違いない。
「あの子はそうやっていつも周りの機嫌を伺っておった。アメルには早々に気を許したようじゃったがな……お前たちに対しても、嫌われるのが怖かったんじゃろう、いつも顔色を気にしてな」
あまり自分の気持ちを外には出さなかった。
言われ、それは今でも変わっちゃいねえと思った。あれこれと考えちゃいるだろうが、じじいを探しに行くって言ったのだってアメルのためであって、そう言う『正当でもっともらしい理由』ってのがなければ、アイツは基本だんまりだ。
ガキが知らねえ世界に一人喚ばれちまったら、周りの大人に取り入るのが一番だろう。それは村でやっていくための、アイツなりの処世術だったのだ。
「村に召喚師が来たとき、キョウコを連れていこうとしたじゃろう?」
「ああ……」
確か、あとにも先にもアイツがあんなに泣きわめいたのはあれっきりだ。あんまりにも嫌がるアイツを、ジジイが斧を持ち出して庇ったのは今でも覚えている。ガキなりに異様な雰囲気だったのを感じていたんだろう。
「あの子が泣いて嫌がったのは、ただ出ていくのが嫌じゃった訳じゃあない」
当時のアイツからすればこの世界の全ての人間は敵だったんだろう。特に大人は。
ジジイにはそれがわかった。アイツが縋れる大人が、テメエだけだってことも。
だから斧まで持ち出して……召喚師が相手だろうが、アイツを、守ろうとした。
「今は随分上手く隠せるようになったようじゃが、ワシにはあの子の心はまだあの頃と変わっとらんように見える。……もっとも、中身も成長したところで、大事な孫には変わらんがな」
遺体を見下ろしながら遠い目をして話すジジイの背中は、変わらずにでかかった。アメルもそうだが、ジジイのそれは達観なんだろう。キョウコがどんなやつだったとしても、ジジイは同じ事をして、同じ事を言っただろうと分からせられる声だった。
そりゃあ、疑いだしたらキリがねえことぐらいわかってるさ。悔しいが、村長が言った通り、村に来た召喚師が本当に蒼の派閥のヤツだったのかなんて俺たちには確かめようがない。
今はマグナやトリス、それからネスティや、あいつらの先輩だとかいう二人の腕がたつ召喚師と面識を持ったからこそ、それはどうやら本当だったと言えるんだ。それがなけりゃ、今でも疑ったままだっただろう。あいつらと関わりをもったのも、皮肉にも村がこんなことになっちまったからだしな……。
だから、初めからなんの疑いもなくアイツを信じていたジジイがわからなかった。
「キョウコのことに関しちゃ、えらく口が軽いじゃねえか」
「本人が生きとる上、ここにおるからの。……村の連中がキョウコを歓迎したとは思っとらん。勿論全員じゃなかろうて。じゃが、よく思わんかったモンがおったのはワシとて知っておる」
「……」
村長の顔がよぎった。詰所で聞いた話も。ジジイは……もっと昔、アイツを保護したときから分かっていた……のか。
「何が言いてえ? アイツが村を襲った連中と通じてたわけじゃねえって? よく分からねえうちから庇うのかよ、アイツを」
「……昔負わされたキョウコの傷は、この先一生治らん。あれは、種類こそあったが、どれも人が作った刃物によるものじゃった。であれば、どういう輩に何をされたのかなんぞ直ぐに分かる」
キョウコが引き入れたわけじゃないことを承知の上で、ジジイに対してはカマをかけるような言い方をした。これでジジイからなにか聞けるんじゃねえかと思ったが、当時を思い出しているのか、ジジイは顔を歪めた。そして見抜いていた。アイツが他人と繋がりを持つことに対して、否定的なことを。
……身体に残る傷、か。あの時俺達には親がいて、ジジイ達と暮らしていたわけじゃなかったが、それとは全く関係なくキョウコの肌を見る機会はなかった。川遊びだなんだでアメルでさえ薄着になる中、アイツは絶対に肌を見せなかったからだ。
「村に来る前、召喚術の実験台にされてたって話だな」
俺が言葉を繋ぐと、ジジイが弾かれたみてえに顔を上げて俺を見た。そして吐く息と共に肩の力を抜いた。
「……そうか。あの子はお前たちには話したんじゃな」
「アンタは知らなかったのかよ?」
「理由までは流石にな」
多分どっかで戦ってた経験があるらしいジジイが、一生治らねえと言うからにはひどい状態だったはずだ。
ガキだった俺たちは村に来て直ぐのキョウコには会わせて貰えなかった。それ以降も、キョウコが顔と手以外を露出していた覚えはない。傷(それ)がどれ程のものかは想像するしかない。
「理由なんぞ聞かなくとも、あの子がひどい目に遭わされたのは一目瞭然じゃった。森で出くわしたワシを見たときの怯えようは、今でも忘れられるもんじゃあない……怯えながらも目は敵意で満ちておった。僅かな殺意さえ感じるほどにな……それでも身体が恐怖を覚えておったんじゃろう、震えて、その場から動けんようじゃった」
外傷もさることながら、あの様子はどう見てもある期間容赦なく虐待されていた、とジジイは続けた。恐怖によって服従させられていたと。
……今では見る影もない。そうよぎった考えを直ぐに振り払う。アイツは役に立ちたいとか言いながらあれこれと村の中を動き回ってこそいたが、あまり深くまで――勿論ジジイやアメル、兄貴や俺を除いて――関わらないようにしていた。だからこそアイツが黒の奴らとグルだった可能性さえ考えたわけだが……そんなものは、先輩だったという召喚師達の話で馬鹿らしいと蹴飛ばすしかなかった。そもそもアイツは、この世界全ての人間が嫌いだったんだから。
そしてジジイの言葉通りなら、今になっても尚アイツは人間不信のまま。まあ、納得する部分はある。実際、俺も面と向かって言ったしな。流石に正面切って言われたからなのか、腹を割るほどじゃないにせよ、あいつの口からはぽつぽつとろくでもねえ新事実が出てきやがった。蒼の派閥の連中の一部から命を狙われてるなんざ、そりゃあいつまで経っても誰かを信用なんざできねえよな。先輩召喚師に対する態度と頑なな線引きは、その最たる例だったってわけだ。見たところ端から信用してねえってわけでもなさそうだったが、あの二人の足を引っ張りたくねえってのがそうさせたのは……矜持か、いや、違うな……多分、
「リューグ」
ふとジジイの声に意識を引き戻される。
「あの子を信じるにしろ、疑うにしろ……目を離さないことじゃ。何がきっかけで、どう転ぶか分からん……キョウコには、そう言う危うさがある」
「……言われなくてもそうするぜ」
テメエが、アイツが唯一頼ってたアンタがそれを言うのかよ。
ぐっと言葉を飲み込んで、俺は吐き捨てた。そうでなくともアイツには敵が多い。……村長に殺されそうになったのが、悪いようにならなきゃいいが。
――……なんて、人の心配をするなんて余裕は俺にはねえんだ。自分の腹の中でぐつぐつと湧き立つ煮え湯をあの連中にぶちまけたくて堪らない。なのに、大泣きしていたキョウコと、ここに来て大量に分かったアイツの過去がちらついて仕方ねえ。
何を思って強くなった? 強さが欲しいと思ったのは何故だ?
ゼラムで起きた後、明らかにキョウコのヤツはやたらと吹っ切れた様な顔をしていた。俺はそこに誰が何を言っても、思っても、頑として譲歩しなさそうな固さを見た。俺の知らねえアイツの様子に、煮えたぎった腹の奥底で虫が這い回るみてーな感覚がある。
……上手く整理できねえが、俺はアイツの固めたモンに都合良く乗っかるわけにはいかない。乗って良いわけがねえんだって、頭ん中はぐちゃぐちゃしてきやがる。俺は、この衝動に誰かを付き合わせるような趣味なんざ持ってねえが、同じように誰かの衝動に相乗りする気もさらさらない。
かと言ってアイツに『好きにやれば良い』なんて言っちまえば……いよいよ誰の声も届かねえような所へ行きそうだ。そうなっちまった時、そいつは違うだろと、俺がアイツの頬を張って止めようったって遅い。
一度全部壊したんだ。アイツにはもう『そう言う選択肢』が存在している。
それはねえだろ? なあ。俺はアメルが悲しむのは、もう見たくねえんだ。アイツが懐いてるキョウコになにかあったら、俺はなんの慰めもできねえだろう。
そのつもりはないものの、万が一俺が死んだら……ま、いつかは誰かがアメルを上手く慰めて、側にいてやったりするんだろうさ。俺には……アメルを傷つけないために離れるしかできなかった俺には土台無理な話だ。俺じゃ、駄目なんだよ。俺以外じゃねえと。
だったら、キョウコだって死なせるわけにはいかねえだろ。……アイツの面倒を見れるのは現状、俺しかいねえ。多分、情報は俺が一番持ってる。
貧乏くじを自分で引きにいっちまった、とは思うが、不得手だろうがなんだろうが、腹を括れば後はやるだけだ。アイツが俺達の敵じゃねえってんなら、アメルに会わせてやらねえと。
さんざっぱら泣きまくって、アイツはやっと一歩踏み出した。それがどこへ向かおうが、アメルの力を無駄にするような真似だけは俺が許さねえ。
真夜中を過ぎ、空が微かに白んだかと思う頃、やっとキョウコは戻ってきた。うとうととしていた意識が引き上げられ、足音を拾う。一人分増えているのは、あいつの護衛獣とやらと上手く話がついたからだろう。会話はないが、迷いのない足取りに結果を予想するのは難しくない。
……すっきりした風に帰って来やがって。
静かに部屋に戻っていく微かな音。その足取りが行きよりも軽いことに、妙に心を逆なでされるような感覚を覚えた。――それがとんだ思い違いで、直ぐに認識を改めることになるとは思っちゃなかったが。
2024/02/01 : UP