恋糸結び

(2)

 研修生だった私があの頃、どうして他にもいる刀剣男士ではなく薬研藤四郎に惹かれたのか。話は単純だ。苦手だったのだ。同世代、あるいは少し年若い程度の『男性』の容姿を持っている彼らが。しかも既に幾多の戦場を制圧してきた歴戦の刀たち。そんな中、少年の姿をした短刀たちは話しやすいし、非常に頼りになった。時の政府管轄で、主たる審神者伝いに研修生のフォローアップを任されている彼らは原則協力的だったけれど、特に短刀たちは面倒見がよかった。誰が相手でも威圧しにくい容姿というのは非常にあの場に向いていたようで、私と似たような人は他にもいた。私が知る限りでもいるのだから、後にも先にも大勢いただろう。
 とは言え、一振りが受け持つ研修生があまりにも多いと負担になる。アンケートや面接により組み分け、班分けが行われる中で、私が配属された先が梅鼠さんの薬研藤四郎だったというわけだ。もし別の短刀だったら……と考えることがなかったわけではないけれど、気質や思考の相性など踏まえた上で割り振られたのだから、好感を持ったり、そうでなくても苦手意識が出ないのは当然だったと言える。
 最初は頼りに思うだけだった、と思う。梅鼠さんの薬研藤四郎も例に漏れず非常に見目麗しく、口を開かなければぞっとするほどの中性的な美少年だったので気後れはしたものの、なんせ薬研藤四郎なのだ。デモンストレーションとして実際に同じ審神者の別の刀剣男士と手合わせをする所を見れば、あらゆる印象は吹き飛んでいった。穏やかだった自己紹介とは打って変わって、吠え猛る様はまるで獰猛で、その薄く小柄な体躯のどこからそんなものがと気圧されるには十分な覇気を見た後では――容姿で彼らを侮ることがどれほど愚かなのか嫌でも理解するというものだ。
 そしてそんな低い声と豪快な振る舞いと、審神者を持ち上げつつ面倒見の良い兄貴分のような気質、要点以外は割と緩めで、時として雑だとかセンスがないとか言われていたけれど、中身があまりにもとっつきやすく、彼に割り振られた研修生が彼を慕うのは自然な流れだった。中には舎弟になりたいとか、彼を兄貴と呼んでいる人もあったくらいだ。とは言え、同期の中で彼を恋い慕っていたのは私くらいだっただろうが。
 研修生として学ぶことは多かった。彼らを刀剣男士として顕現するために刀を励起する仕組みは政府側で技術が確立されていたので苦労はないものの、その技術を運用するに値する資格の取得が長かった。ストレスチェックも頻繁に行われた。審神者になるには知識だけでなく、身体的、精神的にも問題が無いと太鼓判を押されなければならなかった。あとはまあ、生命保険の手続きであったりとか、そういう現実的な契約部分だろうか。
 一通りの事が済めば、成績優良者は同じく戦績優良な審神者の所で実習する選択肢も与えられてた。まあ、私のような中間はそのまま初期刀を選んで本丸に放り投げられて、実地で実技を学ぶしかなかったのだけれど。
 審神者になって三ヶ月までは研修担当の刀剣男士のフォローを受けられるので、その三ヶ月も初期刀共々お世話になったものだ。ものすごく社交的で仲の良い班は同窓会みたいなものまでやっているらしいと聞くから、どこもそうなんだろう。
 だから、と言って良いんだろうか。どうして恋になってしまったのか、私ははっきりと答えることができない。一目惚れだったかもしれないし、分からないことや不安なことがあれば親身になってくれたことが嬉しかったからかもしれないし、彼が面倒見が良くてあれこれと世話を焼いてくれたことを特別だと思って舞い上がっていたからかもしれないし、そういう積み重ねを全て、少年の容姿をしているために私が恋慕だと気づかず、気持ちが大きくなってもとても認めがたく、そうしている内にどうにもならなくなっていたからかもしれない。
 ただ今の私が、この気持ちを持て余していることだけがはっきりとしていた。
「あるじさんはさ、兄弟に告白しないの?」
 乱藤四郎にそう切り出されたのは、のどかな春の景色が広がる日の午後。執務室で時の政府の役所で提出した書類の本丸控えをなくさないように整理している所だった。
 乱は私の気持ちを積極的に応援してくれる一振りだ。時の政府の施設へ向かうときのコーディネートをお願いすると、ものすごく快く請け負ってくれる。決して前には出て行かないけれど、こうして私の気持ちを肯定し続けてくれるし、背を押してくれる、ある意味かけがえのない存在だ。彼がいなければ私は薬研藤四郎への恋を認めなかったし、認めたとしても諦めていただろう。逆に言うと、乱のせいでここまで気持ちが膨らんだとも言える。まあでも、思い詰めることもなくこうしていられるのはやはり、乱のおかげだ。
「……多分、振られると思うんだよね」
「うん」
「でも、振られるのは嫌だし、口に出すことがすごく怖い」
「うん」
「思うことは許してくれていると思うから、それに甘えていたい気持ちがあるし、自分から手放すほどの踏ん切りもつかない」
「うん」
 書類を振り分けながら、乱が投げかけた問いに言葉を重ねていく。口に出すと、意気地なしなんだなと思った。
「負けたくないから勝負しない……って感じかな」
「まあ、無理に決着をつけなくちゃいけない事情もないしね」
 乱が私の言葉に寄り添ってくれる。
「ボクは、あの兄弟があるじさんの支えになってるなら、告白はしなくちゃいけないってこともないと思う。でもね、兄弟がいつまでもこの本丸に来ないこと、今でも結構気にしてるんじゃない? いち兄が来てから特に」
 補足しておくと、一期一振から薬研藤四郎がいないことについてはっきりと言葉で問い詰められたり、匂わせられたりしたこともない。一期一振が来たことで、粟田口の刀が喜んだことは確かだ。そしてその際、たった一度だけ薬研藤四郎がいないことに対して疑問を口にされたことがあるだけだ。その頃は審神者就任から三周年を数える頃であったので、言うなれば人好きで、戦好きで、この先の見えない戦いが始まった頃から協力してくれている薬研藤四郎がいないことを疑問に思うのも無理はなかった。今後の信頼関係に響くと思って嘘偽り無く説明したが、逆に私の心の柔らかいところに立ち入ってしまったと恐縮されてしまったのも良い思い出だ。
「ううん。会わせてあげられないのは確かに少し心苦しいけど」
「そう? 会いたいとは思ってるだろうけど、あるじさんがそこまで兄弟のこと好きって分かって、いち兄が嬉しく思ってるのも本当だよ」
「うん。大丈夫、分かってるよ」
 審神者が恋をしていること自体に興味を示したり、関わっていこうとする刀剣男士はほぼいない。私の本丸でもそうだ。でも日々の勤めを疎かにすることがなければ反対されることはなく、その多くに許容され、あるいは乱のように肯定してもらえるのは得がたいことだと理解している。現世で、普通の成人女性と少年の間柄だったらこうは行かなかっただろう。だから、私はそのことに安心していながらも、この現状に身動きが取れないでいる。
 しがらみがあるからこそ迷う余地がないこともあるのだと、理解する日が来るとは思わなかった。
「で、乱。言いたいことはそっちじゃないでしょ?」
「……うん」
「いいよ、言ってみて」
 言葉を濁すのは乱にしては珍しい方だ。デリケートな話題だということと、……きっと、自分が育てたと言っても過言ではないこの恋心の今後を、彼は憂いている。
「最終的にはあるじさんが決めることっていうのは、分かってるんだ。でも、……その気持ちを誰にも見えないところにしまっちゃうくらいなら、日の当たるところに出して、あるじさんが確かに胸の中に持っていたんだって、兄弟に伝えてほしいな」
「……」
「あの兄弟は、あるじさんがはっきり言わないなら、なかったことにしちゃうよ。……そのことを悪いとも思わないだろうから。流石にそれは、ボクが許せない。でも、ボクがどんなに怒ったって、きっとのらりくらりかわすに違いないんだよね。ボクの勘違いだろってさ」
 たやすく想像できるのか、乱は不満そうな声色で続ける。
「でも! でも、はっきりと言えばね、兄弟は、あるじさんの気持ち、大事にしてくれると思うから」
 ――どこまでも、この刀は私の気持ちに寄り添ってくれるらしい。
 乱の言うことは、多分間違ってない。正しいと思う。告白すれば、振られたとしても梅鼠の薬研藤四郎は私の気持ちを大切に受け止めてくれるし、間違いなく真摯に向き合ってくれるだろう。なかったことには絶対にしないはずだ。
 そう思うのに、彼を好きになって、でも、告白する気が起きなかったのは、どうしてなのだろう。どこかで彼を諦めてしまっているのだろうか。でも、だったらこの本丸にはもうとっくに薬研藤四郎が現れているはずだ。
 彼の姿が少年であること、人間ではないこと、それはとっくに、私の中で問題じゃなくなっている。単に私が、怖いだけなのだ。きっと。
「……ありがとう、乱。一度ちゃんと、考えてみるね」
 私の恋心に一番向き合えていないのは、私なのかもしれない。

2020.02.28 pixiv同時掲載