Umlaut

糧と贄 - What was left - 02

 どんな気持ちでも朝日は昇る。
 いつの間にか寝入っていた私は、鳥のさえずりを感じながら目覚めた。家の中は静かで、かまどの火は消えている。既に二人は家を出ているらしい。
 流石に今日は私も埋葬を手伝っても良いだろう。
 村の住人……として、一部の人からは数えてもらえなかったことを知ってしまったけれど、エレナさんのように沢山よくしてくれた人達だっている。せめて手を合わせたかった。
 携帯食を囓って、家を出る。勿論最低限武装することは忘れない。昨日アグラバインさんがいた辺りを目指していくと、私を殺そうとした例の男の死体がなくなっていた。……まさか、気を遣って先に埋葬したのだろうか? アグラバインさんは知らないはず。やったのはリューグ以外いないだろう。ただ、お礼を言うのも違うだろうし、二人ならまだしもアグラバインさんの前で触れられない話だ。気づかないふりまでしなくてもいいだろうけれど、積極的に口にするのは避けようか。
 なんだか、私ばかり気を遣われていて申し訳ない。リューグの方が辛いはずなのに。
 寝坊をからかわれたものの、私は直ぐに合流して、清められる遺体は清めることにした。シルターン式の供養の仕方が一番自分に馴染んでいたものの、火葬できるほどの火を用意できず、召喚術で焼き払うわけにもいかなくて、結局は土葬になった。
「本当なら、一人一人丁寧に大釜にいれてやるか、棺に入れるのがいいんじゃろうが……許してくれ」
 アグラバインさんがそう言いながら、深く掘った墓穴に虫除けの草や木片と共に遺体を並べて行く。名前はおろか、顔さえ分からない遺体もある。服装から村の人かどうかがかろうじて分かる程度で、せめてもの気持ちで村の人は分かる範囲で名前を墓標代わりの樹に刻んだ。
 遺体を捜して運ぶのは私とリューグが、穴を掘って埋めるのはアグラバインさんが。手分けして少しずつ進めていく。肉体的に、というよりは精神的な辛さがあるかと思ったが、途中からは殆ど無心でやっていた。
 幸か不幸か、この場に慣れたからなのか、鼻が効かない。腐敗が始まり、排泄物が漏れ始めている。殆ど漏れなく傷つけられた遺体はかなり血が抜けていたものの、うつ伏せになっている身体は目に見えて死斑が浮かんでいるものもあった。肌は青白く、酷く強張っているものもある。流石にそう言った状態のものを背負うわけにも行かず、無事だった布の切れ端をかき集めるようにして簡単な担架を作って運んでいく。あの夜リューグが言ったように、子どもも病人も、全員が等しく殺されていたのが嫌でも、何度でも眼前に突きつけられる。
 リューグはその間何も言わなかった。多分明日も同じ事を繰り返す。それでも。
 歯を食いしばっているのか、きつく唇を引き結んだまま黙々と手と足を動かす彼に、私が掛けられる言葉はなかった。


 どれだけ急ぎたくとも限界は来る。生きているからには喉は渇くしお腹は減るのだ。
「……ふう、ちょっと休憩しない? そろそろ正午を回る頃だろうし、昼食の支度をしてくるわ。アグラバインさんにも言っといて」
「ああ」
「水、飲めそうなら飲みなよ」
「言われなくてもそうするぜ」
 静かなリューグの声は疲労が滲んでいたものの、心配するほど荒々しくも、弱々しくもなかった。良くも悪くもいつも通りで、そのことにほっとする。
 せめて生きている人達の変わらない態度を感じて安心したい。近いうちに必ずあの夜のような戦いをするリューグを見ることになるのを嫌がる自分がいることに、私は気づき始めていた。

 頭では分かっている。私たちはあいつらを倒して、アメルの安全を確保したいという点で一致しているはずだ。絶対にリューグと肩を並べて戦うことになる。でも、そのイメージが上手く掴めない。がむしゃらに突っ込んでいくリューグを止めるか、リューグがそうするより先に私が召喚術を使っている所ならまだ簡単に想像できる。
 ……せめて、リューグが死なないように、少しでも生き延びる可能性を上げられるようにしなければならない。そのためには私自身の戦闘能力や支援の精度を上げるよりも、単純に戦力を増やすのが現状最も有効な一手だろう。
「……」
 誓約済みのサモナイト石は、無色のものだけじゃない。かつて召喚師として認められるべく誓約した、私の護衛獣。彼を再び引っ張り出すことに躊躇いがあるのは、この戦いの勝ち目が見えないからだ。
 はぐれ召喚獣にしてしまう可能性が高いのを分かっていてリィンバウムに喚ぶなんて、絶対にしたくない。かつて味わった孤独を、誰かに味わわせるなんて嫌だ。でもそれで、防げるかも知れない被害をむざむざ引き起こすのも違う気がしている。
 誰にも相談はできない。できるとするなら、誓約した召喚獣とだけだった。

 家に戻り、手を洗う。洗った手でそのまま鼻下をゴシゴシと擦った。嗅覚が麻痺している。鼻の中を洗えたらいいのに。
 気を取り直して、芋を掘りに畑へ向かった。襲撃があって、畑と家畜は殆ど荒らされていた。それでも、残っているものはある。
 村を焼いてアメルだけを攫う算段だったからだろう、奴らは計画が狂い、アメルを探すのに、おびただしいほどの死体が残るこの場所を拠点にはできなかった。アグラバインさんという存在がいたことも大きかっただろう。だから兵糧の確保で食糧はかなり根こそぎ持って行かれていた。
 今後のことも考えて贅沢はできない。必要最低限のものを選りながら、畑もそのうち整えないとと考える。特に芋は死活問題だ。
 昨日は流してしまったけれど、リューグはアグラバインさんを連れて行くのではなくて、アメルをここへ連れてくるつもりらしいから、村を捨てるつもりはないのだろう。普通、そうだ。全てが終わっても、彼らの帰るところはここなのだから。
 アメルと合流し直すにしても、少しだけでも手は入れておきたい。こんなに荒れ果てた場所を見て、アメルがどう思うかなんて明白だ。少しだけでも未来を感じられるような、そんなきっかけになれればいい。
 思い立って、私は薬草を育てようとしていた小さな畑へ足を伸ばした。アグラバインさんの家と同じように、流石に村の外れの小さなスペースまで荒らす必要はなかったらしく、目に見えた被害はなかった。
 香りの良いハーブをいくつか摘んで、家に戻る。かまどに火を入れて湯を沸かし、備蓄の中から他の根菜を少しだけ追加して、よく洗って芋と一緒に一口大に切って湯の中に入れて火を通す。干し肉もナイフで細かく砕いて鍋に放り込んだ。少しだけ塩を追加して味を調えれば、スープの完成だ。硬い黒パンと食べればお腹は満たされるだろう。
 実際、リューグもアグラバインさんも、美味いと言って食べてくれた。鼻が効かないのは二人も同じはずで、味なんて殆ど分からなかっただろうに。……気遣いが嬉しかった。



 丸一日どうにか動いていても、埋葬に目処は立たなかった。ただ、やはり一人でやるよりは遙かに良い。遺体が傷んでいくのを目の当たりにするのは心も気持ちも辛いものがあるが、放り出したくない気持ちが強くて日が傾くまで私たちは動き続けた。
 へとへとになって、夕飯と自分たちの身体を清めるのをどうにかやり遂げて、昨日から考えていたことのために足を動かす。
「リューグ、ちょっと」
 食後、自室で身体を休めていたリューグに声を掛けた。リューグとロッカの部屋には、今は一人だけ。あれだけ家に帰れなかったのに、村がなくなってから帰れるようになるなんて皮肉だ。
「ちょっと、これから……少し家を離れるわ。遠くには行かないけど」
「一人でいいのかよ」
「私が、自分で背負わないといけないことだから」
 かいつまんで昔誓約した召喚獣を喚んで話をするのだと説明すると、リューグは物言いたげに口を歪めたけれど、結局何を言うでもなく「分かった」とだけ口にした。
「ジジイには伝えたのか?」
「まだだけど……そもそも言わなくてもいい気がしてて」
 リューグの目が、先を促す。
「私がやろうとしていることに……アグラバインさんは反対しそうだなと思って。それに、わざわざ心配かけるようなこと、自分から言うのも違うでしょ。伝えたところで、アグラバインさんに望むことはないんだもの」
 飽くまで自分で決めた事だ。リューグと目的が殆ど同じであるうちは、リューグと足並みを揃えることにメリットはある。でも、アグラバインさんは復讐なんて考えてないだろう。アメルの無事が確かなものになること自体は喜ぶだろうけれど。
 アグラバインさんは冷静だ。相手の数や熟練度を正確に把握しただろうし、その上で一人で対処できることではなく、誰かの力を借りる伝手さえないことを理解しているんだろう。
「まあ、ジジイは止めるだろうな。俺も昼間、釘を刺されたしよ」
「え、」
「ただまあ、……だからってあいつらとやり合わずに切り抜けるって選択肢がねえってことも、重々承知の上だろう。馬鹿兄貴ほど語気も強くなかったからな」
 きゅ、と眉が寄ったのは、ロッカとリューグが対立したという話を改めて思い出したからだ。あんなにアメルを大事にしていたリューグが離れたのだから理由は多分、リューグにとってかなり大事なものだったはず。
「そういえば、私が知らない間にまた喧嘩したんだっけ」
「はっ、テメエが知ってるやりとりが喧嘩なら、ありゃ殺し合いかもな?」
「はあっ? 一体なにしたの?!」
 深く突っ込むのも、と思っていたのが吹き飛んだ。というか、冗談だったとしてもいつものやりとり以上でアメルの前でぶつかったのなら、そりゃあどちらかは引くことにもなるでしょ……?!
「別に。連中から逃げるかやり合うかってだけだ」
「だけって……そんな、簡単そうに」
「俺はな、キョウコ。アメルがどんなに嫌がろうが、あいつら全員ぶっ殺してやりてえ。それがアメルの安全に繋がるなら尚更だ。テメエにゃ外から来た奴らの話をしたこともあったが、それだって、なにも殺すこたあなかったはずだろ。村の連中が、他の連中があいつらになにしたってんだ? なにもしてねえはずだろ……! だったら……そこまでやって、それでやっと『公平』ってもんだろ……!!! ってな。言ってやったのさ。それに馬鹿兄貴がなんて言ってきたかなんて、簡単に想像がつくだろ?」
 声を殺しながら言葉を絞り出すリューグに、私は首を横に振ったりはできなかった。
 無駄死にするような特攻をかけるなら止めもする。でも、私はリューグの中ではち切れそうになっている感情を既に味わったことがあって、そしてあらん限りの力を使って弾けさせた後の人間だ。
 一方的に蹂躙されて、理不尽な目に遭ったことへの怒りが嫌と言うほどに分かる。何よりも、リューグの言葉は未だに私の中に燻る思考そのままだ。無色の派閥の残党が出てきたら、『召喚獣として実験されていた私』のことを知っている奴がいると知ったら、私は積極的に殺しに行くだろう。そいつらが組織として強大でも関係ない。全員、どうにかして潰すはずだ。だってそれは私を脅かす者に違いないから。
「そうね。お互い気が立ってただろうし、それは殺し合いにもなるかも」
「はっ」
「……私の事も含めて、敢えて自分から言う必要はなさそうってことはよく分かった。一応こっそりと家を出るつもりだけど……アグラバインさんは気づくでしょうね」
「何も言ってこなけりゃそれまでさ。それに……護衛獣、だったか。それこそ護衛のために喚んだとかなんとか、いくらでも言い様はあんだろ」
 リューグの言葉に頷いて、私は一度部屋に向かった。
 背中にリューグの視線を感じたけれど、振り返ることはできなかった。

 私はリューグにどうしてほしかったのだろう。考えながら、荷物を整理する。お守りのように持っていたサモナイト石は、そのものズバリ小さなお守り袋に入れて服の内側に縫い付けてある。胸の辺りにあるその感触を確かめて、私は縫い糸を解いた。
 ころりと手のひらに転がる、オレンジ色の石。宝石のような光沢は、研磨されたものではなく石を通じて開かれた異界への道を示している。この力でリィンバウムと他の世界を隔てる結界に穴を開けて、あちら側から異界の者を呼び寄せる。無機物ではなく有機物の召喚が課題だったから、どれほど嫌でも逃げられなかった。
「……」
 久しぶりに会うことになるけれど、元気にしているだろうか。少しの緊張と共に家を出た。

 月明かりと慣れだけで足を動かし、リューグとの鍛錬にも使った場所へ出る。少し開けていて、月の光が地面を照らしている。
 もしかしたら応えてもらえないかも知れない、と思いながらサモナイト石に呼びかけた。
「……来て、『ヤマト』」
 反射で目を閉じなければ視力を失いそうな閃光がサモナイト石を中心に迸った。ぐん、と自分の中の気力を持って行かれるような感覚が、そのまま成功の手応えだ。シルターンの匂いが辺りに立ちこめ、私は少しの間息を止めた。
「久しいな、キョウコ。ヤマト、主人の呼びかけに応じ、ここに馳せ参じた。さて、今回はどんな有事かな?」
 声が聞こえて、ゆっくりと息をして目を開ける。そこには、目元を隠すような猿面をした、シルターンの着物を着た男が立っていた。
 侍の風貌をしていながら、その実マシラ衆と呼ばれる忍の技術も持っている。主と定めた者への忠義を尽くすが、一方で従う価値無しと判断すれば、例え召喚した相手と言えども即座に謀反を企むことも辞さない。何よりも自らの心に従い、二心を持つことはない。――と、昔自らがそう語っていた。
 ヤマトという名前は彼が持つ刀の名らしい。名刀に相応しくなりたいとそれを振るう彼と縁故が持てたのは幸いだった。彼は、人を斬ることに躊躇いがない。
「……来てくれてありがとう」
「なんの。己(おれ)はそなたの召喚獣。応えねば不義理というもの」
 低い声は軽やかで、私の心に反して随分と楽しげだった。
「して、主人よ。聞こう。そなたの殺意の先に何があるか……なッ!」
「くっ」
 殆ど予備動作もなく繰り出された剣戟にかろうじて反応し、ナイフで弾く。そのまま距離を取って構え直すと、ヤマトはこっちの事情も聞かないまま声を張り上げた。
「はははっ! そうでなくてはな!」
「この……ッ!」
 ――心を見透かす事さえあるこの男に、私は防戦一方になりながら『拳』での語らいに応じる羽目になるのだった。



 キン! と澄んだ音が鳴り、私の手からナイフが離れる。そのまま凄まじい勢いで地面に刺さると同時、私はその場に崩れ落ちた。
「はぁ……はぁ……っ!」
 緊張と疲労で身体を支えようとする手足が震える。そんな私を見下ろしながら、ヤマトは納刀後に私の前でしゃがみこんだ。
「此度はなかなかのものだったぞ!」
「はあ……っ、それは、どうも……」
「して、腹は決まったのか?」
「……?」
 まだ何も言ってない。でも、どうしてだかヤマトはこうして打ち合うと、私の心がどこにあるのかをおおよそ察してしまう。
 だから、逆に聞かれたことの意図を掴みかねて、私はヤマトを見つめた。月明かりの下、猿面の眼孔の奥には影が落ちて何も見えない。
「どの腹のこと?」
「無論、主人が外道に堕ちる腹よ」
「……あなたを、私の、私たちの私怨に巻き込んだ挙句、もしかしたら私が先に死んで……あなたをはぐれにするかもしれない身勝手さに、自分でケリをつけられたかじゃ、なくて?」
「違うなあ。そんなものは些事よ。以前に喚ばれたときはただの試験であったと聞いて肩透かしを食らったが……そなたの中にある恨みは相当に強かった。今もそれは変わってないようだが、質がえらく変わっておる。以前の泥めいた性質もよかったが、此度の鋭利な気配もなかなか趣深い」
 まったく。嫌なことばかり見透かされる。
 私が本当に躊躇っていたのは、私が憎しみで殺した無色の派閥の奴ら――秩序を持たない外法で外道の輩――と同じ道を辿ることになる、その一点だった。そうヤマトは見たのだろう。
「嫌よ。あいつらと同じ人間になるなんて絶対に嫌」
「しかし、召喚獣を自らの欲のために道具として使役するならば避けられぬ道よ。だからこそ己は一度送還されたのだ」
「……」
 即答できない。私は、ヤマトに自分の身勝手さを許されたかった。それがあれば、胸を張れると思った。でも彼は、私に自分を使えと言ってくる。今度こそ、道具としての自分を全うさせろと。……彼の主人に足る人間だと、私自身が思えないにもかかわらず。
「己は、これと決めた主人の道ならば地獄であろうと共に征く。そういう性質なのだ。止めはせん。己の剣は主人のための道具に過ぎぬ。己もまた然り。そなたが決めたことを反故にしたならば介錯するまで。優しく諭すことには向かぬ」
「でも、以前のあなたは暫く私に付き合ってくれて……私を守ってくれたでしょう」
「力を振るう先を決めるのは飽くまで主人だからなあ」
 飄々とした言葉に、あの時は退屈を感じていたのだと感情が乗る。……ここまで死合うことに積極的だっただろうか?
「そなたが誰ぞを斬るというのならば、己はその全てに報いてみせよう。このヤマトの名にかけて。それが己の在り方よ」
「……」
 陰って見えないヤマトの、面の向こうにあるはずの眼差し。どれがどこにあるのか分からず、言葉が出てこない。それでも、丁寧に手入れをしているのだろう口元は緩く微笑んでいて、私は背筋を這い上がってくる感覚を振り払った。
「昔とやることは変わらぬ。どうだ?」
 にんまりと笑みを描く唇に、彼を送還しようと決めた時のことを思い出した。あの時は彼を持て余したけれど、今は……多分、違う。
「私は、私と私の守りたい人を脅かす連中を全部、排除したい。そのためにあなたを喚んだの。生死は問わない。誰に恨まれても、憎まれてもいい」
「承った!」
 パン! と自分の膝を叩き、ヤマトが笑う。
「では契りの酒を酌み交わし……」
「私は得意じゃないからいい。それに……そもそも今は用意できそうにないの」
「そうか……」
 どことなく落ち込んだ声に、今度は私が唇を緩める番だった。
 アメルに抱きしめられたときとは違う。小気味よい心地。言葉に嘘はなく、私が志を曲げない限りついてきてくれるのだろう安心感と、曲げたときには必ず終わらせてくれるのだろうという妙な信頼があった。

2024/01/30 : UP

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