恋糸結び

おまけ

 新たな縁(えにし)に際し、ただの夕食が宴に変わったのは必然であった。本丸の主たる審神者と、薬研藤四郎の主による音頭の後は、和気藹々とした雰囲気で幕を開けた。
 審神者と恋仲であることを互いに認め合い、その上、主としていただくことになった薬研藤四郎は、己の所業も合わさって波のように次から次へと様々な顔ぶれに声を掛けられ、一つ一つに挨拶を返していた。
 大体は歓迎する言葉で、「仲良くやっていこう」であるとか、「おめでとう」といった肯定的なものだ。特に乱藤四郎は審神者の恋心を特別気に掛けていたようで、弾けるように笑っていた。
「本当に良かったよ! あるじさんが振られちゃっても、兄弟は適当なことはしないと思ってたからそこまで心配してなかったけど。やっぱり両想いって聞くと嬉しいよね」
「随分気を回して貰ったみたいで悪かったな」
「いーえ。でも結構長かったよね。話聞く感じ兄弟がどういうつもりなのか読めなくてやきもきしちゃった」
 逃げるような真似はしないだろうが、はっきりさせない態度は訝るに十分だったのだろう。薬研藤四郎は主以外の人間について、主の顔に泥を塗らない範囲でならば節度など度外視することがままあることが知れ渡っていることもその一因である。
「ま! これからは同じ本丸で過ごすことになるんだし、喧嘩の一つくらいあるかもね」
「ため込まれるよりはその方がいいな」
「あるじさん結構ウブだし、下手したら経験ないかもなんだよね。兄弟がちゃんとリードしてよね」
「マジか」
「そりゃ、あるじさんがどんだけ長い間兄弟に片思いしたと思ってるの」
 研修生時代からだとすると、かなりになる。それもそうかと薬研藤四郎は感慨深くなった。
「心得た。肝に銘じる」
 生娘とは思ってないが、そのつもりでいた方がよさそうだ。とは思うものの、だからと言って手を緩める理由にはならない。傷つけるつもりは毛頭無いが、気持ちを吐き出した以上はぶっすりいかせて貰おうと薬研藤四郎が思っていると、乱藤四郎と入れ替わるように前田藤四郎と陸奥守吉行が顔を見せた。彼らが審神者の右腕であり、懐刀であるのは既に十分知っている。座ったままとは言え、もう一度頭を下げた。
「まだ少し先になるそうだが、これからよろしく頼む」
「勿論です」
「こちらこそ、おまんと肩並べられるがを楽しみにしゆうがで」
 そして、彼らから日本酒の酌を受け、お猪口に注がれたそれに丁寧に口をつけた。塗れた唇を舌で舐め、少し息をつく。
「おまんがここに慣れる日が待ち遠しいにゃあ」
「……そのことなんだが、一つ、頼みたいことがあってな」
「おん?」
「正式にここに配属されたら、できるだけ早く修行に行きたいと思ってるんだが」
 薬研藤四郎の練度は最大だ。修行を経て己の器を大きくしなくては、これ以上強くはなれない。人間が刀剣男士を管理する上であれこれと数字に直しているが、その殻を破るにはそうするしかない。これは生まれ持っての素質や並々ならぬ修練がなくても刀剣男士を使役できるようにするにあたって、政府が仕組みを構築した弊害でもある。
 審神者が安心して刀剣男士を送り込める時代やシーンは政府によって厳密に定められている。それで行くと薬研藤四郎が役に立てるのは精々京都の池田屋までだ。まだ正式な通達はないが、直に全ての審神者に案内される新たな戦場は、一段と厳しい戦いになる。審神者の評価を上げ、同じくらい守るためには修行に行かない選択肢はなかった。
「こっちに来てから話をしに行くつもりではあるんだが、他の奴とかち合うと拙いんでな、先に話しておこうと」
「兄弟」
 のんびりするのも悪くないが、やはり刀である以上戦で手柄を立てたいのも本音だ。そう思いながら話していると、珍しく、前田藤四郎が遮るように声を出した。
「なんだよ、何もおかしいことは言ってねえだろ」
「なりません」
「は?」
 ぴしゃりと取り付く島もない声色に、薬研藤四郎は訝った。そうして抱いた疑問を、日本酒を味わっていた陸奥守吉行が引き継ぐ。
「薬研藤四郎よ。こん本丸はみぃんな手練れぜよ。戦力面でおまんが必要ないち言うつもりはないけんど、どういても今や無いといかんちゅうこともない。そん中でえい仲になったばっかりのおなごをほったらかしにするゆうがは、褒められたもんやないにゃあ」
「それは……そうなんだが、」
「兄弟、もし主君を置いてすぐ修行に行くのでしたら、今後主君と同衾できるとは思わないことです」
「はあっ?」
 怒っているようにも聞こえる声で放たれる前田藤四郎の言い分に、今度こそ薬研藤四郎は大きな声を上げた。大広間にいる人数を思えばかき消えるほどの声。それでも、和やかな流れからは少し外れるほどだった。
 とはいえ、誰も彼も酒が入り、薬研藤四郎の声に注視する気配はない。陸奥守吉行は前田藤四郎をあおるように手を打ち、笑った。
「ほうじゃの。それがえい! 前田、よう言うた」
「当然です。僕たちも暇ではありません。今なら兄弟と主君のことを心から祝福しますし、兄弟がこちらに来てから最低でも一週間は二人が心穏やかによう尽力する所存ですが、来てそう日も空けずに四日も本丸を留守にするとは看過できません。兄弟、兄弟は主君の刀ではありますが、兄弟にしかできないことがあるでしょう。それに、主君にとっても長年の想いの成就ですから、仲を深めるよい機会となるでしょう」
 まさか兄弟は床に不安があるのですか、とまで言われ、薬研藤四郎はそんなわけはないと首を横に振って即答した。
「ならば問題は無いでしょう。主君のためにも、修行は後です」
「む……まあ、これは俺の我が儘だし、従うが……」
 しぶしぶ諦めを口にすると、ひょっこりと顔を出した三日月宗近が薬研藤四郎のお猪口に酒を注いだ。
「おっと」
「はっはっは。前田の言うことは聞いておけ」
 気の良い笑みを浮かべながら、三日月宗近が薬研藤四郎を見据える。
「俺はここに来てからまだ一ヶ月も経たん。それ故、主ともまだそう長く話をしたわけではなくてな。もっとゆっくり時間を設けられたらとは思っているが、お前が主の好い人でなければ譲ろうなどとは思わんさ」
「……そうかい」
「いや、なに。お前がそういう扱いでなくともよいと言うなら、譲る気は毛頭無いがなあ。どうだ?」
 穏やかな顔をしているものの、言っている内容は『新人は弁えろ』ということだ。特に薬研藤四郎は言うなれば中途採用。祝う気持ちも本物だが、ぽっと出に大きな顔をされたくないのも本音。自尊心を傷つけられるほどのことではないが、多少妬けることであることは確かだ。たとえ恋愛感情ではなくとも。
「忠告、痛み入る。素直に言うこと聞いとくよ」
「はっはっは、そうかそうか。よかったぞ」
 言うだけ言って、三日月宗近は席を移した。言いにくく感じるほど些細なことでも、あの刀に言われると重く感じるなと苦笑が漏れる。
 注がれた分に口をつけ、前田藤四郎と陸奥守吉行に目をやると、二振りともにっこりと笑っていた。
「肩の力は抜けたかえ?」
「……ああ、そうだな」
「ほうかほうか、そりゃあ何よりじゃ」
 まっはっは、と陸奥守吉行が声を上げて笑う。どの刀も、ある意味では薬研藤四郎でさえも、この初期刀という存在は越えられるものではないのだ。それでも。
「ありがたく厚意に甘えることにするよ。……嗚呼くそ、いよいよ楽しみになってきちまった」
 酒を入れたせいで熱くなっている呼気を感じながら、薬研藤四郎は髪をかき上げた。

2020.02.28 pixiv同時掲載

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