恋糸結び

(1)

 特定の刀との縁(えにし)を持てない審神者というものが、一定数いる。
 それは審神者の持つ霊力であったり、血筋であったり、運であったりと様々だが、稀に、当人の意思が介入する場合がある。


「受付番号、一一○三の方」
「はい」
「問題ありません。書類はすべて正式に受理されました。お疲れ様です」
「ありがとうございます」
 まるで金融機関の窓口のような内装のロビーで、私はほっと息をついた。時の政府管轄のこの場所は、審神者専用の役所だ。その中でも、審神者を支援する部署の片隅にある。万屋と非常に座標が近いが、用もないのに立ち入る場所ではないためかそこまで人は多くない。
 ここには本丸に追加したい設備の申請のために来ている所だった。優秀な戦績を収める審神者であればこんのすけを通して役人が手厚くバックアップをするので、言伝一つで容易に済む。しかし、生憎と審神者としての資質も、実際の戦績も悪くこそないけれど決して良くもない私のような中堅は自身で規定の場所へ赴き、手続きを行わなくてはならなかった。
 様々な理由で審神者として一線から退き後方支援を担当する者や刀剣男士こそいるものの、人が足りていない現状で、より優秀な者へのフォローが厚くなるのは必然と言えた。ちなみに新人たちへのフォローはバランス感覚に優れたタイプの戦績優秀なベテランの審神者が請け負うことが多い。
「……さて」
 職務に励むことは苦ではないけれど、提出する書類というものに苦手意識のある身としては、避けて通れぬこの業務には毎回ため息が止まらない。そして無事恙無く終えた後は、自分へのご褒美に万屋で甘味を食べることにしていた。我が初期刀たる陸奥守吉行が大々的に認めているので、帰り道は気楽なものだ。彼は刀ながら人を動かすのが上手い。
「今日はどの店へ向かわれますか、主君」
「そうだねえ……、と」
 万屋へ行くことは大前提として、今日の近侍を務める前田藤四郎と共に移動用のゲートまで移動していると、メインロビーが騒がしかった。目をやれば、六振りの刀剣男士を従えた一人の審神者が歩いてくる所だった。艶やかな黒髪に涼しげな目元の審神者が従える刀剣男士達は、どれも自分の本丸で見る姿とは少し異なっている。
 背が高かったり、表情が静かで、けれど堂々としていたり。それは、審神者と共に過ごした時間、高めた力による差違だ。審神者ごとの個性と言っても良い。はっきりとその違いが分かるとなると相当の手練れ――歴戦の審神者であることは一目瞭然だった。
「あれは……聞きしに勝る【石墨】の審神者さまですね」
「あれが」
 前田の言葉になるほど、と頷いていた。石墨と言えば相模国所属、破竹の勢いで頭角を現した若い男の審神者の名だった。とは言っても、私よりも審神者として就任している期間は長い。そういう審神者がこんな役所まで、と思ったが、時折政府から個別に指令が下ることがあるというから、そういった案件なのだろう。
 彼の率いる刀剣男士を失礼にならない程度に見遣りながら、その中に一振り、背丈の低いのを見つけて目で追いかけてしまった。
(――やっぱり違うな)
 それは、薬研藤四郎。しかし私の知る刀よりも多少胸板が分厚く、獰猛さがあるような気がする。目つきが鋭いというのか、けれどどこかぎらぎらしているような。石墨の顔立ちにどことなく似ているように思うのは、目元が切れ長に見えるからだろうか。一見すると涼しげだから、よく見たときの引き込まれる感じがすごい。のまれている、というべきか。
 思っていると、視線を感じたのか当の本刃と目が合ってしまった。ぎくり、と心臓がはねる。それを、静かに目線と頭を下げて会釈することでどうにか収めようと努める。そうしている間にも一行は奥の部屋へと姿を消していた。石墨の審神者の薬研藤四郎が私へ目をくれたのはほんの僅かな間だったようで、誰にそれを咎められることもなかった。
「主君」
「はい」
 私の、前田藤四郎を除いては。


 前田藤四郎は、私が初めて鍛刀した刀だ。陸奥守吉行と並んで私を最初期から支えてくれる、大切な刀のうちの一振り。慣れぬ私の審神者業を陰に日向に支えてくれる功労者とも言える。
 そんな前田は、重厚なテーブルと椅子が落ち着いた雰囲気の喫茶店で席に着くと、いの一番に私をたしなめた。
「いけませんよ、みだりに他の刀を品定めするように見ては」
「はい」
「相手もそうですが、主君の刀としてもいい気はしません」
「ごめん」
 万屋をはじめとして繁華街として栄えるこの一帯は、元々審神者として勤めていた人間が多い。それもあって一般には漏らせない遣り取りをしやすいので、多くの現役たちが羽を伸ばしている。この店も大通りから一本外れた場所にあるが、ちらほらと刀剣男士の姿が見えた。
「僕たちは主君のお気持ちを存じておりますが、それでも同じ名の刀に余所見をしているのはどうかと」
「……はい」
「節操がないと、肝心の相手に袖を振られてしまいます」
「ごもっともです……」
 前田に怒られて縮こまっていると、頼んだメニューが運ばれてくる。前田はモンブランとブラックコーヒー。私はショートケーキとロイヤルミルクティー。
「ですが、すでに主君の御心を射止めた兄弟がいる以上、縁(えにし)は結べないかもしれませんね」
「そんなあ」
 甘くて美味しいケーキに、濃厚で暖かいミルクティーを味わう。
 一方で、品よく甘味を口にする前田の言葉は苦いものだった。事実ではあるが、刀剣男士に、しかも同じ刀派に言われると説得力が凄い。
 甘味は美味しい。が、前田の言うことは間違いなく気落ちするもので、ため息が漏れてしまった。厳しい顔をしていた前田も、表情を緩めて苦笑する。
「こればかりはどうしようもありません。聞けば、今までも双方の同意により譲渡される場合もあったようですし、主君も、先方の許諾を得てあちらの兄弟を口説き落とすおつもりであれば邪魔だては致しませんよ」
「うっ……それは……ハードルが高いね」
 どこか楽しげな様子の近侍に、私はミルクティーで喉を潤し時間を稼いだが、やる気になるなどとてもできなかった。
 既にどこかに顕現している刀剣男士を、主の許可を得て口説き落とす。それはまごうかたなきヘッドハンティングであり、私にとっては――
「なんだ、楽しそうな話してるじゃねえか」
「うっ わ、あ!」
 胸の辺りがきゅ、とした直後、私は盛大に心臓と身体を跳ねさせた。
「おっと悪い、驚かせちまったか?」
「あ、こんにちは薬研」
「おう。久しぶりだな? こないだ会ったのは……三ヶ月くらい前だったか?」
「本丸の敷地の拡張願いを出しに来たときだから、そういうことになりますね」
 目に馴染んだ、薬研藤四郎。私が同じ名の刀剣男士を見た時、違和感を覚えない唯一の一振り。
「兄弟は出先から戻ったところですか?」
「いや、小間使いは今日は別の奴だ。代わりに俺は内勤でな。気分転換に出てきて、さっきあんたらがここに入るのが見えたもんでな」
 言って、肩をすくめて笑う。穏やかで、姿形は資料で見る薬研藤四郎に違いないのにどこか年上の男性のように感じてしまうのは、私が審神者に就任する前の研修生時代に、この刀に面倒を見てもらっていた所為だろう。目の前にいる彼こそが、私にとっての薬研藤四郎なのだ。
 相席でも構わないかと前田に訊ねた彼は、私経由で前田に許可を貰い、その隣に腰掛けた。
「兄弟は相変わらず忙しそうですね」
「だなあ。ま、大将が頑張ってるからな」
 この薬研藤四郎は、時の政府の管轄の部署で動く一振りだ。主たる【梅鼠(うめねず)】の審神者が高齢のために一線から退き、後継を育てることに尽力しているため、審神者研修生への教育に関わっている。何をとっても大ベテランだ。
 その中でも、きっと私は特に懐いていた方だと思う。特に秀でたところもなく、研修中の座学でも特筆すべき成績は取ってない。審神者候補者として徴収されたのも一般から募り始めて間もなくで、そのころは『特筆すべきことのない』人間がわんさといた。当然、そこに勤める見目麗しい刀剣男士に心奪われる者も。
 私は、その内の一人だった。他のどれでもない、この薬研藤四郎に恋をしている。
「で、そっちは今回どんな用だったんだ?」
「設備の拡張の申請ですよ。台所と大浴場が手狭になってしまったので」
「……この間もそうじゃなかったか?」
「この間は敷地の拡張ですから。畑も手狭でしたし」
「ああ、なるほどな」
 流石に80を超える刀剣男士たちと生活をするにあたって、最初に与えられた設備ではとても追いつかない。過去に40を超えた際にも一度申請して通っているから、恐らく今回も大丈夫だろう。
「あんたの本丸もでかくなったな」
 しみじみと喜んでくれる薬研藤四郎に、私は顔がほころんだ。前からそうなのだ。この刀から褒められると、とても嬉しくて、特別の励みになる。
「審神者に就任してから、なんだかんだ長いですから」
「そうだなあ……何年前だ?」
「もう七年以上前ですよ」
「そんなにか」
 まだ20代だった。当時は、余りにも美しいその顔立ちにドキドキしているだけだと思っていたっけ。そして、いつまで経っても10代の娘のように心が落ち着かないものだから、随分悩んだものだ。その果てに未だこの刀を前にすると、普段さして気にしない身だしなみなど気にしてしまうのだから、正真正銘、好きなのだと思う。年月で心を測るなんておかしいけれど、ヒト以外の、少年のカタチをしたものに恋をするなんて初めてで、そしてそれを自分自身が肯定するまでにずいぶん時間が掛かってしまった。
 そして見慣れ、焦がれたその姿は、最早他の薬研藤四郎を見ると違和感を覚えるほどだった。私にとって彼こそが薬研藤四郎になってしまっていて、そしてそれ故に、私の本丸には薬研藤四郎がいない。ただの一度たりとも、私を大将と言ってくれる彼と相見(あいまみ)えたことがないのだった。まあ、他所の自分に懸想しているとなれば、私と縁(えにし)を結びたくなくても仕方がない。色恋沙汰にうつつを抜かしているという意味でもそうだ。他の本丸の薬研藤四郎の話を聞くと、『代わり』になることを厭わない気質もある様子だったが、こうも縁がないのは結局私のこの下心によるものなのだろうと認めなくてはならなかった。自分の本丸を持ち、任された頃から既にそうだったのだから、私の想いは私がそれを是とするか否かに因らず、研修生だった頃から続いていることになる。
 この私の片思いは自分の本丸の刀剣男士たちには既に広く知られていて、今となっては生ぬるい苦笑で許容してもらっている。審神者としての仕事に栄養を出していないからこそだった。だって、そうじゃなければこの薬研藤四郎に合わせる顔がない。そうじゃなきゃ、「頑張ってるんだな」って、褒めて貰えるなんて夢のまた夢だから。
『主君の中にはもう兄弟がいて、そうやって心を支えているのですね』
 いつだったか、そう言って柔らかく微笑んだのは前田だった。前田と陸奥守には、頭が上がらない。
「立派なもんだ。……で? まだ俺はそっちに来てねえのか」
「はっ、あ、ええ、はい」
 しみじみしていると急にニヤリと笑った薬研に急所を突かれ、私は思わず目を逸らした。
「俺も好かれたもんだなあ」
「……」
 顔が赤くなるのが分かる。
 私の気持ちは、この薬研藤四郎には既にばれているのだった。そりゃそうだ。全然薬研藤四郎が来ない、とぼやいて愚痴交じりに相談した相手こそ、この薬研藤四郎なのだから。
 だって分からないじゃないか。自分の懸想が原因だなんて、思わないじゃないか。他の審神者にだって分からなかったのだ。政府の元で働いている、懇意にしている刀剣男士その本刃に聞けばなにか分かるかもしれないって、そう考えるのは自然じゃないか。そしてそれを、この刀自身から突きつけられるなんて、知らなかったのだから。
「あまり主君をからかわないでください」
「はいはい」
 前田が窘めると、薬研藤四郎は肩を竦めた。折りにつけからかわれるけれど、だからといって軽く見られているわけではないと思う。研修生に惚れられるなんてしょっちゅうだろうから、慣れているのもあるだろう。なにより、私一人の恋心など容易く受け止めてしまえるほど、この刀の度量が大きいんだと思う。まあこれは私が勝手に思っているだけではあるものの、多分、間違ってはいないだろう。そんな気がする。
 そしてそんなところもますます好きになってしまうのだから、私はもうこの恋心があっという間に転がって行くのを止めようとするのを諦めた。どうしようもない。
「その、例えばですが。私の『これ』が終わったとして、私の元に薬研藤四郎が現れることはあるんでしょうか」
「まあ、顔を出すようにはなるんじゃないか。本当にそれが原因かは実際の所分からんし、調べようもないが」
 怖いことを言う。他の審神者の話で特定の刀剣男士がいないとか、なかなか縁が結べず苦心したという話は枚挙に暇がないが、私程長い年月、それも薬研藤四郎というほぼ全ての審神者が自分の元へ来たことがあると言われている、人好きの付喪神と縁が結べていないのは特殊という他ないのだ。検証のしようがない。
 薬研藤四郎が審神者からの恋心を厭うのかと言われると、ケースバイケース。実際に恋仲になっている本丸もあると聞く。けれど、その大半は自分の刀剣男士だ。次点で引き継ぎや譲渡が成功した場合。それだって自分の指揮下になってからの話で、他所の審神者の刀剣男士に惚れたなんていうのは研修生の時期くらいなもの。審神者になって自らが刀剣男士を従えるようになれば、日々の仕事にその気持ちも薄れていくし、自分を主と仰ぐ刀剣男士たちに情も移ってゆくものだそうで。
「あんたも物好きだな」
 だから、この薬研藤四郎がそう言うのも無理はなかった。そういう彼は、私の気持ちに答えを返してくれたことはない。大将でもない人間、それも審神者に、そこまで優しくする義理はないと思っているのかもしれない。もしくは、私が彼から答えを貰うことを望んでいないと分かっているのか。はっきりと断られたとしても、簡単に気持ちを切り替えられるものなのではないと、知っているからか。
 否定も肯定もされてない。ただ、許容されている。それはぬるま湯のように心地良くて、据わりが悪い感覚だった。

2020.02.28 pixiv同時掲載